vol.214 モザンビークからレポートvol.8

価値観の違いはどこから?

ちょうど一年前、恐喝にあいました。何より驚いたのは、周りに人がいっぱいいたのに誰も助けてくれなかったこと。1年過ごしてみると、日本では見られない素敵なところもたくさんあって、何を大切にしているかが違うだけなんだなぁと思ったり、思わなかったり。

「ぎゃー!たすけてー!だれかー!そこのお兄さん、笑ってないで助けて!」
約1年前の昼間の繁華街で突然若者に腕を掴まれて、必死に助けをこうも、老若男女問わず誰も助けてくれませんでした。ガードマンを呼んでも無駄。しばらくこの国で住むことが嫌で嫌でしょうがなかったけれど、改めて1年を振り返ってみて思うのは、「価値観が違う」ということです。
恐喝がいいことだとは思わないけれど、外国人にお金をせびることの大前提に、モザンビークにはお金を持っている人が困っている人を助けるのが当たり前だという考えがあります。外食に行けばお金を持っている人が全額払う上に、お金を払わない人も大きな顔をして好きなように飲んで食べているし、友達からもすぐに「助けてくれ」「パンが買えない」等々と言われます。日本人として、全く理解できない態度だけれども、その逆もまた然り。日本人同士で割り勘しているところをモザン人に大笑いされて、「そうそう、お互いお金の扱い方が違うよね」と話がはずんだことはとても印象的でした。

他にも、違いはたくさんあります。モザンビーク人は歳を召した人の荷物を運ぶことや、誰かが転んだだの、車の故障だの、みんなさっと寄ってきて助けてくれます。今眼の前で起こっていることにはとても敏感。日本人はどうでしょう?誰かが困っていても、体調不良で倒れていても、素通りする国だという外国人記者の記事読んだことがあります。事実あってほしくはないけれど、外国人に対する対応が冷たいのは否めません。外国の駅で地図を見ていて声をかけられなかったことはないし、モザンビークでも少し立ち止まっているだけで「Tudo bem?( 大丈夫?)」と多くの人が気にかけてくれます。モザンビーク人との約束で、時間をきっちり守ってもらったことはないけれど、道中で誰かを助けていたとしたら(実際に、日本ではありえないアクシデントがすごく頻繁に発生して、時間通りにつくことは結構難しい)、それはそれで素敵なことだと思うようになりました。

日本人は、時間に関しては世界一きっちりしている国、国民。誇りに思っていい文化の反面、時間に追われるあまり、眼の前で困っている人を助ける余裕がなかったり、外国語を完璧に話せないから声をかける勇気がでないのだとしたら、もったいない!「世界はいつもそんなに完璧を求めていないよ。他の人と関わることを楽しんでみて。」と伝えたいです。





About Niramkko



にらめっこ


〒504-0855:岐阜県各務原市蘇原新栄町3-15
TEL・FAX

058-383-8666
Email

info@niramekko.com
情報誌情報

創刊:1987年
発行日:偶数月の第4月曜日
発行部数:22,000部

配布地域

岐阜県各務原市、岐阜市、関市、可児市、大垣市
設置場所

幼稚園、図書館、児童館、郵便局、教育関係などの公共機関、 大手スーパー、スポンサー様の窓口