215号(2023.9&10)」カテゴリーアーカイブ

vol.215 自然とつながる私たちの健康

 

前号は「スマホは脳に猛毒!?」なんていうちょっとドキッとするタイトルで特集しましたが、今回はその続き、となります。
にらめっこ174号(2016年11&12月号に「自然、足りてますか?」というタイトルで特集を組み「自然欠乏症候群」について掲載しました。
やる気起きない、不安になる、いらいらする、落ち込む、憂鬱になる、何をやっても楽しくない、体がだるい、重苦しい、辛い、眠れない、熟睡できない。気力や体力が追いつかない感覚。こんな不調を感じている人結構多いですよね。これらの症状が「自然の欠乏」からきているのではというのが今回の話です。

1.「健康」と「病気ではない」は違う

「健康」=「病気でない」「弱っていない」ということではなく、例え病気でなくても健康ということにはなりません。どこも悪くないのに、なぜか心も体も不調な状態は健康とは言えないですね。

2. 自然欠乏症とは自然不足が原因で出る症状

英語では「自然欠乏症候群」をNature Deficit Disorderと表現します。Natureは自然、Deficitは欠損や赤字、Disorderは障害です。
「自然欠乏症」とは
2005年リチャード・ループという著述家が「あなたの子どもには自然が足りない」という本で提唱した自然欠乏症という概念があります。昔の子どもたちは川で遊ぶ、野原で遊ぶなど外で遊ぶことが通常でした。しかし現代外で遊ぶ子どもはまれ。子どもたちは、家の中に閉じこもりテレビやゲーム、Youtubeに夢中で、自然から遠ざかった生活しています。この自然から遠ざかる環境や生活が子供の心と体に影響を与えているというものです。
〜 自然欠乏症候群の症状 〜
☆集中力がない。一つのことに集中できない
☆他人に対する気遣いができず、友達とうまく遊べない
☆落ち着きがなく、じっとしていられない
☆忍耐力がなく、かんしゃくを起こす

これは子どもだけの話ではなく、都会に住む大人の心や体にも影響を与えます。「最高の体調」に載っていたワシントン州のボブ・ムーアヘッド牧師の文章ともとても関連しているように感じます。

3. 現代人の不調 – 人間は自然から遠ざかるほど、病気に近づく

現代医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、自然から離れるほど健康から遠ざかり、やがては病気になってしまうことを指摘したそうです。近代化が進み、テクノロジーが発展し、化学物質に囲まれる環境で暮らす都会人は、明らかに「自然」から遠ざかっています。自然から遠ざかることで、五感が鈍化し、注意力が散漫になり、脳の疲労を招いている可能性があります。
便利な環境に身を置き不便や不足を感じることはほとんどなく生活している。でも何か「足りない」と感じる感覚ありますよね。今ガーデニング、キャンプ、アウトドア、つり、山登りやトレランなど自然に触れる趣味が注目を浴びているのは、この何か物足りない感覚を埋めているのかもしれません。人の「自然に触れたい」という本能なんです。

4. バイオフィリア – 人は本能的に自然と のつながりをもとめている

バイオフィリアとは、生命や生き物や自然を表す「バイオ」と、愛好や趣味を表す「フィリア」を組み合わせた造語で「人は本能的に自然とのつながりをもとめている」という概念。人間は自然の中で進化し、自然に囲まれている時が一番くつろげる。自然は人にとって五感をフルに活動させることができる唯一の場所であると。その自然から離れると総合失調症、不安障害、気分障害を発症しやすいそうです。うつの代表的な症状である「体がだるい」「気力が湧かない」「眠れない」も自然欠乏症からきている可能性も考えられるそうです。

5. 自然欠乏症を防ぐには日々の意識が大切

「自然欠乏症のチェックリスト」
★日の出と日没を意識して生活している
★木材など自然素材の住宅に住んでいる
★静寂さや、自然の音などを感じやすい場所で活動している
★自然の香りを実感しやすい環境で活動している
★綿や麻、絹など自然素材の衣類をきていることが多い
★携帯電話やパソコンに接することが少ない
★長時間の自動車運転や電車通勤(通学)をしていない
★主に自然食を摂取し化学薬品は摂取していない
★飲料物は自然水や有機栽培などでつくられたものである
★電気毛布や電子レンジなど、電気製品は用いていない
★日常的に森林浴、日光浴などしている
★化学薬品を塗布または吸収していない
※このリストは、「何個チェックがついたら重度」と判定するのではなく、自然欠乏症候群にならないためには、どう暮らせば良いかを知るための手段としてください。

自然欠乏症を招くような生活。例えば、自然に触れる機会の減少、科学物資に囲まれた生活、自然のリズムを無視した夜型の生活を少しでも見直し、自然に触れる機会を意識的に作る、化学調味料を避ける、早寝早起きして太陽を浴びる生活をするでも変化させることができます。そうすれば、私たちが持っている自然治癒力が本来の力を取り戻すかもしれません。

6. 1ヶ月に5時間自然に触れる習慣を持つ

ストレス回復度では「気持ちが落ち着いている」「日々の仕事に熱意と意欲を持てている」「集中できている」など、活力度では「生き生きと活力に満ちている」、創造性では「新たなアイデアがいくつも浮かんだ」などの効果です。
1回30分程度を週2回、近所の公園や自然のある場所で過ごせば月に5時間になります。1ヶ月に1回海や山を訪れ自然の中で5時間過ごす選択もできます。5時間は最低ラインで10時間過ごせば更に効果が上がります。5時間を目安に自分に合った自然と触れ合うプランを作るのも良いですよね。

自分のためのMY RETREATを計画してみよう。
例えば、朝日を浴びること、平日公園に立ち寄ること、
休日に自分の好きな自然の場所を訪れること、
なんでも良いので自然とのつながりを生活に
取り入れてみませんか?

 

BE HERE NOWより

 

 


vol.215 ダムから川へつなぐ意味

「総貯水容量で日本最大の徳山ダムの水を、トンネルの導水路で約43キロメートル先の木曽川まで延々と流そうという計画である。愛知県・岐阜県・三重県を流れる木曽川・長良川・揖斐川は木曽川水系と呼ばれ、一体として水資源開発が行なわれてきた。だが水需要の減少と、長良川河口堰や徳山ダムなどの建設により、この地域は完全な水余り状態なのだ。そのため、この導水路建設は2009年から休眠状態だった。しかもその14年前に、導水路事業からの撤退を表明し、凍結へと追い込んだのは河村市長本人だった。」と語るのは、フォトジャーナリストの伊藤孝司さん。

 私が岐阜に移り住んで間もない頃、バイク(50cc)で岐阜市内の高島屋の前を走っていた時、路面電車(今は撤去された)のレールでスリップして転倒。しかも路面電車の真ん前で。多数の視線を感じながらバイクを起こし、とぼとぼ歩いて自宅へ帰る途中の金華橋で足がとまった。西の空の夕日と川面に映る夕日が、私のしょぼくれた心に直球で飛び込んできたのです。「なんてきれいな景色。なんて美しい川面。これが長良川。この美しい川を私は忘れない」と、胸に刻んだのでした。
それから間もなく、長良川河口堰建設の話が再浮上(1959年に河口堰計画が作られた)。1988年、天野礼子氏が、長良川河口堰建設の反対を始めた。本能的・直感的に私は反対運動に飛び込んだ。私の原風景である長良川を守りたい一心だった。「長良川ネットワーク」というA3二つ折りの情報紙の編集を担当。しかし、1995年に、河口堰運用が始まってしまった…。
 反対運動は熱を帯び、長良川DAYという全国規模のイベントで毎年多くの人と交流し、賛同を得たかに見えた。折しも政権は社会党が覇者となり、村山政権となった。これで完成された河口堰も閉めることはないだろうと皆が思っていた。だが1995年7月6日、当時の建設大臣の命で閉門された。その日大雨の中、私たちは河口堰を閉門させまいとゴムボートに乗って抗議をしていた。すると水資源開発機構の人から「ここは危険ですから立ち退いてください」と言われ、「この堰は安全じゃないのか」という応酬も徒労に終わり無念を胸にボートを降りた。この運動は「公共事業の見直し」を成果とし、今は「河口堰開門」に向けて運動は続いている。

「長良川河口堰は、工業用水の水源確保を最大の目的に建設された施設ですが、未だ一滴の水も工業用水に使われていません。使われているのは僅か16%で水道水として使われていますが、住民からは「まずい!元の水源に戻してほしい」と声が上がっています。海と川を分断した河口堰の下流側には約2mのヘドロ層が堆積し、日本でも有数のシジミ漁は大きなダメージを受けました。堰き止められた上流側は、潮の干満がなくなり、水面は上がったままとなりました。長良川下流域生物相調査団の報告書によると、広大なヨシ原は水没し90%が消滅。そこに生息していたオオヨシキリは1/4程度に減少し、多くの生き物の棲みかがなくなりました。」と長良川市民学習会 武藤 仁さん。

武藤さんが事務局長を務める、長良川の環境改善を目指す市民団体などでつくる「よみがえれ長良川実行委員会」による 討論集会「長良川に徳山ダムの水はいらない」が2023年6月11日、長良川国際会議場で開かれたので即駆けつけた。

基調講演で岐阜大学教授・向井貴彦氏。「清流・長良川のためには何が必要なのか?」がテーマ。以下概要。

揖斐川・長良川・木曽川の自然は同じなのか?
木曽三川は、揖斐川・長良川・木曽川。濃尾平野を流れる下流域はかつて網目状につながっていたことから、一つの水系として考えられがち。行政的にも「木曽川水系」としてまとめられている。木曽三川は地質的にも岐阜県東部の木曽川水系(飛騨川含む)と西部の揖斐川・長良川は異なっている。木曽川は渓谷が発達し、多数のダムが建設されてきた。長良川は、両岸が開けておりダム建設には不向き。

木曽川水系連絡導水路は「環境」をよくするのか?
この導水路事業は、長良川と木曽川の渇水時に徳山ダムに貯留された水を導水して環境を維持するためとしている。遺伝的に異なる魚類などが混ざると遺伝的撹乱と呼ばれる自然破壊となる。そうなれば生物多様性の保全という観点から明確にマイナス。予防原則的には水系間での生物の移動を生じさせることはしないでほしい。特に外来種は繁殖力が強い。揖斐川ではコクチバスがものすごい勢いで繁殖していて、鮎が危ない。導水路で徳山ダムの水を利用するというのは、水質的にはNGです。最大の懸念は徳山ダムで毎年生じる淡水赤潮、アオコ。特に、長良川や木曽川が渇水となるような場合に、徳山ダム湖のアオコがどうなるかは大きく懸念される。

様々な長良川の環境問題として

「現在、世界的には『30by30』という目標が掲げられている。30by30(サーティ・バイ・サーティ)とは、2030年までに陸・海それぞれ30%以上の面積を健全な生態系として効果的に保全しようというもの。これは、効果的に自然の劣化を防ぐには、まずは自然が適切に保全されている場所を一定面積以上、維持することが必要だという考え方に基づいています。
長良川河口堰は、堰を解放すれば自然環境への問題は解決する。それに対して、揖斐川や木曽川のダムは恒久的な構造として建設されており、河口堰の解放のようにはいかない。清流・長良川は、様々な事業で自然を失いつつあるが、木曽三川の中では最も回復できるポテンシャルがある。
こうした状況において、自然環境を劣化させる事業をさらに積み上げるのか、30by30を目標とする時代において自然環境を回復させる方向に舵を切るのか。世界に誇れる清流長良川へと蘇らせてほしいと願わずにいられない。」と結んだ。

私が住む市では、既存の体育館が「大規模のスポーツ大会ができない」、「駐車場に限界がある」などの理由で、こともあろうか湿地帯(農地)に新総合体育館を建設しようとしている。その湿地帯には、新丸山ダム建設時に出る残土を充てがうという。さらに特別支援学校が新設される。市庁舎も完成に向け工事真っ只中。(業務は新庁舎で行われている。残すは駐車場だ)巨大公共事業は巨大な金が動く。全て税金だ。この負の遺産を次世代につないでしまうことになる。そんな「つながり」は責任ある大人たちが断ち切らなければ。
 木曽川水系連絡導水路事業も巨大な税金が使われる。6月11日の討論集会には約100人が参加(主催者発表)。・声を上げること・ムーブメントを起こすこと・事実を知ること。この3つはとても重要なこと。人任せにせず自ら発信者になること。この討論会に参加して改めて思いました。

 


vol.215 水道水にPFAS?有機フッ素?

 各務原の水(かかみがはらの水)の源は、木曽川の水でも池の水でもなく、地下40mの深層からくみ上げた「100%地下深層水」水脈である地下の帯水層は豊かな水量に恵まれ、地下水は、東から西へ1日に約1mの速さで、常に流れ続けています。地下水がよどみなく流れる帯水層は、まさに「地下の川」なのです。 ●地下水はミネラルの宝庫 各務原台地は、350万年前から形成されてきたミネラル豊富な何層もの地層から成り立っています。雨水などが、この地層を浸透する過程で少しづつ磨かれ、ミネラルたっぷりの「かかみがはらの水」となっていきます。鏡水産HPより(各務原市鵜沼朝日町)

そんな地下水にびっくりするニュースが・・・

各務原市に移り住んで30数年経ちます。各務原市は地下水を汲み上げているので水はおいしいと定評がありました。実は以前住んでいた愛知県半田市も水には定評がありました。しかし、長良川河口堰建設のあおりを受け、取水が愛知用水から河口堰に変わって、味が激変し、多くの家庭が浄水器を取り付けたとのこと。実家に帰ると水道水のまずいこと!塩素臭が半端ない!沸騰させて塩素を抜くか、(水道水の塩素は熱に弱いため、煮沸によって除去することができる。ただし、その場合は沸騰してから「さらに15分以上」沸騰し続けることが大切。なぜなら、水道水には消毒処理の過程で発がん性があるとされる「トリハロメタン」が含まれている場合があり、水道水を沸騰させることでその量は2〜3倍に増え、沸騰直後には最もその濃度が濃くなるから。水道水が沸騰してからさらに15分ほど沸騰し続ければ、ピークを超え水分中のトリハロメタンを除去することができる。なお、気化したトリハロメタンを空中に逃がすため、やかんのフタは開けたままにしておくことが重要)それか、溜めて一晩くらい置いて塩素抜きをしないと使えなかった。(み)

そもそもPFAS PFOSって何?
PFASとは、人工的に作られた有機フッ素化合物の総称です。種類は4,700以上といわれています。水や油をはじく効果があり、熱にも強いことから半導体や包装紙、防水服など身近な製品に使われ私たちの暮らしを支えています。ただ、一部は分解されにくく、体に蓄積されるため、人への有害性が指摘されるものもあります。現在、こちらの3つの化学物質が国際条約で製造・使用禁止となっています。環境省が、これらの物質について調べたところ、西日本から東日本に及ぶ各地の河川や地下水から国の値を超える場所が次々と見つかり、その地点は139に上っています。一体何が起きているのか。各務原市もその一つだった。

2009年以降、国際条約でPFOSなどは規制対象になり、日本でも原則として新たに製造・使用はされなくなりました。
「永遠の化学物質」と呼ばれるほど分解しにくい性質があり、過去に環境中に出てしまったものも長く土壌や地下水の中に残り続け、全国各地で高濃度のPFASが検出されています。

各務原市の対応
各務原市民への説明について
・まずは全力で、浄化作業。市職員にも限界があるので、各地域での説明会は考えていない。
・有機フッ素化合物(PFOS A)の面的広がりを調査するため、市内全域に設けた 95箇所の水質観測井戸の水質調査を行う。

・対象となった水源地の配水区域にある市内の市内の保育所、幼稚園、小・中・特別支援学校等の一部の給水栓に浄水器を設置する。設置予定時期/8月21日〜25日に順次設置する予定
(8月8日市議会議員宛書面より抜粋)

・市民説明会は職員の人出が足らないので考えてはいない。
・血液検査をしても原因が特定できないので行わない。
(各務原市議会 全員協議会)

今後の対策について
・令和4年9月から令和5年2月にかけ基本構想策定
・令和5年5月から基本計画実施
・活性炭による除去対策決定。
沖縄で高い実績。8月~実証実験。効果確認次第、早急 に本格稼働。12月までに浄化目指す
・三井水源地に除去施設をつくる。

R2年になぜ公表しなかったのか
令和2年の時点では、水質検査は任意であり、水質は急激に悪化するものではないという認識でいた。令和4年4月19日の検査結果を、22日に報告を受け、副市長が浅野市長に報告。
市長の判断:水の浄化が第一、原因究明に努める指示。市民の公表の考えなし。

唐突に判明するより、対策を練ったと同時に発表した方が市民に不安を与えないと判断したと説明。


vol.215 ぎむきょールーム 「外遊び」が子どもにとって大切な10の理由

1. 太陽光を浴びられるから!

太陽光は子どもの健康的な成長を促す上でとても重要です。人の体は太陽光、その中でも特に紫外線を浴びることによって、体内のビタミンDの生成がされます。このビタミンD、私たちが健康的な生活をする上でびっくりする程沢山の手助けをしてくれてます。骨の成長、免疫力の向上、感情のコントロール、しっかりとした睡眠… 子どもたちは風邪をひきにくくなり、肺などの臓器も強化され、体力がぐーんとアップ!

 

2.遊びの中で工夫が生まれる

子どもたちは大人の制限のない「外遊び」という小さな社会の中で、自分たちの遊びを作ったり、問題を解決したりして行くプロセスの中で管理能力を身に付けることが出来ます!これらのスキルは元から子どもたちが持っているものではなく、経験や練習を積むことで徐々に発達していくものなのです。

 

3.学ぶきっかけがいっぱい

例えば、「木を登る」という行為をとって見てください。木を掴んだ時の感触や、落ちた時の痛さ、登って行った時にだけ見える最高の景色、そしてそこで出会う今まで見たことのない虫たち…「危ないからダメ」の一言は、子どもたちがこれら全てのことを学ぶチャンスを奪ってしまうのです。

 

4.協調・共同性が身につく

外遊びの大きな魅力の一つは大人数で遊ぶこと。鬼ごっこやかくれんぼ、缶蹴りや陣地取り….子どもたちは友達とこのような外遊びをすることを通して “ルール” の概念を学んでいきます。人の意見を聴く力、自分の意見を口にする力…沢山のことを教えてくれる場でもあります!

 

5. 想像力・発想力が豊かになる

外の自然の中には五感で感じられる不思議なものがたーくさん。子どもにとっては様々な想像を掻き立てるワクワクする出会いとの連続です!これらの自然との出会いから、子どもたちは自分の道具を作ったり、ごっこ遊びをしたり、壮大なお話を考えついたりします。昔から愛されている小説「赤毛のアン」の主人公であるアンも、雄大な自然に囲まれて想像の翼を広げていきましたよね!
外遊びは室内にいるだけでは活性化されない脳の一部を刺激し、子どもたちの想像力や発想力を豊かにしていってくれるのです。

 

6.自然への興味が生まれる

雪の上を歩くとどのような感触がしてどのような音がするのか?植物はどうやって成長するのか?土を触るとなんで暖かいのか?どうやってちょうちょうは飛び方を覚えるのか?外で遊んで、自然に触れていると、子どもたちには様々な疑問が浮かんできます。そして自然の世界は、子どもたちがその動きや変換を観察することでしっかりと疑問に答えてくれます。

 

7.開放感から集中力が高まる

外遊びは子どもの集中力を高める効果があることでも知られています。自然は子どもたちが自然の時間の流れに沿って物事を観察するスペースを与えてくれるため、子どもたちは自分たちが疑問に思ったことに真っ直ぐに集中する事ができます。外の自然環境は子どもたちの日頃の生活からの逃避場所としての役目を果たすことによって、彼らのストレス軽減に大きく役立っているんだとか。
こんなにメリットが一杯だなんて、やっぱり自然は偉大ですね!

 

8. 自分自身への理解が深まる

ブランコをどれくらい高く漕げるか。どれくらいの高さまで木を登れるか。砂の上で転げ回るのはどんな感触なのか。このような体験を通して、子どもたちは自分の限界を試していくことで、自らの身体的・精神的な能力を認知できるようになります。自分の身体の限界は試してみないと分からないし、何かが出来た時・出来なかった時の悔しさや喜びや痛みの感情は経験してみないと子どもたちは学べません。

 

9. エネルギーの発散に役立つ

アメリカの教育現場では、子どもたちは体を動かさない勉強などのアクティビティに長時間専念していると、身体の中に発散しなければならないエネルギーが溜まっていくという考え方がよくされているようです。このように子どもたちの身体の中に蓄積されたエネルギーは外遊びを通して健康的に放出出来るんです。例えて言うならば、机に向かって使い切っちゃった電池を、外で遊ぶことでリチャージするというイメージ!外で十分遊んで身体の充電を終えた子どもたちは、また勉強などに集中して取り組む準備が出来ます。

 

10. 夜、ぐっすりと眠れる

外遊びはそんなお子さんたちの規則正しい睡眠を促すのにも一役買ってくれるんです!
これは、外遊びをすることによって生成が促されるメラトニンというホルモンに深く関係しています。人の身体は、日中に日の光を浴びると夜中にメラトニンが作られるようになっており、それが分泌されることによって眠気が誘発されます。このメラトニンは自律神経を整える役割も果たしてくれており、しっかりとした生活リズムを刻む上で大変重要な役割を果たしてくれるんです!

piyground hope より


vol.215 しょうがいをみつめる vol.8

磁 足
世の中には垂直に立った“モノ”は目に見える範囲で無数に立っている。家の中では壁や建物そのもの。一歩外に出てみれば建物だけではなく標識、看板などありとあらゆる“モノ”が垂直方向に向かって施されている。小さいものだと縁石や車止めは低いけれども壁を形成している。

そんな垂直に立って平面を遮断するあらゆる壁たちが磁気のようなものを発していて、歩いていると足がそれにくっついてどうしても離れないということがあるだろうか?

長男は歩き出しのタイミングで壁などに足の側面を当てながら進む。家の中であれば壁に足をドン、ドンと当てながらその通りの幅を確かめるように進む。スーパーの駐車場に車を停めた時などは、隣の車のタイヤに足の側面を当てたりするので、“させないように”ヒヤヒヤしながら進んだものだ。

時にはその壁面に足が磁石のようにくっついてしまうようで、どれだけ彼の手や身体を引いてもその足は一定時間を経過するまで離れない。自分の意思で離さないようにしているという見方が“常識”ではあると思うのだが、本人の少し困ったような表情や私たちに引っ張られて身体が前のめりになっても、大股で股が裂けそうになっていても、くっついた彼の片足は離れてくれないように見えた。

行動に障がいがあるというチンケな言葉で簡単に隅に追いやられる彼らの見せる“非常識”は、私たちの持っている“常識”というものをいとも簡単に揺さぶってくる。揺さぶられてもなお、自分の“常識内”で理解しようとしてしまう自分はよく出没した。時折り自分の常識を揺さぶってくれる長男の存在は、私自身が自分の“常識”という檻の中で生きて窮屈にしているんだなと感じさせてくれた。しかし、人はまた自分の居心地の良い檻の中に戻っていく。そんなことを繰り返し感じていくのが生きていくということなのかもしれない。

ほんの些細な「足が壁にくっついてしまう」という彼の日常は、彼にとっては常識的で窮屈なことだったのかもしれない。だって、足が壁にくっついて離れないのだから。

常識、非常識で分けて見ているから私たちの目に留まりやすい行為であって、全ての人は何かにこだわったり、ついついしちゃうことに困ったり、やめようとしたり、ワクワクしたりもしながら生きている。見えないように隠しながら、折り合いをつけながら。それが人の営みのようにも感じる。人々をあえて混ぜることもなく、共に居させることでもなく、意識せずに違いが「在る」ということを確認し合えば、自分たちが閉じこもっている“常識”という檻の隙間は広くなって、もっと出入りしやすくなるような気がする。

呼吸など自然に委ねていることから始まり、何でもない動きや情動であっても、ひとつひとつが生きているということ、「表現」と呼ばれるものだろうと思う。たまたま絵に描いたら“アート”と呼ばれる表現のひとつとなるのだろうが、「足が壁にくっついてしまう」のも「彼が生きていてこそ」であって、それは彼の紛れもない「表現」であった。

常識や非常識という区別を無意識的にしている自分を見出すことができれば、世の中は混ぜなくとも既に渾沌としており、それはバランスよく個々の「表現」という形をとりながら調和していくような気がしている。

※渾沌=荘子によると、物事の区別がなく人の手が加えられていない未分化な状態で、無為自然のことを意味している。


MASA:若者をはじめ、障がい者も一緒になって、ごちゃまぜイノベーションを目指している。知的障がいのある息子は享年24歳で2021年2月27日に旅立った。関市在住。


vol.215 やってみた 小栗 秀子さん

やってみたシリーズ第18弾 木版画
イメージが湧いてくる、その瞬間が好き!
小栗 秀子さん(70代)

小学校の時、授業で木版画があって、江ノ島(行ったこともないのに)をなんかで見て、それを題材に版画を作ったんです。それが校内に張り出されて…がきっかけかな?とにかく図画工作の授業が面白くて、その時間がもう楽しくって。それと中学の時、美術の先生に褒められたのも大きかったかなぁ。そんな記憶が社会人になってから呼び覚まされたって感じかな。
働き始めた会社では山岳部に所属しましたが、そこにいたTさんに、「美術部もあるよ」と誘われて両方に所属。スケッチ旅行とかしてました。
退社後、街で偶然Tさんに出会って、近況報告。 岩田覚太郎先生(風景や動植物を、自然な親しみ易い画風で表現した木版画家・1902-1999)の弟子であるTさんと、覚太郎先生が主宰されていた淡虹会の版画展を観に行きました。それを見たら自分もやりたい!と思ったんです。それからTさんのところに通って木版画を始めたら、版画の持つ世界観に魅了されてしまいました。

木版画
まずデザインを考えます。題材はふと思いつくことがほとんど。彫るのが一番大変で、まさに体力勝負です。版木に版分け(色分け)して彫るんですが、イメージを常に思い浮かべて彫り分けないといけなくて頭がくらっとしてくるの。でも面白い!この作業はほんと脳トレになりますね。
木版画の工程で「彫り」はいつでも休憩できるけど、「刷り」は途中でやめられません。絵の具を多めに作ってそれを使い切らないとね。途中で足らなくなって絵の具を足すと色が変わっちゃうし。後からもう一枚刷りたいと思っても、それはできないの。もちろんバレンで刷るんだけど、見当合わせに苦労するし、面積が広いと大変。だから1枚か2枚くらいしか刷れないんです。
江戸木版画は、「絵師」「彫師」「摺師」と分業ですが、私は一人でやるしかない。まず、イメージ画を書いて、どういう版画にしようか下絵を描きます。一旦分解して色分けを考えながら彫る。版別に着色して刷る。がんばって刷って2〜3枚かな。最初から最後まで一人でやらないといけないから、やっぱしんどいね。しんどいけど楽しい。
油絵をやっていた時より大変だけど楽しいですね。何が楽しいかって?だんだんと積み重ねていくところかな。それと油絵は描いたら終わり。でも1点もので世界に一枚しかない。だけど、修正は可能。一方版画は何枚も刷れるイメージがあるけど、私の場合は2〜3枚が限界。それでも、一枚一枚風合いが違うので、やっぱり1点ものといっていいのかもね。木版画は、体力と視力が必要だとつくづく思いますね。
3年前に「ワルツ」を町民展に出した時、観てくれた人から「色がいいね」と言われました。Tさんから色彩感覚を学んだことで色の使い方が変わってきた。初期の作品と色使いが全く違うことに、自分でも驚いています。

シルクスクリーン
この作品は「マーシーストリート」(ハービー・ハンコック)っていう曲を聴きながらイメージを膨らませてデザインした4色刷りです。シルクは木版に比べ刷りが楽ですね。配色を変えたり、紙を変えたりできるところも面白い。何枚も印刷できるから、クリスマスカードや年賀状を作っていました。このてんとう虫は私のお気に入りの一枚です。


vol.215 人生これから ここが知りたい認知症のこと&藍染め体験会

家族が気づく初期症状
・ 同じことを何回も行ったり聞いたりする
・ 料理など家事の手順がわからなくなる
・ 料理の途中で別の事が気になり今やって  いることを忘れる
・ 時間、日時、場所がわからなくなる
・ 物の名前が出てこない
・ 薬の管理ができなくなる
・ 物事の関心や興味がなくなる
・ 水道やガス戦の閉め忘れが多くなる
・ テレビや新聞などの内容が理解できない
発病の要因(喪失体験が誘因になる)
・ 子どもの独立
・ 退職した
・ 配偶者や知人が死亡して寂しい
・ 嫌な事があった
・ あてにされなくなった
・ 寂しくて頭を使わなくなった
        当日の資料より

参加者の感想

・明日は我が身?みじかな人が心配、夫が認知になったら…「備えあれば憂なし」の気構えで参加しました。
・本を買って勉強したんだけど内容はハード面(お金の問題とか、後見人制度とか)今日は実例をたくさん聞く事ができてとても参考になりました。
・ 義母を施設に入れたくなくて私がみています。「財布を盗られた!」と何度警察を呼びつけたことか。犯人は息子(私の夫)と決めつけるんですね。でも、私の友人たちが「あなたはすごいよ、よくやってる」「あなたの心意気に感激」とか褒めてくれるので、続いているかな。
・ 知人のご夫妻について。奥様が認知症になり、ご主人が介護をされていますが、共倒れにならないか心配。デイサービスなどを利用されたら?と提案しても「今まで本当によくやってくれたから俺がみる」ときっぱり。でも、疲弊しているのは明らかで…。今日はみなさんにいろんなご意見をいただき参考になりました。
・食べ物がとっても大事だということを再認識しています。直接の要因ではなくても、できるだけ薬に頼らない生活をするにはやはり食べ物から。魚や野菜、大豆製品、海藻などを使う和食(いわゆる伝統食)がいいと思う。

最後に認知症予防ゲームをやってみました。
右手と左手は一つづつずらしてカウント。


 藍染めの体験会は、初めての人ばかり。説明書を読みながら、あーでもない、こーでもないとなんとか原液を作る。ぶくぶくしてくるはずだよね、と待つ間に、模様作り。絞ったり、板を挟んだり、輪ゴムや糸でおしゃべりしながら絞り染めに。模様は乾いてから解きほぐす。だんだんわかってくると、いろんなアイデアが出始める。
右下の写真は畳一枚ぶんはある布。テーブルクロスにどお?色といい模様といいなかなかグッド!模様をイメージしてたわけではないけど、偶然の模様が面白い!そして色もちょうどいい。原液が元気なうちは色濃く染まり、Tシャツ15枚、という能書きを無視して、あれもこれも染めたくなって、シーツを染めてみた。原液のキャパオーバーになるとだんだん薄くなっていく。それもまた良し。手袋してたけど、みんなの手は真っ青に!

 


vol.215 熱中人 円通寺住職 岡田 英賢さん

 

 

 

 

たった一つのルールは「ひとりにしない」こと。
誰かといっしょは、ご飯がおいしいからね。
今日は誰と食べる?

円通寺 住職・岡田 英賢さん

居場所としての子ども食堂
例えばおかあさんが仕事していて子どもさんが帰ると、一人だけ、という家庭があったりとか、私はそう状況を分かったりする立場にあったので、「じゃ、ここにおいでよ、晩ご飯食べていく?」となって…。それがいわゆる子ども食堂の始まりかな。週に2回、火曜日と木曜日。毎回20から30人ほどのお子さんがきます。子ども食堂は貧困をイメージしがちですが、貧困だけではない。一番気になるのは孤食です。一人じゃないよっていうのを伝えたい。
坐禅の時に、呼吸を意識してねっていうんです。吐き切らないと吸えないから最後まで吐き切って、それから吸う。普段の呼吸ってあまり意識しないですよね。空気も水も大事。それらが「ある」前提で暮らしています。当たり前すぎて意識しないという側面があります。人との繋がりもそうなんですよね。

友心庵
心を通わせる場所。ここは「ひとりぼっちを作らない」というルールがあります。30人くらい定期的に来る子たちがいますので、大量生産できるキッチンを整備しました。
和尚さんが作ったカレーをちょっと味見してよと、そんな雰囲気。受け皿というか、本当に困っている人のサポートになればいいかなと。ゼロ円カレーをやるためにここを作ったようなもの。一昨日もここで高山ラーメンを80食くらい作りました。

子どもの頃の記憶
例えば今の10歳の子が、20年もすると30歳になる。もしかすると自分の子どもがいて、その子に、小学校の時にお寺で勉強してね、と話すかもしれない。だから目いっぱい楽しいことを経験して欲しい。

大人の本気
大人も本気でないと。私はここでラーメン作ります。実は子ども達の間では、和尚さんのラーメン世界一だといって楽しみにしているんです。それは大人の意地ではなく本気なんです。大人の本気は一番伝わりますよね。
ダメなことは目いっぱい怒ります。それは、相手を傷つけることとか、人を馬鹿にしたりとか、無意識のうちに傷つけてしまうこと。悲しんだり一人ぽっちになった人を出した時は連帯責任です。ということは、傍観者になるなってことです。大人でも同じですよ、見て見ぬ振りとかね。それもダメだよって。
病気した時に健康のありがたさがわかるように、ピンチになった時に、周りに誰もいないっていうのがいちばんきついんじゃないかと思うんです。ピンチになったら、必ず誰かが助けてくれる。だから、傍観者ではいけないんです。それがいちばんそれが大事なことのような気がしています。
マザーテレサさんが「『愛』という言葉の反対の言葉って何?『無関心』て言いました。もっとね、いろんなことに関心を持ってということなんですね。

幸せって、なんですか?
先日、車いすのダンスチームの舞台を見に行ったんです。いろんなグループで小学生から大人の方までが曲に合わせて踊ります。車椅子を押しているお母さんも笑いながら、本人も声だして笑いながら、発表するというか。みんなとってもいい笑顔なんだよね。団体の代表の方が、「練習で集まる時は、嫌なことがあっても、残した問題がそのままであっても、『笑顔』でいようねって言うんです。そして、笑顔でいること、それを積み重ねることで、幸せになるんですよね」って。本当にそう思います。
宗教の根っこの部分はね、みんなが「しあわせだな」って思えることじゃないですか。

フードバンク物流センターには、あらゆる企業や個人から食品の寄付がある。それを丁寧に仕分けし冷蔵保管する。7月29日に開催された「フードドライブ」では、高校生が「こめっこカフェ」を開催したり、寄付をされた方にかき氷をプレゼントしたりと、大にぎわいの1日となりました。(円通寺・関市小屋名)

共感を得ること
もう一軒のお寺・観修寺の管理が難しくなり、ご本尊様とお墓を移築をして、解体する話に。近隣の方に迷惑かけてもいけないので、まず綺麗にすることから始めた。それが6〜7年前。コツコツやっているうちに、「和尚さん、なにやってるの?」って声をかけられ、一人二人と手伝っていただける方が増えてきて、みんなで片付けをするようになりました。
自ら汗をながしてやっているところに人が来て、人と人が繋がって、だんだんと大きくなっていきます。我々は知らないだけで、人は皆いろんな悩みや問題を抱えている。それは誰でもあるので、もっともっと人が関われるような場所を作っていきたいというか。それが今のいちょう庵。いろんな人の受け皿になることができればいいなと思って。
ここを頼ってくれる人がいたりとか、そういう人たちがいることで、この建物自体の価値が出るんですね。


vol.215 夢か悪夢かリニアが通る!vol.44

 リニア中央新幹線の工事実施計画の認可取り消しを求め、沿線住民らが国を相手取り7年前の2016年5月に起こした行政訴訟「ストップ・リニア!訴訟」の判決が7月18日、言い渡されました。連休明けのこの日、東京地裁入り口にあるX線手荷物検査機が故障するトラブルが発生し、係員が手荷物を一つ一つ確認。東京都心で最高気温が37.5度を記録する中、傍聴人には高齢者が多いのにも関わらず長時間待たされる羽目に。この影響を受け、午後2時開廷の裁判は傍聴人がすべて席に着くのを待ち、約15分遅れてスタートしました。                                                                                                                                井澤宏明・ジャーナリスト

 

 

住民の声、司法に届かず

「不当判決」の旗を掲げる(左から)橋本良仁・原告団事務局長、原告の天野捷一・リニア新幹線沿線住民ネットワーク共同代表、半田虎生弁護士

「請求を棄却」
判決は、口頭弁論終結後に異動した市原義孝裁判長に代わり、篠田賢治裁判長が代読。篠田裁判長は小声で主文を読み上げ、「いずれも棄却する」という言葉が辛うじて聞き取れるだけ。
「聞こえません」「ナンセンス」「不当判決」と傍聴席から怒号が飛び交う中、3人の裁判官はそそくさと逃げ帰るかのように退廷しました。その間、1分足らず。
主文は「原告らの請求をいずれも棄却する」というものでした。判決文は700ページにも及びましたが、原告団や弁護団は直後に出した「声明」で「本判決は、国及びJR東海の主張を丸写しにしたものであり、現実に生じている(山梨)実験線での環境被害を無視したもので、責任ある判断を放棄したに過ぎない」と痛烈に批判しました。
どのような内容なのでしょうか。争点の一つ、環境影響評価を例にとってみましょう。原告側は、JR東海の環境影響評価は、トンネル掘削により発生する残土の置き場を十分に確保しなかったり、駅や車両基地などどんな鉄道施設を造る計画なのかを明らかにしなかったりしたまま行われた杜撰(ずさん)なもので、そのような環境影響評価に基づいた工事実施計画を国が認可したのは環境影響評価法違反だ、などと主張しました。
これに対して判決は、残土(発生土)置き場を十分確保しなかったことを容認する判断を以下のように示しました。「環境影響評価の手続上、原告らの主張するような発生土置き場の位置等を具体的に特定すべきとする法的な根拠までは見当たらない」「環境影響評価の手続は、事業の内容が順次具体化していく過程で、事業特性等を踏まえつつ実施されるものであって、必ずしも(環境影響)評価書の作成時にあらゆる事項が具体的に特定されていることまでは求められていないものと解される」「最終的に、発生土置き場等を必要とする量等を確定することが困難であったことなどから、本件評価書の作成時に、全ての計画を具体化することまではできず、事後調査を検討すべき状況にあった」

「杜撰アセス」を容認

どんな鉄道施設を造るかを明らかにしなかったことについても、判決は以下のように容認しています。「原告らの主張するように、鉄道施設の形状等を具体的に特定するよう求めることは、建設線の建設の事業を実施しようとする事業者に実行可能な範囲を超えて困難を強いるものにほかならない」
そのうえで判決は、「評価書の記載事項等を精査しても、国交大臣の判断が重要な事実の基礎を欠き又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかとまではいえないし、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとは認められない」と国土交通大臣の「裁量」を広く認め、原告の主張を退けました。
記者会見で原告団長の川村晃生・慶應義塾大学名誉教授は「我々が7年にわたって住民被害や環境への影響、安全性の問題など、鉄道事業が持っている根源的な問題を投げかけてきたのにも関わらず、裁判官が全く汲み取らなかった点に不満、憤りを感じる」と悔しさをにじませました。
国会内で開かれた報告集会では、行政法や環境法が専門の礒野弥生・東京経済大学名誉教授が「環境アセスメント(環境影響評価)をどう評価するかについて裁判所は全体的に消極的だが、(今回の判決は)ひど過ぎる、最悪だなと思った。この判決をこのままにさせておいたら、次の裁判、他の事項にとってもすごく問題だ」と、東京・神宮外苑の再開発問題を例に挙げて警鐘を鳴らしました。
原告側は7月28日、東京地裁判決を不服として東京高裁に控訴しました。


vol.215 ボーダーレス社会をめざしてvol.74

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

違う世界

6月に大阪にいる娘の所に行きました。娘婿が出張で5日間いないので助けてほしいと。娘は小学校の先生をしていて、大忙しのようでした。子どもが3人いて、2歳の子がまだまだ手がかかります。コロナが収まったようなので2年ぶりに、電車を使い出かけました。
大阪はやはり人が多いです。都会は違うなと再確認しました。娘の家に着いてからは、食事の用意・子どもたちの宿題を見る・習字を一緒にする・トランプやカードで遊ぶなど普段できないことをたくさんしてきました。子どもたちを相手にしていると少々若返ったような気がします。3人の子どもは、我が家の障がいのある息子とは違い、手がかかりません。泣いてもすぐ元に戻ってくれます。小学6年生ともなると大人です。何の手もかかりません。可愛いばかりです。障がいのある人は、ひとつこじれたらなかなか元には戻れません。本当にこだわりがないって楽だなと思います。障がいのある子どもがいない生活ってこういうものなんだなとつくづく感心してしまいました。
こんな平和な生活をしている人が、世の中のほとんどなのかなとその時は考えてしまいました。(実際は、貧困家庭が多くなってきていて大変な世の中になっているようですが。)そしてこのような生活をしている人に、障がいがある人を理解してほしいと訴えても無理なんじゃないかなとも思ってしまいました。娘は道徳の本を見せてくれて、障がいのある人の事も勉強するよと言ってくれましたが、身近に障がいのある人がいない場合、そのような人の事を子どもたちは想像できるのでしょうか?私はどうしたら、障がいを理解してもらえるのか?考えてしまいました。息子からの何度も繰り返されるメール・電話で、あ~我が家には障がい者がいたのだったと我に返る5日間でもありました。
人が10人いれば10人が違った生活をしています。娘たちの生活が普通であるとすれば、それとは、かけ離れた生活をしてきました。全く違う世界で私は生きてきたのだなと、フッと思いました。きっと価値観も何かにつけての基準も違うのだと思います。娘が中学を卒業した時、すごく嬉しかったのを思い出します。義務教育が終え、まずは親としてすることはした。後は好きに生きてちょうだいと思いました。高校で少し不登校になりかけた時も、学校を辞めればいいんじゃないと言いました。ハードルが滅茶苦茶低いのです。精神を患うくらいなら学歴なんか関係ないと思ってしまいます。
まず楽しく生きることが一番です。生きていかなくちゃいけないのです。学歴なんか無縁の所で生きている障がいのある人たちを見てきている私には、誰もが、今そこにいるということが一番なのです。人と比べてみても仕方ないことは明白です。自分は自分。好きなことがあればそれで 。障がいがあっても息子のように好きなことがある人は、とても幸せそうです。障がいのある人と接していると、人としての原点に時々戻れます。これは幸せなことだったのかもしれません。
娘が「言われた事をすぐやらない」と6年生の を叱っているのを見ても、そのうちやるのにと内心思い、助け舟を出します。「何でそんなことで叱るの。ちっともいう事をきかなくても私は 君の事、大好きやわ」と言うと は照れて「孫は可愛いいって言うからな」と満面の笑みです。「味方が一人いて良かったね」と娘も笑うしかなく、場は和やかになりました。ひょっとしたらハードルが低いのって、皆が笑顔になれるのかもしれません。


vol.215 モザンビークからレポートvol.9


価値観の違いはどこから?

Makuma tani ( テテ州のNhemgua 語;元気ですか?朝のあいさつ)!
テテ州の出張で新たな生活に関する発見がありました。日本人は、備えて蓄える、働くという感覚がそもそも備わっているように思いますが、モザンビーク人は今、以外は何も見ていない、考えていない。とでも言える行動が多いです。そんな中で農村での計画性も垣間見て、貧困についても考えるきっかけとなりました。

「節約方法を学んでお金が貯まるようになった。とても興味深かった。ただ、隣の子どもが病院に行く、学校の用意が必要…結局自分の家族より困っていることは起こるから自分のために使えるお金はなくなる。」これは、ナンプラ州のコミュニティでプロジェクトについての感想を伺ったときのこと。家族の範囲の感覚が広い、助け合うことが前提で生きているというべきか、自分が明日必要なお金は気にしていないというべきか・・・

お金が貯まらない理由は人を助けているからだけではありません。友達にパンのおつかいを頼んだら、勝手におつりを使い切り、ジュース(こっちでは結構高級)も買ってきて、「おつりに自分が少しお金を足したら、ジュースをプレゼントできることに気づいた。きっと喜ぶと思ったから」と。単なる欲でジュースを買ってきたと思った私としては、「泥棒と一緒じゃないか!?」くらいの勢いで腹を立てたけれど、逆に相手としても、せっかく朝ごはんをより楽しもうと思って、なけなしのお金をかけたのに、何で怒られているんだ?と腹を立てました。話し合っているうちに、あぁ、モザンビーク人にとって、誰がお金を払っているか、いくらなのか、明日お金が残っているか、ではなく、やっぱり「今」が大切なんだ、と気づき、最終的には私が反省することに。
かと思えば、テテ州のコミニュティで話を聞くと、計画性のある暮らしぶりでした。テテ州はダムがあるため電気も水も通すことができるし、動物の家畜も盛んで、物価も高いです。そんな中で農家さんの暮らしは、簡単ではありません。もちろん電気も水も通す余裕はありません。それでも、収入が上がる収穫期は週3日くらいはヤギや鶏を食べることもあるんだとか(モザンビークの農村部に暮らす人は一般的な動物性食品を積極的に食べる地域は少ないです。虫やネズミは食べます。)。誰かが屠殺すると、お隣さん同士で買い合ったり、お金の持ち具合では現金の代わりに畑に働きに行くそうです。収穫期の収量が明らかに少なく、1年を通して主食のキビやヒエが食べられないことが分かると、山に木炭を作りに行って、飢えないようにする、それがこの土地の暮らしだと教わりました。今しか見ていないと思いきや、そうではない。お金がなくても、他の方法がある。私たちがその違いに目を向けていないだけ。なぜ、世界の貧困がなくならないの?そもそも貧困って何?答えはあるんでしょうか?


vol.215 菌ちゃん野菜応援団vol.36

 今年は5年ほどお借りしていた畑を移動することになり、植え付けた夏野菜を移動させ植え替えて、その後の水やりに日々追われてます。ですが、新しい畑は菌ちゃんが少ないのかな?草もあまり生えず、なんとなく殺伐とした雰囲気。野菜たちにとってはかなり過酷な場所みたいで、水をあげてもあげてもなかなか根付かず、大半が枯れてしまいました、ざんねーん!

でもね、これって、お腹の中も一緒なんです。

普段からお腹の中の菌ちゃんを考えた生活を心がけていると、いざという時も楽に乗り越えていけるけど、無頓着でいたらちょっと大変なことになりかねないということ。いざ、とは風邪をひいたり、不要なものを体内に入れたり、大きなストレスにさらされたりした時。そんな時、外からは見えないけど身体の中の免疫力は総動員。

シャットアウトする、追い出す、やっつける。

そんな複雑な三段階で身体は私達の健康を守ってくれてるんです。滞りなく免疫力が働くためには日々いかに体内環境を安定させておくか、がとても大事。
じゃあ体内環境の安定化とは?となると以前からお伝えしている、腸内を発酵モードにしておくこと、ミネラルを努めて取ること、身体にとって負担となるものを減らすこと、になるわけですよね。体を整えるとは、本当にシンプルなことなんだと都度都度思わされます。ただし、そのバランスが崩れたときは復活させるのに時間がかかる。でもそれってリセットのチャンス。

どうしようー、ではなく「よしリセットキター、
もっと良い身体にしよう」と思えば良いですね!

この夏、暑くて体調を崩される方も多いです。
そんな時は身体を信頼して、外から内から出来ることを丁寧にやってみてください。
身体の防衛三段階とは?内外からのアプローチについては次回詳しくお伝えしますね!!

 あれ?体調イマイチかな?という時は、梅酢を3倍に薄めてうがいをする&飲む。これだけでも身体は元気になりますよ。旬のみょうがを梅酢に漬け込んでも箸休めになります。お試しあれ。

 

 

 


vol.215 ここいく日記 はじめの32歩!

多様性を認める社会って?

 私たちは、性教育の授業を通して人はみな違うこと、ありのままの自分でよいことを伝えたいと思っています。性の多様性を伝える時は男らしい女らしいって何だろう?普通って何だろう?と問いかけます。そもそも人はみな多様で唯一無二の存在だということが伝わればいいなと願っています。

先日、各務原市主催で、中京大学教養教育研究院の風間孝教授の講演会 「性の多様性と性的少数者(LGBT+Q)の人権」がありここいくメンバーと参加しました。
講義の中で風間先生から参加者にいくつかの問いかけがあり、そのたびに性的少数派の人の日々の傷つきや、多数派の当たり前だと思っている感覚が少数派の人の心を傷つけていることに気付かされました。 「世の中には男と女しかいない」 「好きになる相手は異性」 「自分の思う性別と体の性別は一致している」など、多くの人が「当たり前だ」と思っている考え方。例えば友人に「彼氏いる?」「彼女いる?」という日常の何気ない言葉に同性愛者の方は答えられない。「好きな人いる?」「付き合ってる人いる?」と聞かれたら答えることができるかもしれないのに。日常の中で多数派の「当たり前」を「当たり前じゃない」と感じる少数派の人たちは、私は「当たり前じゃないんだ」と、日々の中で感じさせられていることにさえ気付いていない現状。
そして、多数派には当たり前に保証されている「特権」について。異性愛者のカップルの婚姻届けは当たり前に受理されるが、同性愛者の場合は受理されず夫婦として認められない。夫婦ではないので、パートナーが病気やケガの時にも病状説明も受けられず、パートナーが死亡したときには二人で住んでいた持ち家は婚姻関係がなければただの同居人で譲渡もできない現状。
 性教育を学んできた私も気付いてなかった性的多数派の「当たり前」にある特権がないことで、性的少数派の人たちの人権が守られていない社会。 多数派が普通で少数派は普通じゃないから認められないのか?人は誰もが多様性にあふれていて性の多様性に限らず、誰一人同じ人はいないのにその理解が進んでいないことが問題だと思います。
最近成立したLGBT理解増進法をめぐり「女子トイレや女子風呂に、男性が私は女性ですと入ってくるかもしれない」、と 幼い子どものトイレでの性被害の事例をあげて女性や子どもの権利を脅かす法案と反対の声があがった。私たちは、この機運に違和感があり、6月3日名古屋レインボープライドのパレードに参加をし、当事者の方からこの件に対して意見を聞きました。
トランスジェンダー当事者の方の意見としては、そもそも日本はジェンダー指数は先進国最下位の国。雇用を含めあらゆる場面で女性の権利は守られていない。子どもの自殺も不登校も増え続け、子どもの権利も守られているとは言えない。そんな状況に対して運動すべきであり、なぜここで女性や子どもの権利を訴えるのか、女性や子どもの権利については分けて考えるべきである。性犯罪は自認する属性の問題ではなく、性犯罪を犯す個人の問題である。性自認の問題と性犯罪の問題は分けて考えるべき。全てにおいて非常に雑な議論のまま「女性や子どもの権利」を保護する観点が優先され、結果「この法律に定める措置の実施等に当たっては、性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という文言が条文に加えられた。これは「マイノリティの人権や尊厳は、どこまでいっても多数派が認める範囲でしか守られない」という発信であり、性的少数者が抑圧されている社会の不均衡や不平等を考える問題、という大前提は置き去りになっていて、非情に悲しい。との意見を聞きました。

この法案自体が、LGBTの人の理解を深め、その人たちを守るための法案であったはずなのに、LGBTの人たちみんなが悪い人ではないけれど、そういう人もいるかもしれないからこの法案に反対、という思考はLGBTの人(少数派)を守るためのものではなく、多数派を守る視点の法案になってしまったことに社会の無理解を感じずにはいられない。

担当:ここいくメンバー 中村 暁子でした。
ここいく☎090-3446-8061(中村)


vol.215 みんなのひろば ちゃんと座れる椅子、作ったよ!&Book紹介

ジャーナリスト 井澤 宏明氏
連載中の「夢か悪夢かリニアが通る!」ジャーナリスト井澤氏が第2章を執筆。
リニア新幹線は、死に体に近づきつつある。財源不足、発生土の処理や静岡での未着工問題、大都市でのトンネル掘削でのシールド工法の技術問題、その結果導かれた大幅な工期遅れ、住民の反対運動など。そしてこれから直面する南アルプスのトンネル掘削、それに伴う南アルプスの壊滅的な環境破壊。強行すれば、さらに大きな破綻を招くことになる…。

 

「メディアよもやま話し」を執筆していただいた(172号から180号)
津田 正夫氏・著
オッペケペー節で有名な役者・川上音二郎。風刺の効いたセリフと威勢のよさが一世を風靡。今、明治の庶民にとっての「自由民権運動」を追体験する!

 

 

188号「熱中人」で取材をさせていただいた
堀野 慎吉氏・著
戦争の秘話をやさしい挿絵と文体でまとめられています。地元で起きたこと、知らなかった事実。過去を振り返ることは未来を作ること。今ある平和は、先人達のおかげ。感謝せずにはいられない。


vol.215 プレゼントコーナー

215号PRESENTS

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、下記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。

1.あなたのおすすめスポット教えて! コロナ禍も暑い夏も乗り切りました。この秋お出かけしたい人におすすめスポット教えてね。
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事の
タイトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名 (第1希望・第2希望 を必ずお書きください)
※Dは編集室まで受け取りに来られる方。
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、 家族構成

ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:2023年9月25日 当日消印有効。
宛先 〒504-0855 各務原市蘇原新栄町3-15
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。
※当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。


A.「おとなの音あそび」発表会ご招待券 CLUB是様より…3名様


何か一つ楽器を演奏できるといいよね、に端を発しておとなの音遊びが始まりました。練習に励みになるよう発表会を設けました。この日はおとなの学芸会のようなもの。石釜で焼きたてのピザを頬張りながら、素人の演奏を聴くのもいいかもよ。会場はアートギャラリー是(関市武芸川)


B.CINEX映画招待券 CINEX様より…ペア3組様

この世界のどこかで、私たちの生活とはかけ離れた日々を送っている人々がいる。その事実をドキュメンタリー映画は教えてくれます。それを観て、あなたは何を思いますか?写真は「世界のはしっこ、ちいさな教室」の一コマ。柳ヶ瀬のCINEXでご利用いただけます。


C.シニアポートレート撮影券 NPO人生これから!様より…1名様

プロのヘアメイクとフォトグラファーが引き出すあたなの魅力は一段とアップしてる?普段とは違う一面?以前のこの撮影会が自分を見つめ直すきっかけになった方も。もしもの時に使えるお気に入りの一枚を。撮影日は11月16日。会場はにらめっこフリースペースを予定。晴れたら公園へ。


D.トートバッグ型コンポスト 命の循環プロジェクト様より…1名様

生ごみを「入れる・混ぜる・フタをする」たったこれだけ。おしゃれなトートバッグ型コンポストで、生ごみを捨てない暮らしを。スタイリッシュなトートバッグ型のコンポストです。生ごみと混ぜ合わせる原料つき。栄養価の高い堆肥を作ることが出来ますよ。にらめっこ編集室でお受け取りください。