145号(2013.1&2)」カテゴリーアーカイブ

I’m Challenger / きこり 鈴木慶子さん

きこり・鈴木慶子さん
女だてらにきこり?!そんな意識はなかった。
ただ、ビルの中より森の中が心地よかったんです。

OLからきこりへ

01  何故きこりになったのかとよく聞かれるのですが、きっかけはたまたまなんです。実家は瑞浪市の農家だったのですが、こどもの頃から自然の中にいることが好きだったので、素地はあったのかもしれません。

大学を出て、地元の商社に入社したんですが、3ヶ月で「あー、もうダメ!」って。(笑)一日中ビルの中で仕事をしていると、その日の天気さえもわからないんですよ。そんな現状に限界を感じてた頃、ふれあい会館(岐阜市)へ出かけた折りに「きこりになりませんか?」っていうきこりの体験イベントのチラシが目に入ったんです。その時はただ単に会社のパソコンからちょっと離れて、山の中でチェーンソーで木を切ったりするとか、そういうのにすごく血が騒いで「面白そう!!」と参加したんです。関市洞戸でのイベントだったのですが、こんなに楽しいのは初めてだ!って思いました。その時の講師が今私が働いている株式会社カネキ木材の社長だったんです。

きこり体験のイベントは月に1回、毎回参加していました。でも、それだけでは物足りなくなって、勤めていた会社の休みのたびに邪魔にならない程度にちょっと見せてくださいって、カネキ木材さんの林業の現場を見させてもらったりしました。今になってわかるんですけど、「ちょっと見るだけ」と言われてもその存在自体が気になっちゃうので、なかなか簡単には「どうぞ」と言えないんですよね。だから最初はあまり見せてもらえなかったんですけど、ぼちぼちと現場が止まっているときとかに見せてもらっていました。商社には3年いたんですが、その間なんと、2年9ヶ月は週末ごとに山へ通っていました(笑)。

現場を見ていて、内心「これは女の仕事ではないなぁ」と思っていました。本当にすごいと思ったんです。危険だし、体力もいるし…。その時は、まさか自分がその仕事をするなんて夢にも思っていませんでした。でも、少しずつ手伝わせてもらうようになって、社長から雑用からやってみないか、と言われて入社し、この仕事をするようになったんです。

とにかく体力!

同僚の男性には、「何だこいつは!って思われるんだぞ」という覚悟で入社しました。そこは若さとやる気でカバー!と思っていたので、動くときは必ず走る、人が2~3往復するなら自分は4往復するとか、少しでも迷惑にならないようにしていました。ものすごく動いてましたね。今思えばムダに動いてたところもあって、その分の体力を今にとっておけばよかったと思うくらい(笑) 。その頃は若かったので一日山の中にいても全然疲れなかったですね。とにかく体力勝負の仕事ですから、やっぱり男性が働くべき仕事だなぁと今でも思います。

仕事の内容は、<①木を切り倒して機械のあるところまで運ぶ><②枝を落として丸太にする><③丸太をトラックで運ぶ>というものです。どこの会社でも2?3人でやる仕事です。私も2人で組んでやっています。1つの現場には短くて1ヶ月、長くて2~3ヶ月です。どこの現場でも自宅から直行です。今の現場は八百津なので、近くて助かっています。仕事中におトイレに行きたくなったら?もう当たり前のようにその辺で、ですよ。もうそれが普通です。

01 01

01 山の中では野生動物によく遇いますよ。リスはその辺にもいますし、鹿、猿、猪…。でも基本的に車や重機が入れるところでの作業なので、熊のいる奥山までは行かないですね。

危険なことはしょっちゅうです。この仕事をしている人なら誰でも怪我をしているんじゃないでしょうか。私もチェーンソーで足を切ったりしました。木を切っているときに跳ね返りが思わぬ方向に来てしまうことがあるんです。その時にたまたま足がそこにあったんですね。深くはないですけど、筋肉も切ってしまいました。たまたま、が重なった時に怪我をしやすいんですね。こんなにも危険と隣り合わせな仕事って他にないんじゃないかなぁ、と思うくらい。自然が相手なので思いもかけないことがおこるんです。

家族は心配していると思います。でも、きっと反対しても聞かないだろうと黙ってくれてるんだと思います。若い時ってやりたいと思ったら、やった方がいい理由しか頭に浮かばないじゃないですか。本当はマイナスの事もあるのに、それが頭に入ってこないというか。だからやらせておくしかない、って感じだったと思います。私も後になって、いろいろ心配かけたなあと思うんでしょうね。なんか、お金かけて外国の大学まで行かせたのにって親は思っているでしょうね。その分を返すってなかなか難しいなぁ。

間伐について

実は、きこり体験で触れるまで私はきこりはおろか、間伐や林業自体を知らなかったんです。

大学はイギリスで4年間環境について学んだのですが、それは外国での環境の話しで、イギリスは森林面積が国土の8%しかないですから、日本とは事情が違うんですね。日本でもいろいろな報道を見ると、「木は切っちゃいけない、植えよう」っていう感じが多いですよね。それだけを見ると、木を切ってはいけないと思いがちですが、植林だけしても手入れをしないとよけいに自然が荒れてしまう。森林の少ない国では、切ることはあまり良くないことだけど、日本では手入れのための間伐など、木を切る事も重要な役割があるんです。そういうところはまだあんまり伝わってないかなって感じます。中学校の森林教室に行く機会が時々あるんですけど、やはり木を切ることは悪いことだと思っていたようです。

林業

勉強した環境問題と今の仕事をリンクさせるという余裕は今の自分にはないですね。林業は産業で、自分がどれだけ働いたかで会社の利益が変わってくるんです。

間伐には切り捨て間伐と利用間伐とあるんですが、うちの会社は基本的には利用間伐。使ってもらうための間伐ですね。以前は皆伐といって、山にある木を全部伐採する方法をとっていました。皆伐をしたらその後に植林しなくてはいけないのですが、木が育つのには40~50年かかります。植えてから切り出してお金になるまで50年くらい。50年間は、そこでは収入がないんですよね。植えっぱなしだと、ちゃんとした木が育たないから、草を刈ったり枝打ちしたり、間伐もしないと。

日本の林業にとって、外材が入ってきたのが大きな痛手のひとつです。港や運河に行くと太くていい木がいっぱい貯めてあるのを見たことがある方もいらっしゃると思います。しかも外材は安いんです。値段の差があまりにも大きいと勝負にならないから、国産材はどんどん値が下がっています。使う人にとっては安くていい木が手に入るのはいい事だけれど、そんなに安い値段で外材がここ(日本)にあるということは、現地(原産地)の人たちは、きつい仕事をどれだけ安い賃金で働いているんだろうと思いますね。実は、イギリスでの授業では結構日本は悪者のようにいわれていたんですよ。東南アジアの国の木が切られ、自然破壊をしているのはどこの国が原因でしょうか?それは日本です!って。日本は自分の国の木を切らずに他の国の木を安く買い叩く、と。食べ物でもなんでもそうですが、やっぱり地産地消がいいんじゃないかと思います。

今5年近く働いてきて、体力の衰えというのはすごく感じます。自分自身が一番良くわかるんです。男性の30代なら働き盛りなのに、女性は体力が落ちていくんですね。将来的に、体力が落ちても現場監督とか、後輩指導とかでこの仕事と関わっていくという選択肢もあるかもしれないですが、私は自分がきこりの仕事をやりたいんですね。だから今後も、「できる限り続ける」としか言えないです。

プロフィール

鈴木 慶子 / きこり(岐阜県瑞浪市在住)


食は文化・食は芸術「マクロビ美人になろう!」 

マクロビ美人になろう!
食べ物でこんなに変わる私たちの「からだ」「こころ」

「からだ美人」になる

食べ物は肌に表れる
私たちが自分の意思で摂り入れた食べ物が、消化、吸収されて重なる分解と合成の結果、皮膚、つまり肌ができあがります。皮膚のすぐ下には毛細血管が張り巡らされています。きれいな血液が流れていればクスミのない肌に、老廃物たっぷりのドロドロ血液だと紫外線に当たって化学反応を起こしソバカスができやすくなります。ヒトにはほ乳類(肉類・乳製品を含む)や鳥類・その卵類、甲殻類(シーフード)などのタンパク質や脂肪を消化・吸収・消費・排泄するシステムが完備されていません。何割かは身体のどこかで停滞してしまう…そして老廃物となってたまってしまいます。吸収され血中に入り込んだ栄養分は分解・合成と進行しながら体中をめぐりますが、脂肪として口に入りやすい動物性食品は、人体の温度より融解点が高いのでとけ込めずぷかぷか浮かんでいるイメージで全身をめぐります。同時に農薬や食品添加物などを一緒に食べているので、化学物質や摂取された過剰な糖分でもドロドロ血をつくって酸化血液を増やし続けています。各種多様な物質で私たちは体内の血液を汚しているわけですが、中でも美容健康上困るのは、これら酸化血液が酸化脂質や活性酸素を多量に含むと言うことです。酸化血によってつくられ、老化してしまった細胞が各組織を作り出し、それら器官・内臓が様々な症状を引き起こします。血液を汚さない食物を選び、老廃物を溜め込まない食べ方に努めたいものです。


01ほかにも、食べ物は・・・

  • 顔の造形に表れる
  • 体形・腕や脚の太さを決める
  • 爪や髪に表れる
  • 髪の生え方が変わる
  • からだの硬さにでる
  • 足・腰や身体を重くしている
  • 頭の冴え・目の輝きを決める
  • 風邪をひきやすくしている
  • キュートな口もと、セクシーな唇を作る
  • 目もと・目のまわりに表れる。

 

「こころ美人」になる

01食べ物は・・・
自分をうっとうしいと感じさせる
引きこもりを軽くする
小言・悪口を言わせる
イライラ・怒らせる
興奮やオーバーハイを静める
「心配性」「取り越し苦労」を起こす
「猜疑心(ねたみ・うたがう心)」を強くする
「涙もろさ」「悲しみ」「淋しさ」をつのらせている
「何でもスグとびつく」「すぐあきる」
「我慢できない」「スグきれる」心をつくる
「気が弱い」「恐がりや」を変える

食べ物は「自信」「確信」を育てる
甘い飲み物やお菓子、これらは気分をハイにします。足を地から浮かせてしまうことも。しかし、一人になったころには沈んだりボヤーッとして、時には「頭に来た。もうイライラする!!!」といった感情が走ることも。しばらくすると落ち着くのですが、極端に糖度が高いものを摂り続けると糖尿病や低血糖症を通り越して腎臓にダメージを与えてしまいます。こんな話があります。ある女性が「同じカロリーならご飯でなくても好きなケーキやフルーツを」という理屈で食べ続けていました。数年後腎臓がんが発見されました。同時に引っ込み思案になって、自分の能力を発揮できないでいました。病気を機に甘いものは全てやめ、玄米ご飯を300回噛んで食べると、そこには十分な甘みを感じることができました。よく噛んで植物性の副食を摂り続けることで快復に。ただ食事のルールを守っています。「いのちが愛おしいから」とわらって「自分はこれで行こう・もう大丈夫」と確たる自信を持ち、いつも同じ自分でいられるようになりました。

食べ方じょうず

01 マクロビオティックでは、何を食べるかといった「足し算」ではなく、何を控えたらいいかという「引き算」からスタートします。

(1) 極端に陽性エネルギーを多くもつ食品は、体調によってはしばらく控えます
動物性食品(肉類、卵類、乳製品、魚介類(白身魚の刺身や煮魚は時々はよい)およびその加工品。
(2) 極端に陰性エネルギーを多くもつ食品は控えましょう
油脂(バター、マーガリン、ラード、ショートニング、大豆油、コーン油、紅花油、ヤシ油、胚芽油、サラダ油)精製糖(白砂糖、あらめ糖、氷砂糖、ブドウ糖、乳糖、オリゴ糖、還元糖)油脂を多く含む加工食品(揚げ菓子、クッキー、ケーキ、パン類、インスタントラーメン、マカロニ、スパゲッティー、ドレッシング、マヨネーズ)
(3) 自律神経を乱しやすい食べ物
動物性食品(特に肉類、養殖魚類、牛乳)砂糖類の入った食べ物、食品添加物の入った食べ物、化学調味料、清涼飲料水、アルコール類。
(4) 体液(血液やリンパ液など)を汚し、循環不良を起こす食べ物は控えましょう
動物性食品(特に肉類、卵)、油脂類、砂糖類、精白された粉の食品の食べ過ぎ(パン類、パスタ類、麺類、菓子類)

01 極陽性食品といわれている食品に、肉類があります。これらの原材料は動物です。赤い血をもつ、つまりヘモグロビンをもつ以上は生存するためには塩分が必要であり、古塩(肉には必ず塩(Na)が成分として入っている。一度動物によって使われた塩分なので古塩と呼ぶ)として塩分を含んでいます。それは私たちの血液製造には何の役にも立たないと言われています。また、それらを食べると反動で極陰性の糖度がとびきり高い果物やジュース、甘いケーキやアイスクリーム、アルコール類を身体が要求してきます。両極端になると、気分が沈んだり不安や心配からビクビクすることもあります。そんなとき、頼りになる主食が玄米ご飯。春はハトムギや大麦(押し麦や丸麦)、重たい気分を軽くしたいときは、夏はコーンを、気を和らげたいときには、きびや粟を混ぜて炊きます。玄米ご飯は圧力をかけずに炊くことをおすすめします。土鍋で炊くとおいしいですよ!。水の分量は玄米の1.5倍が目安。中火で沸騰したらとろ火にして約15分〜20分。湯気からこんがりお焦げの匂いを感じたら火を止め20分蒸らします。

 

「火」の話し

食生活や住まいを中心とする熱の「火」を考えてみます。寒さが厳しくなるとヒトは身体が冷えてつらくなるので、何とかして暖をとるための工夫をしてきました。これは「食べて命を明日へつなぐ」という食という行為から始まったと言っても過言ではないでしょう。

現代に暮らす私たちが生活のために使う火力は、やはり自然界からの恵みであるもの、自然により近い「炎」から得られる火力が心身に最も馴染むのではないでしょうか。

マクロビオティックは食や住にこの「炎」という火力を人類にやさしい熱源として使います。たとえば玄米を水と自然塩ひとつまみとともに、土鍋に入れ、炎で炊いたご飯。それを身体の中に入れたとき、玄気パワーがジワッと広がり、次第に身体の一部に溶け馴染むのを感じます。天然の「火」の優しさと強さがそこにあるのです。

料理じょうずになろう

五感は変化を楽しんで、体内は外界とのバランスを摂り快適に暮らせるよう工夫された食生活がマクロビオティック料理です。春から夏へかけて食べ物は、より軽め、さっぱりしているものを好みます。「暑い」「熱い」は状況的に陽性といえます。身体は緩み陰性な飲み物・食べ物を求めます。従って、調理は気温の上昇につれ陰性度を高め、体内と対外のバランスを図ります。加熱時間を短く、味もあっさり目。残暑を過ぎたころ、緩んだ身体の体温は奪われ冷気やウイルスが忍び込みます。本格的な冬には今までとは反対を心がけます。気温が低く(陰性)なるのに比例して食事は陽性度を高めます。陽性度の高い根菜類を多く摂り、加熱時間も長く。味はやや濃いめ。このように自然と陰と陽のバランスを整えているんです。自然を感じることは「身体の声を聞く」ことにつながります。これからも、気候風土にあわせた果物や野菜など、地元で採れたものを摂るよう心がけましょう。『まくろ美美人』文芸社 著:カノン小林

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COLUMN 血の話し

「風の谷のナウシカ」と血液は腸で造られるという「千島学説」が結びついた。そのわけは…

ある日、がん細胞って何なのかなあと、ぼーっと考えていたことがある。すると、宮崎駿アニメの中で私が一番好きな「風の谷のナウシカ」のイメージがふっと浮かんできた。あの“腐海の森”で、毒を出して人を寄せ付けないオウムを始めとする昆虫たちが、なぜか突然、がん細胞と重なって見えたのだ。

ナウシカは、キツネリスのテトが牙をむいて、自分の指にかみつき血を流しても「こわくないのよ、ほら、こわくない。ねっ」と言って、指を差し出し続ける。するとテトは、自分が噛んで傷つけたために流れているナウシカの指の血を、次第になめはじめる。ナウシカは知っていたのだ。攻撃してくるものは怯えているものであることを。怒っているものは、傷ついているものであることを。

人間が、毒を出す森である腐海を焼き尽くしてしまおうと攻撃を始めると、腐海の王である強大な蟲オウムが人間を殺そうと暴動を起こす。ナウシカは「怒らないで、こわがらなくていいの。私は敵じゃないわ」と言ってオウムを抱きしめる。

オウムは人間に攻撃されたため、足はちぎれ、からだから青い体液を流し続ける。目は怒りで赤く燃えている。死にかけているオウムに寄り添いナウシカは言う。「ごめん…ごめんね…。許してなんていえないよね。ひどすぎる…」すべてを破壊し尽すほど荒れ狂っていたオウムたちも、ナウシカのやさしい語りかけによって静まってゆく。ナウシカの愛だけが、オウムの怒りと凶暴性を失速させられるのだ。私はこの場面で毎回泣いてしまう。

ナウシカは知っていたのだ。腐海は、人間が汚した世界をきれいにするために生まれた森であることを。腐海の樹木は、汚れた土や水の毒をからだに取り入れて、地下で美しい水、空気、胞子、結晶を作っていたことを。腐海の蟲たちは、本当はみなその森を守る精であるということを…。

「風の谷のナウシカ」と「千島学説」が私の中で不思議に重なってしまった。千島学説(故・千島喜久男医学博士の学説)では、がんは、血液の汚れを警告しているものであり、がん細胞は汚れた血液の浄化装置だという考え方をしている。現代西洋医学のがんに対する考え方とは全く違う。

千島学説は、血液は骨髄ではなく小腸の絨毛で作られているという学説だから今の医学会では認められていない。この学説を認めてしまったら、現在の医学教育を根底から塗り替えなければいけなくなるからだという。

「偉大なる素人でありたい」と思った私は、医学的にどちらが正しいかというより、どういう考え方が私にとってより納得できるのか、前向きになれるのか、行動に移せそうなのかという物差しで選択していくしかないと思ったのだ。

そういう意味では、がん細胞=極悪非道の超悪玉、故に、どんな手段を使ってでも殺す、叩き潰すという、西洋医学の好戦的な考え方より、がん細胞は、血液の汚れを警告するため、血液を浄化するために生まれるのだから、まず、宿便をとって、腸の大掃除をして、腸内細菌叢のバランスを整え、血液をきれいにし、酸化したからだを中庸に戻し、がん細胞が生きにくい体内環境を作ろうという千島学説のメッセージの方が腑に落ちる感覚があった。

がんというものが“死の象徴”になっているのかもしれない。まるで、がんを叩きつぶせば死が消えてしまうかのように。死は決してなくならないのに。もちろん、死とは肉体という物資が消える現象に過ぎないのだが。

免疫力、生命力があることが何よりの鍵。私たちのからだには、毎日数千、数万個のがん細胞が生まれているのだという。なぜそれが、がんとして発病しないかというと、免疫力、生命力があれば、からだ自身が、がん細胞を退治し癒してくれるので発病には至らないのだという。
「スピリチュアルライフを始めよう」より抜粋

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©1984 二馬力・徳間書店・博報堂

 


ぐー・ちょき・ぱー/ボーダレス社会を目指して(28) 伊藤佐代子

ボーダレス社会をめざして(28) 伊藤 佐代子さん

個展

「あっちゃん、これ何て書いてあるの?これ何?」
「これは○○です。」
10月の末に息子が個展を開きました。その会場でのひとコマです。淳司を小さい頃から見てくれていた私の友人と淳司とのやり取りです。この会話を聞きながら、あ~これっていいな、自然体だー。聞いていてとても気持ちよく、その空気を楽しみました。5年ぶりにそれも一度引退宣言をしたのに個展が開催でき、いろいろな人が淳司に会いに、淳司の絵を見に来て下さいました。展覧会をすると最初に書いたようなことに思いがけず気づかされたりもします。淳司の今までがすべて蘇ってくる9日間でした。

個展を開くということはそんなに経験できることではありません。「個展を開けばいい」と私に言って下さった人も来て下さいました。淳司の絵を最初に世に出して下さった人です。14年前の話です。いつもカラーコピーをしているお店に行くと機械が故障をしていました。仕方なく遠かったのですが岐阜のパルコの文具店に淳司の暑中見舞いのはがきをカラーコピーするために行きました。ちょうどお客さんがなく店長さんと絵を描いた淳司の話をしていると「おもしろい絵だね。良かったら売ってあげるから作品を持ってきて下さい」と。夢のような出会いでした。その後すぐカレンダーをそのお店で売ってもらうことになったのですが、その人は私に「個展」という言葉を投げかけて下さいました。そんなこと出来る筈がない、夢のまた夢と思っていました。しかし、現実にそれが実現できている今は何なのでしょう?大きい賞を貰ったわけでもないのにたくさんの人に来ていただける展覧会を開くことができる幸せを感じています。

この「ぐーちょきぱー」を読んで励まされていますと会場を離れる時に言って下さった人も新聞を見て来て下さいました。なんて多くの人を巻き込んで淳司は生活しているのでしょう。今回の展覧会も淳司にとっても私にとっても有意義なものでした。毎回思うのですが、一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだと。そして今置かれている環境と今まで出会った人に感謝・感謝です。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(1)自分らしい「骨壺」を作ろう!

自分らしい「骨壺」を作ろう!

水上勉には、もうひとつ“道楽”があった。それは骨壺を作ることである。とはいっても、人間が死ぬのは一度だけであるから、骨壺などひとつあればよさそうなものだが、彼は釉薬を工夫したり、土を変えてみたりして、いくつも作りつづけたそうだ。その来歴を振り返って、彼はこう綴る。

《九歳で京都の禅寺に入った私は、葬式や枕経をよみによくいったので、人の死には子供の時分から馴染んだと思う。京都の火葬場は、当時、北山にあって、のち等持院に入寺し、金閣寺の前を通って、大徳寺の般若林に通学したのでその火葬場へもよくゆき、骨壺も見た。日本の骨壺は、味けないものが多かった。(略)白い手袋をはめた人が、おもむろにとりだす壺は、量産品の顔をしていて、つまらぬものだった。(略)味けない骨壺は、のちに寺を出て大人になってから、友人知己の葬祭にゆくたびに、思いをあらためさせられた。なぜに、苦労多い人生を果てたのに、オリジナルな壺に入って楽しまないのだろうか。》(「骨壺の話」)

画廊の追悼展の一角に、大小ふたつの骨壺が置かれていた。それは作者の骨を収めるためには選ばれず、いわば骨壺たる役目から免除された骨壺であった。ぼくは実際に骨壺をつぶさに見た覚えがなかったので、水上が“味けない”と評した一般的な骨壺がどのようなものか知らないのだが、そこに陳列されていた骨壺はつやっぽい光沢を放ち、墓の下に埋もれさせるには確かに美しすぎるようだった。

だが彼は、こんな骨壺だったら中に入ってやってもいい、などと思いながら作ったのかもしれない。心筋梗塞から奇跡的に快復したとき、担当医師は「一万人にひとりの生還」と評したという。しかし水上の心臓は3分の2が壊死してしまい、その後もリューマチや悪性腫瘍、網膜剥離などに悩まされつづけた晩年だった。彼は着実に近づいてくる“死”と向き合い、腹を割って語り合ったことだろう。妙な言い方だが、“死”と酒を酌み交わしたこともあったかもしれない。“死”を遠ざけるのではなく、引き寄せるのでもなく、ほどよい距離を保って、うまく付き合おうとしていたのだろう。それは楽しくもあり、哀しくもある。骨壺を作って“死”に備えることが、すなわち生きることであるというのは、笑いながら涙をこぼすことと似ている。

彼の“死”との付き合い方は、徹底していた。例えばこんなふうにだ。

《月の半分以上は、信州の北御牧村で仕事をしているので、山の家の寝室も棺桶ふうにつくってある。ま四角の一メートル八〇、一間計算で三坪の部屋だが、なるべく、棺桶のイメージに似せて、板で囲い、むろん板床の上にベッドを置いている。ほかには、本棚の本と机がわきにあるだけ、あとは何もない。時に段ボール箱に入れたシャツだの、下着だのが入っているが、そんな殺風景な部屋をベッドに入る直前に一べつして、私は死ぬまねをする。「さようなら」とまっ暗闇の中で、声をだして誰にともなくいうのである。信州の場合は東京の妻と、障害を背負うている娘に長生きしてほしいというのである。よそにいるもう一人の娘にもいうのだ。そうして、私は、友人の誰彼と名はあげぬまでも、時々、日頃世話になっている人の顔を思いうかべながら、「さようなら」といい、仰向けになり、胸もとで手を合わせ組むのである。「さようなら、みなさん」》(「死ぬこと」)

往年の名女優サラ・ベルナールも、棺桶に薔薇の花を飾り立て、そこに入って寝ていたという。なぜそんなことをしていたのか、ぼくは詳しく知らないが、水上勉の心理はそれとは別のものだったろう。彼はこうつづける。

《死んだはずの夜があけた朝は気分がよい。ゆうべ死んだのだから、儲けたような気がするのである。これがいい。その日一日が儲け。おまけである。私はこの一日に雨がふればそれもうれしい。お天気なら尚更うれしい。どっちにしろ、二十四時間のおまけにもらったその一日を自由に送るのだ。自由に、誰に気がねもいらぬ一日を、好きなように生きるのである。このような朝がむかえられるのも、死んだればこそのことだと思う。》(同)

2004年9月8日の朝は、水上勉にとって最後の夜明けだった。多くの文学作品のほかに、手漉きの竹紙に描いた絵と、手作りの骨壺と、それにたくさんの人々への思いを遺して、彼は逝った。85歳だった。後日「お別れの会」が開かれ、祭壇は45本もの竹に囲まれたという。彼は今、みずから作った骨壺の中で眠っている。水上勉が残したもの てつりう美術随想録より

えっ?「骨つぼ」を自分で作る!?はい、そのとおり!

アクティバでは、農的生活の提案や生前準備ノート・『ゼロの昇天』の書き込みのワークショップ、自分の葬儀をデザインするなど様々な取り組みをしています。今回は、自分の生き様を反映させた、オリジナル骨つぼを作りました。

講師の柴田氏により、予め成形された各種の骨つぼにオリジナルな模様、切り口(フタ)、を工夫する参加者達。粘土の固まりからつくる人も。それぞれに個性がひかって、焼き上がりが楽しみ。

骨つぼ。それは終の棲家、と考えると、居心地のいい「つぼ」を作りたくなりませんか?というわけで、実際に作ってみることに。それがなかなか難しい。とりあえずペットのを作ってみようという人や、いやいやこだわりの自分のつぼを!と熱いひとときとなりました。

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骨つぼ・あ・ら・かると

01 沖縄の骨つぼは「厨子がめ(ジーシーガーミまたはズシガメ)中国風のコンパクトな家の形。昔は風葬や土葬の後にきれいに洗骨し収めていた。写真のズシガメは豪華ですが、位の低い人ほど飾りもなく質素でした。

 

 

 

01 ヘレニズム時代の間(前4世紀より)エトルリアの都市の工房は、死者の遺灰の収納を目的とした、多彩な雪花石膏製の骨壷の大量生産していた。これら骨壷は定番で、容器は通常、神話または埋葬に関する場面で装飾され、高浮彫にて加工される。対して死者は蓋の上に宴会に参加する姿勢で、蓋の上に下半身を寝かせた様子で表されている。

 

 

01 中国では、骨壺は生きているうちに用意すると長寿のお守りとして知られている。故人の写真を入れるために、どの骨壺にも真ん中に丸や四角の窪みがあります。

 

 

01 フランスでは、骨壺を持ち帰ってリビングなどに置いておく遺族が多く、一見骨壺と分からない美しいものが好まれる。木製、銅製、陶器、メッキ仕上げなど、色・素材共にさまざまな骨壺のバリエーションがある点は日本との大きな違い。

 

 

01 スポーツにちなんだボール型骨つぼも登場!
リビングに家族に囲まれて、あのころの熱い思い出をいつも一緒に。ボール型の各種骨つぼもあり。粋な計らいか、その人らしい器で。

 


知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa/(2)生前準備講座 第7回(11月30日)

知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

生前準備講座 第7回(11月30日)

モギソウギの体験者レポートを交えながら、自分がイメージする葬儀の形やスタイルを模索しました。2年前にNPO法人「人生これから」が提案型のモギソウギを執り行った時の映像(写真参考)を参考に自分の葬儀をイメージしました。「生前葬をやりたい!」「密葬と家族葬の違いは?」「直葬ってなに?」「無宗教で葬儀!」「宗教にこだわらなくてもいいんだ」「会員制もありなんだね」参加者の興味は尽きません。一級葬祭ディレクターの市川さんが、現実の問題をどうクリアするか、自分はどうしたいかを明確に示しておくことが重要と締めくくりました。

01 惜別の炎 自分の思いと家族の思いのズレを抱えながらも自分らしくを貫きたいと話す柴田さん

 

 

 

 

 

01本人の意向を形にした仏式スタイルでもここまでできる

 

 

 

 

 

01 風の葬送(密葬後、友人達が企画)

 

 

 

 

 

01Gシバ翁・惜別の炎(密葬後、お別れの会として)

 

 

 

 

 

 

 

2009年4月24日
関市武芸川にあるアートギャラリー・是にて、3パターンのモギソウギを行った時の様子を見ていただき、自分の葬儀をイメージし、ノートに書き込みをしました。いよいよ次回は、自分葬をデザインします。


まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~/NY貧乏Nurseものがたり-7

NY貧乏Nuseものがたり part -7
まいまいの看護師見習い奮戦記 ~From Newyork~

坂村真民の詩集を読んでいておもわず涙した一言

01 「わたしにとって詩とは生きることであった。生きがたい世を生き抜くための杖であり支えであった。」
なんでかわかんないけどこれを読んだときに、心がざわざわ?って波だって涙がじーんってあふれてきた。自分にとっては 看護 がそれなんだって今は思う。だからこそもうひとふんばりしなきゃね。

最近毎週土曜日に病院でホスピス患者さんを訪ねてる。うちがボランティアしている訪問看護のホスピス部門で、自宅で様態が悪くなった患者さんや、やすらかな状態でいられなくなった人が一時的に病院で緩和ケアをうけてる時にたずねるんやけどね。

一人の患者さんが本当に安らかで、人生で失ったものに対しての執着がまったくないの。恋しく思うことはあっても What can you do? Take it easy なのね。この人はすべてを受け入れているからこそ、こんなに安らかな笑顔ができるんやろうか。きっとこの患者さんは最期も安らかに迎えるやろうって思った。

ホスピスの患者さんは末期で意識がもどらない人も多い。そんなときは手を握ってさすったりするだけやけど、なんかね、もうちょっとだけ何かできたらなって思う。そばにいて気持ちや体温をおくることができたらな、それとも本を読もうか歌をうたおうか、詩を読もうか、何ができるやろう。

患者さんにとってのうちはアカの他人、彼らの人生の0.1%にもみたない時間を過ごすわけやけど、うちはいつもその出会いに感謝する。あなたの人生の一部にいられたことにありがとう。ここにいさせてくれてありがとう。ってただそれだけやけど、もちろん私なんかいらない人もいる。でもできるだけ、行けるときにいきたいと思う。

10月30日はハロウィン

今日と明日のバイトは仮装して接客するんやお。それでうちは制作費$1ドルの岐阜の田舎にいそうなおばあちゃんの仮装した。もんぺと長靴と腕にはめる布とてぬぐいのほっかむり。これで十分田んぼにでれる。

ひさしぶりに普段のボランティアとかね、ホスピスのことからぽーんと離れて仮装のことばっかり考えてたら、すっごいいい息抜きになった。ワクワクするしね!通りにでたらどこもかしこもお店がちびっ子たちでいっぱいでにぎやかやったよ~。

最初は本当に正真正銘の田舎のおばあちゃんでね。お客さんに、何回も厨房の皿洗いの人かと思われた。あまりにも似合いすぎてるってバイトのみんなにいわれて土鍋もったり、テーブル拭くたび笑われたし。でもこれはたぶん日本人ならではの感覚やね。

それでね!頃合いを見計らって、おばあちゃん衣装を脱いだんだよ。実は脱いだらすごいんです・・みたいなね。休憩のときに下に着てた、いざというときのための、なんだかようわからん格好になったわけやけど、かわいい魔女っこみたいなね。みんなにみせてあげたかったな~。たぶん後にも先にもこんな格好絶対しない!

人生始めてくらいのミニミニでね。しかもヒールはいてね下に短いスパッツはいとったけど、まじめに恥ずかしかったさ~!でも一年に一回いやしね もう30近いしね。しかもハロウィーンやしね。恥ずかしがったら損やおっていわれて・・・。

腹くくって筋肉質の足みせて接客した(笑)ヒールで闊歩したことなんて一度もないからすぐ足痛くなって、最期は下にもんぺと長靴はきなおした。やっぱり足にも地球にもやさしいものが一番って心から思ったわけやけど。でも楽しむときに全力で楽しめる大人になりたいなって思った。何でも楽しめるっていうのは大切やね。本当にいつまでも遊び心は忘れたくないなって思った。

プロフィール

まいまい
ニューヨークの片隅在住。2010年6月に看護師国家試験取得。不況のあおりで就職難民・・・そんな日々の中で遂に2011年10月に就職!感じたこと、気づいたことをお届けさせていただきます。


ぎむきょーるーむ/好き?きらい?漢字学習!

好き?きらい?漢字学習

得意にさせた?むわが家の秘策

01親子で交換日記
わが家の場合、親子で交換日記をつけていました。そのときのルールが「知っている漢字を使おう」でした。だからといって、とくに添削などはせず(あまりひらがなばかりだと、チェックを入れましたが)、むしろ、私がなるべく漢字を使って、読み方を聞いてきたら教えていました。「漢字」という独立した勉強のほかに、実際に使うものであるという認識ができれば、必要性を感じるようです。(娘12歳・息子7歳)

結びつける
知っているなにかに結びつけられるとスラスラとのみこめるようです。“貝”は「海で拾ったよね」とか、“地”“池”は、それぞれの「へん」によって読みが似ていてもちがうね、とか。(息子7歳・3歳・娘 5歳)
01「本に夢中」が漢字好きに
私、漢字が大好きなんです。でも、勉強した覚えがない。それはなぜかといいますと…。やっぱり本が大好きで、一年間に借りた本が学校内でいちばん多いと表彰してもらったくらいなんです。いまも月に10冊以上読みます。自分の経験から実証されているので、娘たちにはなんでもいいから本を読んでおけば楽(?)なのよと。本に夢中になることが漢字を好きになるいちばん簡単な方法だと私は思います。(娘9歳・8歳)

 

受け継がれて3300年!!「漢字」は物語だ!

子どもを漢字ぎらいにさせない近道
01 文字は、人々がその時代の社会や生活の切実な求めに応じて、年月を費やし、心を尽くし、工夫を凝らして、つくりあげたものです。ましてや、「漢字」は、そののち3300年の長きにわたって受け継がれ、いまなお私たちの生活のうちに脈々と生きつづけてきたものです。漢字ほど時間を超えて、生命力を持ち続けた文字はほかにはありません。

古代の人たちが「漢字」として表現した世界。それは、けっして具体的な人や物の形を表したものだけではありません。自然と向きあったときの畏れや、人々の心の中に生まれた思いを表したもので、ひとつの「物語」として紡がれ、育まれてきたものです。ですから、そうした漢字をそれぞれ切り離して、その一字一字を孤立して扱うことはできないと考えます。そうすることで、漢字がそのはじめから形成された、規律あるつながりと、まとまりのある世界をずたずたに切り裂いてしまうからです。

ぼくが高校生に漢字を教える際には、漢字をひとつの世界として物語ることから始めます。ですから、こういう漢字があるから、とにかく覚えなさいという教え方とは、まったく異なった授業になります。 これまで彼らが学んできた漢字に対する既成概念を大きく崩していく。そのことに、彼らは大きな興味を示します。文化としての「漢字」に触れることへの、知的好奇心を刺激されるからでしょう。漢字をただ「暗記すべきもの」ととらえず、漢字に秘められた「物語」を読みこむ作業を子どもたちとおこなうことこそが、子どもを漢字ぎらいにさせない近道なのではないでしょうか。

現在、子どもたちに漢字を教えるときにパズル化したり、クイズ化したりする動きがあります。漢字の学習を通して脳を活性化させるとか、つまらない話しに結びつけたりもする。それは、漢字の一字一字をパターン化してとらえ、伝達のための手段としてしか考えていないからだと思います。しかし、漢字を学ぶことの本当の面白さは、そんなところにはないと断言できます。漢字を学ぶことで、子どもたちが歴史を超えて、はるか古代の人たちの精神に触れる。漢字について学ぶことで、そんな衝撃的ともいえる体験を子どもたちにしてもらえれば、と思うのです。

プロフィール

山本史也 大阪の公立高校の国語科教諭であると同時に、世紀の碩学、白川静の最後の薫陶を受け、文字文化研究所の漢字普及特別講師として活動、白川文字学を広く知らしめることにつとめている。著書多数。

漢字テストはなにをテストしているのか

01 漢字テストは、もちろん漢字を「正しく」書けるかどうかを検証しているのだが、じつは、学校教育においては、それだけではない。  漢字のテストは、自宅でちゃんと勉強する習慣があるかどうかをチェックすることができる。家でまったく準備してこなかったら、まずできないからだ。

さらに、子どもが勤勉かどうかも見ることができる。漢字を覚える練習は、まちがいなく「めんどう」で「つらい」。「根気」がよくないとできないからだ。こう考えてくると、漢字にまつわる学習は、儒教的・精神的教育の要素ももっているといえる。「黙々と書いて覚えるという行為」は、子どもたちにとって「修行・苦行」なのかもしれない。

担任していた子が「先生、私、漢字の練習が好きよ。なぜって、やればノートは埋まっていくし、なんとなく勉強したって感じになるじゃない。それに、テストもそこそこできるしさ…」とボクにいった。たしかに、そういうことってあるよな。べつにおもしろくはないんだけど、出来が目に見えることの喜びってあるよな。だが、ボクは、それをクラスの全員に期待はできないなとも思う。単純なようで、奥が深い漢字学習である。

(岡崎 勝 小学校教員・「お・は」編集人)

抜粋

にらめっこのバイブル:こども・きょういく・がっこうBOOK『おそい・はやい・たかい・ひくい』N0.34より抜粋

「漢字」をもっと知りたいあなたに

01「漢字遊びハンドブック」
著者/馬場雄二
仮説社 1,785円

「神さまがくれた漢字たち」
監修/白川静 著者/山本史也
理論社 1,260円

 

リンク

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