まちカフェでは、
私たちのふるさと各務原市の未来について話し合います。
こんな街に住みたいな。
それを実現するにはどうしたらいいのかな?
自分にできることは何かな?
お茶しながらわいわい楽しく、でも、真面目に。
関心のある方、参加しませんか?
お待ちしてまーす!
次回は
6月18日(土)13:30~15:30
にらめっこ編集室にて
参加費200円(お茶代)
問合せ:古川 090-7953-5670
祭が原点
僕が生まれ育った香川県では、秋祭りにはどこの地区でも獅子舞をやっていました。歌や笛はなく、太鼓と鐘による獅子舞が秋祭りのメインで、幼い頃の獅子舞のトランスするような体験は強烈だったのに、いつしか祭りから遠のいてしまって。
ところが地元を離れた大学生になって、自分が一番求めているものは何だろうと考えた時、子どものころの祭りが甦ってきたんです。それで、日本各地の祭りを見に行くようになりました。同時に芸術舞台も観ていたんですが、とにかくいいものが見たい、本物が見たいとか、なんかそういう飢えや衝動があった。そんな時に心から本物と思える、土取利行さん、桃山晴衣さんという郡上を拠点とする偉大な音楽家のパートナーに出会ったんです。
僕は桃山さんを母のように慕って、大学卒業後、三重県の材木屋に就職した後も毎週のように郡上に通っていました。でも、桃山さんが2008年に亡くなられて、桃山さんの存在がすごい支えになっていた僕は、郡上に行くしか自分の身の振りようがなかったんです。
わらべうたとの出会い
桃山さんが郡上で開いていたワークショップ「創造塾」で、僕は初めてひらがなの「うた」に出会いました。桃山さんは、小唄・端唄はもちろん古謡や浄瑠璃、「梁塵秘抄」という平安末期の流行歌謡の蘇生まで、日本のうたをどこまでも探求している歌い手でしたが、そのうたの基本は、「わらべうた」だと言うんですね。出会った瞬間にわかったのが、自分が心の中から「うた」を求めていた、ということ。この出会いを思い出すと今でもちょっと涙ぐむんです。
その桃山さんの塾に、近所のおじいちゃんが歌いに来てくれるんですよ。それが郡上踊りの保存会が歌っている郡上節じゃなくて、ご自分の郡上節なんです。そのおじいちゃんはもう亡くなったんですけど、なすび作りの達人で、なすびの願いを叶えるという事が、なすびを作る事なんやと。だからなのか「うた」に、その人特有の節や、いぶし銀の声だけじゃなくて、その人の背後からくる何かもの凄いものを持ってるんですね。「あ、お年寄りの「うた」を拾って行けば、さらに自分の求めている「うた」に出会えるかもしれない」と思って、地域のお年寄りからちょっとずつ「うた」を採集するようになったんです。
実際に採集に行ってみると、おじいちゃんが覚えているうたと、隣の家のおばあちゃんが覚えている同じうたが違うし、集落が移るとまた変化するんです。そして、あちこちその土地のうたを採集しに行くとお年寄りはいろんな話しをしてくれるんですね。戦争の時はこうで、こんなもの食えなかったとか、うたなんか歌う余裕などなかったとか、もう千差万別です。
そういう聞き込みの積み重ねを経たことで、「わらべうた」とは、「人から人へ伝えられたドレミでないもの」「子どもが自発的にうたっているもの」「土地で生まれて、誰が作ったかわからないもの」の3つ、という言い方を僕はしています。だから、うたは、その人その人が体の中に携えているもの以上に、その人が意識してない背景や歴史を全部引きずっているものだと思うんです。それが、今なかなか伝わっていっていない情況にあると感じますね。
伝えるきっかけ
そんななか、ある母子の映画会に誘われて行った時、上映が終わって、「わらべうた」をうたってと頼まれて「とんび」をうたったんです。そしたら、あるお母さんが号泣していて。そのお母さんが言うには、「とんび」のうたは小さい頃、おばあちゃんが自分をおぶってうたってくれていた「うた」だったんですって。おばあちゃんはその二週間くらい前に亡くなっていたそうです。「うた」のことも忘れていたのに、大好きだったおばあちゃんの「うた」が出て来て、あまりにも突然にそのときの情景がどーっと飛び込んで来たらしいんです。
そういうことがあって、あ、これは伝えていく意味があるんだと思いました。へたくそだし、音楽家でもないけれども、僕には僕の伝え方があるのかもしれないな、と。
郡上では子育てサークルで月に1回、郡上の「わらべうた」を伝えるという活動をしています。野外で自由に、ただ歩いたり遊んだり、川原で虫とったりしながら、そこで「わらべうた」を1つずつ伝える。親さんには全部復唱して覚えてもらうけど、子どもには教えなくてもいいんです。家に帰ってお風呂に入っていると突然うたいだして、外ではひとこともうたってないのに、ってお母さんがよく驚くんですよ。それくらい子どもの感性、吸収力、アウトプットって見事なんです。
また、参加したお母さんが「この前の「おむつ替え」のうた、効果てきめんでした」って。おむつ替えの時に動いて困っていたのが、そのおむつ替えのうたをうたうと子どもがビタッ!と止まるみたいで、あれ最高!とかいわれると、別に効果が目的でやってるんじゃないけど、「うた」にはいろんな力があるんだな、と。
そういう反応をうけながら、採集を続けつつ新曲を伝えたり。とにかく、土地のうたを親が口ずさめるようになること、無意識にふいっと口に出てくるようになる、というのを目的にこれまで3年間やってきました。
僕は「わらべうた」は、よく言われる5音階でもないと思ってるんですよ。例えば、「かーぜかぜふっけよ。やーまのかぜふっけよ。やーまのかぜ、なけりゃ」とうたったときの「なけりゃ」は音階ではないと。それをうたった人の言葉なんだと。これはもう言葉の世界だと僕は思う。
もう1つわらべうたには、なまり、その土地の方言、これがたくさん出てくる。よそ者にとっては本当の節は絶対とれないです。土地の人が言ったときの「なけりゃ」がね、僕には真似できねえって思いますねえ。
うたになる寸前のもの
僕がよく言うのは、子どもの「おーねーがい」とか、「あーめー、あーめーもっとふれ」とか、うたになる寸前のようなもの、節がつく瞬間があるんですよ。それを聞いていてほしいんです。思いが節になって出る。こどもはそれを自然にやっているので、「あ、うたが生まれてる」、と捉えてほしい。僕がそれを思ったのが、材木屋で働いている時で、そこの子どもは4人姉妹で、わらべうたの新曲をよく彼女たちに教えてもらったんですが、そこの下の子が1才くらいのときに、自分の靴を探しながら「くつくつ〜どこいった」ってうたったんです。だれもそんなことは教えてないのにもう節が生まれてる。そういうふうに出てくるんだなってその時すごく感動したんです。
こどもとわらべうた
岐阜には900曲くらいわらべうたの記録があるんですね。(参照『岐阜のわらべうた』林友男著)郡上では100曲くらいあるのかな。この郡上で採集してよくわかったのは、風や鳥のうたとか、お日様のうた、自然そのものをうたっているうたがたくさんある。僕はこの、「うたうためのうた」をかなり重点置いて伝えてます。遊びうたでもないので、ただうたっているだけなんだけど、子どもと自然が一体になっているので、大人は絶対つくれないだろうなっていう「うた」なんです。これがどういうふうにうまれたのか、本当に不思議なんですけどね。
だから、戦時中には乃木将軍とか、クロパトキンとか、そういう言葉がうたに入ってくるんです。いくら大人がそれはうたってはいけないと言っても止められない。じゃんけんではグーを「軍艦」って言っちゃう。いい悪いじゃない。こどもは世相を反映するカガミです。60年代から、団地っ子による一人遊びから、お絵描きうたが生まれたのも世相を表している。まさにうたは世につれ、世はうたにつれです。
とんび
わらべうたの会のテーマソングは、岐阜ではお馴染みの「とんび」です。「とんび」のうたは、岐阜一円でいろんなうたわれ方をしているんですが、とんびが舞ったらお天気になる、というのをいつもうたいます。他にも銭くれ、とか羽をくれとか、届かないものに託す想いが、「とんび」のうたに表れていて、とにかく「とんび」だけでもまず覚えてもらおうと思ってうたっています。
とーんび、とーんび まいまいしょ
とんびが舞ったら日がよかろ 日がよかろ
シンプルですよね。これを外で子どもたちと歌うんです。もう開放されてね。僕が歌うより子どもらがうたう方が100倍すごいんですよ。子どもの声ってきらめいている。わらべうたはやっぱりこどものものだから、本当、嫉妬しますよね(笑)。そういうきらめきをCDにできたらな、記録に残せたらなって。桃山さんは、「うた」を「魂の食べもの」と言っていましたが、土地から生まれたうたが「魂のふるさと」になるような、うたにあふれた情況をよみがえらせたいと思っています。
これから
来年からは郡上の7ヵ町村全域からわらべうたを採集してそれを伝える、「郡上わらべうたの会」を展開していこうと思っています。一年目は引き続き調査や伝承活動をして、二年目には、こどもたちでうたえるようになること、3年目には発表の場を持ったり、CDを出すという計画を練っているところです。
こうした取り組みに関しては、ありがたいことに、幼稚園とか小学校一、二年生とか、これからうたえる子のお母さんたちが主体となって動こうとしているので、自然と大きな流れになっていくんだろうな、と思っているんです。
僕はそれと同時に、大人の感性をどう探るのか、というテーマがあるので、年に一度の郡上八幡音楽祭の企画を通して、童心に帰れる音の時間とか、魂を揺さぶるような国際的な音楽舞台を長いスパンでやっていきたいと思っています。今まで2回開催していますが、音楽祭は老若男女、全世代が対象です。来年の7月にまたやりますから、こちらもぜひ体験していただきたいですね。 (郡上市在住)
井上博斗(いのうえひろと)●1983年、香川生まれ。
幼少より香川県善通寺市の郷土芸能に親しむ。2010年に郡上八幡に移住し、郡上のわらべうた・作業唄・踊り歌・祝い唄の伝承をライフワークとする。郡上八幡音楽祭2013,2015をプロデュース。岐阜各地で親子わらべうたの会の講師をつとめる。里山文化体験イベント「六ノ里ランドスケープ」(2014)、「町家オイデナーレ2015 in 郡上八幡」を企画。現在、郡上八幡音楽祭2016、白山開山1300年祭(2017)に向けて活動中。
米国では今、急激な「食品添加物離れ」が起こっています。ですが、それは科学的な根拠からというよりも、むしろ大衆の不安心理に基づくものであり、健康面からはかえってマイナスになりかねない要素を孕んでいます。
また、添加物はワインの保存性を飛躍的に高めることで、現在のように産地や生産年による味の違いを楽しむ「ワイン文化」を花開かせることに貢献しました。また、飢えに苦しむ地域では、食品添加物で栄養価と保存性を高めた特別の食品が子どもたちの命を救っています。
一方では今も、子どもの心に悪影響を与えかねない人工着色料入りのお菓子が欧州や米国、日本で出回っています。多くの研究者が安全性に疑問を呈している人工甘味料もあります。
合成着色料が発達障がいの一因に?欧州で論争
「この食品に使われている着色料は子どもを過剰に活動的にしたり、注意力を散漫にしたりする可能性があります」とロンドンのある個人商店でこんな警告表示が書かれたキャンディーが売られていた。この合成着色料は、石油や石炭を原料とする「タール色素」。うち6種類について、欧州連合(EU)は、添加に際して警告の表示を義務づけている。
これらの色素が、発達障害の注意欠陥・多動性障害(ADHD)に影響する可能性は、1970年代から指摘されてきた。色素が体内のヒスタミン分泌を促し、中枢神経系を刺激するという仮説が有力だ。有害な恐れがある着色料について、EUはなぜ使用を禁止せず、「警告つきで販売を認める」というあいまいな対応をしているのか。
話は2007年にさかのぼる。英国政府の食品基準庁(FSA)は、サウサンプトン大学の児童心理学者ジム・スティーブンスン名誉教授(68)らに、6種類のタール色素が一般の子どもの行動に与える影響調査を依頼した。背景には、英国の親たちの食品添加物への不安の高まりがあった。
使用続ける日本の駄菓子
日本でも「赤色40号」「赤色102号」「黄色4号」「黄色5号」として食品への添加が認められている。英国での実験結果は08年、食品添加物を扱う日本の厚生労働省の審議会でも取り上げられたが、「児童への重大な影響を示すデータとは判断できない」とし、タール色素への規制強化は見送られた。これらの色素は今も、国内産の駄菓子や輸入チョコ、キャンディーなどに使用されている。
スティーブンスンが挙げるキーワードは「先を見越した注意深さ」だ。「たとえ科学的根拠が完璧ではなくても、有害の可能性が強く示唆されれば、政府は用心深く使用を禁じるべきだ。それが未来の国民の安全につながるからだ」
人工甘味料は安全なのか
1965年に発見され、82年に日本の「味の素」が大量生産を始めた人工甘味料・アスパルテームは、安全性を巡り、激しい論争が繰り広げられてきた食品添加物の一つだ。
米国のダイエットペプシでアスパルテームに代わって使われたスクラロースは、砂糖を原料とする合成甘味料だ。アスパルテームほどの論争は巻き起こしていないが、動物実験では腸内環境の悪化を引き起こす可能性が指摘される。
コンビニと添加物
冷蔵・衛生管理の技術や物流効率が上がり、以前ほどの量の添加物を使う必要はなくなっている。それでも保存性やおいしさを高めるため必要な添加物も多い。また、中華麺など添加物がないと成り立たない食品もある。
ちくわやかまぼこなど水産練り製品について、少なくとも10年まで年5%ずつ保存料の使用が減った。結果として、腐敗を防ぐための温度管理費が上がり、廃棄量も増えて年間1772億円もの経費損失が出るはずだと計算をはじいている。
加工食品の表示に目をこらす消費者への対応に業界が腐心する一方で、同じ弁当でも店内で作って販売される場合は、表示は省略できる。外食や百貨店の量り売りに至っては、表示義務は適用されない。
なぜ「危ない」と思われるのか 総論
終戦直後の混乱した時期、有毒の人工甘味料や失明の恐れがあるメチルアルコールが出回っていた。同法では、化学物質が安易に食品に用いられるのを防ごうと「政府が安全性を確かめて承認した化学物質だけが、食品への添加物として使用できる」という、当時としては画期的な考え方を導入した。法を作った人々に、食の安全への強い意思があったことは疑いない。
当初57だった食品添加物は、現在では814に達し、食物の保存、着色、味や栄養や食感の向上、低カロリー化など様々な用途に使われている。
一方で、消費者は「食の安心」を強く求め、添加物を危険視する風潮も根強い。そこには、明確な根拠に基づく異議申し立てと、「よく分からない化学物質が体内に入ってくること」への強い不安が混在しているように見える。科学技術や政治、企業への漠然とした不信感も、不安に拍車をかけているようだ。
「敵か味方か」という一面的な見方を超えて、私たちは添加物とどう付き合えばいいのか
どっちも「自然」自分で選ぼう
絵本作家五味太郎
食べ物は自然に近ければ近いほどいい、という理念は当然ある。だけど、人間は一方で、狩猟採集生活の時代から「どうやって保存し飢えを免れるか」と懸命に努力してきた。その工夫の延長上にある。これも人間にとって自然なことじゃないかな。ただ今は「その工夫が行き過ぎたのでは」と多くの人が不安に思っている。それで「無添加」「地産地消」という話しになるんだけど、結構お金や手間がかかる。多少添加物が入っていても安い方がいい、と思う人もいるだろう。じゃぁ、何を食べるか。結局は自分で選ぶしかないし、選んだ責任は自分で取るしかない。この資本主義社会で、ある商品を買うか買わないか判断することは、ひとつの意見表明でもある。売れないモノはメーカーも作らない。高くても自分が安全と思うモノを食べたいんだったら、それに徹するのが消費者の仕事だよ。自分は食品の表示を意識しつつ、自分の味覚や嗅覚、胃袋という天然のセンサーを一番頼りにしている。後味が今ひとつだったり、腹にもたれたりするものは2度と食べない。この感覚を鋭敏にするには、子どものころの食生活をきちんとすることや、食べ過ぎないことが大事だと思うよ。
「イエス」「ノー」を使い分けるために
しっかり表示を見て選ぼう!
食品表示アドバイザー・消費者 問題研究所代表 垣田達哉さんのお話
食品添加物の表示について
食品表示法という法律ができました。消費者のみなさんにもメリットがあるのでお話しします。
食品表示は事業者と消費者をつなぐ大事な情報伝達手段です。消費者も表示からの情報を読み取って、安全で適切に活用できるよう消費者力を身につけたいと思います。
まず、原材料と添加物を明確に表示をするということになりました。今までは表示欄をみて、「添加物、どれですか?」って聞かれるとすごく困る訳です。たとえば調味料を書く欄にアミノ酸等とか、加工でんぷんとか乳化剤とか書いてあったらそれ以降全部添加物ですよってお答えしていましたけど、法律ができたので今度はスラッシュ(/)以降は全部添加物ですので、添加物が多い食品かどうかが一目でわかります。そうすると同じような食品で比較する事ができるということです。ただし、バラ売りや外食は対象外です。
次に栄養表示の義務化。容器包装された加工食品は全部表示しなくてはいけません。表示しなくていいのは小規模事業者従業員20人以下です。ということは、スーパーやコンビニでまんじゅう1個包んで売っていますね。30平方センチ以上のものは表示しなくちゃいけないんです。
表示されていないもの程怖いものはない。日本人は、表示されていないものの方が価値が高いと思っている人が多いようですが、実は逆です。その例を2つご紹介します。1つはデパ地下惣菜です。何の原材料を使って、何の添加物を使っているのか、もちろん、カロリーも一切書いてない。持ち帰ってから食べるときにできるだけ味が落ちないように添加物を使っていると思います。表示されてないからスーパーやコンビニの総菜と比較もできない。要注意です。
それから、ベーカリーも一切表示がないですね。たとえばメロンパン。パンメーカーのメロンパンの包装を見るとカロリーは大体400kcalと表示されています。「うわ!これ1個で400kcalもある、こんなの子どもに食べさせられないわ」と言っている人たちが何も表示してないベーカリーのメロンパンを並んで何個も買う訳です。
機能性表示食品とは…
機能性表示食品がこの4月から出ました。国の審査がなく届け出だけ。これが、食品安全委員会に特保の申請をしたところ安全性に問題があると却下されたものが機能性表示食品として「販売OK」になっています。日本で唯一の食品の安全を決める機関が安全性に問題があるといったものが平気で出てくるんです。これが機能性表示食品です。メーカーを信用するしかないということです。まさに消費者の自己責任。国は知らんよ、と言っているわけですから。国立健康・栄養研究所で検索すると健康食品の情報などについて、紹介してくれていますから、よかったら検索してみてください。
じゃあ一体何を信用して買ったらいいの?ずばり勘ですね。特に女性の感性って素晴らしい。あの「なんとなく」ってやつですね。それが素晴らしい。自分の感性に自信を持って選んでください。
食品表示制度が大きく変わりました。
どんなふうに変わったの?
① 原材料名表示のルール変更と添加物の明確な区分
原材料と添加物を区分して、重量順に表示するルールに統一。従来の表示ではどれが添加物なのか明確でなかったので、スラッシュ(/)で区切りを入れる、改行して区切る又は原材料名の下に「添加物」の事項名を設けて表示する。
② 栄養成分表示の義務化
栄養成分表示については任意の表示でしたが、昨今の国際的な動向や、脂質の過剰摂取による心筋梗塞の増加等を踏まえ、原則として消費者向けの全ての加工食品に、熱量、たんぱく質、脂質、炭水化物及びナトリウムの表示が義務化された。
なお、ナトリウムの表示は、栄養指導が食塩相当量で実施されてきたこと等を考慮して、食塩相当量で表示されます。また、義務化はされませんでしたが、飽和脂肪酸及び食物繊維について、表示する。
③ アレルギー表示のルール改善
食物アレルギーを持つ方にとって、アレルギー表示は非常に重要な情報です。アレルギーの原因となることが知られている食品(アレルゲン)について、原材料として使った場合だけでなく、原材料を作るときに使った場合も表示する制度です。
④ 製造所固有記号のルール改善
原則として2つ以上の製造工場で同一製品を製造している場合のみ使用できること、その際は、製造所の所在地等の問い合わせに対応すること。単一の工場のみで製造している場合については、製造所固有記号を使用できず、製造所の所在地及びその名称を表示すること。これ以外の変更点については、消費者庁HPをご確認ください。http://www.caa.go.jp/foods/index18.htm
なお、食品表示基準は施行されましたが、生鮮食品では1年6ヶ月、加工食品では5年間の猶予期間が設けられています。
(11月29日に行われた「草の根交流サロン」で食品表示について語られた部分を抜粋しました。)
かきたたつや●放射能汚染、中国食品、BSE、鳥インフルエンザ問題などの食の安全や食育、食品表示問題の第一人者として、テレビ、新聞、雑誌、講演などで活躍。生鮮食品の実態や自給率問題、健康食品などの加工食品、食品表示偽装、JAS法の品質表示、食品衛生法の添加物や栄養表示、景品表示法の不当表示といった食品関連だけでなく、POSシステム、物流システム、バーコードシステムにも精通している。
よく噛んで食べるとこんなに体に良い効果!
「卑弥呼の歯がいーぜ」
ひ・肥満の防止
満腹中枢に対して“食欲抑制メカニズム”が働き過食を防ぎます。
み・味覚の発達
唾液がたくさん分泌され、食べ物の味が溶け出しより深く味わえるようになります。
こ・言葉(発音)の発達
顔の筋肉が発達し発音が明瞭になります。また、表情筋も発達するので顔の表情も豊かに若々しくなります。
の・脳の発達
脳細胞が活性化され、子供はより賢く、大人は脳の老化進行の防止に繋がります。
は・歯の病気(虫歯・歯周病)の予防
唾液の分泌が促され口中がきれいになって、歯肉も丈夫になり歯の病気にかかりにくくなります。
が・がんの予防
唾液中の酵素が直品中に含まれる有毒物質の発がん作用を弱めます。
いー・胃腸快調(胃腸の働きをよくする)
よく噛んで食べ物を細かく砕くことで、胃腸への負担を和らげ、活動を活発にします。
ぜ・全力投球(全身の活力を生む)
全身に力が入り体力や運動能力の向上に繋がります。
※卑弥呼の時代(弥生時代)の人びとは、1回の食事に約4000回も噛んでいたそうですが、現代人の1回の食事では噛む回数は、約600回といわれています。
噛めば出る。だ液は体を守るスーパーヒーロー!
だ液は通常寝ている時はほとんで出ません。起きている時でも何もしないと、だいたい1 分間に0.3~0.5ml程度しか出てこないのですが、噛むとその5倍~10倍も出てきます。だ液の中にはムチンというネバネバした物質で、胃を保護し食べ物を飲みやすくする成分がありますが、それ以外にも大切な成分がいろいろと入っています。例えば、アミラーゼ/ご飯やパンを分解して麦芽糖にする酵素。リゾチウム/炎症をおこした時などはバイ菌の増殖を抑える。ラクトフェリン/細菌の発育の抑制をする。スタテリン/歯を石灰化して強くさせる。など。
他にもだ液には、皮膚を若々しくする作用や、血管・粘膜・臓器などあらゆる細胞の増殖に関係することがわかっています。噛んでだ液を出すことが体を若くし、特に皮膚や胃腸粘膜を良くし、元気に顔もツヤツヤにするのです。
「ヨダレの多い赤ちゃんは良く育つ」といわれますが、まさにその通りなんです。
よく噛んで食べるためのひと工夫
*材料を大きめに切る。
*根菜類やきのこ、海藻など、食物繊維が多い食材を使う。
*ナッツや大豆などの硬い食材をサラダなどの料理に加えて。
*硬めにゆでる。
*野菜や果物は皮付きで。
*食事中の水分はお味噌汁のみで。お茶や水などがあると、よく噛まないまま食べ物を流し込むもとに。
噛むには元気な歯があればこそ!元気な歯にするには?
歯は食事やおやつなどで溶けますが、だ液の力で修復もします。溶ける時間よりも修復する時間が短いと虫歯になりやすいです。
虫歯を防ぐには、何回もおやつ等を食べて、そのたびに歯を磨いて食べカスを取り除くのか、おやつの回数を減らして溶ける時間を減らすのか、のどちらかが重要です。
話してわかるような年齢の子なら、説明して子ども自身に選ばせてもいいですね。
また、意外に知られていないのが、「口呼吸」の弊害。鼻で呼吸せず、口で呼吸することを「口呼吸」といいます。
これは、体や口の健康にとっては、とても良くない習慣です。
口を開いていることによって、歯と歯茎の周囲が乾燥しがちになるからです。歯周病菌はじめ口の中の細菌は、乾いた環境で繁殖しやすいため、口呼吸が歯周病や虫歯を進行させる原因になるのです。また、歯並びも悪くなりがちです。
口呼吸から「鼻呼吸」になおすには、下の「あいうべ体操」が手軽に実行できてオススメです。舌や口の周りの筋肉を正しく使えるように鍛えましょう。
舌の本来の位置は、上あごにぴたりとついている状態です。舌の先が、前歯の裏に当たっていたり、舌の両側に歯形がついていたりする方は、舌の位置が低下しています。
「あいうべ」体操で、舌の位置を元通りにしていきましょう。早い方で3週間、遅い方でも3ヶ月程度で改善しますから、あきらめずに頑張りましょう
お口を閉じて家族の健康を守る
私の3人の子どもたちは現在歯の矯正中です。歯の矯正というと高価なイメージがありますが、やり方によってはそんなにも掛からないものです。というか、実際そんなに掛かっていません。かかりつけの歯医者さんから言われていることは「大切なことはベロの位置を正しい位置に戻すこと」です。ベロの位置が正しい位置に戻らないとキレイな歯列に揃って矯正が終了しても、しばらくすると元に戻ってしまうそうです。ベロの位置を正しい位置に戻すには「あいうべ」体操。これならタダで小さな子どももできます。この「あいうべ」体操をさらに効果的にする方法をお伝えしますね。筋トレはまずストレッチをしてから負荷をかけていくとより効果的。「あいうべ」体操もお口の周りの筋肉をストレッチしてからやってみましょう。やり方は簡単です。両手を口の周りに引っ掛けて色々な方向に伸ばすだけ。ベロの位置が正しい位置に戻って、口が閉じられれば唾液の分泌が良くなり虫歯もなりにくくなります。歯列が揃うので更に虫歯になりにくくなります。
そして口を閉じると良いことがもう一つ。口呼吸から鼻呼吸へと人間本来の機能が使えるようになるので免疫力が上昇します。岐阜県内の小・中学校でも「あいうべ」体操をしてからインフルエンザウイルスの罹患率が減ったというデータがあります。口の中を意識するだけで体全体の健康状態が変わってくるのです。
口の中を見て健康状態を観察してくれるような歯医者さん、歯科衛生士さんとの出会いに感謝しています。
渡邉雅美(健康管理士・食育アドバイザー・マザーグース主宰)
11月1日、前号で取り上げた朗読劇「茶色の朝」を無事上演し終えることができました。今回はこれを振り返ってみたいと思います。
−上演に至るまではどうだった?
つか:指導をしてもらった劇団の方がすごく良い人たちで、こういったことをやるのは初めてだったけど、楽しく稽古を進めることができました。ただ、上演前はすごく不安でした。
かな:劇団の方たちがやるのではなくて、自分たちでやるってことに不安はありました。でも、やっていくうちに楽しくなっていったし、いろんな事が決まって行くに連れて稽古が楽しみになっていきました。
ゆい:このような経験は初めてだったので、少し緊張しました。でも、人に何かを伝えようとするのは、やりがいがあって楽しかったです。政治や日本のことについて、改めて考えさせられました。
つか:人前でやるのは緊張したけど、普通に人前で話すよりは楽でした。ただ、 全然、感覚が違いました。
−感想交流会はどうだった?
ゆい:交流会では、思ったこと感じたことを意見交換できて良かったです。中学生の子たちは、「自分たちの日常生活と比べて考えてごらん」というアドバイスを受け、自分たちも茶色に染まっているということを実感していました。私も共感するところがあり、有意義な交流になったと思います。当たり前のように校則に従い、皆同じ格好をしていますが、改めて考えると疑問や不満も出てきました。このまま大人になって、日本の政治や法律にも当たり前のように無関心で生活をするようになるのかと思うと、少し恐ろしくなりました。
つか:交流会では、(劇の内容が)よくわからないという人もいたと思うけど、大人の方々の力も借りながら、少しは、理解できたかなと思います。
かな:私の所は中学1年生からおとなまで幅広い参加者だったのですが、最初ほとんどの人が「お話の内容がわからない」っていうことでした。でも、数人が「こういうことだね」って発言してくれました。また、中学1年生の子が安保法案にたとえて話してくれました。本当に怖いんだなぁという思いが伝わりました。その話を聞いてみんな「そういうことね」って納得してました。
−この経験をこの後どうやって活かしていくのかな?
かな:「茶色の朝」をやって、1つのものに縛られるのは本当に怖いことだと実感しました。だから、この話をたくさんの人に知ってもらい、交流の場をもっと設けたいと思いました。また、今回だけでなくて、色んな場でこの話をしたいです。日本だけではなくて、世界でもこのようなことが起こりうるので、もっとちゃんと考えられるよう、勉強したいです。
ゆい:自分も「茶色に染まっているな」と実感したので、もっと世の中に関心を持たないと、と思いました。来年からは選挙権ももらえるので、政治や日本、そして世界の現状について知りたいです。また、このような機会があれば参加したいです。
つか:初めての経験だったけど、すごくやってよかったと思います。劇団の人たちとは、劇自体のレベルは全然ちがってへたくそだけど、僕たち学生がやる事に意味があったと思うので、今度は違う事で挑戦したいです。
※「茶色の朝」:突然「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことを軽視していたら、みるみるうちに「茶色以外許されなくなってしまった」という変化を描いた反ファシズムのフランスの寓話。
フランク・パヴロフ 著 藤本 一勇 訳
ヴィンセント・ギャロ 絵 高橋 哲哉 メッセージ
大月書店 1,000円+税
第5回 アクティバ収穫祭
11月15日 アートギャラリー 是
今年も、発足2年のアクティバ276バンドが、「モンキーマジック」「ガンダーラ」を、鵜沼のクワイヤ・ミュージスさんが「I’ll Be Home For Christmas」を披露。日ごろの練習の成果を結集。緊張しました。月1回の練習でおとなの部活みたいですが、披露するときの緊張感、ふだんの生活とはひと味ちがって、いいかも。聞いてくださった方、本当にありがとうございました!
今年の収穫祭も、新米を「玄米」と「3分づき」で試食して頂きました。炊きたてをおひつに入れて、セルフサービス。玄米は噛むほどに甘味が感じられ「おいしい!」3分づきもしかり。
田うえ、草取り、稲刈り、はさかけ、脱穀、籾すり…手をかけた分お米は美味しくなっていくんだなぁ〜。
田園風景がなくならないよう、せっせとお米作りをしましょうね!!
Jazz train Sax Qartetの演奏に魅了されたひととき。
これから全国ツアーが始まるとか。北は長野、南は三重…のトークに大爆笑。和やかな雰囲気の中でも演奏はキリリと聴かせる。さすがプロですね。
飛び入り参加のKさん。アフリカのちょっと変わった楽器「アサラト」でカルテットの演奏とコラボ。楽器の種を超えた演奏に拍手喝采!!
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「私はどうして断捨離に関心をもったのか?」
こばやしりえ
第六感?ピンときた?
『現状を変えたい!』『息苦しい』『ストレスフルで。。。』
『自信を持ちたい』『他人を気にせず、自分らしくいたい』
『これからの人生、どう生きるか、過去と今を整理して
今とは違う未来にしたい』
このような思いから断捨離がヒットしたのではありませんか?
変わるには・・・・
まず、行動を変える。静から動へ。
「動けない」「今度、後で」と言い訳ばっかりだったこばやしも動いた、行動したことで、
住まいが変わり ⇒ できる私♪
気持ちが整い ⇒ 超ごきげん( *´艸`)
人間関係が変わり ⇒ 軽快自分軸
執着していた居住地が変わり ⇒ その時に快適な土地へ 仕事が変わり ⇒ 皆さんとの出会い
ドンドンと状況が変化していきました。
頭の中で理解しても何も変わらない。行動することが、第一歩なのですね。辺りを見てください。
素敵だな~と思える人、いませんか?
必ず、「行動」していますよ。
断捨離が私にヒットしたのは、「たった一つのゴミに気づき、捨てること」それで十分だったから。
12月に入り、気分も何となく・・・
せわしなくなってくるこの時期。
だからこそ・・・ 《 自分への重圧 》
12月。一年の終わり、今年のことは今年のうちに・・・
新年を迎える準備、あれもこれも・・・
家族の予定。のしかかる負担。
普段にも増して「やること」、「やらねばならない」こと追われる日々。つい、「やらねばならない」と抱え込み過ぎてしまう。その結果、自らに重圧をかけてしまうことになりかねなくて・・・・
◎ 限られる 時間
◎ かけられる エネルギー・気力・体力・労力
確かに・・・やらねばならないのだけど・・・
断捨離で身についていく俯瞰力を使って
自身を俯瞰してみると・・・
「私しかできない」「私がしなければ・・・」
自分自身で重圧をかけていることがあるかもしれません。いっぱいいっぱいで投げ出したくなる。。。
その前に【断ってもいい】【助けを求めてもいい】
【そうすることは悪いことではない】
真面目な人ほど陥りやすい、ココロの疲労。
自分への重圧、少し断捨離、ですね。
「やましたひでこ公認断捨離トレーナーこばやしりえ」
HP http://danshari-rkobayashi.com/ メールrie@danshari-rkobayashi.com
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2016年1月2月の予定
いきる・たべる・あそぶ
1月30日(日)アクティバ 総会
時間:午前10時から12時 場所:アートギャラリー是
2015年度を振りかえり、次年度の計画を練ります。新しい年のはじまりにふさわしいアクティバらしい活動をめざします。わいわい・にぎにぎとあんなことやろう、こんなんもいいね、と意見交換。会員は万障繰り合わせ参加をお願いします。
いきる・たべる・あそぶ
それぞれの活動計画をみんなのアイデアで画期的な活動計画を立てたいと思います!
たべる
2月11日(木・祝) 豆腐つくり
時間:午前10時から12時 場所:アートギャラリー是
昨年は雪のため、中止になってしまった豆腐作り。今年こそは!
一昨年は豆腐師をお招きして、豆乳つくりをしました。絞りたての豆乳をみんなでゴクゴク!とっても美味しかった。今度は豆腐に挑戦です。天気が気になるところですが、てるてる坊主に願掛けして…晴れたらいいね!
参加費:アクティバ会員 1000円 非会員 1500円
グローバル時代の救世主「日本国憲法」
〜正義と平和が出会うとき〜
浜 矩子さん(同志社大学教授・経済学)
グローバル時代とは
まずグローバル時代とは、どういう時代なのかということからお話します。
今は「ヒト、モノ、カネ」が国境を越え自由に飛び交う時代。突き詰めると、「誰も一人では生きていけない時代」と同時に、「誰もが誰かのお世話になっている」そういうつながりの時代がグローバル時代だと思います。
このグローバル時代の本質を、我々に鮮烈な形で示してくれたのは、3.11東日本大震災が発生後に判明した一つの出来事でした。福島のあるちいさな部品工場が生産停止に追い込まれました。その結果として、世界中で自動車生産が止まったのです。グローバル経済の中で君臨する最強の自動車メーカーは、最弱な工場の支えがなければ事業を継続していくことが出来ない。このように、「誰も一人では生きていけない」というのが、このグローバル時代の経済です。金が国境を越えて暴走をすれば、リーマンショックみたいなものが起こる。ものづくりの拠点が国境を越えて移動すると、雇用の空洞化や地域の疲弊という問題が起きてくる。人が国境を越えて動くと、いまのシリア難民の受け入れを巡ってヨーロッパが右往左往する…。このように「ヒト、モノ、カネ」の動きに対して無力感を味わう。そのような国々の動きから我々をまさに救ってくれるのは、日本国憲法であり憲法9条であると思うのです。
ところが、あるタイプの人々は、誰も一人では生きていけない状況になればなるほど、自分だけの力で生きていこうという思いにとりつかれる。そういう傾向が国々の政治責任者のなかに強まって国家主義的な傾向が強まってしまう。そういう怖い状況も今の時代の大きな特徴となっています。
アベノミクスと外交安全保障政策とは表裏一体。その問題性。
今年の4月末、安倍首相はアメリカを訪問をし、4月29日の米国連邦議会の上院合同委員会にて演説をしました。同じ日の午後に笹川平和財団アメリカ本部で講演をしております。「アベノミクスとわたくしの外交、安全保障政策は表裏一体でございます。」という発言、これは政策責任者が決して持ってはいけない認識だと思います。さらに「日本がGDPを増やすことが出来れば、国防費を増やすことが出来る」と彼は明言したのです。
経済政策にはきわめて重要な2つの使命があります。1に均衡回復バランス。2に弱者救済。経済活動のバランスが崩れると猛烈なインフレとか、ひどいデフレ状態に陥るとか、バブル経済化したそのバブルが破綻して、恐慌に陥ってしまうとかが考えられます。そういう状態になると、最も痛むのは弱者たちということになります。したがって、経済の均衡を回復するという経済政策の第一目標と弱者救済という目標は自ずと表裏一体の関係にあるということです。このようにきわめて重要な使命を担っている経済政策を、外交安全保障政策の都合で振り回すことほど経済政策責任者として大罪はないだろうと思います。
それに加え、安倍発言にはもう一つ重大な問題が隠れています。彼の外交安全保障政策は何かというと、「戦後レジームからの脱却」です。戦後から脱却したいのであれば戦前に戻るしかない。それが彼らの外交安全保障政策の中身という事になります。しかし我々は未来永劫「戦後」という時代を生きていくわけです。25世紀、30世紀になろうが、「戦後」という時代なのですから。安倍政権が突き進んでいる道筋はアホノミクスで国家、安保法制をもって、富国強兵!この二つの道を通じて大日本帝国への道を立ち戻っていくということが非常にハッキリしています。
アホノミクスは第2ステージに!
ご承知の通り「新3本の矢」が登場しました。打ち出された対策は、「希望を生む強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」…なんともむずがゆくなる言葉が並びます。「希望を生む強い経済」には日本のGDPを600兆円に増やすという目標が掲げられています。同時にそれに相当する国防費を増やすことが出来るということになっていきます。さらになぜここで一億総活躍というのか。要するに日本のGDPを600兆円に増やすために一億総奮励努力せよ、と解釈できます。これからは高齢者も生涯現役です。そしてさらに、出生率を1.8に引き上げろと。生めよ増やせよというわけです。大きな経済、強い経済を作り上げるために、国民一人ひとりに総動員するという法令、これがアホノミクスの第2ステージというものです。
地方創世とは?
国家は国民に奉仕するためにあるわけで、国民を唯一にして最大の顧客とするサービス事業者、それが近代的な民主主義的な国民国家における国家という位置づけです。地域の疲弊という問題に、どんな形で対処することが出来るのか、一生懸命考えて、メニューを出すのが彼ら(国家)の役割ですが、大日本帝国に立ち戻りたい人たちの頭の中では、この関係は完全に逆転しているのです。強い国家、大きな国家を作るために、国民が奉仕するとなっていると思います。女性活躍推進法というテーマもまったく同じです。今まで十分に利用してこなかった女性の力を取り入れることによって、日本経済の成長力を高めていくと。
我々がめざすべき世界とは!?
それは本日の副題「正義と平和が出会う時」ということになると思います。
旧約聖書の中の詩編に「慈しみと誠は巡り会い、正義と平和は抱き合う」というフレーズがあります。誰かの誠と誰かの誠が、一致しないとそこは決して巡り会うことはない。正義と平和の抱き合いがいかに難しいか、ということを歴史を通じて、我々にずっと示し続けてきているのが、パレスチナ情勢であるかと思います。イスラエルの正義とパレスチナの正義がぶつかったとき、そこに発生するのが、戦争であるという現実。最近においては、イスラム国を称するISの人たちの正義、その他の世界の正義というのはあまりにも違います。自分たちの正義を貫くために平和をこわしている、というのが残念ながら今日の実情です。
正義と平和が抱き合う場所に行くためには
日本国憲法が示している世界、憲法9条が我々に啓示してくれる世界はまさに、正義と平和を抱き合わせよう、そして慈しみと誠を巡り合わせようと、恒久的な反戦の誓いが集約されています。ではそこに到達するために、我々はどういう条件を押さえておくべきか、そのポイントは3つあります。
まずは「一つの原点回帰」。経済活動は、人間を幸せにすることができて、はじめて経済活動の名に値するということ。そういう観点から考えればブラック企業は絶対に存在しません。次に「バランス感覚」。孔子の論語に「おのが欲するところに従えども、矩を超えず」。自分がやりたいことを思う存分伸び伸びやるが、人権を踏みにじったりはしない欲と矩の黄金バランス。孔子曰く、人間は70ともなれば、その境地に達することが出来ると、論語の中でいっております。
最後に「3つの道具」。それは、「耳」と「目」と「手」であると思います。
耳は、「傾ける耳」。人の言い分もきちんと傾聴することができる、救いを求める弱者たちの声を敏感に察知出来る耳。目は、「涙する目」。人の痛みに思いを馳せて、泣くことが出来る目。経済学の生みの親であるアダム・スミスも経済活動を営む人間とは「共感性を有する人間たちである」というふうに言っています。人のために泣けることだと。最後に手ですが、「差しのべる手」でございます。弱者が必要としているときに、さしのべる手、ということですね。
これらをしっかり持っていれば、間違いなく我々はこの正義と平和が出会う場所に行けるだろうと思います。正義と平和が抱き合う場所にそしてそこはまさに、日本国憲法の世界であり、憲法9条の世界であります。そこにみなさまの大いなる3つの道具を持って、我々全員をどうぞ連れて行ってください。 (文責・にらめっこ)
11月1日「平和のつどい」が岐阜市民会館で行われました。1200人を超す来場者がありました。市民参加ステージでは・群読「命どぅ宝」、・来賓あいさつでは神山征二郎さん(映画監督)、・ロビーパネル展「憲法9条と日本の平和」があり、多くの人の「憲法を守りたい」という熱い思いを共有できた一日となりました。主催:2015ぎふ平和のつどい実行委員会
復興と地方創生
変わらぬ国の押しつけ
ある土地は水産庁のお金で水産加工団地を造る、近くの地域は国土交通省の区画整理事業で住宅地にする。どちらも津波に備えて高く土を盛る。でも、その間の地区は何の予算もつかないから窪地のまま。大げさに言えば、コンビニと駐車場の間に用水路があるようなもの。来たかったら、飛び越えておいで。それが復興工事だ。
少し改善したとはいえ、5省40事業にしか使えない復興予算が足かせなのだ。気仙沼市はまだしも、壊滅した街を一から造り直さないといけない南三陸町や岩手県の陸前高田市、大槌町に「40事業」なるものをあてはめる意味が分からない。
前からそう思っていたところへ、今度は地方創生ときた。どういう地域や暮らしでありたいかは、住民主体で決めないといけないのに、なぜか、政府が自治体に「総合戦略」を作らせ、マニュアルまで用意している。多くの自治体と経済団体が同時期に「プレミアム商品券」を売り始めたのは、なぜか。創生とは「創造」、つまり独自の新たな取り組みを評価するはずだと普通は考えるが、同じことをやらせたいようだ。
最近こんな話を聞いた。国と自治体の関係について、最初は「池の鯉」。国が手を叩くと寄ってきて餌(補助金)を奪い合う。食べ過ぎて借金に苦しむ所が出て来たので、努力した自治体にご褒美をあげる「イルカショー」に切り替えた。イルカは、お金欲しさにやらなくてもいいジャンプを繰り返す。最終形が「サル軍団」。優秀な自治体が他の自治体を引っ張る。でも、国(人間)は冷ややかにに見ている。
この話を私に伝えたのは仙台の上司で、元々は京都府知事から直接聞いたらしい。孫引きの全責任は私にある。それにしても、ここまで自虐というか、地方の自治体や人間を馬鹿にしたたとえはあるまい。
結局、復興も創生も、国が用意したメニューからしか選べない。専門家たちが話し合った国の復興構想会議は次のようにうたっている。「被災地の広域性・多様性を踏まえつつ、地域・コミュニティー主体の復興を基本とする。国は、復興の全体方針と制度設計によってそれを支える」。見事に100%逆のことをやれるというのは、官僚というのは、やはり優秀なんだろう。
ただ、首長たちにも言いたい。元々の過疎地が震災で疲弊したのは分かる。もう少し踏ん張れないのか。住基ネットを拒否した(今は接続)福島県の矢祭町長。国が進める市町村合併の「ご褒美」であるお金を借りなかった本宮市長。少しは見習って欲しい。国の金=国民の金を取り合う時代も、自分だけええ格好する時期もとっくに終わっている。
2012年4月に岐阜から赴任しました。がれきの片付けは震災後3年で終わり、高台移転先の造成や水産加工会社の再建なども少しずつ進んでいます。それでも「元の生活」に戻ることは決してありません。現地で見聞きし、思ったことをご報告いたします。 現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)
音楽の輪。
先週末の3日間、ここパラダイスワンで「Rhythmic Seeds」という音楽のワークショップを行いました。
パーカッション、デジュリドゥー、プロダクション、ヨガ。4つのクラスには豪華なアーティストをオーストラリア中から招きました。アメリカからも有名なアーティストが来てくださって、とても濃厚なワークショップとなりました。
講師、参加者、スタッフをふくめ総勢70人ほどのグループが3日間をともに過ごすだけでも有意義でしたが、音楽を作る事、音楽を理解する事、そして、それぞれのアーティストが制作過程を共有するという、とても創作的な3日間でした。
私の役割は、キッチンとイベントマネージメントだったので、ワークショップには参加していませんが、たくさんのセッションがそこら中で行われ、コラボーレーションが生まれる過程を見られたのは、とても特別な体験でした。
たくさんの学びが生まれ、その学びを通して新しい発想、創作が生まれる。さらに、人が集まる事で、ネットワークが生まれる…。
わたしは今回のワークショップを通して、人々はコミュニティーを意識するようになるということ、コミュニティーはいろんな形で存在するという事に気づきました。
同じツール(今回は音楽)を通して集まり、場を共有するという行為がコミュニティーに発展していくんですね。
paradise one が人の集える場所。創作する場になりつつある事をとても嬉しく思います。 life is creation!!!
日本の鼓童でも修行しためっちゃおもしろい人で、すごいアクティブ。太鼓を通して、丹田の気の溜め方、太極拳、気功も学んだとか。阪神淡路大震災の時に、1000個の太鼓を集め、大地に癒しの波動を送る催しに参加したときは、太鼓からでるバイブレーションの強さと、その感覚に感動したって。日本ツアーで神社で演奏したデジュリドゥーのアーティストの話から、神道の習わしとかセレモニーを知って、なんか、こっちのオーストラリアのアーティストをとおして、日本の伝統を再認識させてもらってます。
やっぱりこんなときは見逃せない!!
きつい言葉にグサッ
「なんでこんな問題がわからないのか。若年性アルツハイマーじゃないのか」といわれ、息子は質問をしなくなった。校長に担任を替えてほしいとお願いしたが叶わず、息子には「人生は思うようにいかないことがある」と伝えました。
異常ですよ!
給食が食べられないときは「残していいですか?」と断りに行く決まり。毎回いいにいく長男。昼休みに職場に電話がかかり「また食べられなくて、もどしました。異常ですよ。」とどなられました。(息子23才、専門2年、高3)
ついていけないのでは?
勉強の苦手な息子…「4年生以降もっと授業内容が難しくなるので、ついていけないのでは?」と支援級をすすめられました。 (息子小4,小1)
自分たちで解決したい
教員と子ども、親も結局は人と人。親としては何か要望を伝えるのは子どもの健康と命にかかわることと決め、中学へ入ってからは人権に関することも考えていますが、子どもたち自身がなにかあっても「いやだけど自分たちで解決するから学校へはいわないで」ということが多いので、結局は黙っていることが多いです。 (娘中3,息子小5、小3)
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細かいチェック、やめません?
社会学者 宮台真司
「子どもの領分に介入しない」
たとえば、昨今の親たちは昔に比べて自己防衛的で、物事を細かく気にします。それで「子どもの領分」に過剰に介入することになりました。その結果、子ども自身で人間関係をつくり、人間関係のトラブルを解決し、人間関係のほころびを修復する力が、弱くなっています。親の劣化が子どもの劣化をもたらしています。
親が劣化した結果、子どもに関わるおとなにーー学校の先生などにーー親が求める事柄にも問題が出ています。たとえば、幼稚園などで「子どものケンカになぜ先生が介入しないのか」と訴える親が増えました。たしかに、ケンカが起こる直前に先生が介入すれば、親としては安心でしょう。でもそれは親の自己満足です。
昔から「子どもの領分」があるとされてきたのは、なぜでしょうか。子どもが自分で問題を解決することで知恵や自信を獲得することが大切だからです。これは古今東西変わらない真理です。
昨今の親は教員に依存しすぎです。教員がダメだと子どもがダメになると思い込む。教員にはそれぞれ個性があり、ポジティブ面、ネガティブ面、いろいろあります。それに細かく目くじらを立てるのは愚昧で、子どもに悪影響を与えます。
担任が教員として多少不適任な資質をもっていようと、親が子どもの前で声だかにいえば、子どもは先生を信頼できなくなります。教員に対して声だかにいえば、教員が自信をなくし、萎縮します。どちらの場合も子どもにとって状態がかえって悪化します。
「なんだって大丈夫」とドッシリかまえる
担任とあわないこともあるでしょうが、神経質になるより、どんな担任に当たろうが大丈夫と思えるような、子どものための「揺るぎない環境」を親たちが作ってあげればいい。それだけの話しです。親は、子どもが育つ環境としてどういう状態をもたらしたいのか。「最終目標」をはっきりさせるべきです。ネガティブをチェックするより、ポジティブな価値をしっかりみさだめるのです。
親はこまかいチェックをやめ、いちいちのクレームもやめる。むしろ「なんだって大丈夫」とどっしりとかまえるのです。「ちょっと変わった先生だけど、平気だよ」と。なにごとも人生の通過点。「あの先生もよく見ればいいとこあるよ」と、ほかの人に同調せずに自分で評価する力を身につける機会にするのもいい。
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学校だけが世界じゃない
山下耕平(NPO法人フォロ事務局長)
担任の先生との関係…難しいですね。その難しさも、年齢によって違うような気もします。わたしはフリースクールにかかわっているのですが、フリースクールに来ている人は、いったんは学校に見切りをつけてきているといえます。学校だけが世界じゃないと言うことは、頭の片隅において頂くのもよいかと思います。
閉じていると問題がエスカレート
小学校のとくに中学年ころまでの子どもにとって、担任の先生の存在は、親がわりというか、絶対的に信頼したい人なのかもしれないと思います。だから、その人の悪口は聞きたくないし、聞いても否認してしまう。ましてや自分の親が先生のことを悪く言うとなると、子どもは板挟みというか、困ってしまうのではないでしょうか。
だから、問題な先生だとしても、子どもにとっては、ことは単純じゃないなと思います。
仮に親に問題を置き換えてみると、どうでしょう。虐待などで周囲から見たら問題のある親でも、子どもにとってはかけがえのない存在です。親をとりかえることはできませんし、第3者の目線を入れながら、粘り強く関係を調整していくことが必要でしょう。
担任の存在というのは、親と同じではないですが、特に小さい子にとっては、大きな存在にはちがいないと思います。家庭が閉じてしまっていると問題がエスカレートしまうように、学校のクラスも閉じてしまっていると、問題がこじれてしまうように思います。
親は先走らない
とはいえ、問題はいまのしくみのなかで起きていることで、そこで親はどうすればよいのかってことですよね。まず、相談できる第三者が必要だと思います。そして、自分の悔しさや怒りと、子ども本人の気持ちをゴッチャにしないこと。なんにせよ、親が先走らないことは大事ではないでしょうか?
そして、不登校に関わってきた立場でいうと、子どもが学校を休みたがっていたら、休んでもらったらよいと思います。一時的にでも距離をとることは、大事なことです。この場合、休むことが第三者的な役割にもなるでしょう。そして、ほんとうは先生にも、そういう第三者が必要なんだと思います。いずれにしても、いまのしくみのなかでも、どうにかして第三者的な空気を入れることが大事だろうと思う次第です。
第6回「香料の害」
香料で困っている方がいます。
「香料自粛のお願い。
その香りに困っている方がいます
香水・整髪料・柔軟剤・洗剤・シャンプー・制汗剤などに含まれる香料は、アレルギー体質や化学物質過敏症の方など、人によってはアレルギー症状やぜん息・頭痛・めまいなどを誘発することがありますので、ご配慮いただきますようおねがいします」
これは、各務原市が市の施設に掲示したポスターに書かれていた文章です。
市のポスターのように、香料の一部には害があることが知られています。良く知られているのは香料による刺激で、その結果ぜん息が悪化したり、皮膚炎などが起こることが知られています。欧州共同体では香料で皮膚炎を起こすことを重視し、一部の香料の使用を制限しています。このため、「夜は何を着て寝るのか」との質問に「シャネルの5番よ」とマリリン・モンローが答えたエピソードで有名な香水、シャネルの5番の成分が変わりました。欧州共同体では今後100種類近くの香料の使用制限をする計画です。皮膚炎以外に、香料がDNAに影響を与え、がんを起こすという報告があります。発がん性の問題で一部合成ムスクが使用されなくなっています。ムスクの他にも発がん性が証明されている香料物質があります。
柔軟剤のにおい
柔軟剤中の香料に苦しむ方が多くいます。柔軟剤は洗濯物を柔らかくする目的で使いますが、最近は香りを強調した柔軟剤の宣伝が目につきます。洗濯物、特にタオルなどを柔軟に仕上げるのに、柔軟剤は必要でありません。干す前にのばすようにタオルを数回振ると柔らかく干し上がります。これは少し前の洗濯物を干す前の当たり前の仕草で、ぱたぱたと洗濯物を振っていた姿を思い出すでしょう。どうしても「化学物質」を使いたければ、大スプーン1杯のクエン酸か3杯の食酢をすすぎ水に溶かしましょう。
香料には多数の化学物質が!
香料に使う物質は数千種類あり、一般に数十種類以上を混合して香料が作られます。製品には香料を使ったことが記載されていても、具体的な化学物質名はなく、何が使われているか分かりません。この結果、私たちは香料の毒性を知らずに使っています。
体に入ったり触れたりする農薬や医薬品は厳しい安全性検査をし、合格すれば認められます。それでも後に発がん性が分かったり、副作用が起こっています。香料は鼻の奥まで入って効果があります。また、肌にも接します。この様な目的で使用する香料はほとんど検査されていません。不都合なことが起こったら、だれが責任を取るのでしょう?
香料はデトックスを妨害
この他に様々な悪影響が知られていますが、健康に生きようとしている私たちにショッキングな研究報告があります。細胞には細胞内に入ってきた発がん物質などの異物を細胞外に出す機能があり、細胞を健康に保っています。これはデトックス(毒をなくす)そのものです。しかし、一部の香料や農薬は異物を細胞外に出す働きを妨害します。そんな香料を肌に塗ったり、鼻の奥や肺まで送り込みたいでしょうか。
自分を守り、他の人に迷惑をかけないために、できるだけ香料の入っていない製品を使いましょう。柔軟剤にさえ無香料の製品が売り出されています。どうしても「良い香り」を使いたい人は自分の部屋で空気が漏れないようにしてつかいましょう。
わたなべかずお:福島県生まれ。新潟大学卒。浜松医科大学勤務(脳研究と教育に従事)医学博士、各務原ワークショップ主宰(毎月第4木曜日13:00〜渡部宅(各務原市蘇原東栄町)主に健康と環境に関することの勉強会)参加希望者はbandaikw@sala.dti.ne.jpまで
人はいつ変わるのか
3・11からもうすぐ5年。月日の流れは早いものです。今を生きている人は、さらなる意識の変化を求められていますが、人はなかなか変われない生き物だと感じています。1989年、バブルの頂点のころ、社会人になったのですが、そのとき出合ったのが、いわゆる環境問題でした。いまのままの暮らし方や生き方、働き方をしていては、次の時代はないと20代のころ、思ったものです。この約20数年間の自分のテーマは「人はいつ変わるのか」ということでした。病気か、リストラか、交通事故か。旅か、1冊の本か、師匠との出会いか。変わるチャンスはいっぱいありますが、それでもなかなか変われないのが人間です。3・11後、人の意識は大きく変わったといわれますが、そうだなあと思いつつも、3・11前に戻ってしまっているかもしれないとも感じています。後世に大きな大きな「負の遺産」を残してしまった私たち。あらためていま感じるのは、陰ひなたに小さな善行を積んでいき、山を動かすしかないように思うのです。
「自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性」
米国の科学者レイチェル・カーソンが地球の悲鳴を聞き、『沈黙の春』を書いて、世に警鐘を鳴らしたのはいまから50年以上前のこと。この本は「世界を変えた1冊」と言われています。享年56歳で逝ったカーソンは死が迫るなか、最期のメッセージとして、力を注いだのが、『センス・オブ・ワンダー』という本です。「生まれつき備わっている子どものセンス・オブ・ワンダー(自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性)をいつも新鮮に保ち続けるためには私たちが住んでいる世界の喜び、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し感動を分かち合ってくれる大人が少なくともひとりそばにいる必要があります」ということばに影響を受けている日本人もたくさんいます。日本一の環境イベントといわれる「アースデー東京」でこのセンス・オブ・ワンダーについて語る会があり、登壇させていただきました。東京でも「自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性」を大事にする動きがあるのですね。この感性をみんなで磨いていくことはまちづくりや安心安全な地域づくりの基本のような気がしています。
※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。
塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は中国語訳され、台湾、中国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。
A.「 CINEX映画招待券」 シネックス様 より…ペア3組様
13分の誤算が歴史を変えていたかも…過去は事実だけをのこしそれが歴史となる。
岐阜県で唯一の上映となります。※招待券は、シネックスマーゴではご利用できません。
B.「 小枝色鉛筆10色セット」 こども芸術村より…3名様
木の香りがただよって、思わず手に取ってみる。ざらっとした木の質感からなんとも言えないぬくもりが伝わってくる…小枝をくりぬき色鉛筆に仕立てた逸品。(長さ約9cm)
C.「よみがえれ長良川ステッカー2枚セット」
よみがえれ長良川実行委員会様より…10名様
長良川河口堰ゲートが閉鎖され20年。海とのつながりを断たれて長良川の環境は大きく変わり、もの言えぬ生き物たちが長良川の変化を必死で訴えているように思われます。川の恵みを未来につなぐためにも、かつてのような、海とつながる豊かな川に再生しなければ…長良川・伊勢湾の環境を改善するためにステッカーでこの想いをみなさんに伝えたい。
イラストは、後藤宮子さん(長良川中流域魚類研究家) カラー W133mm×H88mm
D.「本格焼酎 銭にあらず 引換券」ワインショップ サチ様より…3名様
全ては飲み手の「美味い」のために…これが「銭にあらず」の名に込められた想い。肥沃な大地で育った「黄金千貫」と「紅寿芋」を主原料に白麹と黒麹を用いて仕込んであります。スッキリ芋の穏やかな香り。720ml入り
E.「9条ボールペン」 にらめっこより…3名様
日本の宝、憲法9条を守ろう!と呼びかける「9条の会」がこんなボールペンを作っちゃった!本体横にあるつまみを引っ張ると、あら何と、アピール文が!さりげなーく持ち歩いて、話題にしちゃおう!