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vol.181 平和特集Part-1 平和とは暮らしそのもの

平和とは暮らしそのもの

映画「カンタ!ティモール」から平和を考える
監督:広田奈津子さんに聞く

カンタ!ティモール・監督:広瀬 奈津子さん(中央)助監督/音楽:小向 定さん(右)長男 のはら君(3歳・左)

その暮らしを脅かすもの・・・
開発という名の自然破壊
私が生まれた年に近くの田んぼにコウノトリがいたのですが、目撃されたのはそれが最後だったそうです。10歳の頃、タヌキなどの小動物がいっぱい住んでいた雑木林がブルドーザーで更地にされてしまった。タヌキの巣穴がありそうな藪を見て子どもごころにも「子育てしてるんだなー」って思ってた矢先のことでした。命がなかったことのように扱われ、何を軸にして生きていけばいいんだろうと思ったんです。すごくショックで、そのことが私の中で解決しないまま、高校を卒業。その頃にインディアンの教えの本に出会うんですね。それが第二の衝撃でした。本の名前は『父は空、母は大地』(パロル舎/現在絶版)。美しい絵に惹かれてちょっと開いたら、そのまま涙が止まらなくなって。本にはこうありました。「ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。どうしたら 空が買えるというのだろう?そして 大地を。」「大地は わたしたちに属しているのではない。わたしたちが 大地に属しているのだ。」(一部抜粋)これは、アメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスがインディアンたちの土地を買収し居留地をあたえると申し出たときに、インディアンのシアトル酋長が、大統領にに宛てた手紙が元になっています。大地を母として大切にする人たちがいることを知り、嬉しくて居ても立ってもいられなくなりました。
それからカナダに行く機会ができ、いろんな先住民部族が集まるお祭りに立ち会いました。そこでおじいさんが「我々だけじゃないよ、大地を母と呼ぶ人たちは、世界中にいるんだ」ということを教えてくれた。そして「日本ももともとは家族だったんだよ、その視点で旅をしなさい」と言うアドバイスをいただき、大学4年間に縁の出来た場所を訪ねて行ったんです。

戦争の裏側にあるもの
各地を1人で旅する中で、東ティモールが国家を作ると聞いて興味を持ちました。調べてみると、東ティモールという小さな国が大きなインドネシア軍に軍事支配されたこと、日本がインドネシア軍に加担し続けていたことがわかりました。全然知らなかった。衝撃でした。
インドネシア軍は東ティモールへ武力で攻め入るのですが、国連はそれを認めず、いくつもの国が軍の行為を非難してインドネシアへの資金援助を断ちました。そんな中、日本はその埋め合わせをするかのように援助額を増やし、軍撤退を求める国連決議には反対票を投じ続けたのです。その間、東ティモールでは恐怖政治が24年続き、国民の三人に一人が命を落とした。その背景にはティモール沖の大きな油田開発があり、資源に頼る私たちの暮らしがあったのだと思います。

国家って何だろう
東ティモールの人々は壮絶な独立運動をして軍を追い払い、国家を作りました。でも、ティモールを旅するうち、それは必ずしも国家を作るための闘いではなかったのだとわかりました。彼らは正式なあいさつをするとき、自分の名を名乗った後、父方の姓、母方の姓を名乗り、さらに、自分の山の名前を名乗るんですね。その山から水をいただき、その山は魂が帰るところ。とても大事なんです。わたしは自分の山の名前がわからなくて叱られました。
日本に帰って調べたら、家の井戸水は近くの東谷山からで、水道水は愛知用水、木曽山系の山から来ていることがわかり、それぞれの山の上の神社にお参りに行きました。日本国家の一員であるずっと前に、この山の麓に住む者として支えられていたんですね。大地があり、森があり水があり、それがなければ1日も暮らせない。インドネシア軍は、軍に寝返るか、さもなくば殺すと人々に迫った。でも人々はどうしても土地を離れない。軍が撤退するまで24年間、頑なに軍のやり方を拒んだのです。そこに先祖が眠りその山を代々守ってきてその山に守られてきて。そういう文化が保たれてなかったら、土地はお金で売れるものになり、人間の根っこは大地につかなくなってしまう。
山を守り、そこで文化が育まれて、人の輪が健全であればそれこそが安全だと思います。そんなコミュニティが世界中に広がっていけばいいなと思います。

ティモールの人々の暮らし

ティモール人の9割が農民です。厳しい自然の中で暮らしのほとんどすべてを自分たちの手で営んでいます。
お百姓さんを見ていると、暮らしは芸術ですよね。たとえば牛追い歌。いい歌い手だと牛がよく働くので、村では重宝される。歌が下手だと牛は勝手に畔に上ちゃって休憩しちゃう・・・(笑)子どもも12歳くらいで歌の修行をしていました。そして収穫になると村人が籾を足で踏んで脱穀をします。そのステップがかっこいいんです。昼間ぐて〜っとしてたおじさんも、お祭りになるとかっこいい。
それは労働とは全然違う次元のことで、経済に換算できない人間のあり方そのものだと思う。それと、男の子を育てて思うのは、戦いたい欲求があるんだなぁ、って。山の暮らしの中では、祭りの準備で牛や豚を殺して捌いたり、狩りに出かけたりします。どちらが死ぬか分からないっていうくらい強い相手とやりやって、その命をいただく。それが村を支える。男の子は特に、そうした、命と深く関わるという行為を欲しているのではないかと。「戦いはだめ」と単純に思っていた私は、それでは片づけられない人間らしさや、生き死にに立ち会う意味、戦いの作法を知る必要があるのだということを理解しました。

星ふる島 ティモール
初めてティモールへ行った時、ある歌を聴きました。それはこう始まっていました。「ねぇ、仲間たち ねぇ大人たち 僕らのあやまちを 大地は知っているよ」。私は「僕らのあやまち」って何のことだろうと思いました。巨大な軍に攻撃される小さなティモールの人が「ぼくらの」と言うのです。その意味を知りたくて、歌っていた青年を探しに出かけました。彼にその意味を尋ねると、「歌は哲学だから、そんなこと聞かないで」って。「そんなことよりも島を見せてあげるよ」と言って、いろいろ連れて行ってもらった。島の暮らしを垣間見る中で、「ぼくらの」と歌われた意味が少しわかりました。ティモールの人々は、体の外側は体の内側だと言います。自分と相手が分けられない、命がひとつらなりにある世界観です。その精神的な土台の上で、独立運動があったのでした。
その歌は爆撃のさなかにひっそりと歌われたものでした。歌には日本語の詩がついて「星降る島」として歌われ、今ではハワイアンフラもつきました。

みえないものの力
インドネシア軍は侵攻当時、ティモール陥落は「一日で足りる」と言っていました。人権団体でさえ、東ティモールの独立は叶えば奇跡と囁いていたそうです。それが最後には軍が諦めて撤退した。それは大きな力ではなく、小さな一人ひとりの想いが働いたのだと思います。ティモールを旅して、私は人一人に秘められた力が何より強いのだと信じられるようになりました。
映画制作は全くの素人仕事で始まりました。険しい山道を行く時や取材の中で、不思議な力に助けられることが多々ありました。そのおかげで出来あがった映画だと思います。きっと「どうか次の世代が平和であるように」って、強く願って亡くなった人の想いが、私たちの仕事を助けてくれたのだと思います。その想い、意識というか、それがすごく大事なのではないかと思うようになりました。
ある村で長老が「死ぬことよりも魂が迷子になることの方が、よほど厄介なんだ」といいました。それは自分の身体が死んで終わり、ではないということ。魂が迷子になるというのは例えば、インドネシア軍から武器やお金を受け取って、本来の生き方ではない選択をすること。ティモールでは、極限状態でもNOと言い続けた人たちが圧倒的に多かった。すごいことだと思います。
振り返って、現代社会はみんなで迷子になっている気がします。経済発展を追い求めて、ゆたかになったつもりが、みんなで迷ってしまってる。どうしていいかわからなくなって、たくさんの子どもたちが自殺して・・・社会が病んでいると感じます。「魂が迷子になっちゃいけない」という言葉を、日本にいてよく思い出します。

 

星降る島 ほしふるしま
オーマルシーラ オーウルシーラ星降る島に 夜が明ける
朝つつむ 色あふれ
太陽も ほほえんで
ひとみ深く ひかりをゆく
時の空 貫いて
土の記憶 歌は続く
眠るたましいが 見守る島
小さな素足よ 大地に響け
太陽に 海に めぐみは満ちて
祈りの歌に 月が出会う
果てしない 弧を描く
オーマルシーラ オーウルシーラ
星降る島に 夜が明ける
原曲(アレックス作詞作曲)では「ねえ、仲間たち。ねえ、お偉い方々。僕らが間違ったことをすれば、大地はちゃんと知っているよ…」とはじまる。ゲリラ戦中に作られた歌。
作曲:Helder Alexio Lopez(通称アレックス/2017年11月9日急逝)
編曲:小向サダム(SADAM) 作詞:広田奈津子

 

豊かな自然があるちいさな島国・東ティモール。ポルトガルによる植民地支配、そしてインドネシア軍の占領後、1999年に独立をめざす国民による住民投票が行われたものの、インドネシア治安当局による暴力行為を受ける。そうした困難の末、2002年5月に独立を果たした。

 

笑顔があふれている街
ティモールでは見知らぬ人とすれ違っても目を合わせて笑顔を向けます。山村でも、村長にユーモアがあると村の雰囲気がいいですね。
インドネシア軍が1999年に破壊の限りを尽くし、民家の9割が焼けました。わたしが現地に入ったのが2002年。焼け出された難民も家に帰れてない状況でした。インドネシア軍に加担した日本から行くということを、現地の人たちはどう思うのだろう、って、飛行機から島が見えた瞬間に膝が震えちゃったんです。でも、会う人の笑顔に救われ、逆に悲惨な状況の話しを聞いてわたしが落ち込んでいると、肩をぱーんっとたたかれて、「そんな顔しちゃダメよ」、「笑ってなきゃダメよ」、って言われました。
ポリネシアの方で聞いた創世神話で、神さまが天を創って大地を創って、生き物を創っていって、最後におおきな木の根本に人間を座らせました。で、人間をつくる仕上げに神さまは、お腹をくすぐったんですって。すると人間があははって笑って、人間が完成しましたっていう神話。笑ってこそ人間。それをティモールで思い出した。こんなにいっぱいトラウマを抱えた人たちが、笑顔を忘れていない。笑えなくなったら人間じゃなくなっちゃう。傷を癒していく智恵なのかもしれません。逆に怒りや憎しみというものが、自分の身体を痛めてしまうということを、治療の現場でも言われるんですね。
治療師が患者にずっと寄り添って、めい想とか内観をしていきながら、その人の気づいてない過去の出来事や、精神的な後遺症で、記憶が消えてたりする部分を引き上げていき、怒りを流し出すことをしてはじめて、身体が回復をしていく。そういうのを間近で聞かせていただくと、人間って自分一人で復讐したり、それで気が晴れるっていう単純なものではなく、全いのちが関わり合っていて、良いことも悪いこともみんなの上に起きている、そういうことなんだと納得しました。

むら社会が平和の基本
特にアジアを見ると、議会制民主主義がヨーロッパから導入されても、うまく根付かない。日本でもものすごく長い時代、住民全員で参加する寄り合いみたいなものが、政治の場だったと思う。地域の大事なことを全員で話し合う。3日で解決しなければ、7日でも10日でも。毎日話し合いを続けると、全員が納得する時が来る。そんな時間のかかるやり方というのが大事だと思うんです。本当に人間らしいやり方。そのやり方が今は、議会制民主主義で政治は代表者に任せなさい、普通の人は労働しなさい、となって。「貧しさ」というものが作られたらますます人は労働から離れられなくなる。
ティモールの山村にいると、申し合わせたわけでもなく、みんなで進む方向を共有しているような感じがします。人間だけじゃなくて、生きとし生けるものが、「いのちがゆたかに生きる方向」という明確な矢印がある。自分が死んだとしても、いのち全体が生きる方向に向かう、そのために働こうとする意識のような。その矢印の方向を、私たちが間違えず、ぶれないようにしなければと思うんです。

平和憲法が果たす役割
取材の中で、人々は家族や子どもたちを失う深い悲しみを伝えてくれました。日本でも、その悲しみを経験した人たちが、力を合わせてあの日本国憲法を作ったんだと思うのです。文を読むと、そういう悲しみを経た人たちの、強い願い、次世代への祈りを感じます。
日本軍がティモール島でしたことの爪痕は、本当に残酷な形で残っています。ティモール人の手で掘らせた洞窟を牢屋にして、見せしめのために殺された場所や、子どもたちも動員されて死ぬような労働に従事させられたとか・・・。そういうことを思うと、不戦の誓い<9条>の存在というものが日本
軍が傷つけた土地の人にとって、せめてもの弔いであり、追悼であり、謝罪である、と思うんです。加害者としてのつらさと、家族を失い故郷を焼失したつらさ、その両方から、日本国憲法は絞り出されたように思うんです。政府がたとえどう変えようとも、私たち一人ひとりは変わっちゃいけないし、わたしは、「わたしの憲法」として、あの時代を生きた人たちとの約束として9条を持っていたい。こんなに大事なことを、多数決で変えていいはずがない。本来なら、未来を担う子どもにこそ聞くべきだと思います。

付録 チャーミングなおじさんたち
おじさんたちが、こんなにチャーミングなのかって思うことにたびたび遭遇しました。ティモールは失業率が高いというのもあって、ぶらぶらしているおじさんがとても多いんですね。ある時子どもたちが道端で焚き火を始めて、その焚き火を自転車で飛ぶみたいな遊びを始めたんです。危なっかしいなと思って見てたら、向こうからおじさんが来たので、あ、叱るのかな?と思ったんです。そしたらなんか棒ッキレに布みたいなのをつけて旗にして、「よし、行けー」って一緒に遊びはじめたんです。そんなふうに男の人が、チャーミングなままでいられることが許される社会って、いいなぁと。
誰の子どもでも遠慮なく叱り飛ばしているし、抱っこしているし、そういうのって、何かいいなぁって。平和だなぁって。経済的には深刻な問題かもしれないですけれど、なんかこのチャーミングさって、日本がここ数十年で失ってないかなぁって、思ってしまいました。

 

わたしがおもう平和 小向サダム

平和は与えられるものではなく自らなっていくもの。 固定概念の解放のプロセスのなかで、より近づいていくのではないでしょうか。肉体、思考からも解放をさせてくれるような芸術は、より豊かで平和な社会への水先案内人として僕らをいざなってくれる。 何気なく訪れる平和の喜びの瞬間を人と感じ合えた時、本当に清々しい気持ちになります。

 

 


vol.181 平和特集Part-2 「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

日本国憲法公布71周年記念  2017年ぎふ平和のつどい 11月3日岐阜市民会館にて

「あらしのよるに」とわたしがおもう平和

記念講演 きむらゆういち氏(絵本作家)

オオカミのガブ ヤギのメイ

「あらしのよるに」。登場するのはヤギとオオカミですが、彼らにはお互いの情報がありません。相手がいくつで、男か女か、自分よりもえらそうか、それとも気安いのか、怖い感じなのか、全く分からないんです。わかっているのは声のみ。そうしたときに2人は心が通じるあえるんだろうか。
本というものはすべて主人公がいます。そして読んでいる人は、主人公に気持ちを乗り移らせてドキドキハラハラして、読みます。ですから、子どもに限らず読み物は10冊の本を読めば、10通りの主人公の気持ちになる。ということは自分以外の人の気持ちになっている。それだけでも絵本というのは価値がある、そう思っています。
今、主人公の気持ちになると言いましたが、みなさんは「あらしのよるに」を群読で聞いて、ヤギの気持ちで聞いていましたか?オオカミの気持ちで聞いてましたか?それとも2匹を見守っている気持ちで聞いていましたか?ありがとございます、この会場では3番目が一番多いんですね。1巻目では、真実を知っているのは読んでいる人だけ。ですから、ついつい見守っている人の気持ちになります。
「あらしのよるに」はいろんな方に紹介の文章を書いてもらいました。宮本亜門さんは「僕にとってのガブ(オオカミ)とメイ(ヤギ)は、国であり、人種であり、敵と味方であり、貧富であり、宗教であり、男と女であり、地球上のありとあらゆるものの姿である」と書いてくれました。そんなわけで、ガブとメイはありとあらゆるものの姿。それは読む人によっていろんなふうに見えていいんだな、と。

絵本を朗読する、きむらゆういちさん

「あらしのよるに」は7巻もありますから、最低限のメッセージは入っています。でも、僕はメッセージ本というのはあまり好きではないんですね。一人ひとり自由に受け取ってほしいから。本には「生きた世界」があるので、読み返す度に違ってもいいという気持ちで描いています。
「あらしのよるに」も、憲法を内側に隠している?そう受け取る人もいるだろうし、もしかしたら男と女の話し?と受けとる方もいるかもしれない。作者としては絵本という形で表現しているので、あえて平和についての話しをしなくても、と思うのですが、今日はこういう機会ですので、僕が思う平和のはなしをしたいと思います。

僕は戦後に生まれたのでアメリカを一度も敵と思っていなかったんです。テレビが入ってきて、毎日アメリカのホームドラマとか、子どものものから大人のものまでたくさんのドラマをやってました。そうするとアメリカ人に対して友好的な気持ちになっていくんですね。そう思うと今、日本の「ドラえもん」が海外でたくさん読まれているという事は、とてもいいことだと思います。例えば「この国は敵だ」と国家立場的に思っても、そこの人たちの暮らしぶりやその人たちのいろんな生活をドラマとして見ていたら、個人的にはとてもそんな気持ちにならないと思います。戦争って子どものケンカに似てますね。そっちがミサイルを持つならこちらも持つぞ、ってどんどん緊張を高めていく。お互いがそれをやっていったら最後はどうなるでしょう。
「あらしのよるに」でヤギとオオカミがお友だちになったと同じように、相手の事を知ると戦わなくてすむかもしれない。
日本はマンガとアニメの最大の輸出国です。もちろん絵本も海を渡っています。その結果、いろんな日本の暮らし、文化を広めていけるというのは素晴らしい事です。こういう文化交流をすることも含め、憲法9条を最大の日本の誇りとしてもっとアピールしないとね。

あらしのよるに逃げ込んだちいさな小屋の暗闇の中、2匹の動物が出会う。風邪をひいて鼻のきかない2匹は、お互いがオオカミとヤギ、つまり「食うもの」と「食われるもの」であることに気付かない。すっかり意気投合したヤギとオオカミは、翌日のお昼に会う約束をする。合言葉は、「あらしのよるに」。

ふしぎな友情物語が、いまはじまる。

群読「あらしのよるに」オオカミは和太鼓、ヤギは篠笛の音色に乗せて

 

憲法を人生の中に  吉田千秋(岐阜・九条の会)

今日11月3日は「文化の日」という祝日ですが、71年前に日本国憲法が公布された日です。その翌年の同日、当時の憲法担当大臣金森徳次郎は、「戦争を放棄した世界最初の憲法、そのこと自体が高い文化性を物語っている」と述べました。さらに、「戦争は文化を滅ぼすものであって、(中略)文化をして戦争を滅ぼさしめるべきが至当である」と、戦争と文化と憲法のつながりを明快に語っています。文化は人間を人間らしくさせてきた結晶ですから、この憲法をしっかり活かすことが私たちの暮らしと人生を生き生きと輝かせる基本・原点であり、ひいては戦争の廃絶にもつながるということです。 ところがこの憲法、とくに第9条を何としても変えようと躍起になっているいまの政権は危ないですね。こうした動きが出てくるのには、私たちの憲法の理解、とくに9条の理解をもっと深め、広げる点が足りなかったとも言えるでしょう。きむらさんも言われましたが、この憲法をもっともっと世界にも広めなければもったいないですね。
ところで平和ってなんでしょうか?戦争がない、ということだけでいいでしょうか。ドンパチやっている戦争状態がなくても、貧困や飢餓、差別、不衛生・病気、無教育などの常態化は、平和とは言えないでしょう。やはり明日の生活に不安がなく、みんなが今日を穏やかに過ごせることではないでしょうか。そういう点で「平和とはひとの痛みが分かること」が、大切だと思っています。これは四国の霊場の一つ「石手寺」に掲げてあった文ですが、今の様々な社会状況、人間のあり方をに照らしてみて、ピタッと当てはまります。
相手のことをよく知ること、相手の痛みが分かること、これをできないと自分勝手なことばかりしてしまい、ケンカになりるでしょう。〜ファーストの立場、ヘイトスピーチなどは、ケンカを売り、戦争へのきっかけになるものです。相手の立場・状況・意見をしっかり聞いて対話できること、この態度を基本にして、9条を壊そうとしている勢力に対してしっかり声をあげたいものです。戦争というのは庶民が望んだものでもなく、民衆が起こしたものでもありません。権力を握っている人たちが、権力を利用して「国のため」「国民のため」と称して起こしたものです。
いまこそしっかり憲法を守り、活かしたいものです・・・
「憲法を人生の中に」を合い言葉にして。

文章わたしがおもう平和
にらめっこ30周年記念パーティーにかけつけて下さった方々に「わたしがおもう平和」を書いていただきました。

*日常を元気に健やかに過ごせることです。家族で揃って食事できると平和だなと思います。30代女性
*経済的にも軍事的にも福利厚生的にも安平で和やかに過ごせるもの。50代
*あたり前に旅に行けること。人々と触れ合えること。50代女性
*あたり前の日常。大切な人が笑顔で暮らせる毎日が、そして自然も大切に、生き物皆が幸せであること。50代
*小さな所、まず自分、そして夫、子供が毎日笑っていられること。そして周りの環境がそうさせてくれていることが平和だと思います。40代女性
*ノーベル賞作家アレクシェヴィチの『戦争は女の顔をしていない』に出会って、これまで描かれてきた戦争/平和像が大逆転しました。70代男性
*あしたが今日よりいい日になると思えること。50代男性
*言語、身体的、環境、価値観など色んな違いがあるけれど、喜怒哀楽は太古の昔からずっと一緒。相手に壁を作らない事、信じる心。40代
*原発のない、戦争もない世の中。安全な食べ物が主流になってくれるとうれしい。40代
*戦争のない社会。貧困のない社会。50代
*個々の個性が尊重される世の中が平和だと思う。
*最後には笑えること。素直な思いを言いあえる、話しあえること。ハグすること。30代ありがとうございました♡
*戦争がない状態であることはもちろん、軍隊のない世界。軍事的にだけではなく、民生的にも豊かで安定した社会。これこそが積極的平和主義。70代男性
*ブータンのように幸福という言葉の意味がわからないように、平和ってどういう意味(いい意味で)言葉がなくなっている世界。50代男性
*普通の生活が普通に過ごすことが出来、何も意識せずに呼吸ができること。普通に町の景色が普通に変わって行く姿を何も意識せずに見れる事。40代
*おいしい物が食べれる事。60代女性
*手をとりあって、みんな笑顔♡60代女性

 

 


vol.181 カタコトの部屋 もっと政治・選挙を語ろう

もっと政治・選挙を語ろう

おしゃべり会・まずは「政治」「選挙」について何でも話すことから始めよう!
Hさん:本当、恥ずかしいんですけど、政治についてはよく知らなくて、政党の名前を聞いたことがあるな、くらい。投票もポスターの顔写真を見て、この人雰囲気良さそう…で決めていました。立候補者のマニフェストをまとめた一覧アプリみたいなのがあると、家事・育児の隙間時間に見れるんだけど…。
Aさん:個人で立候補者情報をまとめてネットであげてくれる人もいるけど、主観も入るだろうからどこまで信じて判断しようか、迷うわ。
Iさん:ゆっくり調べる時間も作り出せなくて、集団的自衛権、憲法改正、安保理という言葉もよく分からないまま、社会は進んでいく…家で一人ではなかなか勉強できないので、こうやって集まる場があるのは助かります。
Tさん:SNSで選挙や政治関係の発信をすると「いいね!」の数が激減するの。こうやって話せることは嬉しいな!
Sさん:私は、誰推しということではなく、選挙の仕組みをSNSで発信してみたら、選挙区に関係なく反応があったよ。
Hさん:むかし、「選挙に行っておかないと、政治に文句は言えない」と言われたことがあって、文句言いたいから行っておこう、と行くだけ行っていた。でも、正直、自分の一票では何も変わらないという気持ちもあるんです。
Aさん:私は仕事を辞めてネットや新聞を見る時間が少しできたら、「あれ、おかしいぞ」という、テレビでは発信していない情報がどんどん入ってくるようになって、政治にも興味を持つようになりました。
Tさん:私も3.11以後、様々な情報が入ってきて、政治がおかしいかも?と思い更に興味を持ち始めました。それまでは政治と生活のつながりをあまり感じられなかった。でも、自分たちのニーズを伝えないと、ニーズがないと同じ事と捉えられてしまうと聞いたこともあるよ。地域や行政の集まりに積極的に参加して、声をあげていかないと、だね。
Sさん:そうね、少しずつでも声をあげて変えていきたいね。

 2017年10月の衆議院選挙では、SNSに「#(ハッシュタグ)子どもと一緒に投票へ行こう」をつけてママたちが投稿するというムーブメントが起きました。前年に公職選挙法が改正され、「選挙人の同伴する子供(幼児、児童、生徒その他の年齢満十八年未満の者)は投票所に入ることができる。」となったことを受けての呼びかけです。ただ、騒いだりした場合は「この限りではない」とも書かれています。(これまでは投票所で柔軟に判断・適用してくれない限り、子どもと一緒に投票へは行けませんでした。)
親の投票についていったことのある子どもは選挙権を持ってからの投票率が、親について行ったことのない人に比べて、20%高いとのデータもあります。(下記参照)私たちがこうやって話していることもこどもたちは聞いているし、行動も無意識にでも見ています。
何も伝えないまま、わが子が投票権のある18歳になっちゃった!しかも無関心!!なぁんてことにならないように、今から少しずつでも政治や選挙について気軽に語れる家庭にしたいですね。
28年7月の衆議院選挙で投票に行った若者は52.5%。その中で…
Q1あなたは子どもの頃、親が行く投票についていったことがありますか?
「はい」63.0%「いいえ」41.8%
Q2あなたは家族と政治の話をしますか?
「よくする」76.4%「ほとんどない」40.6%
総務省「18歳選挙権に関する意識調査」より
(全国の18~20歳の3,000人を対象に調査・H.28年12月報告)

座間宮ガレイさんの「おっかなびっくり層 勉強会」に参加してみました。
【海外の選挙教育】
政治の教科書では「自分の一票が社会を変えるんだ」という意識から学びます。高校生になったらお酒を飲みながら政治の話をするのが当たり前の国もあるくらい。日本の選挙教育は遅れています。だから知らなくて当然なんです。今からでも学びましょう!
【1人が2票も持っている国政選挙】
国政選挙では、選挙区で1人(名前を書いて投票)、比例代表で1人(政党名を書いて投票)と、合わせて2票投票できます。2人国会に送れる力を持っているんです。読み違えると死に票(生かされなかった票)になることもあるので、自分の票を活かす投票を勉強しよう。
【党でなく、人で選ぼう】
○○○党に所属していても、党の方針とは違う意見を持つ候補者もいます。それを見極めるには直接会って、話して、信じられる人かどうか自分で決めることが1番。

ガレイさんと勉強会!2018年1月8日(月・祝)
★午前の部 10:00-12:30
場 所:カフェピルエット(一宮市猿海道)
定 員:10家族 参加費: 18才以上1,000円+ワンドリンク
テーマ: 子どもの疑問に答えたい!
〜政治・選挙の基本を知ろう、話そう〜
申込・お問合せ 子育てコミュニティtoco toco
★午後の部 14:00-16:00
場 所:岐阜市女性センター(ハートフルスクエアG内)
定 員:40名 参加費:1,500円
テーマ:座間宮ガレイさんの「岐阜市長選勉強会」
申込・お問合せ 090-6599-2876(清水)
s.heart9167302169@gmail.com
座間宮ガレイ・ざまみや がれい
石川県出身。2015年から全国各地で通算200回超の「お勉強会」を開催。全国を回ることで、全国の選挙情勢などを研究し続けている。
愛知県岡崎市では、こどもが泣いても走り回ってもへっちゃら!100人のママ&子どもお勉強会を成功させた。

子育てコミュニティ toco toco
子育て世代のやってみたい、知りたい、学びたいことを、自ら企画・運営。誰かが講師、受講者という立場のない、一人一人が活躍する「学び合い会」を中心に、顔と顔を合わせて集う良さを生かした活動を展開中。

問い合わせ:facebook「子育てコミュニティtoco toco」


vol.181 かなでの沖縄だより vol.5


今回は、前回に続いて9月の平和学習で回ってきたこと、考えたことを紹介します。

伊江島

早朝、那覇を出て、伊江島へ行きました。車でいろんなところを走ったのですが、さとうきび畑ばかりといった印象で、那覇とは大違いでした。伊江島で一番印象的なのは反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」、米軍との土地返還闘争中に集められたいろんなものが、所狭しと展示されいました。私はそこに飾ってあった阿波根さんが言った言葉「平和の最大の敵は無関心である 戦争の最大の友は無関心である」に、本当にその通りだと思いました。
展示を見終えてから、管理人のおばあちゃん(編者註:と彼女は思ったようですが、館長の謝花悦子さんでした)の話を伺ったのですが、「知らないことは罪だ」と言う言葉は、心にぐさっと来ました。知らないことで無関心になってしまうのではないかと思いました。知らないことがどれだけ恐ろしいことか…と考えると怖くなりました。おばあちゃんの熱い言葉に友だちと引き込まれ、気づいたら帰りのフェリーぎりぎりの時間で、お昼ご飯はフェリーの中になってしまいました。
伊江島はとても素晴らしいところでした。でもその裏には、沖縄戦で、すごいことがあったということを知りました。でも、そんなことを知らない人がたくさんいるはずだと思うと、何だか複雑な気持ちになりました。

辺野古と高江

午後には、辺野古と高江ゲート前に行きました。
辺野古の浜は、自然がすごく素敵なところだなぁと思いました。「だからこそここを守りたい。基地を作りたくない」と訴え続ける人の気持ちがわかりました。でも、こんな大自然の中に新しい基地を作るって、そこに行って初めて知りました。
そこで説明してくださった方が、各務原市出身の方でした。私と同じ。各務原市も自衛隊の基地があります。なんかつながりを感じました。基地との境のフェンス近くまでいったのですが、そこの向こうに米軍が見えました。私は怖くて近づけませんでした。
高江でびっくりしたのが、ゲート前にいるガードマン。時間になるとすぐ入れ替わり、ボタン1つで動いてるようでした。ガードマンまで軍隊のようで、少し怖かったです。そして「標的の村」でみた映画のままの光景。自分のなかでうまく整理ができませんでした。目の前におおきなヘリコプター、これをみるのが当たり前の生活になる恐ろしさ、。自分が住んでる那覇市ではありえない。基地の街各務原で18年間育った私ですが、全く経験したことのない、恐ろしい光景でした。
2か所とも、新聞やテレビではなかなか知ることの出来ないことを沢山教えていただいて良い経験になりました。
そして3日目、午前中に「前田高地」と「不屈館」へ行って仲間を送りました。

「ヌチドゥタカラの家」で館長のお話を聞く


vol.181 熱中世代発 リバース11号


「夕焼け小焼けのアカトンボ追われてみたのはいつの日か・・」童謡に出てくるトンボはこのトンボです。40年ほど前の事です。岐阜市の今のメディアコスモスのあたりのビルの屋上から空を見上げていました。すると、数えきれないほどの沢山のアキアカネが東北の方角から次から次へと飛んできたのです。次の日もその次の日も、トンボの大群は南西の方角を目指し飛んで行ったのです。平地で孵化した若い成虫は、夏に涼しい山地で過ごし秋になると平地に戻ります。夏休みの頃、伊吹山や奥美濃の高い山に登ると体に当たるほどのトンボの大群に出会います。彼らは、産卵のため山から下りて西南濃の水田地帯を目指したのでしょう。しかし、今ではもうその大群を見る事は出来ません。イネミズゾウムシやカメムシの防除薬を水田に使うようになってからでしょうか、それとも水田が用排水分離され、秋口から乾田化された所為でしょうか、近年アカネ類は激減してしまいました。近年の水生生物の減少に人間が関与している事は確かです。今年も、やっと少数のアキアカネを畑で見る事が出来ましたが、防草シートに覆われた農地、止まっている竿がプラスチック製品ではなんとも風情がありません。どのようにしたら、アキアカネの絶滅を防ぎ、あの大群を蘇らせることが出来るのでしょうか。先ずは自然を知る事から始めましょう。

アキアカネ(Sympetrum frequens)トンボ科アカネ属 に属します。北海道から九州まで見る事が出来ます。外国ではロシア、中国などに分布します。秋になると大挙して表れるので、アキアカネの名前が付いたと言われます。オスは、成熟しても腹部だけ赤くなり、頭部・胸部は赤くなりません。よく似たナツアカネは顔から尻尾まで真っ赤になるので見分ける事が出来ます。

 

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

 


vol.181 ボーダーレス社会をめざして vol.40


NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

安全基地

「お母さんは、私とKくん(孫)を何があっても守ってくれるよね。」と3年ほど前に娘が言ったことがあります。この時、あ~娘は私のことをすごく信頼していて、今まで家族が安全基地になってきていたのだなと確信しました。ちょっと嬉しかったです。家族が「安全基地」として機能しなくては、安心して子どもは育たない。子どもが子どもらしく育つのに必要なことは、安心・安全な環境の中で、いろいろな生活体験をし、自分の価値をつかむこととどこかで勉強しました。家族が「安全基地」ということは、子どもにとっても親にとっても安心してくつろげる場所であるということでしょう。障がいのある子どもがいると障がいへの対応で、どうしてもきょうだいより障がいのある子の気持ちを優先してしまいます。よく娘が「お兄ちゃんの方がかわいいんでしょ。」「私の言う事なんかちっとも聞いてもらえない。」「私が行きたいところへ一度も旅行に行ったことがない」などなど。障がいのある息子の方が、理解力が乏しく、彼の言う事を聞いていれば、波風が立たず穏やかな生活が送れたからです。今から思えば、ここには安全基地の危機がありました。また、我が家では、言ってはいけないことがあったり、手のかかる息子に時間が取られ娘へのスキンシップが少なくなっていたように思います。親としては精いっぱい向き合っているつもりでも、上のような言葉を言われていたのですから、娘にとっては愛情が不足していたのでしょう。また小学生の頃、スイミングスクールへ通っていた時は、お兄ちゃんの世話や他の子から守ったりなど、年齢不相応の責任や負担をかけていたかもしれません。スイミングスクール以外でも同様です。私の娘への躾けは、かなり厳しいとある人から指摘されたことがあります。かわいそうだって。それは、障がいのあるお兄ちゃんを持つきょうだいとして、この先、ズーっと生きていかなくてはいけないので、強くなってほしいという思いがあったからです。でも、そんなに厳しくはなかったと自分では思っているのですが、人の目にはそのように映ったのですね。娘にはいつも「愛情は、ハーフ&ハーフだ」と答えていましたが、本当のそうだったのかは疑わしいものです。今は、娘は小学校の先生をしているのですが、何年か前に、「隣のクラスに発達障害の子がいるんだけど、来年は私が受け持ちたいと校長先生に言ったわ。」と。次の年、本当にその子の担任になりました。障がいのある子の強い味方になってくれました。子どもから35,6年後に、自分がやってきたことの結果?を教えてもらうことがあるのです。親として子どもに信頼される行動をとり続け、今では心の安全基地でいられればいいなと思っています。


vol.181 にらめっこ30周年記念


にらめっこ30周年記念パーティー
みなさん本当にありがとう!!!!

12月2日(土)コパン各務原にて

1987年、創刊号を発行したのがすべての始まりでした。当初はB4両面刷り。新聞に折り込むと、「嫁いだ街で孤独な子育てをしてた。こんなミニコミ紙があると心強い」という反応にスタッフ一同小躍りしたことが昨日のことのよう。その後、ポスティングに切り替えると、又違った反応が。誤字脱字からなかなか卒業できず、おしかりを受けることもしばしば・・・そんなことに一喜一憂しながら、偶数月の第4月曜日に発行してきました。今では、伝えたいことがいっぱいになり、A4版で24ページに。今後もみなさまのお力をお借りしながら、もう一踏ん張りしようかな!と思った会となりました。

多くの方にお世話になりながら、節目のイベントを中心に「にらめっこの30年の変遷」をたどってみました。
写真下段中央:創刊号立ち上げメンバー下村さん(右)花田さん(中央)。「にらめっこ」の名前の由来について。忙しくても一日一回は、目と目をあわせてちゃんと話そう。子どもはもちろん、家族ともね。
写真下段右:若いままさんたちからの豪華な花束を、ちびっ子たちから受け取ったときには、ついうるうる・・・

「いじめ問題」を取り上げたとき大きなヒントを下さった河合良房氏(弁護士)。

子どもの権利条約と子どもの人権について特集をしました。


にらめっこがこだわり続けた「食」。人が集まり、美味しい笑顔があふれる会となりました。料理は廣瀬麻紀さん。12種類ものメニューが彩りよく並べられ、会場が一段と華やかに。素材も地産地消・安心安全なものをを心がけて下さって、感涙!にらめっこのこだわりを形にして下さいました。


昨年5月、取材でつながったエビスバンドのみなさんと三上もサックス演奏♬80年代の懐かしい曲を演奏。シェーカーやマラカスでみんなでリズムにのって!最後は「糸」を生オケでみんなで大合唱しました。


最後はスタッフの一本締め!でお開きとなりました。


vol.181 ホスピスナース奮戦記 vol.6


あるフォトグラファー

玄関を入ったとたん、その娘さんはずっとしゃべり続けた。患者さんは心臓の疾患が悪化し、ホスピスサービスを受け始めた70代の女性だった。強い不安感と不眠を訴えていた。来月には個展も控えてアーティストとしてとても精力的に活動されている人のようだった。ベッドの上の彼女は目を閉じ、まるで何も見たくないと言っているようだった。バイタルは安定していたが、顔も手足も蒼白で、不安と恐怖で夜も眠れないと話した。両足のむくみは心臓疾患ではよく見る症状だが、ご本人は急な変化にとまどっていた。少し動くとしんどいようで、ベッドからトイレまで杖に頼って歩行するのがやっと。強い不安感が続き、落ち着くことができない。心の平安が欲しい。いくら落ち着こうとしても、心臓というのはやっぱり心の臓器、心と直結している。心臓の機能が普段通りに働いていない時というのは、とてつもない不安感に襲われるものなのだ。つい先週まで大丈夫だったのに、なぜ。なぜ。と繰り返す患者さん。眠りたいのに眠れない、落ち着きたいのに落ち着けない。私はこのまま死ぬの?もうすぐ死ぬの?
患者さんがホスピスサービスを受け始めたのは2週間ほど前。病状が悪化して初めて自分の死をはっきりと意識した今、否定から怒り、そして恐怖といった感情が渦巻いているようだった。アーティストとしての自分、ずっと一人で強く生きてきた自分を失いたくないという思いがひしひしと伝わってきた。なかば投げやりな態度もヒリヒリと痛いほど感じた。それでもアグレッシブな治療はしないという本人の意志ははっきりしているようだった。
一方娘さんは、自分の母親の死が近いことを現実として受け入れているようだった。もちろん食欲が落ちた母親を心配しあれこれ食べさせようと必死だった。なんとか落ち着けるように試行錯誤していた。それは患者さんにも伝わっていたと思う。しかし母親の穏やかでない態度や口調にどうしたらいいのかわからないようで、娘さん自身もとてもイライラしていた。時々喧嘩口調にもなる。娘さんの話をきくと、昨年パートナーを突然亡くしたばかりで、死を迎える準備の大切さを痛感しているのだと話した。そして、死別の悲しさも、人は生きて人は死ぬということも、わかっているつもりだと。母親が在宅でホスピスサービスを始めた時点で、死が近いことを覚悟しているようだった。だからこそ、お母さんの納得のいく形で少しずつ生前準備やいろいろな希望を聞いておきたい、アパートや光熱費などの生活の細かなことも教えておいてほしい。大人になってからは、お互いに忙しくゆっくりと母と子に戻る時間もなかったから、母として子としていろんな話をしたい。そう言った。離れているからこそ、会える時に・・・焦る気持ちも垣間見えた。しかし患者さんは、そういう娘さんに対して、なんで私が死ぬことを前提に話すの!早く死んでほしいっていうの!と怒りをぶつけるという。自分の母親に向かって死を迎える準備をしようなんて・・・と繰り返すのだそう。患者さんご本人にとっては、自分の体の変化やその先にある死を、現実としてまだ受け入れられていないのだ。このままでは娘さんと患者さんは、有意義な時間を過ごせそうにない。
ここは、ソーシャルワーカーやスピリチュアルケアワーカーにも訪問の頻度をあげる要請をしようと思った。ただ、今夜、症状を緩和するために何ができるかといえば、話を聞くことと一緒にいてあげること、薬を試してみることしかできない。主治医に連絡して、不安を和らげるのと眠れない症状に対して、一時的ではあるが、新しく薬を始めることにした。同時に、利尿剤の量も調整することにした。それで少しでも状態の緩和ができればと願う。あとは、精神的なサポート。しかし、日中にヘルパーさんが何時間か来るとはいえ、患者さんは一人で住んでいる。娘さんは車で3時間ほど離れたところに住んでいる。母親を一人きりにしていいのかと思い悩む娘さんは、その夜、結局もう一泊することにした。ただそこに居る、というのは何にもしてないようで実はとてもとても大切なこと。一人で過ごす夜を思えば、家族が一緒にいてくれることの安心感ははかりしれない。
この患者さん、写真はとれなくとも、今一度アーティストとして、窓から見える太陽の光に美しさを見出すことができるだろうか。
この訪問の後、ひどく考え込んでしまった。どう死んでいくかではない、死がおとずれるまでどう生きるか。できないことや無いものでなく、できることやあるものに焦点をあてる。。。それに尽きる。それは病気があってもなくても、すべての人に当てはまること。そう自分自身にもあらためて言い聞かせた。


vol.181 平和特集Part-3 ぎむきょーるーむ 子どもと「戦争・テロ」を話すとき

戦後70年を経た日本は「平和だよ」と
子どもたちにいえますか?
今も世界では「戦争・テロ」が起こっていて、
ニュースでも毎日のように悲惨なシーンが流れる。
それをじっと見つめる子どもになにを語れますか?
昨年夏の衆議院選から選挙権年齢は「18才以上」に。
新たな歴史が動いているいま、
大人として、あらためて考えること。

「戦争・テロ」わが家で伝える場合
祖父母の体験から
・ ネットやテレビのなどのメディアからではなく、人から人へ伝えるのがいちばん心にのこると思う。わたしの場合、祖父がシベリア抑留兵でやがてアル中に。祖母は戦火の中を逃げ回り、過酷な状況で子どもたちを育ててきたこと。祖母は死ぬまでそのことばかりを話していました。(匿名)


映画や本をもちいて
・ 『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ作/上野紀子絵/あかね書房)を読み聞かせしました。小1の娘には、戦争→家族がいなくなる→寂しい、という理解だけのようでしたが、あとからいろいろわかってくることもあると思うので、学年があがってからまたいっしょに読みたいです。(東京都/MM/娘6歳)

親としてのメッセージ
戦争は遠い国のできごとではなく、昔話でもなく、現実に起こっていることで、日本でも今後起こるかもしれない。絶対に戦争をしない、させないために、智恵を使い、声をあげつづける必要があることを伝えたい。安保法案に反対の立場でデモに参加したとき、子どもたちに「なぜデモをするのか」と問われ、自分なりに説明しました。世の中には戦争をしたがる人がいて、戦争によってお金儲けをしたり、良い思いをしたりする人もいる。権力をもつ人たちは国民に「戦争をしてもいいですか?」と聞いてくれることはなく、国民の知らないうちに着々と戦争を始める準備をしているのではないかと疑われても仕方ない状況になっていると思って、子どもたちにそのようなことを話しています。(神奈川県IT/息子11歳、娘8歳)

いま戦争・テロが起こる理由
伊勢﨑 賢治

紛争地から日本はどう見られているか
平和な国のこれから

遠い国で起きている、その背景にあるのは
 人間はなぜ戦争をするのか?戦争というのは、ふうつ国家対国家の争いです。争う理由にはいろいろありますが、「自分の国にはない、よその国にはあるものをほしがる」という人間の欲望が根底にあるといえるでしょう。
それは現代の紛争の構図を見ると、よくわかります。たとえばダイヤモンド。もとはただの石っころなのに、われわれは遠く離れた国にあるダイヤに希少価値を見出し、ほしがって取りに行く。このような資源は、取りに行く方はできるだけ有利な条件で取ろうとしますから、自分たちに都合のいい権力者に肩入れし、現地では資源も人も搾取される。利権をめぐって権力は腐敗し、住民の間に不満が広がると、やがて紛争が始まります。
いま深刻なのは、スマホや携帯の製造に不可欠なコルタンなどの稀少な鉱物が採れるアフリカのコンゴ民主共和国です。20年以上も紛争が続き、いま人類史上最大の人道的危機が起こっています。それらの鉱物は「紛争鉱物」と呼ばれますが、これらを狙った周辺国の介入によって内戦が起こり、また武装勢力が違法に採掘して資金源にしているのです。このため、欧米では紛争鉱物を使用する企業に対し規制を始めました。
では、日本はどうでしょう?欧米の流れを受けて規制している企業もありますが、スマホや携帯を実際に使う多くの人はそんな事情を知りもせず、無批判に消費しつづけています。ですが、遠い国で起こっている紛争は自分と無関係ではありません。

無知であることが怒りの対象に
テロについても同じことがいえます。
いま、テロリストの組織がなぜ拡大するかといえば、たとえば先ほどお話しした搾取や腐敗の構造、住民の貧しさなどに由来するいろいろな不満が、インターネットによって世界中でつながるからです。つまり、世界のグローバル化がこれまでに生んできた構造的な問題が、グローバル化の落とし子のようなネットワークの発達によって、皮肉にも横でつながってしまうのですね。
テロリストは、この構造的な問題にものすごい怒りがあるわけです。同じ言葉や宗教をもつ者同士が同じような目にあっているとなると、これは個人の憎悪から集団の憎悪になっていきます。それに、教義(ドグマ)がくっつき、行動に結びついていくのです。

さらにテロリストにとっては、われわれが無知であること、これが一番の敵なのではないでしょうか。構造的な問題について、日本人は往々にして無知です。一昨年11月にパリでテロが起こったこともあり、まるで無関心ではないでしょうが、無知であることは彼らにとって強烈な怒りの対象になることも知っておかなければならない。
テロは否定して憎むべきだけれど、テロをする側にも理由があることを知って、あまり必要以上にぼこぼこにしないというブレーキはやはり必要です。

やるべきことは「敵をつくらない」
そうはいっても、「平和な国」である日本はイスラム社会でも評判がいいです。シーア派とスンニ派の両方から好かれている先進国は、日本だけです。でも、この「平和国日本」のブランドは、この10数年でどんどん消えつつあります。
まず、2001年と2003年、小泉政権のときに、特別措置法を成立させおこなわれた2つの自衛隊派遣。国際法で見たら、あれは集団的自衛権の行使です。とくにイラクへの陸上自衛隊の派遣が致命的でした。あのときのわれわれのスタンスは、イラク国民とその周辺国の脳裏に確実に刻みこまれましたね。
そして極めつけは、2011年、アフリカ東部のジブチに自衛隊の拠点を設けたことです。「平和国日本」「九条の国日本」が、すでに軍事基地を持っているのです。
さらに今回の安保法制成立で、日本が軍事力と共にアメリカにどこまでもついて行けることになった。つまり、我々がアメリカのかわりにテロリストに狙われる可能性は否定できません。アメリカより日本の方が狙いやすいでしょう。海岸には原発がずらっとならんでいますから、それが狙われたらおしまいです。日本がどれだけ脆弱な社会か、ということです。
そんななかで国、自分たちを守るためにやるべきことは「敵をつくらない」ことです。敵をつくらない努力。それが国防にいちばんいいに決まっています。
日本は、アメリカとの同盟関係を断つことはできない。だったら、国防のために、アメリカにできないことをやるしかない。
それはなにか。通常戦力を積みあげることではなく、いわゆる内政支援です。テロリストが拠点とする地域は、内戦状態にあります。なぜ内戦が起こるかというと、いい政府ができないから。たとえばイラクでは、スンニ派だったらサダム・フセインをアメリカがやっつけたあと、スンニ派の人たちは差別され排除されてしまったために、彼らの不満やアメリカに対する憎悪がたまって、IS(イスラム国)の前身ができた。すべて、構造的な問題なのです。

中東諸国などでは軍事力をもつアメリカはたいていきらわれていますが、日本はいいイメージがあるから、相手の懐にも入れる。地道に内政にかかわり、「地域格差をつくらない」「特定の民族を差別しない」「人権を守る」など、条件をつけながら支援していく。そうやって積極的にかかわり「敵にならない」という道しか、我々にはないのだと思います。

共生の力を見につける
平和とは、なんなのか。ほかの言葉でおきかえると、「共存」とか「共生」とか、いまはやりの「インクルーシブネス(包括性)」「ダイバーシティー(多様性)」もありますね。いずれにしても、他者とともにある環境を生きていくこと。そこから始まると思うのです。
どうも日本人は、「私たち」「彼ら」といった線を引いたり、外国人を排除しようとしたりする排外体質がとても強い。ぼくは世界のいろいろな土地に行きましたが、日本人のこの傾向の強さをほんとうに実感します。でもこれは、国防の観点からもマイナスだと思います。
今後は、経済の状況もあるし、高齢化社会で労働力が必要だし、外国の人々はますます入ってきます。そのとき、彼らを差別したり排除したりせず、丁寧につきあって、みんなでわいわいやっていけるような、共生の能力を身につけること。つまり、多様性、共生という文化を構築していくことが必要なのです。それは、地方行政のレベルや、自分のご近所のレベルですることです。子どもたちに教えていくことも大事ですね。
そんな立ち位置を知って、できることを探していく。それをしていかないかぎり、われわれに未来はないということでしょうね。

いせざきけんじ○東京外国語大学教授・紛争屋
NGOや国連職員として紛争処理、武器解除などを経験し、「紛争解決請負人」と呼ばれる。ジャズトランペッターとしても活躍。著書に『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)ほか。

①『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(伊勢﨑賢治/朝日出版)
②『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子/朝日出版)
③『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミニュケーションという試み』(伊藤剛/光文社新書)


vol.181 半農半Xという生き方 vol.22

いい街には
ふるさと綾部にUターンして、18年。綾部において、最近、感じていることが1つあります。データがあるわけではなく直感なのですが、講演会や勉強会が減っているのではないかということです。そんなことを考えていたら、ふとこんなことばが浮かんできました。「いいまちには、いい勉強会(講演会)がある」という仮説です。さらにいい街になっていくために、外部から魅力的な講師もお呼びする。市民にも登壇してもらう。みんなでアイデアを出し合うワークショップがある! いま、2つの勉強会を主宰しています。1つは「綾部ローカルビジネスデザイン研究会」。あやべ特産館や絵本カフェ「サクラティエ」を舞台に、綾部の地域資源を活かして、何かできないか探るもので、毎月第4金曜の夜、おこなっているもの。もう1つは、「スモールビジネス女性起業塾」(年10回開催、現在3期目)。自分の仕事を創ったすこし先を行く人の話をうかがい、哲学、気づき、経験などに学び、自分と地域を輝かそうというものです。「いいまちには、いい勉強会(講演会)がある」。ぼくはこの街をそんな街にしていきたいと思うのです。


「カフェを開くなら」
2015年、京都府中丹広域振興局からの依頼で、福知山、舞鶴、綾部で起業を考える女性を対象としたスモールビジネス起業塾がスタートしました。(現在は市民が事業を継承)月1回の講座で全10回、毎回テーマを変え、「交流・ツーリズム」「農家民宿」「農業・食育」「アート・デザイン」「まちづくり」などをテーマに、先輩起業家の話をうかがったり、自分ならどんなチャレンジするか、アイデア出しのワークショップをしています。この12月のテーマは「カフェ」。「あなたがカフェを開くなら、どんな場所(里山ゾーン、商店街内など)でどんなスタイルにしますか?店の売り、キーワード(アート、風景、自然食料理)などと屋号を3つあげてもらう課題を塾生に出しました。カフェを開く予定がない人にとっても自分のやりたいこと(天職)が見えてくる問いになると感じました。みなさんならどんなカフェを開きたいですか?縁側カフェ、お寺カフェ、猫カフェ、編み物カフェ、ミシンカフェ・・・。すてきなカフェがこの日本にもいろいろ生まれています。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.181 菌ちゃん野菜応援団 第2話

今回は土は癒しなのか?というテーマについて。
よく自分で育てた野菜は美味しい!土とふれあっていると元気になる、といいますね。
あれは果たして本当なのでしょうか??というお題です。

何をかくそうわたしは。。畑に二時間行けばそのあと半日はソファでひっくり返るし、せっかく育てた野菜が食べられなくて枯らしたり。そんなこといくらでもあります。スーパーの野菜はきれいだけど、自分で作ると土が付いていたり(当たり前だ!)少し虫食いがあったり(これも当たり前)。それが気持ち悪くて食べる気にならなかったんです。

 そもそも生ゴミを土に入れて土作りしたりしてるので果たしてこれは食べていいのか??なんて思っちゃったりしたんですよねぇ。。だからせっかく収穫したカボチャを腐らせたりジャガイモを放置して青く日焼けさせたり。なんてもったいない!!ということをたくさんしてきました。
でも今は違いますよ。
畑に行けば元気になるし、収穫したお野菜はもりもり食べるし。生ゴミは当たり前にちゃーんとコンポストへ分別するようになりました。
どれだけ失敗したっていい。
人はいつからでも変わっていけるんだなぁと実感してます。先日は植えてないのに実った稲!!そんなありえないような実り方をした稲をみんなで手刈りしました。
 ザクザクっとした稲の感触、たわわに実ったお米を持って大人も子どもも大興奮。
少し干したら足踏み脱穀機で脱穀をする予定です。
どんなお米になるのかなー。寒くなる前にお芋も掘らないとならないし。。

日々、畑仕事に追われてます、でも楽しい。畑には癒し効果はあるのか?ある!と今の私は断言できます。

さて、明日は何をしようかなー??

 


vol.181 未来に続く暮らしの学び Part-23


エスノオーケストラ

エスノ(エスニック)オーケストラとは、世界中で催されている文化交友プロジェクトです。それぞれの国の人たちが集い、その国につたわる伝統的な曲を紹介し、それをオーケストラ編成で全員で演奏するというスタイルです。
 今回のグループは、オーストラリア、アボリジニ、フィジー、ソロモン島、ジャマイカ、パプアニューギニア、ポルトガル、イギリス、スエーデン、イスラエル、から総勢25人の音楽家たちが集まり、オーケストラを編成しました。
それぞれに伝わる文化を歌、音、踊りをとおして共有する。そしてみんなで演奏する。なんて美しいんだろう。そしてなんて平和的なんだろう。その過程に私は何度も感動しました。
島国の人たちにとっては、文化は生活そのものです。その土地に伝わる歌、踊り、衣装などもしっかり残っています。逆に先住民であるアボリジニの人たちの文化は、強制的にどんどん薄められています。それでも、わずかに先住民のことばと、歌は残っています。わずかでも残っている文化を伝承していかないと、途絶えてしまいます。自分たちでその文化を探っていかないと、生き方を見つけられない状態でもあるのです。
だからこそ、国、人種に関係なく、いま引き継いでいける世代が、同じ民族でなくとも、いまある文化を、共有してそれを伝えていく。それがとても大事なのだと思います。

 そこで自分自身を振り返ってみました。自分の世代、育った環境には伝統的な踊り、歌があったのかどうか、あったとしてもきちんと教えてもらったのか記憶にありません。もちろん地域差はあると思いますが、伝え方が弱まっていると感じられます。だからこそ、伝承していくことは、とても価値のあることだと思います。

日本の文化。今度帰るときには盆踊りの一曲を歌えて、踊れるようにしよう!!!今の時代は、いろんな文化がどんどん混ざり合っていっています。文化の融合、素敵なアクションだと思います。でも同時に、自分を育んでくれた地域の文化を知ること、それを伝承することはとても大切です。
今ある美しい文化。みんなで残していきたいですね!Yao


vol.181 夢か悪夢かリニアが通る vol.10

命の水 奪う 山岳トンネル

3000メートル級の山々が連なる南アルプス。赤石山脈とも呼ばれ岳人たちに愛されてきたこの山々は、国立公園やユネスコのエコパーク(生物圏保存地域)にも登録され、世界自然遺産登録も目指しています。片や、リニア中央新幹線は全長約25キロにも及ぶトンネルで、この山脈の南部を貫く計画です。その影響は駿河湾に注ぐ大井川の流量を減らすだけにとどまらず、生態系や流域の暮らしに取り返しのつかない結果をもたらす恐れがあります。今回は沿線1都6県で唯一着工していない静岡県のお話です。    ジャーナリスト・井澤宏明

毎秒2トンの水が減る

「毛細血管のように本流に注ぐ無数の支流が、滅水ないし枯れる恐れがある」。自作の地図で説明する服部さん(9月8日、東京都内で)

11月上旬、静岡市の大井川源流部を訪ねました。JR静岡駅から約3時間、畑薙第一ダムの奥に、紅葉の渓谷を縫うように未舗装の林道が続いています。マイクロバスが大きく揺れるたびに座席から体が跳ね上がり、天井に何度も頭をぶつけそうになりました。登山の最前線となる二軒小屋ロッヂはシーズンを終え、小屋終いの支度を始めていました。
この人里離れた山の中に、トンネルの掘り出し口となる2つの非常口が設けられ掘削が行われる予定です。工事が始まってしまえば、この美しい谷は、工事車両が行き交う工事現場になるだけでなく、工事が終わった後も、掘り出された膨大な残土がうず高く積まれる処分場になってしまいます。
「大井川の流量が毎秒約2トン減る」。JR東海が2013年に公表した南アルプストンネルの影響予測は地元に衝撃を与えました。これは、大井川の下流域7市約60万人の給水量にあたるのです。
江戸時代は東海道屈指の難所とされ、「越すに越されぬ」と馬子唄にうたわれた大井川も、多くの発電用ダム建設で水を奪われ、「河原砂漠」と称されるようになりました。住民の「水返せ運動」の甲斐あって河川維持のための放流も実現しましたが、渇水期には毎年のように生活、工業、農業各用水の取水制限が続いています。

静岡にメリットない
流域や静岡県の抗議を受け、JR東海は事業認可後の2015年になって対策を打ち出しました。水が減るのは、本来は大井川に流れ込むはずの地下水が、トンネル掘削により湧き水となって流出してしまうため。そこで、トンネルと約11キロ下流の椹島(さわらじま)の大井川をつなぐ「導水路トンネル」を掘って湧水を放流し、毎秒約1.3トンの水を戻すというのです。残り約0.7トンは、「必要に応じて」ポンプでくみ上げる計画です。
ところが、2トン「全量」の回復ではないことに流域は再び反発。静岡県の川勝平太知事は今年4月、「トンネル湧水の全量を恒久的かつ確実に大井川に戻すことを早期に表明すること」をJR東海に求めました。
それでも「全量」回復に応じないJR東海に業を煮やした川勝知事は10月の定例会見でリニア建設について、「静岡県にとってはまったくメリットがない」と批判。中日新聞によると、これに対しJR東海の柘植康英社長は、リニア開業により東海道新幹線の静岡県内の駅に止まる本数が増えることを挙げ、「メリットはある」と反論しました。
流域が求める協定締結の目途も立たないままJR東海は11月15 日、南アルプストンネル静岡工区の工事契約を結んだと発表しました。

多くの生き物が死滅する
そもそも、大井川の水を「水資源」ととらえるだけなら「全量回復」でも済まされるのかもしれません。が、この水は多くの生き物の「生きる糧」でもあります。
「導水路トンネルは、人間の都合にのみ配慮した保全策に過ぎず、減水の根本的な解決にならない」と喝破するのは静岡県焼津市に住むクライマー服部隆さん(64)。その訳を、「水が戻るのは椹島より下流の本流のみで、それより上流部には一滴の水も戻らないからだ」と指摘します。
上流部に水が戻らないと何が起きるのでしょうか。服部さんは、「渓谷美の喪失」「豊かな森の後退」「多くの動植物、生物の減少や死滅」を挙げ、「南アルプス南部の素晴らしさは、豊かな大井川水系があってこそ。リニアトンネル掘削は、その核心的価値の喪失につながる」と主張、エコパーク登録が取り消される可能性にも言及しています。

大井川と燕沢の合流地点。トンネル掘削で掘り出された残土の処分場が計画され、その高さは約65メートルにも及ぶ。周囲は地滑り地形で大井川の水をせき止めてしまう恐れがある(11月10日、静岡市葵区で)


vol.181 プレゼントコーナー

1- あなたがおもう「これだけは残したい!日本に伝わるもの・こと」って?
日本に伝わるいろんなものが消えつつあるけれど、あなたは何を残して、後の世代に繋いでいきたいですか?
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタ   イトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、 家族構成

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:1月25日 当日消印有効。
C、Dはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
e-mail: info@niramekko.com http//www.niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。

 

A.よりよく生きるためのライフデザインノート「ゼロの昇天」
マザーハウスingより…3名様
前号で大好評だったため、第2弾のプレゼント。人生のことを考えて記入、と堅苦しく考えがず、気軽にどんどん書いてみましょう。おなじみの高畠純先生のイラストがやさしい気持ちにさせてくれます。
えんぴつ・カフェ(P-13参)に参加の方はご持参くださいね!

 

 

B.CINEX 映画招待券
シネックス様より…ペア3組様
過去の人物がどんな生き方をしたのか。スクリーンを通じてそんなことに触れると、その人が身近に感じられたり、作家ならば遺された作品が今までとは違って感じたり。映画っていろんなものを与えてくれますね。写真は「ロダンカミーユと永遠のアトリエ」より。

 

C.ヤジロプレーン
にらめっこより…各2名様

木の温もりあるヤジロベエスタイルの置物。ちょっとした風にも飛行機が揺れて、お部屋の動きあるアクセントに。ヘリコプタータイプもあります。ご希望を明記してね。(高さ29cm×横42cm)

 

D.作家のてしごとのお皿
にらめっこより…2名様

一枚の粘土をくるりと曲げて足に。黒いお皿は、お料理、お菓子など、盛りつけるものをぐーんと引き立てます。片側の端には白地にサッと描いた模様がアクセント。作家の手作りならではの一品もののお皿です。(約 縦165×横285×高さ20mm)