176号(2017.3&4)」カテゴリーアーカイブ

vol.176 ちぇれめいえproject 渡部 清花さん

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バングラデシュへ
私がバングラデシュに初めて行ったのは小学校一年生の時、家族での旅行でした。その時のことはあまり憶えていませんが、その数年後、教科書の国際協力政治、青年海外協力隊のページにバングラデシュの写真が載っていて、「見たことあるよ、ここ!」と強く印象に残ったんです。
大学生になり、国際文化学科に籍を置きました。開発のことを勉強していて、フィールドワークでバングラデシュの首都に行くことになりました。でも、私が興味を持ち見たかったのは、国から弾圧にあっている人たちがどうやって地域の中で生きていくのか、ということ。それで、いろいろ調べたら、先住民の人たちのことが出てきました。ぜひともそこに行きたいと思ったのですが、大学のゼミのフィールドワークで行けるところではないと。パスポートとビザがあっても行けない地域なんですね。外国人特別入域許可証やらが必要。つい最近まで紛争をしていたので。じゃあ、みんなが帰った後、ひとりで行くのでいいですか?と言ったら、それはハタチ超えているんだからどうぞ、と言われて(笑)その年の夏休みにリュック 背負って行ったんです。大学 3 年生の時です。

 

少数民族の村に暮らす人たち

ちぇれめいえ:バングラデシュの言葉で「子どもたち」

ちぇれめいえ:バングラデシュの言葉で「子どもたち」

首都ダッカからバスで12時間、チッタゴン丘陵地帯。バングラデシュの他の平野部とは違い、山が多く、焼き畑農業をして、50万人の先住民が住んでいます。そこは宗教や食べ物、使う言葉、文化が他のバングラデシュの地域とは違います。そこで私はとても素敵な人たちに出会いました。今日私が着ているのはそのチャクマの民族衣装です。

美しい自然と、昔からの暮らし。おばあちゃん、お母さんからつないで来た命を、次の世代につないでいく。そこでは、地域、家族、親戚、みんなで助けあって暮らすのが当たり前。私は彼らのファンになりました。
大好きな土地だったのですが、紛争の爪痕はずっと残っていました。中央政府から送られて来る軍隊がこの地域に入って来て、家もお寺も焼かれてしまったり、レイプ事件も起きたり・・・。そして、帰国の前日に私が見たのは、とてもきれいだった街が、村が、紛争により荒れた姿でした。車も動かないし、戒厳令や治安維持令とかが出たくらいひどかった。それから3、4年経ってますけど、紛争がいきなり勃発することが今もあるんです。
日本に帰って来てから、私はチッタゴン丘陵地帯という、たまたま出会った場所について、貪るように学びました。私にできること、なにかないかなぁって友だちに話しても、大学3年生は就職活動の時期。同世代の友だちは一緒に活動ができないけど、話しているうちに少しづつ後輩が集まってくれて、「NGOちぇれめいえproject」という団体を立ち上げました。「ちぇれめいえ」とは現地の言葉で「こどもたち」という意味です。

ちぇれめいえの活動

それから私は「NGOちぇれめいえproject」の現地駐在員として大学4年生を休学してバングラデシュに戻りました。お金があまりなかったので、お坊さんと小僧さんにいろんな言葉を教えてもらいながらお寺に住みました。
私たちが取り組んでいたのは、子どものこと、若者のこと、紛争があったときの緊急支援と日本との架け橋でした。子どもたちが安心して学べる環境を生み出したいと、「ちぇれママ&ちぇれパパ制度」という里親制度をつくって、25人の子どもたちを日本から支えることを始めました。中学校卒業まで寄宿舎学校で暮らせて、ご飯も食べられて勉強もできる生活を支えてくれる人たちが日本にいます。
また、バングラデシュの若者と日本の若者が一緒の時間を過ごし、笑い語るという「スタディツアー」も始めました。日本の若者がバングラデシュに行き、2週間一緒に過ごしますが、「どんな家庭に産まれても、子どもたちが教育を受けるにはどうしたらいい?」というようなテーマが毎年あり、答えが出ないようなことを毎日毎日話し合いました。一緒に村を歩くことで見えてくるものもありました。一緒に何かをしたい、そんな現地の若者たちがいたから、これを続けてきました。
1年経った時、現地の若者が「自分たちでも団体をつくるよ」といって「DABAGI(ダバギ)」という団体をつくり「豚で教育資金プロジェクト」という活動を始めました。最初に豚を小学生のいる貧しい家庭5軒に提供、その家庭は豚を育て繁殖させて、半年ごとに産まれる子豚を市場に売り、代金は子どもの教育費に。子豚のうち2匹は「DABAGI」に返し、それを次の貧しい家庭に貸し、その家でもまた同じサイクルができる。そうして村の中でお金と知識を回していくプロジェクトです。

 

国際協力って?

バングラデシュの山岳地帯の少数民族の村で、私は子どもや若者、おばちゃんたちと約2年間を過ごしましたが、家族や地域の強い絆など、現地の人たちの素晴らしさにたくさん出会いました。
今、バングラデシュやアフリカとか、発展途上と言われている国を助けようと、先進国からいろんな人たちが派遣されています。そして、企業やボランティアが人やお金を送っています。まだまだ自分たちの地点まで発展してない、と。でも、世界中の国や地域が「発展」という道の上に、一直線上に並んでいるわけではないと私は思っています。それぞれ、自分の前の道を歩んでいる。バングラは日本が歩いた道を進む必要はないし、ケニアはアメリカにもならないです。
私が過ごした村で人々が教えてくれたことは、村の発展の先の姿が先進国の都市ではないということでした。「ないもの探し」や「つくってあげよう」を前提にすると、「あるもの」が、見えなくなる。「ここにはこんなものがある、文化がある、人がいる」そんな視点が必要です。そして、最初から持ち込むプロジェクトではなく、現地から聞こえて来る必要なことに耳を傾けることも。
国際協力って、一方的に助けることじゃない。共に生きる、お互いに学びあうこと。大げさなことじゃない。それは日本にいる家族・親戚から始められます。
朝、ご近所さんに声をかけてみる。身体の不自由な人に席をゆずってみる。ちょっと離れた地方の活動をのぞいてみる。被災地に関心を持つ。国際協力はこの延長線上にあります。
そして、海を越えたところに住む子どもたちを応援してみる、それって実は楽しいことかもしれません。
私たちがたまたま日本に生まれたから知っていたこと。たまたまこの年代に生まれたからもっているもの、たまたま教育を受けたから学べたこと。それを誰かの幸せのために使えたら、その「うれしい」って気持ちを自分の大好きな人たちと共有できたら、こんな幸せなことはないなって。私は現地の人たちに、教えてもらいました。
静岡県出身・東京都在住

「peace of peace」主催「ワークショプ  世界がもし100人の村だったら、バングラデシュ・バージョン」(1月7日各務原市総合福祉会館)にて

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バングラデシュ人民共和国/インドとミャンマーに国境を接する。1971年にパキスタンから独立。バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」を意味する。世界で最も人口密度が高い。
チッタゴン丘陵地帯/ジュマ( 焼き畑農業をする人)と総称される先住民族が暮らしている。チャクマ族、マルマ族、トリプラ族など、民族数は12 とも言われている。これら先住民族は、先住民族はいないとするバングラデシュ政府の同化政策によって迫害を受けている。

勉強中の子どもたち

渡部 清花(わたなべ さやか)
東京大学大学院総合文化研究科・国際社会科学専攻・人間の安全保障プログラム修士。
静岡文化芸術大学在学中に、「NGOちぇれめいえproject」を設立し、バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯にて、先住民族の子どもの教育と現地の若者による村おこしの取り組みを後押し。その後、UNDP(国連開発計画)の現地事務所の平和構築プログラムのインターンシップに参加。合計2年弱、バングラデシュに滞在し、現地の支援と日本への情報発信を続けた。現在も「NGOちぇれめいえproject」の活動を続け、日本からの支援を呼びかけている。


vol.176 径気道吸収の影響について

ƒvƒŠƒ“ƒg2515925695名もの死者を出した韓国の加湿器殺菌剤事件。問題となったPHMG(ポリヘキサメチレングアニジン)は、通常おしぼりの消毒剤に使われている成分。「PHMGは、肌に触れたり、少量を口から飲食する場合には毒性は少ないが、鼻から吸引すると肺が膨らみ、呼吸困難になるなど致命的な肺の損傷を起こす」のです。気道を経由して入るとどういうことなのか。「経気道吸収」の影響について、身近な日用品を例にとってご紹介します。

 

除菌!除菌!除菌!
テレビCMで語られない中身とは?!

消臭剤にはトイレ用、室内用、車用などがあり、さらには置き方タイプからスプレータイプとさまざまな製品が販売されています。部屋の防臭からベッドやマットレス、靴やソファーなどの、洗濯機では洗えないものを消臭し、除菌するという宣伝文句で多くの家庭で使われています。その反面、消臭剤を大量に使用されていることについて忠告をする専門家や本が発売され、さまざまな情報があふれているのも事実です。
今回は、大量に使用される消臭スプレーの中身が、人体に与える影響と、成分を調べてみました。

syousyuzai_spray除菌&消臭スプレーといえば「ファ○リー○」や「リ○ッシ○」が有名。売れ筋の「ファ○リー○」の成分はP&○のHPに掲載されています。

この商品は「家庭用品品質表示法」の対象外で、洗濯用洗剤や台所洗剤のように詳細に成分を表示する必要がない。しかし「除菌成分(有機系)」というような曖昧な表示で、Quat(第四級アンモニウム塩)などの危険な成分が入っていることが多いのです。スプレータイプのものは全製品表示義務がないですが、HPには書いてあるので要チェック!!要チェックhttps://www.myrepi.com/tag/myrepi-febreze-faq-safety

 

 

Quat(第四級アンモニウム塩)の
怖さとは・・・

Quat(第四級アンモニウム塩)は揮発性のもので、蒸気を浴びたりにおいを嗅ぐことで体内に吸収されます。原因不明のアレルギー症状、胸痛やめまい、動悸や不整脈、倦怠感やうつ、ぜんそくなど、さまざまな症状に影響していると言われています。
さらに、このQuat(第四級アンモニウム塩)を長期利用すると、今は健康でもシックハウス症候群や化学物質過敏症が起こる可能性がある・・・と考えると、日常生活に取り入れたくないものです。また、化学物質というのは、少量では問題はないと言われていますが、数十年の積み重ねで影響があるかもしれないと考えると、出来るだけ遠ざけたいですね。最近は化学物質が原因でアトピーやぜんそく、アレルギーなどが発症する可能性があると指摘する専門家が増えています。

2015年11月18日 アメリカの研究機関で発表
Quat(第四級アンモニウム塩)によって、雌のマウスで妊娠率や生まれる胎仔数の減少、オスでは精子濃度や運動性が減少したという研究が発表されました。毒性が発見されたきっかけは、大学の実験室の洗浄剤をQuat(第四級アンモニウム塩)に変えて以降、実験動物の流産が増えたことだと言います。カーペットや寝具に噴霧したものを吸い込んだり、子どもが舐めたりは危険、また車用の場合は直接気道吸収されるため、妊娠中の母親、赤ちゃん、若い男性は要注意です。寝具へのスプレーで噴霧される量の0.8%以上を吸い込むだけで危険だとのことです。

わんにゃんペットに忍び寄る「除菌&消臭スプレー」
人間だけでなく、ペットも同じ危険にさらされています。ペット臭の防臭のため、マットに消臭スプレーをしたところ、中毒を起こし、ペットが吐いたり、ひきつけを起こしてしまったという事例も報告されています。また、消臭スプレーが原因で、肝臓を悪くし死亡した犬もいるそうです。このような化学物質を周囲で大量に使用され、さまざまな病気を引き起こし、ただでさえ短命が更に短くなる可能性があります。

じつはこの消臭剤、アメリカ版があるんです。その成分内容は、トウモロコシ由来消臭成分エタノール、香料となっており、日本版に入っている除菌成分が入っていません。海外で禁止されている成分が認められている日本!まさに添加物大国と言われるゆえんでしょう。

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おしゃれなボトルのシャンプーやトリートメントの成分表示をチェックしてみて!「ノンシリコン」「ラウレル」「ラウレス」などカタカナ文字が目につきます。
「シリコン」とは、化学反応によってつくられる化学合成物のこと。シリコンは一度頭皮につくと落ちにくく、毛穴をふさぎ、髪が細くなり、抜けやすくなったりする、といわれています。シャンプーの成分は、90%以上が水と、界面活性剤で構成されています。水と油を混ぜ合わす力を持ったこの界面活性剤は、洗浄力が高いこともあり、下記のような現象が実際に起きています。

① 刺激が強くて、薄毛、頭皮の荒れの原因となる
② 一緒に配合されている成分の効能をかき消してしまう
③ 頭皮の皮質を取りすぎ、不足した脂を補うため皮脂の分泌 が盛んになる結果、表面は脂ぎって頭皮は乾燥している状態 に→薄毛、頭皮の荒れの原因となる

また、シャンプーの成分として、最も気をつけたいものが、ラウレス硫酸・ラウリル硫酸をはじめとした硫酸系洗浄成分です。これらは、洗浄力の高さと原料の安さから、一般的なシャンプーに使用されています。本来は床の洗浄に用いられる強力な洗浄剤。使い方を間違えると頭皮の皮脂を取りすぎたり乾燥による皮脂障害の原因にもなります。
シャンプーやトリートメントを選ぶときには、知名度、価格や香りで選択するのではなく

シャンプーリンス・ ノンシリコンであること
・ 硫酸系洗浄成分を使っていないこと
・ 天然由来洗浄成分を採用していること
これらを判断の基準にしながら、
使用感もよく、髪、頭皮に
安全なものを選びましょう。

まずは、有害物質である界面活性剤が成分として入っているシャンプーを一日2回以上使うのをやめ、毒性を少しでも少なくするために安心と言われているシャンプーを使うときにも、薄めた上で、泡ポンプなどで泡にして使うとよいでしょう。

消費者が知って、買わないこと。
皮膚の構造上、皮膚の表面温度が高いほど有害物質は体内に入りやすくなります。入浴時に使う入浴剤、シャンプー、ボディーソープ、入浴後にすぐに使う基礎化粧品などは要注意です。お風呂の温度は38度から40度くらい。吸収率が上がってしまいます。お湯の添加物、たとえば、「〜の湯」とかの入浴剤は極力使わないように!ゆずの皮、しょうぶ湯、びわの葉湯など、溶けてなくならないもの、自然のものを使いましょう。体を温める効果も抜群ですよ!「知る」ことは、「選ぶ」ことができる、さらに「守る」ことにつながります。
(「経皮吸収について」勉強会の内容をまとめました)


vol.176 中高生平和を考える

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大学院生で、NGO「ちぇれめいえproject」代表の渡部清花さんをお招きして、ワークショップをしていただきました。
地球上の人口がどんどん増えていること、食料やエネルギー問題、アジアの人口が世界の60%であること、世界の人々はどんな割合でどのような人がいるのかを、ワークショップを通して考えることができました。
小学生から大人まで色々な世代で38名の参加がありました。
私が清花さんに出会ったのは、3年前の中学三年生の時でした。
清花さんからいろんな話を聞いてすごいなぁと思ったのを覚えてます。それから清花さんの書いたバングラ通信を読んだり、活動のFacebookを見たりしていて、清花さんを講師になにかできたらいいなぁと思うようになりました。そして今回、このようなワークショップを企画しました。
「所得が多いのは誰?」ゲームでは、アジアやアフリカと言った六大州別の人口比に合わせて参加者を振り分け(アジアは18人、南米は2人といったように)、そこに、GDPの規模に合わせてポネトチップを配ったのです。もちろん、州によって量は全く違います。
16507607_1220820271342171_1099053081_nとてもリアルなゲームでした。富のある人たちは、分けてあげられる余裕があります。それが世界中に向けて本当にできれば、世界に飢える人はなくなるんじゃないかと思いました。
清花さんが行っていたバングラデシュ南東部のチッタゴン丘陵地帯、少数民族の人びとの暮らしには、他にはない豊かさがたくさんあると思いました。物質的に豊かになることで失うことがたくさんあることを知り、何を大切にすればいいのかを考えるべきだと思いました。私がPeace of Peace の活動をやってきて、私が本当に考えていきたいことがわかった気がします。清花ちゃん、素敵なメッセージをありがとうございました。

【参加者の感想】
・少しの時間だったけど、バングラデシュのことについてだったり、日本の今の状態だったりと、たくさん知ることができて、すごくうれしかった。バングラデシュに興味を持てた。日本では学べないことが、バングラデシュや、それ以外の国にはあるんだと思った。(15歳)
・自分の思っていたことが当たり前ではないとわかった。こんなことはふだん知ることがないので、ためになった。(16歳)
・紛争のことや文化、日本での取り組み、政府のことなど現地に行った人の言葉で聞けてよかったです。(15歳)
・今、この話でいろいろな事が分かりました。人には命があります。国が命をなくそうとしているのも分かりますが、でも、やっぱりやっていけないと思います。(8歳)

【渡部清花さんのプロフィール】
1991年4月8日生まれの大学院生。1年間大学を休学。アジアやアフリカの国々を訪れ、結局足が止まったのが7歳のころ初めて訪れたバングラデシュだった。フィールドワークを経て、現地のNGOに1年間滞在することを決意し、仲間とともに「ちぇれめいえproject」を立ち上げる。内閣府世界青年の船では世界13か国の家族と語り笑い涙した。大学では国際協力のゼミに所属。国内では沖縄・広島・長崎、と戦争の跡地をめぐる旅や、戦争体験者の声を記録する活動に関わる。ヒッチハイクや青春18きっぷが好き。少数民族、教育、言葉、文化、多文化共生、NPO/NGO・・・などに興味がある。(「ちぇれめいえproject」のHPより)

http://cheremeie.wixsite.com/cheremeieproject


vol.176 熱中世代・発 リバース第6号

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二ホンミツバチ (トウヨウミツバチ日本亜種) (Apis cerana japonica)

二ホンミツバチ (トウヨウミツバチ日本亜種)
(Apis cerana japonica)

 

二ホンミツバチの向こうに NO.Ⅰ
二ホンミツバチの訪れる花(蜜源樹)について考えてみよう。

ミツバチは、春はフキノトウ、タンポポに始まり、ウメ、ヒサカキ、ナタネ、イチゴ、サクラ、カエデ等々。夏はニセアカシヤ、クリ、キハダ、アオハダ、エゴノキ、シナノキ、カキ、トチノキ、ハリギリ、フジ、オオハンゴンソウ、スイカ、トウモロコシ等々。秋はアレチウリ、アメリカセンダングサ、セイタカアワダチソウ、ウド、シソ、キク、カナムグラ、ソバ等々。冬でさえもオオイヌノフグリ、セツブンソウ、サザンカ、ツバキ、チャ、ビワ等々の花を蜜源としています。ここにあげた植物はミツバチが訪れる植物のほんのわずかに過ぎません。

ミツバチの観察会で「この里山には花が咲く木がないのですが、ミツバチは住めるの?何処で蜜を集めるのですか?」という質問を受けたことがあります。そこには、ヒサカキ、タラ、コナラ、クリ、リョウブ、ヌルデ、スミレ、ミソハギ、アザミ等の小さな花の咲く木や草で繁っています。モミジやドングリのような花が咲かないと思っている木々にも、花は咲きます。しかも、二ホンミツバチはそのような小さな花を好むのです。多様な植物や動物、菌類の住む、昔からの里山は蜜源の宝庫です。

農地や山を、作物や材木を生産するだけの場と考えず、人間が自然に解け込める場と考えることはできないものでしょうか。今だけ自分だけのために日本の里山を荒廃させてはいけません。野生のミツバチの向こうに、子どもたちの未来が見えてくるはずです。

写真・三輪芳明(みわよしあき)プロフィール 1952年 関市生まれ。仲間と岐阜県では絶滅したと考えられていたコイ科の魚類ウシモツゴを発見、人工的な大量繁殖させ野生復帰に成功する。岐阜・美濃生態系研究会 二ホンミツバチ協会 日本チョウ類保全協会。

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障害のある方たちの生活支援をしているNP0法人オープンハウスC N。余暇活動の一環で定期的にクラブ活動を開催している。お茶会をしたり、ピザを作ったり・・・。
二○○四年、伊藤さんが理事長に就任。それを機に伊藤さんは、自分は何ができるだろうと考えた。書道の師範免許を持っているから、「書道ならできる、よしやってみよう!」と最初は数名でスタートした。

でも、現実は課題だらけ。じっとしていられない、書けない、自分の意思で書かない・・・そうでない人もいますが、スタッフも書道の専門ではないし、一部屋で大勢でやっていると、当然ですが目が届かない・・・そんな状況を見て、一人ひとりまったく違う特性を持っているし、やる以上ベストな状況をつくらないと私が納得がいかない。それで九月からは、マン・ツー・マン体制にしました。
二○○六年、受講者の一人が「障害者による書道・写真全国コンテスト」で銀賞を受賞しました。その受賞記念として、にらめっこ編集部(当時の編集部は中央町)にて個展を開催したんです。以降、応募する作品が毎年受賞するようになり、その都度、受賞者には個展をすすめ、開催してきました。

個展(まちかどギャラリーにらめっこ)

個展(まちかどギャラリーにらめっこ)

個展をするとね、本人が目に見えて成長するんです。受賞と同時に個展の準備を始めるのですが、受賞作を中心に、その子だけの制作に時間を費やします。全部本人が主人公ですから、楽しいでしょうし、私も気合いが入ります。マンツーマンですから濃密な時間を持てます。たくさんの作品を作るには、紙のサイズ、紙質、筆の種類、墨もいろいろ使い分けます。特別扱いですよ。そして誉めて誉めて、その子と楽しい時間を過ごす。私は心から誉めますから。嘘っぽくほめても人を見分ける能力に長けている彼らには通じません。するとね、本当に変わるんです。今まで出来なかったことができるようになったりして、親さんもそれを見て変わる。子どもが認められると、自分も認められるということなんです。そして、希望を持てるように。じつはこれが一番大事なことなんです。

マンツーマンで楽しい時間

マンツーマンで楽しい時間

目的がハッキリすると、気持ちが定まる。見通しが立つようになると落ち着く。それは、すべての人に通じます。仲間が受賞して、他の親も『うちの子も可能性があるかも』と、希望を抱くようになります。
私の長男には自閉症があります。絵を描くことが好きで、描きためた作品を見た方から『すばらしいじゃない、個展をやったら?』とすすめられたことがありました。息子が誉められたのですが、私が認められたって・・・。とってもうれしかった。そして個展を開催したのですが、その時のノウハウが今とても役に立っています。

その時に感じた「認められてうれしい」という思いを、いろんな人に味わってもらいたくて、受賞された方に個展をすすめています。お金はかかりますが、それ以上に得られるものがありますから。

数年前、果たしてうちの子に出来るのかと個展を迷っていた親さんに、他の親さんが薦めてくれたことがありました。無意識のうちにあきらめてるんですね。それはいけない。どの人にも可能性はあるんだから。
個展をやってみて彼女が私に言いました。『伊藤さんが書けるようにしてくれた。出来ないとフタをしてしまいがちだけど、伊藤さんが書道で可能性のフタを開けてくれた』と。この言葉がとても印象にのこっています。うれしかったですね。

個展(ハートフルスクエアG1階) 

個展(ハートフルスクエアG1階)

現在は30名の人が通い、講師も一人増えて二人体制に。創作の時間を作り、全国の公募展に積極的に応募している。13年の活動がじわじわと浸透して、作品の依頼も来るようになった。チャンスは平等にという思いから、全員に同じ字を書いてもらい、それを依頼者に選んでもらう。地道に続けてきたことが今、確実に実を結んでいる。アートが社会を変えていく、そのモデルとなる活動にエールを送りたい。

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手作り味噌のおいしい理由
OLYMPUS DIGITAL CAMERA今年も味噌を仕込みました。各務原市に引っ越してきて早30年。毎年2月に仕込んでいます。なんで2月に仕込むのか。それは、寒仕込みといって冬は気温が低くゆっくり発酵するからです。時間をかけて発酵させた方が、味に深みが出ておいしく仕上がる。暑い時期に仕込むと気温が高いため、急激に発酵してしまいます。なんでも最初は徐行運転が肝心。しかも、冬は雑菌が少ない!というのが理由。そしてもう一つ、秋は米や大豆の収穫時、なので、新鮮な米と大豆を原料にできますね。これもおいしい味噌にはかかせない条件です。

にらめっこ編集室でも毎年2月に味噌仕込みをします。第2農園で作付けした大豆、今年の収穫は5キロ弱。(写真)玄米麹と天然塩をまぜて、ゆっくりと発酵させます。一年後が楽しみ〜!
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一年の気温の様子。このような四季を感じてお味噌は醗酵する。やはり一年熟成させたお味噌は格別です。(資料提供:マルカワみそ)


vol.176 メディアよもやま 連載5

メディア題字
トランプ選挙・メディアはなぜ世論を読み違えたのか?
アメリカで一番影響力のある新聞『ニューヨークタイムズ』が、大統領選挙開票日の夕方まで「ヒラリー・クリントン勝利の確率84%」と伝えていたのをはじめ、世界中のほとんどの新聞・テレビがクリントンが勝つと予想していましたが、劇的に勝利したのはトランプでした。長い選挙期間を通して一番忠実にトランプに密着していたはずのケーブルテレビ・CNNでさえ、「我々は現実に即した報道をしていなかった」と嘆いたほどメディアのショックは大きく、読者・視聴者からのマスメディアへの信頼は失墜しました。今年、大きな選挙を控えるヨーロッパでも日本でも、当選予測の根拠になる世論調査の問い直しは必至です。メディアの世論把握はいったいどうなっているのでしょう?
メディアよもやま これまで新聞や大手テレビ局の世論調査の多くは、有権者の電話番号をコンピュータで無作為に選んでアンケートを取る「RDD(ランダム・デジット・ダイアリング)」という方法で行われています。固定電話への質問が基礎なので、働いている人、スマホの若者、低収入の人たちの意見が反映されにくく、日中在宅する年配者の反応が中心になりがちです。更に、答えない人や、本音を言わない人もいて、補正をしても数字の誤差が大きくなります。またメディア自身の価値観や先入観も問題です。例えば「政権を支持しているかどうか」という同じテーマでも、新聞社によって質問の仕方が違ったり、新聞社自身が期待する方向へ回答を誘導する技術によって、“世論”は少しずつ違ってきます。
大げさに仕立てられた報道も世論に影響します。CBSテレビのムーンベス会長は、今回「メディアを意識したトランプの選挙運動を大げさに報道したのは、米国にとってはよくないかもしれないが、CBSの視聴率にとってはすばらしい」と漏らしました。誇張された報道が、有権者が“勝ち馬に乗る”現象(バンドワゴン効果)を招く弊害もあります。
今回の報道の誤算は、これまで無視・軽視されてきた白人貧困層の怒りを、主流政治家やメディアが読めなかった結果だと言われます。メディアそのものが既得権層、エスタブリッシュメントだとも指摘されました。日本の主流メディアの記者も、多くは首都圏の有名大学を出た男性に偏っていることは否めません。メディアの現場に、さまざまな価値観や多様な文化をもったスタッフを配置しない限り、ますますマスメディアのエスタブリッシュ化が進み、報道と民意・世論とのミスマッチが進行するのではないでしょうか。

つだまさお・プロファイル
1943年金沢市生まれ。京都大学卒業後1966年~1995年NHK(福井・岐阜・名古屋・東京)で報道番組の制作・開発に従事する。その後東邦学園短大、立命館大学でメディアやジャーナリズムの在り方を教えたり、全国の市民メディアをつなぐ仕事に携わる。ぎふメディアコスモスの中から発信する市民による市民のための放送局「てにておラジオ」代表。


vol.176 ホスピスケア♥訪問看護日記-vol.1

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ホスピスって?

ホスピスというと、施設や病院を想像する方が多いと思います。でも(こちらでは)ホスピスケアは在宅が基本です。ご家族が患者さんのケアを担い、看取るのもご家族です。一人きりの患者さんや、ご家族が患者さんと一緒に住んでいない場合は、ヘルパーさんや住み込みの介護者を雇って、看取りまで任せている場合も多いです。ホスピスの医師、看護師、ソーシャルワーカー、スピリチュアルケアカウンセラーをはじめ様々な専門職がチームをつくり、在宅ケアのサポートをします。お家では症状の緩和が難しいときや、ご家族が患者さんのケアを担うことができなくなった時などは、ホスピス病棟のある病院か提携先の病院へ一時的に入院することはあります。薬の調節や外科的・内科的な施術で症状が安定すると、また在宅へと戻ります。
患者さんとってもご家族にとってもホスピスケアという選択は、目的がはっきりしていますが、期間のきまっていない旅のようなものです。ホスピスケアを受ける・切り替えるには、2名以上の医師から「現時点の状態で、このままこの病状や体の状態が続けば余命6か月未満でしょう」という診断が必要になります。ただ、この判断も数字や数値をもとにされることが多く、実際の死期は本当に様々です。本当にあっというまに亡くなる方もいらっしゃいますし、ホスピスに切り替えて在宅で症状緩和に集中したら逆に容態が安定してホスピス自体を卒業される方もいらっしゃいます。
どんな命も生まれたら死にます。それは自然の摂理です。とてもふつうのことです。人が生まれた時には24時間体制で赤ちゃんの世話をするように、人が死ぬときにもその人を24時間体制で世話をするのは、自然なことなのかもしれません。今は、死という体験が家を離れ、避けるべきもののように扱われる傾向が強いと感じます。病院でもそう感じます。社会全体の意識がすこしずつ変わっていく必要があるように思います。たとえば産休・育休があるように、看取り休暇が半年から1年ほど保障されていてもいいのになぁと思います。本当に簡単なことではないですから。
ホスピスケアで一番大切なのは、ご本人とご家族の意見が一致していることと、どのようなケア・看取りを実現させたいかということ。そこがぶれるととても辛い道のりになります。そして、訪れる変化を受け入れることができるかどうかです。昨日できていたことが、今日できなくなる・・・その喪失感や悲しみ、フラストレーションはご本人やご家族をとても苦しめます。あきらめではなく、受容というとても大切で難しいステップです。あきらめや、なげやりになると精神的にもとても辛いですし、受け入れられないと今度はケアの方向性やホスピスケア自体続けるのが難しくなります。

これから、現場での体験や感じたことをレポートします。

2016/12/16
午前12時過ぎに患者さんの自宅に着いた。とても大きなアパートだった。寝室までの廊下には、いろんなものが飾ってあった。
あの夜が最後だったんだ。
ほんとうは、心の中で思ってた。「奥さん、もうそっとしてあげましょう。旦那さん頑張って頑張って頑張って辛そうだよ。」
旦那さんは、心の底から奥さんを愛してたんだ。
奥さんが必死だから、旦那さんは最後の最後まで、「苦しくないよ、息苦しくないよ、大丈夫だよ」って繰り返した。あんなに痩せ細った身体で弱々しいのに、息をするのも辛そうなのに、頭はずっとはっきりしてた。目を閉じても眠りに落ちることなく・・・。本当は自分の体のこと一番わかってたの患者さんご本人だったのに。
奥さんはいてもたってもいられなくて、旦那さんの痰をどうにか咳をさせて吐き出させようと必死だった。旦那さんはそれに応えるように力をふりしぼって何度も咳をして、痰を出そうとした。力の限り・・・
とても辛そうだった。
看護師として、患者さんの容態をうっすらとわかりながらも二人の姿に押されて。。。
何もできずにオロオロしてた。情けない自分。
あの時、「これ以上は辛いだけです。最期の時はとても近いです。」最後まで言えなかった。奥さんに・・・
言えなかった。愛する力の果てを見た気がした。
次の日にレポートを読んだ。
I lost the fight
旦那さんは奥さんにこう言ったそう。そしてその何時間か後に死んだ。この言葉を読んだ時、ほんとうに自分の不甲斐なさを痛感した。ホスピスケアに切り替えた後もずっと、最後の最後まで闘っていたんだ。闘うのをやめていいはずの時に。痩せ細った誇り高き優しき戦士・・・そんなイメージが浮かんだ。
あるがままを受け入れるとは、辛く難しいこと。
起こっていることを受け入れ身をまかせられると、
なんと楽なことか。

 

わかばま〜く:プロフィール  1987年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。

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vol.176 エコビレッジfromオーストラリア

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現実に向き合うということ

今回は、ちょっと違う角度から見たコミュニティーについて書こうと思います。

夏のオーストラリアはとても暑い日々が続いています。
先週、シドニーから2時間ほどの場所で行われた、音楽、アートフェスティバルに行ってきました。
Re- Grow Festival (http://www.re-gen.org.au/) では、木を植えるプロジェクトがあり、農や自然エネルギーがテーマでした。
フェスティバルの行われた場所は、大きな湖畔。湖の対面には、発電所が立っていて、すぐ近くには鉱山があり、石炭を運んでいます。残念なことに、美しい湖は人間の脳に支障をきたすアメーバが住みついているため泳げないということです。

フェスティバルでは、自然エネルギーで電力を賄ったステージもありました。イベントの主旨がよく伝わってきます。
さらにこのイベントは、毎年、数千本の木を植え続けています。11年目を経て、67,000本もの木が植えられました。木を植える場所の土は、とても乾燥しています。だからこそ、木を植える必要があるのだと感じました。

発電のために、山を壊し、土地を破壊している、その現状を目のあたりにするのは、心が痛みます。でもそこから目をそらしてはいけないのだと強く感じました。
フェスティバルに来ている人たちの間では、景色がよくないという不満を言う人たちもいましたが、それよりも、自分たちになにができるのか、を話し合うきっかけになりました。
フェスティバルで音楽を流すにはたくさんの電力を使います。
電気を使うということは、景色が良くないというこの現状につながっているということを知るいい機会になると思いました。

さぁ、苗を植えに行こう!

さぁ、苗を植えに行こう!

電力会社に頼らない生活、自然とともにある生活の仕方。農について、パーマカルチャーについて、フェスティバルの形態について。音楽をとおして、アートをとおして、つながりを求めている私たち。文化と自然の共有のしかたとは。

これから、もっと意識的に活動していこうと思います。    Yao


vol.176 半農半Xという生き方

01

「後世への贈り物」
いまから百年以上前の1894年(明治27)、キリスト教思想家・内村鑑三は箱根において、「後世への最大遺物」と題する講演をおこないました。多くの聴衆に、「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か。事業か。思想か」と問いかけたそうです。この講演は岩波文庫として版を重ね、今なお多くの人びとの精神を鼓舞し続けています。28歳のとき、私はこの本に出会い、大変衝撃を受けました。何歳の時、内村はこの講演をしたのだろう。調べてみたら、なんと33歳で驚きました。内村は講演の中で、お金や事業、思想を万人は残せないけれど、「何人にも遺し得る最大遺物」があります。それは「高尚なる生涯」です、と聴衆に熱く語っています。どう生きるべきか。どう暮らすべきか。いまを生きる世代は後世、将来世代からそう問われている気がします。いま、とても大事な時期です。年の初めのこの時期に、そんなことをたっぷり思索できたらと思います。余談ですが、京都の綾部からこの講演を聞きに行った人がいるそうです。当時、綾部駅はまだなく、園部まで歩き、そこから汽車で遠路、箱根をめざしたのでしょう。すごい先人が綾部にいたのですね。
電球と壊れた卵

鼓舞する団扇(うちわ)
15歳という若さで『啓発録』という書を書いた幕末の福井藩士、橋本左内(1834-1859)は、流されやすい時代を生きていくために、壁や扇子(せんす)にことばを書いたりはったりして、自身を鼓舞していたようです。いまと同じで、江戸時代も大変だったのですね。それにしても、扇子にことば。なるほどです。数年前、綾部の新しい団地のお祭りか何かの粗品として、「団扇(うちわ)をつくるのでその裏面に世界の名言を入れたい」という依頼があり、10ほど名言をセレクトしました。できあがった団扇を何本かいただき、いまも愛用しているのですが、使うたびに思うのは、ローテクの象徴のような団扇も、アイデア次第でおもしろいことができるかも、ということです。みんなで工夫して、工夫に工夫を重ねて、すてきな世界にしていきましょう。後世を想う一人ひとりのアイデアが地球を救うかもしれない、とぼくはそう思うのです。

塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景とする。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.176 ボーダーレス社会をめざして

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vol.35
一人暮らし

 以前からの読者の方、お久しぶりです。初めての方のために、タイトルの「ボーダレス社会をめざして」とは何か?少しご説明をしたいと思います。

 私には39歳の自閉症の息子がいます。彼と私が経験してきたことや障がい者を取り巻く社会のことを書きながら、障がいのある人たちをほんの少し理解して頂けるきっかけを作ろうというのがタイトルの趣旨です。4年前の1月まで連載をしていたのですが、2012年3月、私に胃癌が見つかり手術をし、2/3の胃を摘出したことより心身ともにこの連載を続けるのは無理と判断して止めにしました。しかし、すこぶる元気になり、復活することになりました。

 この4年の間に息子の生活が大きく変わったことをまず書かなくてはいけません。2年前に岐阜市内にあるアパートを借り、一人暮らしの練習を始めたのです。毎週アパートに2泊し、会社に行くという練習をしています。洗濯、掃除、食事作りなど一人でしなければいけないことがいっぱいですが、息子はとっても嬉しそうです。
 どうして思い切って一人暮らしの練習を始めたのか?親子喧嘩が発端です。「この家出ていく?一人で暮らす?」なんて私が怒って言ったのに、息子が「はい。アパートに引っ越しします。」と答えたのです。もうびっくりでした。チャンス到来です。気が変わらないうちに、知り合いの人にアパートを借りたいのだけれど、部屋を見せてほしいと連絡し、二人で見に行き、その場で決めてきました。何でも早い方がいいです。その勢いに乗って、市役所へ行きヘルパーさんが使えるよう手続きをしました。部屋を使えるようにしなくてはいけないので、息子と一緒に家財道具などを買い揃えました。息子は私と一緒に行動するのを嫌うので、めったにないことですがこの時ばかりは仕方なく一緒に買物をしてくれました。2週間くらいですべて用意しましたので、忙しかったこと忙しかったこと。お茶碗等の食器など、こまごましたものまですべて息子本人が選びましたので、満足そうでした。体中から嬉しいオーラが出ていて、希望にあふれる感じがしました。

 障がいがあっても何も変わらないんです。多くの人にお手伝いをしてもらって、自立または自分らしく生きることができるよう環境を整えなくてはいけないとつくづく思いました。これは親の大切な仕事ですね。これから私自身の癌のことも交えながら、障がいのある人に係ることをお伝えしていこうと思います。

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子


vol.176 ぎむきょーるーむ 続・どう診断?どう支援?

ギムキョータイトル

今号は、

発達障害の診断基準って?
診断されたあと、
それから、子どもたちはどうなるの?

あいまいなままの特別支援
発達障害の支援のあり方は都道府県や自治体による差が大きい。診断名をもった子どもを通常学級で見ていくことを手放しつつあります。つまり、子どもを新しいかたちで分けはじめたのです。
医療機関ではADHDかLD、高機能自閉症(これは診断名としては公認されていません)かアスペルガー症候群かにふり分けられることが多いのです。診断基準は行動や症状の羅列で、同じ子どもが二つの診断名をもらうということも起きます。
一旦診断名がつくと、学校では「それでは」というかたちで、保護者と本人との面談などを通じて同意がはかられ、時間割のうち何曜日の何時間めは、支援教室に行くという個別教育計画が立てられます。特別支援教育の体制は、学校に校内委員会を作り、特別支援教育コーディネーターを中心に実態把握や校内での対応をしたうえで保護者の同意もふまえ、巡回相談員を通じて教育委員会に儲けられた専門家チームの検査や判断をするとされています。しかし専門家チームは当の子どもに接していませんし、個別教育計画は学校でなければ作れないので、実際にはこのプロセスを経なくても、診断がついた時点でゴーサインが出ているようなものです。
そもそも特別支援教室は個々の子どもの「弱点」を教育する場であり、さらに発達障害の子どものみを対象とするという取り決めはありません。ですから、あちこちの学年から不登校の子や家庭的な問題が背景にある子など、いろんな子が来ています。先生は一人だけで、個別の学習指導、人とのつきあい方などの援助ができる体制ではありません。それでも、通常学級で授業を受けているより楽しいので、本人は喜んで行くようになることが多いわけです。担任の先生にとっても、「トラブル」が減るので、支援教室に行かせる時間が徐々に増えていく傾向があります。
特別支援というならば、少なくとも支援の内容と方法を明確にし、その効果を一定期間内に評価し、計画を見直していく体制が必要ですが、それらはあいまいなままです。下手をすると、子ども本人の意思を担保にして「厄介払い」する場になりかねません。

ラベリングのデメリット
いま、日本の社会は能力主義がいきわたり、就労のハードルは高く、若い世代が派遣やアルバイトなど不安なかたちで仕事をせざるをえない現実があります。そうしたなか、人づきあいが苦手であったり、課題をなかなか期限通りには達成できない人が仕事を得たり続けていくことはむずかしいといえます。
うた 障害による不利益を被ることが多いこの社会の中で、わざわざ障害名をラベリングし、特別支援教育というコースが新設されました。支援を受けることによって徐々に通級を減らしていけるのかどうかもまだ見えていませんし、通常学級での授業参加の実態がないことから成績評価ができない教科が出てくることも予想されます。小・中学校ではさほど問題にならなくても、高校受験の段階で、明らかな進路上の不利益が生じることも考えられます。
私は、こうした特別支援教育自体に賛成はしていません。ひいき目に見ても、障害のある子の一部は「特別支援教育の成果」として社会に受け入れるけれど、それ以外の子は、教育でやれることはやったのだから、あとは「家庭で責任をとりなさい」、という主旨のように思われてきます。
ADHDとされる子はたいていいつも怒られていて、「どうせ自分はダメだ」という気持ちになりがちだということはあります。そこをついて特別支援教育を誘われたりもします。しかし、迷われている方へいいたいことは、あまり先回りして不安を感じたりふりまわされるよりも、親も腹と腰を据えて、本人にとっていまなにが大事なのかということを、いちばん考えてほしいということです。

茨城大学教員 三輪壽二(みわしゅうじ)
茨城大学教育学部教員。日本社会臨床学会運営委員。精神科医療に心理職として約10年勤めたのち、2000年より現職。著書に『カウンセリングと学校づくり』(偕成社)、『カウンセリング幻想と現実』(共著、現代書館)、『子どもの<こころの危機>はほんとうか』(教育開発出版社)ほか。

先生

予算不足で臨時講師
海和:「発達障害」と呼ばれる子どもが増えてきたためか、特別支援教育担当の教員が足らないって?
夏目:そうかも・・・非常勤講師がかなり動員されているね。
海和:普通学級にいるけど発達障害といわれる子どもたちも増えてはいると思う。
夏目:でも、「増えてきた」っていうけど、発達障害をはっきり確定できる診断はかなり少なくて、診断方法にも疑問はあるんだよな。非常に拙速で、アンケート用紙や適当な観察で医師や心理士といった「専門家」が判断しているケースが多いと思う。そういう診断をされた子どもが学級に来ても、騒ぐほどかと思うことも多い。

ほんとうに困っているのはその子
海和:私は特別支援学級をずっとやってきたけど、まぁ、なんとかなるよって感じで仕事してきたから、あんまり「発達障害」だからどうのってことはなかったな。
夏目:特に印象的だったことは?
海和:手のかかる子はいるよね。乱暴したり、教室から抜け出したり。でも、本当に困っているのはその子どもだよね。怪我しないようにじっと黙って見ているしかできないんだけど・・・。ところが、親の中には「うちの子は、もっとやればできるはずだ」「身につかないのは、教え方が悪いせい」という人もいれば、逆に「どうせやっても意味がない」など投げやりな人もいて、そういう親とは、関係を作るのが難しくて・・・。
夏目:難しいよね、そのへんは。
海和:ありのままをまず肯定し、楽しんで学校へ行っているとか、生活してくれればまずよし!と思ってもらうことが基本だと思うんだけど。そのうえで、少しでもできたり、チャレンジしようとしたときは、いっしょに喜んでもらえればと思う。けれど、親なりに勉強した専門知識に固執して「指導はこの方法で」と強要してくる親さんもいて「その方法ではお子さんにはキツイだけですよ」っていってもなかなかわかってもらえないこともある。
夏目:それは普通学級でも同じだよ。親だけでなく同僚に対しても、かなり気を遣うことが多いでしょ。
海和:普通学級の子と交流するのはとても有意義だから、うまく連携したいんだけどね。ほかの子の勉強が遅れるから迷惑だとか、平均点が下がるだとか、とんでもないことをいう普通学級の担任もいる。結局、教員自体が「競争原理」に毒されているというか、狭い価値観でいるからそうなるんだね。
夏目:学級に障害を持った子どもがいれば、逆にそういう子どもたちから「健常」といわれる子も学ぶことも多いはずだけどね。
海和:子どもの方がうんと柔軟なこともあるし。以前、特別支援の教室に子どもが来ないので、おかしいと思っていたら、その子が普通学級の方へ行ってしまっていた。その子は、子どもたちがいたからその担任ともうまくやっていた(笑)
夏目:それは、おもしろい。子どもたち自身が、制度の枠組みを乗り越えるって感じだ。

成長のための共同協力者は、どこに?
心配夏目:特別支援教育における、海和さんが思う「望ましい教員の姿」は?
海和:障害児教育の分野は、昨日の学級が明日覆されるってこともままあるから「過信しない」こと。どの子にも当てはまる有用な理論はないということを知るべき。それと、保護者には、よくも悪くもわが子の別の一面を教えてくれるのが教員と思って欲しい。子どもの成長のために存在する「共同協力者」という感じがいちばんいいかな。
夏目:「特別支援学級か普通学級か、どちらがいいでしょう」と聞かれるけど、ぼくは普通学級でやればいいと思う。場合によっては、その先生との関係次第かな。とりあえず、支援学級を見学してみて、先生の雰囲気とか、学級児童の数なんかを聞いておくことだけは絶対に必要だと思うよ。
海和:子どもは、前に立つ人、あるいは友だちによって、刻々と態度や感情が変化するもの。同じ声かけでも、マニュアルでもちがいが出る。成長って、子どもを取り巻く大人や環境との関係性が生命。だから、子どもを見るときは、彼らを「まるごと」見ることだと思うよ。でないと、視野が狭くなったり、こちらの態度が傲慢になってしまう。ずっと、そんなことに気をつけて、子どもに関わってきた私の実感です。


vol.176 真の文化は山を荒らさず

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真の文化は山を荒らさず

故・高倉健さん主演の映画「駅 STATION」の舞台として知られる北海道・増毛駅。この駅を終点とするJR留萌線の留萌―増毛間が昨年12月、運行を終えました。JR北海道は全路線の約半分について、「もはや自社単独では維持できない」と発表しています。一方、JR東海のリニア中央新幹線建設には、財政投融資を活用した3兆円の国の融資が決まり、5000億円が貸し出されました。国鉄分割民営化から30年、大きな格差を感じざるを得ません。今回は、リニアをテーマにした映像撮影で訪ねた神奈川県相模原市を紹介します。     ジャーナリスト・井澤宏明

移転迫られる「地域の宝」
新宿駅から約40分、JR線と京王線の橋本駅向かいに、神奈川県立相原高校はあります。県内各地から農業と商業を学ぶ生徒が集まる、ユニークな専門高校です。
緑あふれる校内は住民が通り抜けでき、親子連れやお年寄りの姿が見られます。生徒たちは、自分たちが育てたニワトリや豚、牛から生産した「相こっこ卵」「相原ポーク」「相原牛乳」を販売するなど、日々の活動を通じて地域に溶け込んできました。
この高校の敷地に、リニア中央新幹線の中間駅・神奈川県駅が計画されています。それに伴い同校は、郊外への移転を余儀なくされているのです。
「リニア新幹線を考える相模原連絡会」代表の浅賀きみ江さん(67)は、30年余り前に引っ越してきて以来、同校のあるこの街を愛してきました。「知らない土地で、車もないし遠くにも行けないから、子どもを連れて毎日のように遊びに来させてもらったんです」。

市民でにぎわう相原高校の文化祭「相陵祭」(2016年10月30日撮影)

市民でにぎわう相原高校の文化祭「相陵祭」(2016年10月30日撮影)

以前にも、県立高校再編が検討され移転が取りざたされたことがありました。浅賀さんたちは市民団体を作り、校内を巡る散策会を教員らと開いて、「地域の宝」の存在を多くの市民に伝えてきました。
同校は1923年(大正12)に開校。その年に発生した関東大震災の被災地となった横浜に、生徒たち50人余りの自転車隊が農場で収穫した野菜を届けたという話は、今でも語り草です。広域避難場所にも指定され、東日本大震災でも、多くの帰宅困難者を受け入れました。
浅賀さんは「畑の土壌も、90年ぐらい生徒さんや職員さんが一生懸命耕して大事に作ってきた。せっかくこんなすばらしい環境があるのに」と惜しみ、「やれることは精一杯やっていきたい」と移転反対を訴え続けています。

山あいに巨大車両基地
相原高校のある相模原市緑区には、県駅以外にも、関東車両基地、変電施設、4つの非常口の建設が計画されています。
標高1000メートルを超える峰々が連なる丹沢山地の山あいにある鳥屋(とや)地区。住民の栗原晟(あきら)さん(71)が車両基地が計画されているのを新聞報道で知ったのは、2013年9月と最近のことです。

鳥屋地区の航空写真

鳥屋地区の航空写真

車両基地が長さ約2キロ、幅約250メートル、面積50ヘクタールにも及ぶ飛行場のような巨大なものであることや、工事車両がピーク時には1日1000台以上も走行することが分ってくるにつれ、「こんなもののために、町の人間の土地を奪われ、退去させられるのはたまらない」と思うようになったそうです。
車両基地の完成予想図は、2015年2月にようやく公開されました。図を見ると、複数の谷が埋められ、鳥屋小学校の背後に迫るように車両基地が計画されていることが分かります。
地域の真ん中を車両基地が貫き、多くの家屋が移転対象となる谷戸地域の自治会は建設反対を決議し、「リニア車両基地絶対反対!」の看板を掲げています。一方で、どうしても建設が避けられないのなら地域全体で移転を、とJR東海に要請していますが、話は平行線のままです。

住民、法廷に立つ
沿線住民ら738人が昨年5月、国のリニア計画認可取り消しを求めて東京地裁に起こした行政訴訟。原告として参加した栗原さんは12月9日の第2回口頭弁論で法廷に立ち、意見陳述しました。
「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
日本初の公害問題となった足尾銅山鉱毒事件と闘った田中正造の言葉を引用して、リニア計画に疑問を投げかけました。

今回の取材を13分の映像にまとめた作品「リニアが来るまち」をOurPlanet-TVホームページ(http://www.ourplanet-tv.org)やYouTubeで公開しています。

JR東海が住民に示した車両基地鳥瞰図。飛行場のような巨大基地が計画されている

JR東海が住民に示した車両基地鳥瞰図。飛行場のような巨大基地が計画されている


vol.176 プレゼントコーナー

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プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、下記のアンケート1〜6をご記入の上、編集部・プレゼント係りまでお送りください。
〆切:3月25日 当日消印有効。(Cは3月10日)
B 、Dはにらめっこ編集室に受け取りに来ていただける方。
宛先:〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、使用させていただきます。

アンケート
1- あなたがこの春挑戦すること、したいことは?
温かくなって草木や虫、動物たちも動き始めます。さあ、あなたは?
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事のタイトル1つ
その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名 (第1希望・第2希望)
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、家族構成

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A.「八海山 貴醸酒引換券」
ワインショップ サチ様より…3名様

貴醸酒とは、三段仕込みの最後の「留仕込み」に仕込み水の代わりに清酒を使う贅沢なお酒です。味が極めて濃く、食後酒向きの奥行きの深い味わいです。300ml入り。ワインショップサチさん(各務原市尾崎西町)で、商品とお引き換えください。
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B.「無農薬 ほうじ茶」 ちゃぼぼ園様より…3名様
760年の歴史をもつ春日の在来種の茶木は、地中に深く根を伸ばし、大地に呼応し、自然の恵みだけで育ちます。無農薬、無添加の深く澄んだ味を楽しんで。にらめっこ編集室でお受け取りください。
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C.「Jazz Barご招待券」 アートギャラリー是様より…2名様
3月12日(日)開場18:00 開演19:00 会場アートギャラリー是(関市武芸川小知野489)
ちょっと日常から離れて、大人なひとときはいかが?ピアノとウッドベースが奏でるジャズが心地よく心に、身体に染みわたります。(軽食と飲み物ご利用される場合の料金はご負担お願いします。)
https://www.facebook.com/%E6%98%AFZE-1169062646482636/
c.jazz

 

D.「粉石けん シャボン玉 スノール」  にらめっこより…2名様

良質の天然植物油脂を原料にした純石けん分99%の無添加石けん。手肌にやさしく、デリケートな衣類も洗えると好評です。にらめっこ編集室でお受け取りください。

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E.「CINEX 映画招待券」シネックス様より…ペア3組様

主人公と一緒に泣いたり笑ったり、感激したり。自分とは違う人生をほんの少し体験する。いやあ〜、映画って本当にいいですね♪  (招待券はシネックスマーゴではご利用になれません)

e.syokora