149号(2013.9&10)」カテゴリーアーカイブ

VOL.149 医食住 暮らし上手! 食「暗闇レストラン」 医「微生物のおかげ」 住「続・非電化生活」

01わたしたちは、人生の土台をしっかりと支えている衣食住という生活にもっとまなざしを向けるべきだ。もっと考え、もっと反省し、改良を重ね、知性と芸術的感性を生活の基本に差し向けようではないか。衣食住こそがわたしたちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。 (by ニーチェ)
にらめっこ編集室では「衣」を「医」に置き換え編集しました。

ダイニング・イン・ザ・ダーク

01暗闇レストランをご存じですか?
1999年にオープンした、チューリヒの「blindekuh」というレストラン。
「Blindekuh」のレセプションにはライトがあります。客はここで週変わりのメニューから前菜、メインメニュー(肉か魚かベジタリアン)、デザートを選ぶ。スイス国内で生産された新鮮な素材は、IP Suisseが保証しています。このラベルは、環境にやさしく、動物を搾取しない方法で作った農作物に与えられる。「暗闇で食べるからこそおいしいものを」と配慮しています。
携帯電話や蛍光時計は禁止なので、レセプションに預ける。また、室内は全席禁煙。
そして、いよいよ暗闇の中へ。給仕人の肩につかまり、1列になって席まで行く。しかし、給仕人もライトを持っていない。ここが「blindekuh」の変わった点。給仕人たちはなんと視覚障害者なのです。
テーブルセッティングは、通常のレストランと同様。グラスもフォークもナイフもある。飲み物に続いて料理が来たら、さあどうぞ召し上がれ!誰にも見えないから、もちろん、手で食べても構わない。
子どもも大歓迎。しかし、これまでの経験から、「blindekuh」は8歳以上であることを勧めている。暗闇は、やはり小さい子どもには恐怖だからというのが理由です。

「blindekuh」創始者のユルグ・シュピールマン氏は、視覚障害者で牧師。自宅に友人らを招いたとき、自分と同じ感覚を彼らにも味わってもらおうと、客を暗闇でもてなしていた。これを繰り返すうちに、レストランを開いてみようと思いついたという。

視覚障害者の雇用拡大と、視覚障害者への理解を目指して
「blindekuh」は、非営利で運営している。シュピールマン氏が、他の視覚障害者3人とつくったBlind-Liecht財団が運営主体だ。アンドレア・ブラーサーさんはソーシャルワーカー、トーマス・モーサー氏は歌手、そして、シュテファン・ツアッパー氏は心理学とインテリアを学んだ。
ツアッパーさんによると、人は視覚を失うと五感が研ぎ澄まされて、匂いや味に敏感になるとのこと。ツアッパーさん自身もまた、視覚障害者だから。彼はデザイナーとして活躍している最中、糖尿病で視力を失ってしまいます。
ひきこもる日々ーー
けれども、ツアッパーさんはくじけなかった。レストランの創業者として心の暗闇を抜け出し、喜びのあふれる明るい暗闇へと移り住んだのです。
彼は言いました。「寄付をもらって成り立つようなレストランにはしたくなかった」と。

暗闇レストランは、ツアッパーさん自身、来店客、働くスタッフと、全員を幸せにしている。CS(顧客満足)もES(社員満足)も両方、高い職場です。
障害者の雇用確保という課題にも大きく貢献しています。

「blindekuh」の狙いは3つ。1つは、視覚障害者への理解を深めてもらうこと。2つ目は晴眼者と視覚障害者の間の理解を深めること。3つ目は視覚障害者の雇用拡大だ。
盲導犬を連れたり、白い杖を持った視覚障害者たちを時おり街で見かける。しかし、そうした人たちとの接点はなかなかない。どういう生活をしているか、見えないとはどういうことかを考えることはあまりないように思います。スイスではバリアフリーが浸透していて、商店や医院は車椅子が通れるほど広いし、電車やバスや階段の昇降も、知らない人が即座に手を貸してくれます。それでも、やはり視覚障害者たちは弱い立場にいます。

“目”で食べていることに、みな驚く
「blindekuh」が世界に広がっている理由は、雇用拡大もさることながら、見えない状態で食べることにあります。
客はみな、「味覚は、視覚に大きく影響される」ことにとても驚くという。チューリヒ郊外に住むある30代の主婦は「blindekuh」での体験を、「魚を注文しました。でも食べているときは、魚なのか肉なのかよく分からなかったわ。自分が、普段、いかに目に頼って食べているのかが分かって、とても良い体験になったわ。一度は行ってみるべきよ」。
理論的には、視覚が閉ざされると他の感覚が研ぎ澄まされるという。しかし、”暗闇”が刺激的すぎるのか、味覚は鈍くなるようですよ…。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク
暗闇の中の対話
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温、水の質感。足元の葉と葉のこすれる音、その葉を踏みつぶす感触。仲間の声、乾杯のグラスの音、暗闇のあたたかさ。ダイアログ・インザ・ダークはまっくらやみのエンターテイメントです。
参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、アテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験します。その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、コミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。

対話(ダイアログ)と会話(コミュニケーション)の違い
「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすり合わせる行為。日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても優れた言葉。狭く閉じたムラ社会では、知り合い同士でいかにうまくやっていくかだけを考えればいいから、同化を促す「会話」のための言葉が発達し、違いを見つけてすり合わせる「対話」の言葉は生まれなかった。対話は民主主義を育てる大前提。日本は今、富ではなく貧の分かち合いの時代に入りました。何を大事にして何を諦めるのか、価値観をすり合わせながら、今後の方向性について、国民的な合意を形成していかなければならない。対話が切実に求められている。     (平田オリザ)朝日新聞より抜粋


 

人間が生きていけるのは、微生物のおかげ!

01私たちの世界は、肉眼では見えませんが、微生物に満ちています。きれいな空気の中にも1cm四方に約千匹もの微生物がいるといわれています。高度1万mの上空にも地下1万mの世界にも微生物はいます。もちろん海中にもたくさんの微生物がいます。そして私たち人間の腸の中にも「腸内細菌」と呼ばれる微生物がたくさん住んでいます。つまり私たち人間は微生物と共に生きているのです。
人間の腸内には、約300種類、約100兆個の腸内細菌が住みついているといわれています。その細菌たちは生命力の源であるエンザイム(酵素)を作っています。
腸内細菌には「善玉菌」と「悪玉菌」と呼ばれるものがあります。一般的には人間にとってよい働きをするものを「善玉菌」、ものを腐らせたり人間に害を及ぼすものを作り出す菌を「悪玉菌」といいます。人間に毒にも助けにもならない菌を「中間菌」といいます。この中間菌はまわりに善玉菌がいっぱいあると、自分も抗酸化酵素を出すようになりますが、悪玉菌が多いと、逆に自分も酸化酵素を出して悪玉菌に変わってしまいます。より多数派に染まってしまうのが「中間菌」です。
腸内細菌のバランスはとてもデリケートです。微生物というのは非常にもろい生物です・環境に左右されやすく、繁殖に適した環境だと一気に何千倍、何億倍にも増えますが、環境が悪いとすぐに死んでしまいます。
人間は悪玉菌を毛嫌いしますが、悪玉菌が増えるような環境を作っているのはほかならぬ自分自身です。自分の食生活の乱れ、生活習慣を棚に上げて微生物を責めることはできません。中間菌を悪玉にするか善玉にするかは自分自身の行いが決めているのです。

自然界にあるものはすべてつながりをもち、互いに影響しあいながら微妙なバランスを保っています。そのため、人間から見たら「不要」なものでも、自然界にとっては「必要」なものもあるのです。農作物を育てるとき害虫被害を防ぐために農薬を使う、という言い方がされることがあります。しかし、この害虫という言い方も人間が自分たちの都合で勝手に名付けただけで自然界に害をなす虫など存在しません。人間は農作物に虫が付くことをとても嫌いますが、じつは害虫であれ益虫であれ「虫」が作物にとまることによって増える栄養素があるのです。それは「キチンキトサン」です。キチンキトサンというと、かにやエビの殻に含まれているものとして知られていますが、虫の体を覆っているかたい組織もキチンキトサンによって構成されたもの。そして、虫が作物など植物の葉っぱにとまると、葉っぱから「キトナーゼ」や「キチナーゼ」という酵素が出て、昆虫の足先や体からほんの少しの、それこそ何億分の一とかという微量なのですが、キチンキトサンを吸収して植物はみずからの栄養としていたのです。こうして植物から取り込まれた栄養素は、その植物を食べた動物の生命維持に貢献していたのです。しかしこの栄養のチェーンは、現在は農薬というハサミで断ち切られてしまってます。そしてキチンキトサンではなく、今度は防虫に使われた農薬が野菜に取り込まれ、それを食べる人間の健康を害しているのです。
農薬はさらに農作物のエネルギーの根元である土壌生物たちの命をも奪っています。農薬を定期的にまいている農地にはミミズもよい土壌細菌もいません。そんなやせた土地では作物が育たないので、そこに化学肥料がまかれます。化学薬品の力で作物はできますが、それは形だけのエネルギーのないものになってしまいます。
私たちは食べ物からエネルギーをもらっているのですから、その食べ物自体にエネルギーがなければ、いくら食べても健康にはなれません。

生物が生きていくうえで必要不可欠なのが酵素ですが、人が作ることができる量は決まっているといわれています。体から酵素がなくなったとき、人の命も終わってしまいます。その大切な酵素をもっとも消耗させるのがフリーラジカルです。現代社会はただでさえフリーラジカルが発生しやすい環境にあります。ストレス、大気汚染、紫外線、電磁波、細菌やウイルスの感染、レントゲンや放射線を浴びたときにもフリーラジカルは発生します。
しかし、フリーラジカルの発生原因の中には、こうした外的要因のほかに、自分の意志で防げるものもたくさんあります。飲酒やたばこの習慣、食品添加物の摂取、酸化した食物の摂取、薬品の摂取などはその代表です。これらの要因で消耗される酵素の量は膨大ですから、意識的に減らす努力をしなければ、必ず病気になってしまうでしょう。
自然環境がそうであるように、最初によいものをいくつか積み重ねると、よい環境が生まれます。よい食べ物、水、生活習慣を続ければ、自然と腸内環境は整い、酵素が豊富に生み出され、生命力あふれる人生を送ることができるでしょう。『病気にならない生き方』著・新谷弘美より

フリーラジカルとは
化学分野の専門用語で「対(ペア)になっていない電子(不対電子)をもっている原子や分子」のこと。電子は通常2個が対になって原子核の周りで安定しますが、ペアを持たない不対電子はとても不安定。そのため、フリーラジカルはほかの分子から電子1個を奪って安定しようとする。電子を奪われた方は逆に電子が足りない状態になる、これが「酸化される」ということ。フリーラジカルは、他の物質から電子を奪って、周りを酸化させる活性酸素のようなもの、と理解してください。また、細胞内の遺伝子を壊し、ガンの原因を作るなど、様々な健康被害をもたらすことで知られています。そもそもフリーラジカルは呼吸をしているだけでも発生します。人間は酸素を吸って細胞内の糖分や脂肪を燃やしてエネルギーを出していますが、この時に体内に取り込んだ酸素の2%がフリーラジカルになっています。悪物扱いされることの多いフリーラジカルですが、じつは体内に入り込んだウイルス、細菌、カビなどを退治し感染症を防ぐという、体にとって欠かせない働きもしています。ただ、それが一定量以上に増えてしまうと正常な細胞の細胞膜やDNAを壊してしまうのです。

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電気を使わない冷蔵庫!?!?
「快適、便利、スピード」より大切なもの 続・非電化生活

01豊かさを問い直そう

非電化工房の藤村さんが提唱する「非電化」とは、単に「電気を使わない暮らし」にとどまりません。エネルギーやお金に頼らなくても、技術をうまく使いこなして愉しく生きていこう、という哲学が背景にあります。
問題なのは持続性を損なう技術。ときおり開かれる非電化冷蔵庫のワークショップは「文化系のおかあさん」と小さいお子さんが優先的に参加できるようにしています。お母さんでも作れるほど、シンプルな技術が使われているのです。自分で作れば壊れたときも自分で直せます。先端的な科学技術の一方で、誰もが使える技術を取り戻す。それが科学や技術の暴走を防ぐブレーキになるだろうと、藤村さん。

なぜ、電気を使わなくても冷やせるの?
01ここで利用されているのは、「放射冷却」と「水の自然対流」という現象です。
放射冷却とは、物体の表面から赤外線が放射されることでものの温度が下がることです。よく晴れた夜には地面から赤外線が空に向かって放射されるため気温が下がります。乾燥した砂漠で夜の冷え込みが激しいのはこのため。「水の自然対流」というのは、温かい水は上昇し、冷たい水は下方にたまるという、誰もが経験的に知っている仕組みです。
冷蔵庫の貯蔵室には(容量200リットル)は熱伝導率の高い金属でつくり、その周りに大量の水(約250リットル)を蓄えます。この水が保冷材の役目を果たします。冷蔵庫上部には赤外線を放射するための放熱版を貼り、板の内側が保冷材の水と接するように作られています。貯蔵物の熱は貯蔵室の金属を介して周囲の水に伝えられ、その熱は自然対流で丈夫に移動します。次に放熱版に伝えられ、放射冷却の仕組みで熱が外部に放射されるのです。

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11月の最後の土曜日は無買デー

なんだ?何も買わない日?うーん、ちょっと違う。「1年に1度、余計なものを買わずに過ごしませんか?」と呼びかける日なんだって。買い物以外の楽しいことに目を向けて「ゆったり」この時期こそそんな1日が大切なのでは?って。

このムーブメントは1992年にカナダで始まり、今年で20回目を迎え、今や世界64カ国、150万人以上が参加する国際的イベント。日本には1999年に上陸し、翌年無買デージャパン・ネットワークが設立されました。開催日は北米やアジア諸国では感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日の金曜日。ヨーロッパや日本では11月最後の土曜日。クリスマスシーズンも近く、小売業の売り上げが1年でもっとも高い頃です。

過剰消費に焦点を当てつつ、ライフスタイルの転換を呼びかけるというテーマは深刻ながら、この日は世界各地でウィットに富んだユニークなイベントが行われています。たとえば、クレジットカードをハサミで切るサービス・ストリート・シアター、No Shop店。(何も売らない店)の出店、「無買教会」の牧師が商店街のレジで除霊をして回るなど。
日本では毎年恒例として、京都の繁華街で「禅タクロース」の瞑想パフォーマンス、東京では「ナマケモノ倶楽部」などのNPO/NGOが「買い物をナマケル」呼びかけをします。
これらのメッセージには大量消費社会や消費至上主義的なライフスタイルへの警鐘が込められており、テレビCMや流行に盲従するだけでは人類も地球もおかしくなってしまう、そうではない「本当の豊かさ」を考えようと主張している。このような「気づき」をひとびとに与えるためにキャッチーで知的でユーモラスで、ウィットに富んだスタイルを特徴とする文化変革運動となっている。

2012,11,24 Buy Nothing Day

禅タクロース伝説
禅をしている知人が「あなたが居る処から大改革が始まるんだ」「買い物をする人たちの心の平穏を祈って瞑想しよう」と言っていたのを思い出した。目の前にゴミ置き場に捨てられたサンタの衣装…1999年の無買デーのイベントにと閃いたのです。

 

 


VOL.149 木下黄太氏・講演会 これは見えない戦争だ…

これは見えない戦争だ…

木下黄太氏・講演会

“放射NO!防御プロジェクト”は関東圏の土壌調査をおこない、その実体を発表している。木下氏は放射能問題の実態を真っ向から取り上げ、健康被害や汚染状況を取材調査継続中。だから、木下氏の話はリアリティーに満ちている。 福島第一原発事故が起きた3月11日。同月15日、20日に雨が降り放射性物質が大量に落ちた。(レインアウト、雪が降ればスノーアウトといいます)放射性物質と放射能は違います。電球にたとえると、放射能は電球の光。放射性物質は電球の中身。今回はこの中身が爆発し飛び散ったんです。チェルノブイリの場合、状況を5年隠し続けた。しかし隠しきれなくなった。それは健康被害、病気、甲状腺癌が一定のエリアで集中して発症したからです。 福島の方たちはもちろん、東京都内の妊婦、妊娠可能な若い女性、子どもは避難してほしい。こどもを逃がす(避難させる)という名目があれば、ためらうことはないでしょう!一人でも多く避難させるべきです!と話す木下氏の声は叫びに近い。木下氏はあきらかに怒っている。 その怒りはどこに向いているのだろう。 放射能は直ちに健康に影響はないと公式発表する政府に?学者の根拠のない弁論?決断すべき時に決断しなかった元首相に?原発事故調査結果が出る前に大飯原発を再稼働させた現首相に?無関心な人たちにか… メディアに登場する専門家は、しがらみがあるのか全く事実を伝えていない。ひどい学者になると、福島のこどもを助ける、と言いながらそこに住まわせている。地元から人が流出するのを防ぎたいだけだろう。福島にとって一刻を争う事態なのに、だ。危機管理がなっていない!それでは危機意識も育たない。こんな状況はまさに「見えない戦争だ!」と憤る。 保身、利権、裏切り…その構造がまるみえの政界は、地域、地域に難問を押しつけテキトーにやり過ごそうとした。しかしそれがうまくいかなかった。誰もが政府の対応に不信感を抱き、真実を求めはじめたからだ。 そこでインターネットの力が活きた。ツイッターなどで情報をチェックしたりして、そこには真実を探る力があったから。 僕はフェイスブックやツィッターで、あるいはブログ「福島第一原発を考えます」で5000人の人達と繋がって情報を公開しています。 痛切に感じた圧力。建前と本音…本音としてどこまで危険なのか語れず、躊躇している。そういう雰囲気が東京にはある。どの新聞社も、放送局も事実を報道しきれていない。企業優先、政治家優先するあまり、報道できないのなら、自分がリアルタイムに情報公開しようと思った。「放射能防御プロジェクト」を立ち上げ、土壌汚染の数値、汚染による健康被害の実態など知りうる限りの情報を公開しています。 健康被害に関して、胎児に与える影響は大人の数10倍、幼児は数倍、女性の生理前に起こる影響は多大。大阪からの相談では、4歳の女の子が膣炎で苦しんでいます。突然鼻血が出る小学生の男の子。甲状腺異常では死に至ることはないが、通常の疾病が悪化したりする…など今までに起こり得ない健康被害が起き始めています。 これは僕の場合ですが、東京に帰ると、身体症状として現れたのが・ふくらはぎの腫れ・のどの痛み・目の充血・ものをさわった瞬間に皮がむけ赤い核種が見える(これは完璧にα線核種だといわれました。土壌検査時に同様の症状が出ているそうです)。 放射能はゆるゆる出続けているのが現状です。遠くまでは飛びませんが気流に乗って移動し雨が降ったり山脈に遮られて地表に降りてきます。汚染の状況は偏西風の影響でアメリカ西海岸も影響が出ています。西側は愛知県の東三河まで汚染は一定レベルであります。福島から遠く離れているといっても油断はならないです。 これからも放射能のチェックは必要です。こんな事態に陥った国・日本。政治を変えなければ!みなさんの意識が大事です。

(文責・にらめっこ)


VOL.149 ぐー・ちょき・ぱー ボーダレス社会を目指して(32) 伊藤佐代子

ボーダレス社会をめざして(32) 伊藤 佐代子さん

市主催の展覧会と病気

「各務原市の観光文化課ですが、図書館アート展に淳司さんの作品を貸していただけませんか?お母様の体調がすぐれないと福祉課の方から聞いておりますがどうでしょう?」という問い合わせの電話がかかってきました。抗がん剤を飲んでいた頃で体調は悪く、先が見えない日々を過ごしていましたが「こんなチャンスはまたとない」と即、お受けしました。市から依頼がくる程、淳司は有名になってしまいました。7月28日~8月5日に各務原市の図書館で伊藤淳司作品展が開かれました。打合せには淳司と一緒に行きました。淳司の展覧会ですので、DMも淳司が色などを決めました。展覧会はもうやりませんと言っていたはずなのに、やる気十分で印刷も頼めばすぐしてくれるという気合の入れようでした。どうもわかりません??そして展覧会が間近になってくるとカウントダウンが始まり、「あと展覧会まで、何日です。」と楽しみにしていました。淳司は楽しみにしていればいいのですが、私は展覧会をすることを了承したものの、大きな会場ですのでどう展示をしたら淳司の作品がより良いものに見えるか、マネージャーとしての私の真価が問われる機会と考えて毎日のようにない知恵を絞っていました。かなりの時間を費やし準備をしました。そのことばかりを考えていますと、閃く時があるものです。あっこうすればいいのか!と。楽しい時間を過ごせました。また、この展覧会の準備が「がん」という見えないものにおびえる自分の気持ちを紛らわせてくれました。天から授かった機会と時間でした。おびえる気持ちを発見できたのもこの時期でした。多くの癌関係の本を読み、やっと自分が納得できる考えに到達することができました。時間がかかりましたが、今では心はすっかり安定しました。また前向きに夢を持って暮らせる自分になりました。しかし、以前とはちょっと違っています。1日1日「今日も一日生きられた」と感謝しています。自分をいたわりながら無理はしない生活をしています。心も体も以前に増し充実しています。何のために病気になったのか?意味を考え、食の改善、運動など生活習慣をがらりと変えました。

プロフィール

伊藤 佐代子 (いとう さよこ)
伊藤淳司の母、岐阜障害者就業・生活支援センターの支援ワーカーをした後、NPO法人オープンハウスCANの理事長。地域で暮らす障がいのある方の生活支援や障がいのある方と書道を楽しんでいる。

リンク

NPO法人オープンハウスCAN


VOL.149 アクティバ  「いきる「散骨祭」に想う」

【いきる】 7月15日(日)散骨祭(双六川)

「長年離れて暮らしていて、父と娘という記憶は薄かったけれど、病気をきっかけに、父の生き様に触れて、あー、自分もこんなふうに死にたい。」そう語ってくれた彼の娘・Mさん。葬儀から8ヶ月後の7月15日、友人らが散骨祭を企画した。追悼文集も発刊された。

その日、前日からの大雨警報がうそのように晴れた。双六川という渓流釣りのメッカに遺骨の一部をまいた。イワナよ、喰らえ!とばかりに投げる人。静かに水辺に溶かし込むようにまく人。彼と交流の深かった方たちに私も加わらせてもらい小さな白い彼の欠片を川に放った。ありがとう!声にならない声が自分の胸を突き上げた。渓流の音とギター演奏で追悼の歌を捧げたのも彼の友人。彼を取り巻く人たちのなんて温かいことだろう!01「彼は完全燃焼した」ということばを追悼文集の中から見つけたとき、彼は新聞記者魂を貫き見事に生きたんだ、と思った。生前準備講座でたびたび使う絵本『わすれられないおくりもの』の主人公のように、彼はいつまでも私たちの心の中で生き続けるだろう。
「死」を真正面からとらえ受容したときから本当の人生が始まる…そんな気がしてならない。今を生きる!強い想いを抱いて帰路についた。

 

【たべる】7月26日(木)無農薬・有機野菜試食会 川辺町クリーン古里つくりの会

アクティバで初めて自然農法の勉強会を行ったときの講師
桃井氏から川辺で採れた無農薬・有機野菜の試食会のご案内をいただき、さっそく取材にでかけました。会場は満員!テーブルの上には24種類もの料理がずらり!一例を挙げると・カボチャの豆腐サラダ・三度豆のピーナッツみそ和え・キュウリと桜エビの塩炒め・そらまめご飯・青ジソジュース・野菜スープ・じゃがいものカレー炒め、などなど。

たべる

9月16日9:00現地集合 雨天順延
稲刈り体験会

参加・希望者 大歓迎
参加費1,000円(アクティバ米のおにぎり2個・漬け物・冷茶付)
小学生以下は無料(おにぎりセットはついておりませんので、希望される方はあらかじめご予約ください)

・9月30日(日) 脱穀
・10月6日(土)10:00〜腐葉土集め
・ 12月15日(土)10:00〜

★ 天候や稲の生育状況で日程が変更になる場合もあります。事前にお問い合わせください。

・ 今年で3回目の収穫です。一生のうち何度田植えができるだろう?何度稲刈りができるだろう。一年に一回づつ。だからこそ、気持ちを込めて取り組みたいもの。仲間がいるからこそできること。あなたも自然農法の米作りに参加しませんか?
腐葉土を田んぼに漉き込む。
その後「食」勉強会
アクティバの田んぼは、無農薬栽培ですが、無施肥ではない。昨年は収穫した後のわらを漉き込みました。今年は腐葉土を漉き込んで「土の力」をさらにパワーアップをもくろみます。土づくりに3年。今年がその3年目です。土に力が付けば、作物はしっかり育つはずです。楽しみ〜

腐葉土とは…腐植土ともいうが、厳密に言うと土ではない。長い年月をかけて自然が作り出す天然の肥料。植物由来の有機物が堆積し、発酵が少し進んだ状態のもの。それを資源としてバクテリアなどの微生物やミミズなど大小さまざまな土壌動物による生化学的な代謝作用により分解されて土状になったもの。

いきる
10月6日(土)10:00〜
腐葉土集め
13:00〜「生前準備講座」
2013 年(予定)
・1月 外部講師を招き勉強会を行います。
参加ご希望の方は事業部まで
生前準備は今やトレンディー。映画「エンディングノート」で一躍脚光を浴びました。アクティバが編集・発行した『ゼロの昇天』はまさに生前準備ノートです。まだまだ実感が持てない、寿命を迎えて自然に…という希望をもつ方が多いのが現状ですが、人生にハプニングはつきもの。しかも寿命は人それぞれに違います。人生に絶対があるとしたらそれは「死」。生=死とも考えられます。「ノートに書き込むこと」は死を真正面から向き合い積極的に生きることに繋がります。その延長線上に、「生前準備」があると考えます。
明るく愉しく自分のエンディングをとらえ準備をするための勉強会です。

いきる・キャプション
定価 650円 会員価格 600円
骨つぼ作り・会員は染め付けまで楽しみました。
遺影撮影会・アクティバが各務原市より請け負い全10回コースの生前準備講座にて

あそぶ
ボサノヴァ・お月見・ピザ・ワイン…
♪そ〜ゆう、ひととき♪
11月3日(土) 17:00〜21:00 Open Style
場所:アートギャラリー是(武芸川温泉西200m 0575-46-38780575-46-3878
会 員/3,500円 非会員/5,500円(その場で会員になることもできます
入会金1,000円 年会費5,000円)
Food,Drink Free

お月さまを眺めながら、ボサノバのリズムに身を任せ、石釜で焼きたてピザに舌鼓、そしてワイン…そんなひとときを企画しました。あなたの都合のいい時間にお越しください。大人な雰囲気で、会話を愉しむもよし、ひとりデッキで過ごすもよし。「ゆったりとした時間を共有する」それが今回のアクティバの「あそぶ」想いです。

※アクティバ通貨
アクティバでは、「たべる」「いきる」「あそぶ」各活動に参加された方に、通貨を配布しています。通貨は2種類。労働系(「たべる」の田起こし、田植え、など一連の作業)には5文。とサロン系(「いきる」「あそぶ」)は1/2文。1/2文を5枚集めると5文となります。
この通貨は、アクティバ米を購入することが出来ます。いっぱい集めて無農薬・無施肥のお米をゲットしよう!
陶製の通貨です。
お問い合せ NPO法人「人生これから」アクティバ事業部
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町2-25(ミニコミ紙「にらめっこ」内)
TEL/FAX 058-383-8666(担当・三上)
e-mail/ info@niramekko.com
アクティバはHP:niramekko.comのトップページから検索できます。


VOL.149 まいまいの看護師見習い奮戦記~From Newyork~part-10

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NY貧乏Nuseものがたり part -10

One Day

うちが勤務する病棟は一般外科とホスピスの両方がある。一般外科はスペイン語圏の患者さんがかなり多いんやけど、今日はめずらしくタイの患者さんのアドミッションがあった。電話で通訳サービス使って英語とタイ語で入院の受付をやったんやけど、タイ語ってかわいい〜 そして柔らかい。実はベトナム語の響きが音的にちょっと苦手で、タイ語もそんなかんじかなぁって思ってた。でも全然なじめるなぁって思った。

そして微笑みの国の人だけあって、やっぱり笑顔やった! 次の日もその患者さんの受け持ちやったけど、手術後2日目できっとまだまだ痛いのに、ものすごい素敵な笑顔であいさつしてくれた。 コックン カー  タイの人達のあいさつってうちは好きやなぁ〜。 両手合わせて、笑顔で軽く会釈してて、なんだかいいなぁって思った。と思ってほのぼのしとったら、今度はエジプト人の患者さんがパニックで大暴れ!このエジプト人のおばちゃん、うちが入院の手続きしてる間は本当におだやかで、すんごい礼儀正しかった。 のに! ERから荷物が戻ってきて、カバンの中に自分の貴重品(特にグリーンカード・うちらにとって大切な永住権のカード)がないって、すんごい大暴れで、ベッドサイドのお水はまきちらすし、叫びまくるし、挙句の果てに病室から911で警察に通報して、隣の患者さんが She is crazy!!! と泣き出す始末で・・・しかもアラビア語ですっごい剣幕で怒ってるからこっちも何いってるも検討つけられん。夜中の1時ごろだったから、貴重品の部屋は開けられないらしく、本人にちゃんと預かってありますから、明日の朝になったらお渡ししますっていう説明も通じなくって、しばらくてんやわんやが続いた。患者さんの手元に貴重品が戻ってることを願う。。。

それと、週末はホスピス専門のナースプラクショナー(NP)がおらんから、研修医のトップのティーチングレジデント(TR)がホスピス患者を担当するんやけど、やっぱ難しい。

TRは普段”これからも生きていく人達”の治療にたずさわっているわけで、”これから死を迎える人たち”の治療は専門やない。

今日もホスピスの患者さんで、どんなに薬を投与しても、とにかく嘔吐がとまらなかった人がいた。きっと家族の人のほうが気が気でなくって、いろいろと要求してきたけどね。でも本人はきっとそんなに薬も必要としてなくってね、静かにしといてって感じやった。一回でいいから見に来てほしかったな、どんな様子なのか。でも、TRドクターは忙しくって実際にホスピスの患者さんを看にくることはめったにない。優先順位をつけると、結局ホスピスの患者さんは後回しになっちゃうから、今この先も生きていく人の治療と、死を迎える人ではどうしてもこの先も生きていく命を優先的にみていかんといかん…

だからこそ、一般外科やステップダウンとホスピスが一緒の病棟に存在すべきではないといつも思う。 だって、今まさに消え行く命も、この先も生きていく命も、同じ命であることにはかわりない。どちらも尊重されるべきで、どちらも同じくらい真剣に向き合うべきだと思う。 でも一緒にみなきゃいけなくなるとどうしてもプライオリティーをつけて、対応しないといかんもん。そしたらやっぱり難しいよね。どっちみち死にゆく患者さんやからってなりなくたいのに、できるだけ心地よい環境で、心地よい状態で、痛みや苦しみを出来る限りに軽減する…それがホスピスだと思う。

患者さんが望む場所で、望む形で最期を迎える。 それがホスピスの理想。家族も全てを受け入れないと実現しにくい…難しいな〜って今日 あらためて思った。

Other day

こっちでよく中国人?韓国人?とかチベット人?てきかれるけど、日本人っていうとみんなちょっと驚いたり、珍しがったりする。 でも大半がポジティブなリアクション。 へ〜日本人なんだ!って態度がよくなったり、表情がかわったりする。きっと人それぞれ日本についてや日本人についてのイメージがあってのことやろうけど、やっぱりちょっとうれしい。

そんな風に、いいイメージの多い日本。 だからこそ、過去にあったことも今おこっていることも含めて、 日本はいい国だよって言えるような、そんな国であってほしい。 もっともっとよくなれるよね。もっともっと大切なもの守れるよね。


VOL.149 記者雑感 From 気仙沼 食品の不思議 あちこちに

「食品の不思議 あちこちに」

気仙沼市の人口は、住民基本台帳の上では7万人弱。市外の仮設住宅や親戚の家に暮らしながら住民票を移していない人が多いのでかなり不正確だが、各務原市の半分以下で羽島市より少し多い。
その規模の街としては、大資本ではないスーパーが健闘している。「マルホン」「ジャンボ」「片浜屋」などなど。蘇原の「サンマート」に近い形態だ。規模のメリットはないはずなのに、とにかく安い。
営業を再開した飲食店は少ないし、40歳になった今、体調が気になる。単身赴任ながら、できるだけ自炊をと心がけている。情けない話だが、せめてネギぐらいはきらさないようにと。
7月上旬、ある地元スーパーに行った。白ネギが一把158円。値段は納得。かごに入れようとして「千葉産、福島産」と書いてあるのが目に入った。手を止めた。福島? 産地が複数なのに何で一つの箱に入れるの? その店でネギは買わなかった。
この店は正直なんだろう。放射性物質に無関心なのか、知っているから千葉産と混ぜたのか、国の基準を信じているのか。そして自分がやったこと、またそれを書いていることが風評被害につながるのか。何度も考えたが、またしても分からない。
ただ、いくら食品の放射性物質を検査して100ベクレル以下でも、それを食べ続けたた結果の内部被爆について「大丈夫」とは誰も保証していない。名古屋に住む37歳の妻は、「海藻も危ないんでしょ。できるだけ食べないで」と言う。
気仙沼市は7月、市民が持ち込む食品の放射性物質検査を始めた。2週間で100ほどあった。採れた物と場所、そして結果は、数日おきにHPと週3回の記者会見で発表する。キャベツやタマネギなど、自分で育てて自ら食べる農産物が大半なのに地域性を感じた。
おかしかったのが、果実酒(さるなし)と、果実酒(山ぶどう)。「採取地」は市民の森となっている。市民の森に酒を売る施設はない。市有地で植物を採って焼酎かリキュールに漬けたんだろう。そんなことは持ち込んだ人が言わないと市側も分からない。また「正直だなあ」とうなってしまった。なお、「さるなし」は地元のベテラン記者も知らなかった。
震災がなければ素朴な場所だった。そう思う反面、不思議に感じることもある。スーパーではマイバッグをまず見かけない。レジ袋が当然。アイドリングストップ、という考えもあまりない。もらえる物はもらい、使える時に使っておけ、というやり方なのか。それは震災があったからか。誰かに聞きたいが、機会を捉えられずにいる。

NO338:市内の山間部に水産課工場を作る業者も現れた。沿岸の加工団地にも誘われたが「津波が来ない所でないと商売を続けられない」と断った。7月24日。

 

「食品の不思議 あちこちに」

気仙沼市の人口は、住民基本台帳の上では7万人弱。市外の仮設住宅や親戚の家に暮らしながら住民票を移していない人が多いのでかなり不正確だが、各務原市の半分以下で羽島市より少し多い。
その規模の街としては、大資本ではないスーパーが健闘している。「マルホン」「ジャンボ」「片浜屋」などなど。蘇原の「サンマート」に近い形態だ。規模のメリットはないはずなのに、とにかく安い。
営業を再開した飲食店は少ないし、40歳になった今、体調が気になる。単身赴任ながら、できるだけ自炊をと心がけている。情けない話だが、せめてネギぐらいはきらさないようにと。
7月上旬、ある地元スーパーに行った。白ネギが一把158円。値段は納得。かごに入れようとして「千葉産、福島産」と書いてあるのが目に入った。手を止めた。福島? 産地が複数なのに何で一つの箱に入れるの? その店でネギは買わなかった。
この店は正直なんだろう。放射性物質に無関心なのか、知っているから千葉産と混ぜたのか、国の基準を信じているのか。そして自分がやったこと、またそれを書いていることが風評被害につながるのか。何度も考えたが、またしても分からない。
ただ、いくら食品の放射性物質を検査して100ベクレル以下でも、それを食べ続けたた結果の内部被爆について「大丈夫」とは誰も保証していない。名古屋に住む37歳の妻は、「海藻も危ないんでしょ。できるだけ食べないで」と言う。
気仙沼市は7月、市民が持ち込む食品の放射性物質検査を始めた。2週間で100ほどあった。採れた物と場所、そして結果は、数日おきにHPと週3回の記者会見で発表する。キャベツやタマネギなど、自分で育てて自ら食べる農産物が大半なのに地域性を感じた。
おかしかったのが、果実酒(さるなし)と、果実酒(山ぶどう)。「採取地」は市民の森となっている。市民の森に酒を売る施設はない。市有地で植物を採って焼酎かリキュールに漬けたんだろう。そんなことは持ち込んだ人が言わないと市側も分からない。また「正直だなあ」とうなってしまった。なお、「さるなし」は地元のベテラン記者も知らなかった。
震災がなければ素朴な場所だった。そう思う反面、不思議に感じることもある。スーパーではマイバッグをまず見かけない。レジ袋が当然。アイドリングストップ、という考えもあまりない。もらえる物はもらい、使える時に使っておけ、というやり方なのか。それは震災があったからか。誰かに聞きたいが、機会を捉えられずにいる。

 

NO338:市内の山間部に水産課工場を作る業者も現れた。沿岸の加工団地にも誘われたが「津波が来ない所でないと商売を続けられない」と断った。7月24日。

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1675:15年連続でカツオ水揚げ日本一の気仙沼漁港。今年も入港が始まった。6月6日。

 

 

 

 

 

 

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2001:宮城県で震災後唯一海水浴場を再開した大島の小田の浜。海岸は津波で三分の二がなくなった。7月21日。

 

 

 

 

 

012056:津波で海中に流れ出た石油タンクの回収作業。22基のうち19基目だ。20基目の引き揚げ作業中の7月28日には爆発事故が起き、潜水士1人がけがをした。7月26日。

 

 

 

プロフィール

現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)
私のいる事務所兼住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離れた小学校も解体です。節電といわずとも、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯もいらないわけで…これから、気仙沼で自分の見たまま感じたままをお届けします。


VOL.149 ぎむきょーるーむ 「誰の責任?忘れ物」

持ち物・準備、低学年のうちは親がかかわった?

01YES
●小学校入学後、毎日配布さ
れる持ち物や準備品についてのプ
リントの多さに閉口していました。ふでばこの中身から、図工の資材まで、保護者宛にプリントが配られていましたので、おのずと親がかかわる時間割チェックでした。

1・2年のうちは親がチェックしないと忘れ物が多くなると思うし、親がやっているのを見て自分でできるように習慣づけてあげたほうがよい。実際、上の子2人は2年生までチェックしたが、それ以降はしていない。長女はあまり忘れ物をしないが、長男はときどきしている。自分(長男)の責任だと思っている。

NO
●自分の持ち物は自分で管理するのがあたりまえのことだと思っている。
実際には、忘れ物をしまくったし、きらいなこと、いやなこと(宿題など)はわざと忘れるというワザも使っていたようで、それはそれでいいのではないかと思う。親が用意を手伝えば、自分の忘れ物を親のせいにしてしまうと思う。

「申し訳ありませんが、息子の忘れ物はあきらめてください」と担任に頼みました。無理ですよ。私が息子の持ち物をいちいち調べるなんて、せいぜい2日が限度。それはもう息子の問題ではなく、私の問題です。継続しないことはやらない主義の私としては、担任にあきらめてもらうより方法がありませんモンネ。

こどもによる

しっかりした子にかかわる必要はないけれど、のんびりした子もいるので、ね。うちの場合は、口頭で指導して自分で準備させた後、こっそりチェックしていました。忘れていたい目にあわせよう、ともくろんだのですが、ちっとも痛さを感じないタイプなので先生に迷惑をかけるだけとわかり、やめました。クラス懇談会でもうちと同じグチをこぼしているお母さんが3?4人もいました。

こう指導しています

01たまには忘れたままでイヤな思いを味わうことも
基本的には、あたりまえですが、「必ず忘れる」というのを前提にとりくんでいます。学校では、覚えておかなきゃいけないことが、目まぐるしく生まれては消えていきます。ボクだってけっこう忘れるので、よく子どもたちにしかられています。
そこで、ボクがこどもたちに強調しているのは、「忘れたらどうするか?」を自分で考え、行動に移せということです。わかりやすくいうと、習字の用意を忘れちゃったなら、休み時間のうちに隣のクラスの人に借りておけということです。「忘れたことについては怒らないが、なんの対策もとらなかったことに対しては怒る!」と最初に宣言してあるので、忘れていてもボクにはわからないし、モノはちゃんと用意してあるので、精神衛生上とてもよいのです。
それから、準備するものによってそれぞれ心構えが異なる場合もあります。たとえば、図工では、ボンドや折り紙など、だれからでも借りられるものならば、まあなんとかなるでしょう。しかし、空き箱や流木など、オリジナリティが求められ、人のオコボレがあまり期待できないものになると、なにがなんでも自分が持ってくる以外ありません。まあ、忘れても、いつもなんとか用意できてしまうのではなく、たまには忘れたままでしっかりイヤな思いを味わうことも必要だと思います。
対策として子どもたちにすすめているものは、掌に油性ペンで書いておくことです。これは、ボク自身がやっていることで、どうしても忘れそうなことはいつも掌に書いてあります。それを見た子どもたちのなかには、「せんせぇ?、なにそれぇ??」なんてしつこく聞いてくるのもいるので、子どもにも読ませ、いっしょに覚えてもらうこともあります。
サッと書けて、いつも目につき、ちょうどいいころに消えてくれるので、メモとかよりも多用しています。
慣れてくると、それでも忘れてくる子には、「顔に書いとけば、うちに帰ったときだれか気づくだろ、オレが書いてやっか??」などと冗談まじりにオドしたりもします。
(いりくら・みつはる  入倉光春福島県の小学校教員)
こども・きょういく・
がっこうBOOK
おそい・はやい・ひくい・たかい  N0.9より抜粋