198号 (2020.11&12)」カテゴリーアーカイブ

vol.198 シンク•グローバリー アクト•ローカリー

 大きな視野で考えて、実際の行動は地道なところから取り組む。よく使われる言葉ですが、それを実践することはなかなか難しいですよね。自分のことに当てはめても「Think local,Act Local」的なことが多いのでは?と感じます。
 でもこれからは、むしろ「シンク・ローカル 、アクト・グローバル」が大事だと思いますが、皆さんはどう思いますか?

 地球温暖化や世界の紛争など、大きなことを考えても、行動に結びつきにくいものです。まず身近なことをしっかり考える。好奇心や探求心が動き出すような、自分が心から興味を持ったことは、必ず行動となります。行動すれば人とのつながりが生まれます。今の時代、そのつながりはおのずからグローバルなものになっていくのではないでしょうか。
 また、自分の生まれたところ、自分が出会ってきた人や出会ったものたち、つまりローカルな情報に愛着のある人ほど、グローバルな視野があったりすることに気付かされます。世界とは何かを知るためには、自分とは何かを知る必要があるようです。何かとても哲学的な要素を感じますが、むずかしく考えないで、まずは自分が住むエリアのことをもっとよく知ることに焦点を当ててみたいと思います。

地球規模で学び考え、地域(現場)で動く。身近な社会(家庭・地域)身近なフィールドを大切にする。

 身近なフィールド?例えばゴミ。毎日台所から出るなまゴミから、産業廃棄物まで、範囲は広いけど、ここでは今大きな問題となっているプラスチックゴミを考えてみます。
 レジ袋が有料化され、消費者である私たちの意識も環境への負荷をなくす方向に少しづつシフトしていると思います。ですが、プラスチック製品はもはや生活の一部となっています。そこで「足元から行動しよう!」の第一歩として「安易に購入し安易に捨てる」、この習慣をまず見直すことから始めませんか。今すぐにでも始められる取り組みは、マイバッグ、マイボトル、マイカップを持ち歩くなど選択肢はいくつもあります。

 さて、下の写真(1)は1192の島々からなるモルディブ諸島の一部を空からとらえたものです。この小さな島国の砂浜や沿岸の海域には、世界で最多水準のマイクロプラスチックがあるという報告です。これは対岸の火事ではありません。巡りめぐって私たちの食生活を脅かすことになります。もう一つ大きな問題もあります。海洋生物にも生死に関わる大きな影響が出ていることです。((2)(3)はほんの一例)

9割の食塩からマイクロプラスチックを検出?!

 数年前、海塩からマイクロプラスチック(プラスチックごみが顕微鏡サイズにまで小さく微細化したプラスチックの破片、以下MP)が初めて見つかった。しかし、調味料として身近な塩に、プラスチック微粒子がどのくらい含まれているかについては、分かっていなかった。新たな研究で、世界の食塩の9割にMPが含まれているというショッキングな結果が報告された。
 この研究は、韓国の研究者グループと環境保護団体「グリーンピース東アジア」の合同チームが、塩に関する既存研究を活用してまとめたもの。その分析によると、調査対象となった食塩39品目のうち、36品目でMPが検出された。MPが含まれている割合は、地域ごとにも違いがあった。密度が高かったのがアジア産の塩で、インドネシアで販売されたものが一番MPを含んでいた。アジアはプラスチック汚染が進んでおり、中でも5万4720キロメートルの海岸線を持つインドネシアは、2015年の別の研究でも、世界で2番目にプラスチック汚染がひどい国とされた。生産された場所別に見ると、MPの含有レベルが一番高いのが海塩で以下、湖塩、岩塩の順になる。

そもそもプラスチックゴミがなぜ海に漏れ出すのでしょうか?

 毎年,世界中で捨てられるプラスチックごみのおよそ2%〜5%が海に漏れています(中間値で3%)、漏れ出たプラスチックは2010年の時点で800万トン(中間値)と推定されています。
 ダンプカーいっぱいのプラスチックを1分毎に海に投棄するのと同じです。プラスチックごみが,海洋動物に絡まり、あるいは誤食され,野生動物の死を招いていることはよく知られています。目に見えるプラスチックごみよりもずっと危険なのは、MPです。化粧品やケア用品に含まれるマイクロビーズもMPです。排水溝に流れたマイクロビーズは,下水処理場をすり抜けて、やがて海に流れていきます。これら小さなプラスチックは、PCBやDDTといった有害な化学物質をスポンジのように吸着します。そして動物プランクトンや小魚、貝などの海洋動物に食べられ、食物網に入って汚染物質を濃縮していくのです、めぐりめぐって、あなたの食卓に紛れ込んできます。MPが汚染物質の運び屋になっているわけです。
 増え続ける海のプラスチックごみが今後どんな影響を及ぼすか、まだ誰も知りません。でも2つだけたしかなことがあります。
 このままのペースでプラスチックを生産し消費し続けると、海に蓄積するプラスチックの量は生息する全ての魚よりも多くなること。そして誰かが捨てたプラスチックごみは、MPとなってあなたの体に入りこむという事実です。
                         ナショナルジオグラフィックより 

 私たちの生活に欠かせない様々な製品にプラスチックが使われています。そして破棄される大量のプラスチックごみ。それをどう処理するのか。低温度で焼却すればダイオキシンが出るし、リサイクルにも相当のエネルギーが必要となります。製造元が責任を持って回収するデポジット制度はどうでしょう。しかし、日本全体では8割の自治体が賛成しているものの、回収した容器の保管場所、対象とした商品の価格が上昇することなど、様々な問題があり実施に賛成の自治体は少ないようです。何れにしても、土に還らないもの作りは未来が見えません。
 個人でできることは限られていますが、できるだけ購入しない、使用しないことが求められます。私たち一人ひとりが暮らしにきちんと向き合うことで問題の解決に繋がっていくのではないでしょうか。

  


vol.198 ゴミゼロを実現した町

“ごみ”ではなく“資源”。未来に残したい町づくり

宣言文
1. 地球を汚さないひとづくりに努めます!
2. ごみの再利用・再資源化を進め、2020年までに焼却・埋  め立て処分をなくす最善の努力をします!
3. 地球環境をよくするため世界中に多くの仲間を作ります!

美しい町の保ちかた

 34にも分別されるごみ。一体どのように収集されているのだろう、とても気になります。
 実は、上勝町では、収集車でごみの回収はしていません。その代わりに、町じゅうのみなさんが、各自ごみをここまで持ってきてくださるんです。そして、ここ、ごみステーションでは、なぜそうするのかを納得して協力して頂くために、運搬、焼却、灰の埋め立てに至るまでのコストをしっかり算出し、数字でわかるように記しています。
 34分別を行う場所には、ごみ見本やわかりやすいイラストや数字での表示が掲げられているため、子どもからお年寄りまで楽しみながら参加できるような仕掛けになっています。
 ごみステーションには、子どもが成長して着られなくなってしまった子ども服など、「持ち主にとっては不要になったけれど、まだまだ使える物たち」がずらりと並んだリユース推進拠点、「くるくるショップ」も併設。このショップは、町内の人だけではなく、この町を訪れた人々で欲しい人が自由に持ち帰ることができるという、なんとも素敵な場所なのです。
 そして、隣接する介護予防活動センター内には「くるくる工房」というショップがあり、センターのおばあちゃんたちが不要になった素材を活用してつくったリメイク商品が販売されています。
 考えずに捨てて、まとめて燃やしてしまえば「ただのごみ」。だけど、少し考えて視点を変えれば、そして、付き合いかたを変えれば、繰り返し使える大切な資源。
 ごみを減らし、資源として再活用するための仕掛けが、この小さな町には、たくさんあります。あなたの町では、どんなふうに「ごみ」が扱われていますか?

住民の手によるゴミの減量化
ごみの3割を占める生ごみを堆肥に

 毎日の生活の中から出るごみは、分別することが困難で、燃やすか、埋め立てるしか処理のしようがないものが溢れており大きな障壁となっています。ごみの問題が解決されないのはどうしてなのでしょう?それは、使わなくなった物の処理が自治体の責任になっており、消費者が負担を持つしかけになっているため、処理するときのことを考えずに様々な物が作られているからです。

 上勝町は1994年に「リサイクルタウン計画」を策定し、ごみを減らす知恵を絞ぼりました。ごみの組成と排出量を調べると、最も多いのは重量比で3割に当たる「生ごみ」でした。水分量の多い生ごみを焼却するには、補助燃料として化石燃料も必要になる。そこで、生ごみを堆肥化する方法を考えました。現在、上勝町では、町民の協力でコンポストもしくは電動生ゴミ処理機の普及率が 98% に達し、残りの家庭では直接、畑などを利用して堆肥にしています。また、商業施設でも、 業務用の電動生ゴミ処理機を使用しており、生ゴミのリサイクル率はほぼ 100%となって、 町は生ゴミを回収する必要がなくなったのです。町民にとっても、生ゴミの回収を待つ必要がないため衛生的で、作られた堆肥は自宅で利用することもできるなど、メリットはたくさんあります。

NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー 
4代目理事長・坂野さんのお話より

 TOPIC
全米の中でもエコ活動が盛んなニューヨークでは週一回、生ゴミの集積場所を設置します。基本的に動物性の以外の生ゴミや残飯は全て入れてもOK。市が回収し、別の場所にある大きなコンポストサイトへ移します。環境に無害な方法で処理をして再利用するのです。基本的には“土に返せるもの”が基準になっています。

ごみを出さないようにするには
1)不要なものを家の中に持ち込むことをやめる。
2)必要なものを減らす。
3)買ったものや、今あるものを繰り返し使うこと。
4)資源化(リサイクルは再加工のために貴重なエネルギーを要する。
5)有機ごみを時間をかけて分解し、養分を土に返す。
  この5項目を順に実行していきましょう。そうすれば家庭
ごみにまつわる大半を吹き飛ばすことができるでしょう。

ごみ拾いを始めた"つくる・みらいの会” 代表•今尾幸子さん

 今尾さんは今年の春、コロナ禍で自粛生活に入った時、自分にやれることはないか考えた。以前から気候変動がすごくに気になっていて、ごみも無関係ではないと知り「ごみ拾い」を始めた。
 「拾うごみの9割以上がプラスチックごみです。用なしになったらすぐに手放す、そんな感じです。だから、菓子パン、弁当容器、ペットボトル、ビールやジュースの缶、タバコの吸い殻・・・テイクアウトが増えてごみも増えたように思います。汁が出るし持ち歩けないんでしょうか、交差点の片隅にきちんと置かれていたり。」
 ごみと気候変動とどんな関係があるのか。プラスチックは太陽光にさらされ劣化する過程でメタンなどの温室効果ガスが発生する。このガスが実際どれくらい温暖化に影響しているかは研究途中なのではっきり言えないが、地球や自然界に大きなインパクトを与えているのは確か。
 「ゴミは風が吹けば飛んでいくし、用水路に落ちたり、川に流れ、やがては海にいき海洋生物を脅かし、更にマイクロプラスチックとなって海塩に混ざると除去できないんです」。
 ゴミ箱がないなら持ち帰る。この当たり前のことができないのはなぜだろう。そんなことを考えていても始まらない、とにかく「目の前のゴミを拾おう!」と決め行動に移した。すると、声をかけてくれる人や、一緒に拾ってくれる人も現れた。印象深いのは、友人の大学生の娘さんが参加してくれて、彼女が卒論にゴミ問題のことを書こうかな、と言ってくれたこと。少しづつ手応えを感じている。
 自分自身、買い物のスタイルが変わり、トレーなど出来るだけゴミになるようなものは買わないようになった。「量り売りのお店がもっと増えるとうれしい。あとは再利用ですね。生ゴミは堆肥にするとか」
 アクト・ローカリーがここにもあった。小さなことでも、行動をすることで、アクト・グローバリーにつながる。


vol.198 コロナ禍と戦争〜真の抑止力とは何か? 

日本国憲法公布74周年記念・学習講演会
主催:「ぎふ平和のつどい実行委員会」

講師 池内 了さん(名古屋大学名誉教授)

コロナ禍を戦争に譬 (たと)える

 今やコロナの問題をからめないと何も議論が出来ない状況です。これまで約9ヶ月程続いてきたコロナ禍の中で、各国の代表は戦争に譬えています。マクロン大統領は、「我々はウイルスと戦争状態にある」、「この戦争で国民はひとつにならねばならない」。トランプ大統領は「私はこの戦争に勝つ」、「見えない敵を打ち負かすんだ」と言い、安倍前首相は「これは第三次世界大戦と認識している」と言った。そのあと「見えない敵に対して国民の協力なしでは戦いに勝つ事ができない」とも。このように困難な事柄があると戦争や国難に例えるのは、国を率いる権力者たちが使う常套手段です。

戦争や国難に譬えるのは

 要するに国を守る事によって国民を一致団結させるわけです。一切の矛盾を無視して「この敵に勝たなければならない」と人々を結びつけていくわけです。だから協力しないと「負けるぞ」と脅迫、すると国の言う事に従わせる事が簡単にできる。そして、国民の間で生じたのが、国民同士のバッシング、自粛警察。国の方針に一致団結しなければならないという論点ですね。感染した者は敗北者で、一致団結を破る者は非国民で村八分。それは権力者にとっては実に都合のいいことなんですね。特に気になるのは「優生思想」で、役に立つ人間であることが強調されているんです。戦争が近づくと必ず役に立つ人間が重要視され、自国優先主義、排外主義、優生主義になっていく。この点を私たちは常に押さえておく必要があります。

コロナ禍と軍拡のパラドックス

 新型コロナウイルスは自分で栄養を作りだす事はできないけど、遺伝子情報は持ち増殖していく半生物です。その半生物的な存在に対して核兵器もミサイルもステルスF3戦闘機も無意味ですよ。人間を含む全生命体を抹殺しないと、ウイルスは撲滅できない。しかし世界はせっせと軍拡に励み、物理的破壊のための兵器をどんどん作っている。これを私は「コロナ禍と軍拡のパラドックス」と言っていますが、ウイルスは軍事力では全滅できません。その軍事費を医療体制の充実とか、感染症対策に使うという事が、ウイルス禍に対する人類の戦い方ではないかと思います。ニュースで韓国が国防費を1600億円を削減したと報道がありました。すごいなあ、と思いましたがコロナとの戦いのために軍事費を減らしたのはこれが唯一なんです。

軍拡を煽る3つの要因

 なぜそんなに軍拡が世界中にひろがっているのか、これは僕は3つの要因があると思っています。
 1つは先程の「国家の団結のため」。抑止力のため、敵に攻められないために国は武装することが大事だ、ということが底辺にある。そこには必ず仮想敵国の存在がある。つまり自国第一主義で、自国の軍事力を最大限に強くしたい。安倍前首相が使った「積極的平和主義」という言葉は、国家を団結するためのキャッチフレーズと言えると思いますね。
 2つ目は、軍と産業界。アメリカの政治を背後からコントロールしているのは軍産共同体と言われています。その軍産共同体の圧力があってトランプ大統領は日本に兵器を暴買いさせるという構造になっています。日本の防衛費のうちのほぼ2兆円をいろんな軍需産業が担っていて、常に政府に圧力をかけている。また技術的に敵国よりも有利な状況を保たなければならないと、技術的優位を常に追求しているのが経済である、と。
 それから3つ目。軍拡を煽る要因は国民の「自衛論」である。そこをじっくりと考えてみたいと思います。
 科学者と話していると、「自分は戦争に反対だから軍事研究はしたくない、兵器や核兵器を作りたくはない。」かたや、「防衛力もそれなりの兵力を持つべき。」とも言う。世論調査では国民の6割7割は自衛隊は必要だと答えます。特に災害救助の面で必要だと。武器を持つ自衛隊は私自身は必要ないと思っています。それは、日本の自衛の方針が変わってきてる気がするからです。
 集団的自衛権の行使が、安倍内閣のもとで閣議決定されました。それは同盟国がやられそうになったら、兵を送り戦うってこと。ミサイル防衛は撃って来たのを撃ち落とすんですが、それでは生ぬるい、向こうのミサイル基地をこちらから撃てるようにしなければならない。「敵地攻撃能力」。今それが議論されつつあるわけです。これがさらに進んで行くとどうなるか、「先制攻撃」になります。撃たれる前に撃っとけ!それが「国民を守るための抑止力向上に関する提言」、ここに抑止力と言う言葉があります。

国を守る意識と軍拡

 抑止力は基本的には軍事的抑止力の事。自衛、防衛、国防は安全保障です。抑止力は仮想敵から攻撃を押さえる力の事。侵略したら強烈な反撃をくわえるぞ!と脅すことなので、必ず敵よりも上まった軍事力が必要となる。そうなると敵は攻撃を強化するだろう、すると我々はもっと強くしなければならない。 これはまさしく戦後の「冷戦」と呼ばれた、アメリカとソ連間の軍拡競争の戦争です。軍拡は必ずエスカレートし、最後に核を用いた抑止力に行きつく。日本もこのままずっとエスカレートして行くと核兵器を持たなければいけない状況になっていくであろう、と。日本は「最小限の核兵器の保有と使用は憲法の禁止するものではない」ということを2016年4月に安倍前首相が閣議決定をしています。それはまさに、自衛論の究極は核兵器、核抑止である、ということの表明みたいなものだと私は思っています。

しかし、戦争は「ほぼ」終焉している

 そんなことはない、世界で数多くの戦争が起っているじゃないか、とみなさんはお思いでしょ?いろんなところで血を流す動きが確かにたくさんありますが、よくよく見れば大きな国同士の戦争は起っていない。小さな国同士の確執は、例えばインドとパキスタン、中国とモンゴル、中東ではヨルダンとかシリアとか様々な国々が戦争状態にあるように見えるし、イスラム国や、IS、そういうやっかいなものが国をかく乱し、そこにアメリカやロシアが介入して力の後押しをするからよけい対立状況はひどくなっています。小さな国内の反体制勢力、テロ、それの小競り合いもしょっちゅう起っています。ですがそれは世界を巻き込むような大戦争に発展していく様子はない。最新鋭の兵器を投影した戦争は終わったのではないか、これは甘いと思われるかもしれませんが、私はそう思っています。

なぜ戦争は終焉に向かっているか?

 要するに、攻めるのは無意味だから。世界は政治的、社会的、経済的、文化的、学術的にいろんな意味でつながっています。例えば日本と中国、日本と韓国の間もいろんな文化交流などでつながっているわけですね。そこであえて戦争なんてことはありえない。それから国連という存在。国連は限界はあるけれども機能しているというのが私の見方。何か問題が起ると、国連で議論する習慣ができている。国連で議論するという事は世界の世論がその移りゆきをちゃんと見守っているぞ、ということです。
 今、核兵器禁止条約があと5つの国が批准すれば発効するところまできています。核の保有国、核の傘下にいる国は入っていない。しかし、それでも50か国で発効して、それらの国々が核兵器保有国に迫って行ったらどうか?むろん時間はかかりますよ。しかし、それがちゃんと発効して国連という舞台では核兵器禁止が当たり前なんだ、という事がまさに世界の世論となっていくということは非常に重要なことであります。要するに国連が世界的な世論とか、世界の理性的な発想が少しづつ大国を締め付けて行く、そういう場があること、これが戦争が終戦に向かっている重要な要素であると私は思っています。

人間力による抑止を!

 個々の人間の生命・生活・人権を守る、それを最優先することこそ我々が求めている安全保障です。軍事的抑止力から「人間力による抑止を」、と私は思うわけです。実は1956年くらいから自民党が、憲法の主旨は「座して破滅を喚起することではない」と言い続けている。しかし、私は「座して平和を待つのではない」と言いたい。やはり私たちは、立って動いて行動して平和を作りだして行かなければならない。国家間の紛争や意見の対立、不同意、齟齬、そういうものがあると交渉や話し合いや説得などの外交的手段と国民間の友好的交流を通じて平和を保つ。それこそが憲法の趣旨であると。憲法九条はそのための基本条件です。そこからより積極的に踏み出して、戦争を抑止するための一番の力として力をそそぐ、というのが私の言いたい事で、これは真の抑止力であると。
 例えば北朝鮮のミサイル発射について。私たちは北朝鮮がどういう状況になっているか、まったくわからないわけです。台風が北朝鮮に多くの被害を及ぼしている可能性が非常に高くて、稲作などに多大な被害を与えていたなら、何らかの援助をするという事もあっていいんじゃないか、それがミサイルを飛ばすのを押さえる力になる、という事です。そんなふうに私自身は人間同士のつながりを最大限大事にして、そのつながりの中で平和を作っていく。人間付き合いがあったら絶対にそんなに無茶しないですよ。そういうつながりこそが世界においても求められているのです。

Q&A

Q:日本も世界もそんなに楽観的に見ていいんですか?
A:敵地攻撃能力についても世論調査では60%の人が賛成している。こういう状況で私の言っていることがほんまかいなと、みなさん当然思われるでしょう。これに関しては、歴史はジグザグであること。前進するときもあるし後退するときもある。全体としてみれば自然に成長していく。その局面局面では確かに大変なことに相対するけれど、時間が経ってみてもやはり全体としては進歩しているんです。ちょっとでも進歩する方向へ力添えするのが、我われの役割ではないのか。憲法9条がほんとにあぶない状況でもなんとか止められているのは、我われがなんとか踏ん張っているのであって、それがまた若者に影響を与えている。自分たちが正しいと思う方向へバトンタッチするしかしょうがないんですよ。長い目で見た世界の流れを、きちんと見て、押さえて、そしてそれを周りの人に、伝えていって次世代に伝える。ということを積み重ねる以外にないんじゃないかなと。だから管政権に対しても、我われは筋道を追って、おかしいことはおかしいと言い続けることです。それが結果的に世の中を変えてくんです。

Q:戦前も不戦条約があり戦争禁止の流れがあったけど、第二次世界大戦が起きた、今と何が違うか?
A:国際連盟が有効に機能しなかった時代と、世界の世論を常に感知する役割を持っている国連が今はある。国連を中心に世界が結びついている。世界は対立するよりも仲良くすることの方がやすらかなんです。だからこそ戦後75年の間、世界大戦は起こらなかった。それはこれからも起こらないと私は思ってます。ジグザグはあるけれど我われは、全体の流れとしての方向は明確に見えているんだから、その方向に自信をもって、一歩でも前に推し進めていく方に力を注ぐべきではないかと思う。というのが今日の私の結論みたいなことです。
 私ももうすぐ76になりますが、唯一誇っているのは、私が生きている時代に、私が考えていることが実現できるとは思わないけれど、これを言い続ける。で、子どもとか孫が、「じいちゃんがんばったね」って言ってくれることを楽しみにしている。原発のゴミとか、一千兆円もの借金を作ったとか、我われは罪作りな世代なんですよ。せめて、罪を軽くすることを続けたい。その罪を軽くできるようなことを我われは続けたいじゃないですか!私たちがやっていることをよい方向へ流れるために動くことが大事かなと思います。

池内 了(いけうち さとる)プロフィール
1944年兵庫県生まれ。京都大学大学院理学研究科物理学専攻修了。理学博士。北大・東大・名大など各大学で教職を執り、現在、名古屋大学および総合研究大学院大学名誉教授。世界平和アピール7人委員会委員。軍学共同反対連絡会共同代表でもある。著書に、「科学者と戦争』『科学の限界』『物理学と神』『寺田寅彦と現代』など多数。中日新聞連載記事『時のおもり』の著者の一人。


vol.198 刻の罠 その後

自分が変えられる 知らず知らずのうちに? 過去が塗り替えられていくことに気づかない。
知るチャンスさえなかったの?

自分を変えられてしまう・・・

文化、芸術の立ち位置が明瞭にあるかないかで
左右される私たちの生活、暮らし。

 衣食住は必然で欠くことができないものと言われてますが、それと同じくらい重要なのが、文化、芸術。この分野があるかないかで、大きく変わる私たちの暮らし。
例えばイメージを具体的な言葉で表すと、
・こころがほぐれる
・ほっこりする
・あんしんする
・こころがうごく
・こころが刺激を受ける
・刺激を受けると発想が豊かになる
・クリエイティブな暮らしか楽しくなる
・価値観が変わる
・こころが動くことを優先したくなる
・衣食住もクリエイティブになる
・世の中の仕組みに違和感を感じて
・食べるものに留意し、
・土を意識し始め、
・手の仕事に価値を見出し、
・貨幣の価値観から距離を置く。
・すると、世界を見る目が変わる。
・貨幣に支配されていることに疑問を持ち、
・支配から距離を置く。
・こころも体も開放感にあふれ、
・こころも体も歓びにあふれ、
・暮らしがより豊かになる。
・文化、芸術がいつのまにかくらしに息づきはじめ、
そして、ついに・すべての人がアーティストになる!

 全ての人がいつのまにかアーティストになる?そんな素敵な罠ならかかりたいと思う。仕掛け人もかっこいいじゃない?!が、「刻の罠」はそうじゃない。
 都合の悪いことには蓋をして、なかったことにしてしまおうという企みが潜み、知らず知らずのうちに「自分が変えられていく」。命の歴史の中で、人は平和を求めながらも、今なお争いや戦争を止めることができず、核や放射能への不安、飢餓や貧困は続いている。「忘れろ!つじつまの合わないことは山ほどあるし、些細な不一致ってことさ」、とささやく声が聴こえる…

「なぜ?」

 罠という漢字の成り立ちを調べると、「民」という漢字は、全体で目を表し、そこに焼いた火箸を突き刺している様子を描いた象形文字で、「ものを見る目を失わされた人」。民の上の「罒」を現在では(よこめ)(よんがしら)などと呼び、「冂」の形の枠に糸を「×」型に無数に編みこんで作った「網(あみ)」を描いた象形文字で、《目の見えない者》を《網》を張って仕掛けるから「罠(わな)」となったもの、とある。『刻の罠』はささやく声に耳を傾けるうちに、本当のことが見えなくなってしまうというシビアなテーマである。しかし舞台では「なんか変だ」、「みんな目を覚まして!」と、小学5年の千杜(せんと)と中学2年の七海が舞台で駆け巡り、メッセージを送る。

刻はひと時も途切れることなく、本当のことを伝えられてきただろうか…記憶を書き換えられてはいないだろうか?

 舞台では、いのちをつないでいく間に起こった大事なことを忘れてはいけない、人はそれぞれに幸せに生きる権利があるし、誰もそれを奪うことはできない。作為的な雰囲気に飲み込まれない、罠にはまったりしないという深層部分を太鼓と芝居で表現している。

 「舞台は言葉が中心だけど、言葉で表現できないこともある。その時に太鼓やしの笛が言葉の代わりに表現する」と座長の末永克行さんはおっしゃったが、言葉と楽器の相乗効果が舞台に現れる。するとその舞台に奥行きが生じる。まるで3Dのように。演者の表現が四方八方から体に届く。文化、芸術の真髄とも言える“心が震える”感覚を覚え、同時に今まさにこの感覚に飢えている自分を自覚した。太鼓の音、太鼓の振動は体にある毒を排出させてくれるようだ。音が皮膚から入って、振動が体の奥に浸透してから出ていく。それは体が浄化されていくイメージ。そこにしの笛の音色。これは頭のてっぺんから入ってきて骨の髄に染み込む。そしてそれは体に溶け込んで出ていかないのだ。あの繊細な音色は体の細胞に溶け込んで、太鼓とは違う部分を浄化させてくれる。

人は自然と離れていては生きていけない、これは哲学

 太鼓は土の香りがする。私は、人は「土」と離れては生きていけないと思っている。インタビューの中で、末永さんが「人は自然との関わりなくして成り立たない。これはもう哲学だね」と語っていたが、まさにその通りだと思う。
 そして私が感じたのは、この舞台にはとても深い人間賛歌が込められている気がしたことだ。人は気づくことができる、コトを起こすこともできる。今を生きる私たちは、先人たちの英知を受け継ぎ、時を刻みながら学び未来に活かすことができる。決して悲観はしない。戦争を忘れない、核や放射能はいらない、飢餓や貧困をなくしたい、平和は自分たちで作ることができる。自分を変えることなく、信じたことを貫くことができる!そのことを「たまっこ座」という三世代がつながって舞台を作ることで見事に伝えてくれたと思った。
 末永さんは今回の公演で「コロナ禍で何ヶ月も舞台ができなかった。半年ぶりに目標ができ稽古にはいつもとは違う熱が入った。目標があると、こんなにも日々の気持ちが違うのかと思った。希望があれば生きていける。支えてくれる人がいると、自分の力がどんどん引き出される。この公演があったから僕は生きられた。」とコメントされたのが印象的だった。

果敢に取り組んだ「つくる・みらいの会」

ワークの後・たまっこ座のみなさん

 たまっこ座は1985年に創立してはや35年。気がつけば末永さんらは孫たちとともに舞台を踏んでいる。親子三代にわたる編成は世界でも稀有な存在。孫世代は子どもバンド「Baby Boom」としても活躍している。親の背中を見て育つ、まさに環境が人を育てることを伝えてもくれた。
 そして、コロナ禍で公演を実現させた「つくる・みらいの会」の決断に賛同して観劇をした人も多かったのではないだろうか。目に見えない「罠」を感じ取ってほしい、『刻の罠』という舞台で、今みんなとシェアしたいという熱い想いで繋がったメンバーたちが一丸となって、念入りな準備をして公演を実行したことこそが本物の気づきなのではないかと思う。さらに公演の後の交流会(9月5日)で、は「親とか、大人とか子どもとかではなく、一人一人が自分の責任を果たす。本気の大人の中で、子どもは本気でやりたいと思うようになる。表現は自由ですし、誰でもいいたいことが言えるようになる。」と末永桂子さん。熱くて濃い時を持てたことで「よし!今を生きよう!」と思えた夏だった。

 私たちは今こそしっかり目を見開いて、国の政治を見つめ直す時なのかもしれません。真実を見せられぬまま、罠にはまってはいないか。「罠」という漢字のなりたちを知った今、私たちは決して「もの見えぬ民」ではないということを、改めて目を見開いて、自覚すべきかもしれませんね。

太鼓と芝居のたまっこ座
1985年創立。魂を揺さぶりぐんぐんと力の湧いてくる作品創りを目指し、子どもからお年寄りまで楽しめる和太鼓やお芝居の舞台として、文化庁の巡回事業を始め、ヨーロッパや北米、アジアの国々でも「時代や民族の壁を越える芸術」として高い評価を得ている。

つくる・みらいの会
「子ども達の未来を守りたい」「政治は暮らし」をスローガンに、自分たちが動くことが大事だと気づいた女性が中心に活動している市民団体。2016年から活動。

積極的に感受するとは:時には、社会に役に立たねばという意識から解き放たれて、鳥を数えた1日や、星が見えたことが最高だねと思えることに価値がある。みんな、この世を感受し存在足らしめる仲間です。あなたには、今日、話しかける木はありますか?(ドリアン助川さんの言葉より)


vol.198 しょうがいをみつめる vol.9

スリランカで 出会った子どもたち

 スリランカ という国に住んでいたことがあります。紅茶とカレーと「スリジャヤワルダナプラコッテ 」という長い首都名で有名な、インドの東に位置する島国です。
 今回はそんなスリランカ の特別支援教育についてお話したいと思います。

スリランカ の特別支援教室の風景

 スリランカ は1983年から2009年まで26年間にわたって内戦状態にありました。戦争が終結してようやく10年が経ったばかりの発展途上国です。そのため、学校設備などのハード面に関しては課題だらけです。私がスリランカ にいたのは何年も前ですが、その頃は、電気やシーリングファン(熱帯の国なので空調のためには必須)といった基本的な設備がない教室があったり、壊れたままの机や椅子がいつまでも直されずに放置してあったりということが普通にありました。
 一方で、教育には厚い国とも言われています 。公立学校であれば小学校から大学まで学費は無料で、初等教育の就学率は97%、識字率は91%にのぼり、アジア全体で見ても極めて高い水準となっています。

 そんなスリランカ にも障がいをもつ子ども達はおり、特別支援教育も存在しています。ただ、その数は圧倒的に少なく、専門の教員も足りません。地方ではこの傾向がさらに顕著で、支援が必要な子ども達全てに教育が行き届いている訳ではありません。NPOなどが私立の特別支援学校の運営や教員養成を行っているケースもあります。
 また、衛生的でない水道設備や貧しい教育インフラのために通学、在学が困難な状況に置かれている子ども達(特に身体に障がいのある子)や、家庭的な事情(距離が遠すぎることや親の特別支援教育への関心の低さ)から学校に通えていない子ども達も多くいると想定されています。
 このような厳しい環境の中ですが、私がスリランカ で出会った子ども達は皆一様に明るく、元気な子ばかりでした。教室に行けば、「一緒に遊ぼうよ」「名前書いたんだよ」などと声をかけてくれる子がいたり、話しかけるとはにかんでしまう子がいたりと、賑やかな毎日。珍しい外国人という目で街の人達から見られることの多かった私にとっては、日本での教員生活を思い出してほっとできる場所でした。

文中にも出てくるDくんとその学級

 ある学校で出会った一人の男の子(Dくん)がいます。Dくんは障がいが重く、言葉を話したり、文字を書いたりすることができませんでした。身体の動きもゆっくりでぎこちありません。机に向かって読み書き、計算の学習が中心の学校では、先生達もどう教えていいか分からず、ただでさえ教員不足の中、Dくんは教室の隅でただ座っていることが多くありました。現地の言葉であるタミル語が不自由だった私は読み書きを教えられる訳でもなく、自然とDくんと関わることが多くなりました。片言で話しかけ、一緒に色塗りをし、ハイタッチであいさつをし…。そんなことを繰り返していると、それまで下を向いていることの多かったDくんとも目が合うようになり、彼からハイタッチを求めてくるようになり、笑顔を見せることも増えてきました。そんなDくんの変化とともに、現地の先生達の様子にも変化が見られ、一緒にダンスを踊ったり、キャッチボールをしたりと、Dくんと関わりが豊かになりました。

 日本とは全く異なる環境のスリランカでも、子ども達の笑顔とひたむきな先生達の姿は変わらずにありました。1日でも早く支援を必要とする子ども達がふさわしい教育に出会えることを、今も日本から願っています。   S.I



vol.198  niramekkoGallery「三種の城」

始まりは数字だった。紙の上に数字を並べ、計算も得意で九九を歌うようにそらんじてたともき君。陶芸クラスでは時計を作り、数字があちこちで踊っていました。数字の次は線路。どこまでも続く線路にはやがて橋がかかり、トンネルもできて、ともき君の物語がどんどん膨らんでいきます。その次は、タワー。工作室から見えるツインアーチの138タワーを見ては描く。何枚も何枚も描く。長い紙に思い切り書いた時の満足そうな顔が今でも忘れられません。(写真上)そして、今のともき君のブームは?なんと「歌」なんですって。そういえば、パプリカを歌った時、クラスのみんなが反応して大合唱になったね。ともき君の興味関心が創作の原点。今後も目が離せません。


vol.198 人生これから!

「やってみた」シリーズ 第4弾

油絵からアクリル絵画に挑戦!  長谷川達子さん(60代)

 描き始めたのは48歳くらいの頃。旅行仲間と旅先でスケッチしてる人を見かけ、「あんな風に描けたらいいね」、が始まりだった。それを口にした途端、友人の一人が、「使ってない部屋があるからそこを使って!」と持ちかけてくれた。月に3回関市を流れる長良川畔の素敵な家の地下室で、お酒を飲みながらお菓子をつまみながら、描きはじめた。某銀行ロビーでのグループ展を2回、北海道ビエンナーレにも応募した。「惜しくも賞を逃しましたが昨年なら確実に入賞してましたよ。今年は賞の数を減らしたのに応募がかなり多くて」、と温かい慰めの言葉が付いて絵が返ってきて苦笑いしたとか。
 そんな頃、仲間の一人が突然京都の芸術大学に入学した。それで絵画クラスは一旦休止。それから10年ほどブランクがあったが、仕事の後輩から「中古住宅を買ったので、その2階をアトリエにしたら?」と勧められ、また絵を描ける環境が整った。
 絵を描くのは一人でもいいと思っていたが、仲間がいるともっといい。あっという間に8人が集まり、京都芸大に通う友人からアクリル画の先生を紹介され、月一回来てもらうことになった。「本当は油絵を描きたかったのですが、油絵は揮発油を使うので、お借りしたアトリエは無人のことが多く、高温になると引火する可能性もあり断念しました。」
 アトリエのこともあり油絵からアクリル画に転向した長谷川さん。まずはデッサンから。鉛筆で光りと陰を表現する。何枚も描いた。「細かく丁寧に書くこと。崩して描くのは10年早いと先生に言われてしまいました。私らしく描くのはちょっと早かったみたいです。基本は大事ですしね」。
 そんな再スタートだったが、コロナでまた休止状態に。その間は自主練。描いた絵をメールで先生に送り、先生が添削してくれる。
 「6月から再開しましたが、色つけや道具なども必要で、やはり先生に来てもらうとはかどります。」
 特に色つけは先生の指導が必須と話す長谷川さん。アクリルは水彩画のようなにじみも表現出来るし、油絵のような重ね塗りもできる事に魅力を感じた。

次は自分が描きたい
モチーフで
 モチーフ選びも結構難しい。変化のある大きいものを選ぶよう先生に言われ、自分が考えたモチーフを写真に撮って先生に見せ、意見をもらう。
 仕事より、絵のことを考えている方が楽しくて、描き始めると夢中になる。気がついたら楽しみにしていたジャズライブの約束の時間に遅れたこともあったとか。
 「絵も音楽も日頃のことを忘れさせてくれるから、私にとって精神衛生上とっても必要な要素なの。歳をとると子どもに戻るっていうでしょ。私、子どもの頃から絵を描くことが好きだったんですね。だからこういう人生になったって気がしてます。自分の思い描いていた人生に近づいてきたなぁって。コロナで仕事に出られない生活でも楽しみを見つけたので、仲間と幸せだねって言い合ってます。」  蘇原中央町在住

あなたの「やってみた」をご紹介させてください。掲載された方には人生これから!編集のライフデザインノート『ゼロの昇天』を進呈!


えんぴつカフェ 今回のテーマ
<お墓について。あなたはどうしたい?>

「お墓はいらない」、とか「夫とは一緒の墓に入りたくない」、とか
「墓守をする人がいないし」、とか様々な意見がありますが、
あなたはどう考え、どうしたいですか?それを実現するためには?
様々な意見がありました。その一部をご紹介します。

9月17日(木)「お墓について」

・2年前に母を亡くしました。自分は生前親に迷惑をいっぱいかけてきて、一緒の墓に入ってまた迷惑をかけたくないので、自分の時は海に散骨してもらうよう、あま市の業者にすでに申し込んであります。
・山の上に先祖の大きな墓がたくさんありましたが、管理どころか、そこに行くだけでもとても大変。ご先祖様には申し訳ないですが、私の代で終わりにしたいと、墓じまいを済ませました。お骨は納骨堂に入れてもらいました。
・今はいろんな情報が手に入るけど、経験者の生の声が一番と思って今日は参加しました。私は、死んだら意識もないし、お骨もゴミとして処分してもらってもいいとさえ思っています。なので、子どもたちの判断にまかせようと思っています。
・自分では私と夫のお墓は造らない、と思っていたのですが、3年前に夫が亡くなった時に子どもたちが「お墓が欲しい」というので造りました。お墓は造った以上お守りしなくてはいけない、その辺がこれから先どうかな、とは思います。
・実家は熊本で自分は長男。自分の息子は東京住まいで岐阜に来るつもりはない。お墓に関してはどうしたもんかと悩んでいる真っ最中です。
・墓じまいを済ませました。義姉が、「自分たちの下の世代に迷惑をかけないようにしよう」と。お骨は供養塔に入れていただいたので、そこでお参りをしています。
・自分たちのお墓のことは、妻とは時々話題にしますが、子どもとは話していません。自分としては樹木葬もいいかな。両親の月命日ごとの墓参りには子どもたちと一緒に行っていたので、親のそういう姿は見せることができたかな。
・私は夫の父親とは心が離れているので、一緒のお墓には入りたくないです。実家のお墓に入りたいです。
・代々のお墓のある家の次男さんが亡くなったとき、長男さんが「こっちに入ればいい」と言われ、そうされました。次男だから実家のお墓に入れないではなくて、それぞれの家庭の事情にあわせて決めていけばいいと思います。
・お墓の土地は購入したけど、今はお墓を造る気がないです。考えも時代によって変わって行くし。
・お墓ってどうして必要なのか、両親が亡くなったとき自分のためにあるのかな。すると自分がどうしたいのか、と考えないといけない。近くにあるのがいいのなら、お骨をペンダントにするということでもいいのかな。
・ある人が「俺が死んだら散骨してくれ」と生前言っていたので、遺族は遺志を尊重し散骨しました。しかし、その方の奥さんは生前何も伝えてなかった。お子さんたちは「供養塔に入れてほしい」という事でした。「ここに来ればお母さんに会えるね」と。今までのつながりを考えたとき、何も残らないというのはどうなのかな、と思いました。
・ある知的障がいのある方のケースです。ご両親のお骨をいつまでも手元に置いたままでした。それではいけないと、周りのサポートで供養塔に。すると、「これでお父さんお母さん褒めてくれるかなぁ」とひと言。それを聞いて、「ずっと気にされていたんだなぁ」と感じました。事前に子どもにしっかりと話しておくことはすごく大事だと思います。

えんぴつカフェは毎月第3木曜日 13:30-15:30
にらめっこ編集室にて。



vol.198 えんぴつカフェ

ポジティブに「死」に向き合う

これまで遺族が選ぶことが多かった遺影を生前に自分で用意する人が増えています。お気に入りの服や着物を着用し、モデル気分で華やかな写真を撮影。自分で死後に備える「終活」が定着しつつある現在、遺影をめぐる価値観も変わってきているようです。そこで、NPO「人生これから!」ではプロカメラマンによる撮影会を開催します。

専門家が、対話しながら、あなたがあなたらしく撮影に臨めるようヘア・メイクを担当いたします。また、肌色をよく見せるため、普段より鮮やかな口紅を使うことや、眉毛を鮮明に描くことなども同時に参加者にアドバイスをします。

フォトグラファー:田中千穂( ちいほ)
Chiiho photograpy & works
愛西市在住(196号の熱中人 掲載)

えんぴつ・カフェとは・・・

毎月1回おしゃべりしながらライフデザインノート『ゼロの昇天』を書き込むために集うカフェです。お茶を飲みお 菓子をつまみながら、持ち寄った課題をみんなで考えます。話題は多岐にわたります。「人生これから!」を基本に、やがて迎えるであろう「そのとき」まで、 どう生きるかを念頭に置いて書き込んでいきます。ちっとも筆が進まない、というのが現状ですが、みんなの話を聞いて、回を重ねるごとに、少しづつイメージ が湧いてきます。そんなカフェです。

参加ご希望の方は、ご連絡ください
主催:NPO「人生これから!」
問い合わせ 090-5638-7044(田辺)
      090-7854-4561(三上)



vol.198 熱中人 ミナタニ アキさん

物事を深く考え、言葉で伝えてゆく
  そこから生まれるものを大切に

「犬てつ」(犬山×こども×大人×てつがく×対話)主宰
ミナタニ アキさん(犬山市在住)

 犬てつは大人とこどもが一つのテーマについてじっくり一緒に考えることを通して、思考を広げ深めていく「てつがく対話」を中心に活動している。
 「こどもが対話に加わるとすごく面白いんです。例えば『家族』というテーマでも、『なんでそもそも家族があるんだろう?』って、大人が思いもしないことを子どもが投げかけてくれて、すると『なんでだろう』って、ぐっと考えが深まるんです。こどもがいるからこその会話が生まれる瞬間に、毎回出会います」とミナタニさん。
 答えは一つではない、最後にまとめるということもしない。参加者は、発言するしないは自由、ただ聞いているだけでもいい。
 「重要なのはその場だけで終わらず、持ち帰って『考え続けること』。それが一番大事な事かな。対話中には全然話さなかった子が、帰りの車の中でお母さんと話したというエピソードをよく聞きますが、それでいいと思うんです。学校ではなにか発言しないと、というプレッシャーのようなものがあると思うんですけど、ここではそれがない。自由でいられる場みたいなものを意識的につくろうと進行役の方と一緒に考えてやっています」。
 だから時間中に遊ぶ子もそのまま受け入れる。最初は簡単な質問でさえ親の顔を見たり、緊張して言葉を出すのに時間がかかった子どもたちにもひたすら言葉を待った。
 「3年目には、みんなで話しを継いで言葉を深めていくということが出来るようになってきました。そういう楽しさを子ども自身がわかってきた。大人以上にうまくなってる感じです。すごいことだと思います。」

 2019年2月には、犬山市男女共同参画市民会議とのコラボを企画し、男と女何が違うのか、「ずるい」をテーマに対話。その時には学校の制服に対して、なんで女の子はスカートをはかないといけないのか、と子どもたちから声があがった。
 「犬山市はフリースピーチ制度(※)というのがあるので、おかしいと思うんだったら、話してみる?と提案してみました」
 同年9月議会のフリースピーチで「なぜ女子はスカートで、男子はズボンなのか。性別に関係なく着られて違和感のない制服があれば、皆が安心すると思う」と小学校4年生の犬てつっ子がスピーチ。それを受けて市の教育委員会が検討し、2021年4月から市内の中学校の制服が、従来の詰め襟・セーラー服かブレザーか、女子のブレザータイプならズボン・スカートが選択できることが決定した。
 「一緒に考えて発信すれば、社会は変わるんだよ!ってことを伝えて行きたいと思っています。楽しんで考えてることで思考力も鍛えられますが、でもそれだけではなく、なんのために考えるかというと、より良い社会をつくるため、なんですね」。
 深く考えることは、多角的にものごとを捉え、想像力を膨らませる。それは他者の立場に立って考える思いやりに繋がっていく。地域で活動していくには、そういった視点も大切にしたい、とミナタニさんは考える。
 犬てつ4年目の今年は「てつがく対話を通して創る未来の運動会」と、初めてゴールを設けての活動に取り組む。もし自分たちで運動会を創るとしたらどんな運動会をやるのか、まず「未来の運動会」ってなんだろうという対話をして、次はそれを振り返りつつ、未来の運動会を創る要素としては何があった方がいいのかを問いかけた。
 「みんなが楽しめる運動会の『みんな』って誰か、それをずっと問い続けているといってもいいくらい。誰かにとっていい事が誰かにとっては悪いことだったりする。本当にみんなが楽しいってどうやったらできるんだろう、そのへんを今一緒に考えているところです。どういう言葉が子どもたちから出てくるのかすごく興味深いですね」
 今年の12月に開催される「未来の運動会」は、本来なら地域の人たちを巻き込んで賑やかにやりたいところだが、コロナ禍なので今回は自分たちだけでの運動会となるという。

 「言葉が得意な子もいればそうでない子、いろいろでいい。ただ、言葉が主な社会だから、こういう場で慣れていくことで、もうちょっと生きやすくなる。てつがく対話をそういう機会に思ってくれてもいいなと思います」。
 いろんな人がいて、いろんな意見があっていい。みんなが認めあえる地域、街、社会は「犬てつ」のような場所から生まれるのかもしれない。

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(※)市民フリースピーチ制度
犬山市議会では、市民が議会で発言する機会を確保することにより、市民の議会への関心を高め、市民により身近で開かれた議会の実現に努めることを目的として、市民フリースピーチ(5分間発言)制度を実施します。議会は市民からいただいた提案を全員協議会などの議論の中で熟慮し、適切にアクションします。(犬山市H.Pより)

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犬てつの3年間の記録を一冊にまとめた書籍『こどもと大人のてつがくじかん』が刊行されました。

『こどもと大人のてつがくじかん 』
てつがくするとはどういうことか?
2,300円+税 LANDSCHAFT 

こどもと大人が一緒に対話し、紡いできたてつがくじかん。
犬山で生まれた犬てつの、宝物のような三年間のドキュメント。
てつがく対話についてまったく知らないこどもと大人たちが、
手探りながらの対話を通じて、自分とは違う意見を持つ他者や、新たな自分を見出し、
対話の楽しさ、難しさに目覚めていく様子が浮き彫りになっています。
わたしたちは他者と対話し、協働する術をあまりにも学んできませんでした。
犬てつではこどもを媒介に、世界にいつもとは違うまなざしをむけ、
自由や民主主義の本質を問うような対話も芽生えてきます。
てつがくすることの意味を一から問い直す、これまでになかったような実践の書です。



vol.198  夢か悪夢かリニアが通る!vol.27

椹島付近の林道から赤石岳を望む

 「静岡県がごねているせいで、リニア中央新幹線の2027年開業が遅れてしまう」というネットを中心に広がる「静岡悪者論」に反論する動きが活発です。県の中央新幹線対策本部長を務める難波喬司副知事は10月2日、東京都の日本記者クラブで記者会見し、川勝平太知事は月刊誌「中央公論11月号」に「国策リニア中央新幹線プロジェクトにもの申す」という論文を寄稿しました。この中で川勝知事は新型コロナウイルス感染拡大について「リニア再考をせまる新しい現実」だとして計画見直しを視野に入れたリニアの「中間評価」を行うことを菅新内閣に求め、「“命の水”を戻すことができないのであれば、リニア・ルートのうち南アルプス・トンネル・ルートは潔くあきらめるべきです」と踏み込んでいます。今回は、南アルプストンネル建設が行われる予定の大井川源流部を1年余りぶりに訪れました。     井澤宏明・ジャーナリスト

荒れる大井川源流

崩壊した林道

台風、豪雨で土砂の採掘現場のようになってしまった燕沢周辺

 同行させていただいたのは、「リニア新幹線を考える静岡県民ネットワーク」が10月1、2日に行った第6次調査です。同ネットは2014年から毎年のようにリニア静岡工区となる大井川源流部の「定点観測」を続けてきました。
 源流部への入り口となる畑薙第一ダムの巨大な堰堤を渡り、ダム湖を左に見ながら進みます。いつものガタガタ道を覚悟していたのですが、整地され舗装済みのところもあります。
 管理する静岡市治山林道課に尋ねると、「JR(東海)さんの大型車両が増加することに伴って林道の痛みが生じるので、それを防ぐためのものです」との答え。舗装区間は今の段階で約200メートルを予定していますが、最終的には約27キロの林道すべてを舗装する計画とのこと。
 おせっかいながら工事費用の負担が心配になります。市によると、舗装費用はJR東海が持ち、修復費用もリニア工事中はJR東海が負担するものの、工事終了後は市の負担になるといいます。大雨や大地震が起こるたび崩れる東俣林道。将来、市が負担し続けられるのでしょうか。

土砂がたまり、橋まで1メートルもない

 途中から林道が河原に下ります。ここは昨年の台風19号で林道が崩落したため付け替えられた道。この道も今年7月の豪雨で一時、流失したそうです。赤い「畑薙橋」の鉄橋を渡って右岸へ。すぐ上流の大規模崩壊地「赤崩」などから絶えず流れ出る土砂が河原にたまり、今にも橋に届きそうです。

姿を変えた燕沢

 南アルプス南部の3000メートル級の山々の登山基地だった「椹島」(さわらじま)。リニアの工事事務所や作業員宿舎が建ち並び、今ではすっかり「飯場」(はんば)のようになってしまいました。昨年6月に川勝知事の視察に同行取材したときにはなかった宿舎の建設も進んでいます。向かいには南アルプストンネル建設への警鐘を鳴らし昨年11月に亡くなった山岳写真家・白簱史朗さんのログハウス風の写真館がありました。
 燕沢(つばくろざわ)と大井川の合流地点に着きました。JR東海はここに、トンネル掘削で生じる東京ドーム約3杯分約360万立方メートルの残土を積み上げる計画です。
 ところが台風や豪雨で、周辺の地形がすっかり変わっていました。増水した川に押し流されたのでしょう、ドロノキなどの河畔林は消え去り、土砂の採掘現場のようになっています。対岸の崩壊も進み、今にも地滑りが起きそうです。
 残土を積み上げる規模は、高さ最大約70メートル、幅最大約300メートル、長さ最大約600メートル。県は説明資料で、高さ約65メートルの県庁東館(16階建て)、広さ約18ヘクタールの駿府城公園と比較し、同規模の残土が積み上げられることを示唆しています。

林道がスッパリと切れ、斜面が崩壊している様子が分かる

 この連載15回目で明星大学准教授・長谷川裕彦さんが警告したように、大規模な崩壊を繰り返してきた千枚岳の岩屑なだれが、積み上げた残土にせき止められ、より大規模な土砂ダムができてしまう恐れがあります。昨年、今年の台風や豪雨で大きく改変された地形を目の当たりにすれば、ここに残土を積み上げれば将来何が起こるのか、「火を見るよりも明らか」だと思うのですが。


vol.198 ボーダーレス社会をめざして vol.57

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

賞味期限

  「おいしいお店に行こう!」と障がいのある人に誘われ、いざ食べに行くと「あれっ?これっておいしいの?」思うことがあります。人には味覚の差は当然ありますが、雰囲気、見た目、先入観でおいしさは全く違った物になるらしいです。
 自閉症と言われる方には、感覚過敏という特徴がある人がいます。主には「聴覚・視覚・触覚・嗅覚・味覚」の五感の一部、または複数からの刺激を過敏に感じることです。食べることが出来るものが、数種類しかないという人、お母さんが作ったふりかけ以外は食べないという人、焼きそばが好きで、私たちが作って出しても「入れた調味料が違う」と言って食べられない人など、いろいろな方に今までお会いしました。舌触り・匂い・味・外観いろいろな条件がそろって食べられないようです。
 知的障がいの方と自閉症の方とは食べ物に関しては、ちょっと違います。知的障がいの方で、賞味期限を全く気にしない人もあります。「もう捨てたほうがいいんじゃない」と言っても「食べます」と言ってガンと捨てない人もいます。食に関しては、多かれ少なかれ問題はあります。お店へ入ると同じメニューを毎回注文する人もいます。食べ物自体の温度も気にします。息子は料理が冷めたものはちょっと苦手です。電子レンジがあれば、冷めた料理はほとんどチンします。カレーは、小学校の5年生から突如食べられなくなりました。何が起きたのか分かりませんが、カレーの匂いを嗅ぐだけで小さなパニックになります。ですから、我が家ではカレーが食べられません。
 息子は、他に食べられないものはないのですが、傷んでいて少し酸っぱい味がするから、やめておこうということが分からないようです。味覚に関しては、少々不安な所があります。どうしたらお腹を壊さないでこれから生きていけるのか? 考えた末に、賞味期限だったら目で分かるからそれで、食べられるもの・食べない方が良いものを分けようと思いました。運よく、彼の頭に賞味期限がインプットされました。しかしです。賞味期限を過ぎても食べられるものはありますが、すべて捨てることになってしまいました。
 ある日、冷蔵庫の中を見ると、調味料がありません。少しぐらい賞味期限が過ぎていても使えると思い、入れておいたのが、残念!ありません。捨てられました。困ったものですが致し方ありません。彼が長い人生を生きていくために、食中毒にならないためには、この選択肢しかありません。味覚に頼って判断することは、非常に難しいようです。



vol.198 半農半X vol.39

ことば大学

 新型コロナウイルスの蔓延で、世界はこれまでの生活様式を変えていかないといけなくなりました。ふと思い出したのが、英国の詩人ワーズワースのことば「進む者は別れなければならない」です。このエッセイ欄にも何度も書いてきましたが、大学4年のころから、本などで、いいことばに出会うと、メモをするようになりました。人それぞれ、心の支えは異なりますが、私にとっては「ことば貯金」がとても大きなものとなっています。100年に1度の危機といわれる今、どんな言葉が支えになるか。おすすめをいくつかあげてみましょう。

宮崎を観光で有名にした岩切章太郎さんが言った「心配するな、工夫せよ」もいいですね。工夫は日本人の得意なことだと思います。相撲界には「三年先の稽古」ということばがあります。番付をあげていくためには、これまでとは異なる稽古を今からしておく必要がある。「風がなければ、オールを持て」。これはラテンのことわざです。いい風が吹くのを待つという発想もありますが、手元には漕ぎだせる櫂(かい)の代用となるものがあるかもしれません。古今東西のいいことばを持ち寄り、紹介し合う「ことば大学」が開催できたらと思っています。1限目=哲学系のことばに学ぶ、2限=里山・農業系のことば、3限=地域活性化のことば、4限=生命のことば、5限=関係性のことばに学ぶ、という感じです。いかがでしょう?受講してみたいと思ってくださるとうれしいです。


塩見直紀(しおみなおき)半農半X研究所代表
1965年、京都府綾部市生まれ。20年前から「半農半X(エックス=天職)」コンセプトを提唱。半農半X本は翻訳されて、台湾、中国、韓国にもひろがる。著書に『半農半Xという生き方 実践編』など。

※半農半Xとは・・・半農は環境問題、半Xは天職問題(どう生きるか)を背景と する。持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。ex.半農半漁、半農半大工、半農半看護師、半農半カフェ、 半農半絵描き、半農半歌手、半農半鍼灸師、半農半カメラマンなどなど。


vol.198 未来に続く暮しの学びPrt-39

暮らしはアート

 今月号から、アートと暮らしについて、徒然なるままに書きたいと思います。持続可能な暮らしとは、どんな暮らしなのか、みなさん考えたことはありますか?私はコロナ禍で不安に押しつぶされそうな時だからこそ、人は基本に立ち返るのだと思います。私が思う基本は「土」です。土に触れること、どれだけ畑仕事をすることが大切なのか、身に染みて感じています。
 前号でも書きましたが、、ここオーストラリアは、州によって違うものの、規制がどんどん厳しくなってきています。行動の一つ一つに規制がかけられ、とても窮屈です。公共の場で踊ってはいけない、20人以上では集ってはいけない、外出許可証がなければ散歩にも出られないといった具合です。何を根拠にそんな規制をかけられるのか、周りはブーイングが飛び交っています。それでもこのあたりは自然に囲まれて生活できる地域なので、みんな割とのびのび生活できるのがせめてもの救いです。
 ただ、いち絵描きとして、このコロナ禍を生きるのは、かなり厳しい状況です。アーティストは人が集まって、アートを通じて交流を深めていくことを求めているからです。しかし規制が厳しい中、表現の場を作ろうとする(イベントを主催するなど)とそれなりのリスク、ストレスが一緒についてきます。私の場合は絵という形で自分と向き合って、解放というか、自由を楽しんでいます。今は“さなぎ”になった気分で、内なる情熱とこの不自由な中にも自由を探索する時期だと思っています。そのようにとらえ方を変えてみると、突如この現状が素晴らしく感じたりして…。
 今までの歴史を振り返ると、時代が変化する時には、アート、芸術の分野にも変化があります。表現の仕方が変わったり、新しい技法が生まれたり。まさに今、私たちは変化のさなかに生きています。それが今後私たちにきっと良い影響をもたらしてくれる。そう信じて表現をすることで、自分自身の内面の自由を手に入れる。
 「半農半アート」。それが私の持続可能な暮らしの第一歩。芸術は生活の一部であり、表現することの自由は、私たちが生きる中で、大切な要素だと思っています。     やお

大地の恵みに感謝!カリフラワーがいっぱい採れるのでカリフラワーパンを作るが日課になりました。半農半アートの暮らしを楽しむ。



vol.198 菌ちゃん野菜応援団 vol.19

冬野菜の準備

 暑かった夏もお彼岸を過ぎたら一気に秋の気配。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものですね。
 畑仕事は、というとこの時期は冬野菜の準備でてんやわんや。人参の種、白菜の種、ブロッコリー、水菜、ビーツ、大根などなどをどんどんまいていきます。まいても昼間は暑いので水やりを2日忘れるとせっかく出た芽が枯れてしまったり、そもそも芽がでなかったり。もちろん、虫の被害もどうしてもこの時期はあります。失敗の連続。そのくせ草の勢いはまだまだ衰えない。めげそうになりますね。
 それでも!!まだ頑張ってくれてる秋ナス、空芯菜、オクラ、モロヘイヤ等々。美味しい野菜が食卓に上がってお腹いっぱい食べられると、やっぱり明日も畑に行こう、となってしまいます。この夏はほとんど野菜を買わずに済みましたが、なんと2年以上続いた息子のアトピーがかなり落ち着いてきて。オーガニック野菜のすごいところは無農薬とかそう言うところだけじゃない。多くの微生物を内包していて、腸内細菌と共存していってくれて腸内フローラを豊かにしてくれることだ、とは畑の師匠のお話。
 なるほどなぁ、と思うのです。家事に育児に畑仕事に。豊かというより追いまくられて休む暇もないけれど、明日も頑張ろうかな。

今回は干し芋。
秋の風味を堪能してくださいね。ねっとりした噛み応えと自然な甘み、植物繊維を多く含み、ビタミンB1、ビタミンC、
カリウムが豊富で栄養面でも優れもの。

材料 さつまいも好きなだけ 
 乾燥した天気の日2〜3日

作り方
1)さつまいもを炊飯釜に入れ、
水を3合目盛りくらいまで入れ
たら、玄米モードでスイッチON
 少量作る場合は、途中で蓋を開けて、竹串をさし、良さそうなら炊飯ストップしてください。
2)熱いうちにキッチンペーパーや布巾を使いながらさつまいもの皮をむく。竹串で縦にすーっと筋を入れると皮をむきやすいです。
3)あら熱がとれたら、水で湿らせた包丁で5ミリ程度の厚さに切る。(お好みの厚さでOK)
4)ザルや網にさつまいもを並べて1日1回くらい表裏を返しながら天日干しする。好みのかたさになったら完成♪
やわらかねっとりは2日、かためは3〜5日干しが目安です。
食べる時に、トースターやレンジで軽くあたためると、香りとやわらかさがUPします。お好みでどうぞ☆


vol.198 ここいく日記 はじめの15歩!

〜愛を叫ぶ〜

 今年は新型コロナウイルスの影響で学校等での「いのちの授業」はほぼ中止。こんな時だからこそ、体と心と命の話、包括的性教育を届けたいと思っても、呼んでもらえないと実現できません。ならば今年は、学校ではできない「いのちの授業」を実践する年にしたいと考えていました。そんな時、遠方に住む、子どもたちが思春期で「性」に関心があるという知り合いの家族が、たまたま各務原市に来てくれたので、急遽「いのちの授業」を実施しました。
 ここいくの授業プログラムは、年齢に応じて工夫され、いろいろなメニューがあります。その中のひとつ「愛を叫ぶ」というプログラムが私は大好きですが、1人でも親が参加できないお子さんがいる場合は実施しません。定員も10組くらいの親子が理想です。そんな条件があるので学校の授業では、なかなかできないメニューです。
 この日は、お父さんお母さん兄弟姉妹揃っての3家族が参加。いつものように心と体のお話をして、いのちの成り立ちを伝えたあとで「愛を叫ぶ」を実践。前振りもなく、突然の流れに、お父さんもお母さんも戸惑います。用意されたカッコいい言葉ではなく、「いのちの授業」を受けた後の流れで感じた気持ちを、お父さんお母さんから子どもたちに叫んでもらいます。
「優しい○○くんが大好きだよ~」
「いつも、からかってごめんね。でも大好きだよ」
「お母さんを受け止めてくれてありがとう~」
 それぞれの思いを叫ぶお父さんお母さんに駆け寄り抱きしめてもらう子どもたち。思わず溢れる親子の涙。その涙にもらい泣きする私たち。愛が溢れる瞬間を参加者全員で共有できた幸せな時間でした。
 こんな風に「愛を叫ぶ」ことができる家庭はきっと大丈夫。そんなに心配ないのかなぁ~と思います。それくらい「愛」の力は大きいし、人は愛が原点なのだと思っています。

 「いのちの授業」で学校に行くと様々な子どもたちと出会います。一人一人違って当たり前ということ、「あなたはあなたのままでいい。生まれてきてくれてありがとう」という思いをどれだけ伝えても、それを実感できる場所がない子どもたちは、苦しくて辛い。そんな苦しんいる子どもたちにも出会ってきました。
「あの親が、そんなこと思う訳がない。」
「自分には親がいないから、よく分からない。でも親っていいなと思いました。」
 そんな感想をもらった時、親じゃなくてもいい、誰でもいい、ありのままを受け止めてくれる人たちがいる、ということが大事だと、「ここいく」の拠点でもある「あいのね」が誕生しました。あなたはあなたのままで「あ~いいのね」と感じられる愛の根っこを育む「あいのね」はそんな地域の居場所です。ここに来る子どもたちに、ここいくのメンバーが心で愛を叫んでいます。
 誰もが幸せになるために生まれてきました。
 生い立ちは変えられない。でも未来は変えられます。
そして、自分の気持ち次第でその出来事の意味も変わってくる。
私自身もたくさんの愛をもらって幸せに生きていることを「いのちの授業」を通して出逢った人たちに伝えていきたいです。

今回、「いのちの授業」を受けてみたいという声と、届けたいという思いが重なれば、こんなふうに小さな集まりでも実現できるという新たな可能性を感じました。授業に興味のある方はお気軽にお声かけ下さい!(費用は要相談)

担当:ここいくメンバー・古川 明美でした。
ここいく☎090-3446-8061(中村)


vol.198 トンガからこんにちは! 連載-4

トンガ語でラグビーのことを’Akapulu(アカプル)と言います。トンガ人は’Akapuluが大好きです!
夕方になると裸足になってラグビーをする子供がたくさんいます。男の子も、女の子も関係ありません。それが、トンガ人がラグビーで強い理由の一つかと思います。

 国民10万人中でラグビー選手約6万人!その内、登録選手(プロ・アマ)約2万4千人いるそうです。ちなみに、日本は人口1億2千万人中選手が約30万人、登録選手は約10万人いるそうです。(WORLD ROGBY 2018)

人口の割に選手率が高く、競争率が低い割に一人ひとりが強い!!トンガナショナルチームも強いけれど、その他にオーストラリア、ニュージーランド、フィジー 、そして日本でもトンガ人が代表選手に選ばれています。一言で、ラグビー王国としか言いようがありません。では、先進国のような最新のトレーニングを小さな頃から受けられるわけではない環境で、どのように強くなっていくのでしょう!?
私は、なんと言っても、その「ラグビー愛」であると思います。

 そう、去年の11月2日に大西洋開催の大会で、久しぶりにオーストラリアチームに勝利したトンガは、11月15日を祝日にして、翌日の土曜日に1日かけてパレード、トークイベント行いました。各選手が出身の島を訪れ挨拶してくれました。もちろん、優勝してませんよ。ワールドカップで優勝したら、どうなっちゃうんでしょうね!?

 みんなトンガカラーの赤い服を身に纏い、早い者勝ちで選手の近くに行って写真は撮るしサインはもらうし、プレゼントもしてました。このプレゼントがすごくて、島のおばちゃん、総出で頑張ったんだろうなぁと言う事が簡単に想像できるほどの大きな手編マット(トンガではお嫁入り道具にするくらいのもの!!しかも名前入りの特注!!)まで用意されてました。トンガのいいところは、選手との距離がとっても近い事で、選手から一般人へのサービスもとてもオープンなのですが、試合を盛り上げてくれた選手への労いも素晴らしいなと思いました。選手が乗る車がトラックに椅子をのせただけってことがまた、トンガらしかったです。

 遺伝的に骨格がしっかりしているし、「大きい身体がかっこいい」という美意識から、食べ物も芋類を中心によく食べるので、ますます大きくなります。そして、自給率の高い彼らは、小さな子供の頃から、日々の暮らしの中で、畑仕事も、動物の世話も家族一緒に行っています。この習慣がどれだけ影響しているか、測りしれません。

想像してみてください!マーケットで売っているのは、20kg、30kgもする芋類ばかり。1kgに満たないトマトやきゅうりではないんです。この芋類を母親に「運んで」と言われれば、まだまだほっそりした子供でも運んでしまいます。30kgの米袋をどれだけの日本人が運べるでしょう。極め付けは、ココナッツ!ココナッツを収穫して投げる時の姿は、まさしくラグビーです。ラグビーボールの何倍の重さもあるようなココナッツをいとも軽々とホイホイ投げます。朝にはそのココナッツを大きな鉈型ナイフで割って、中身を削って豚にあげます。5歳くらいになれば、どこにでもついていくので、子供と言っても私の足よりもよっぽど分厚い足をしています。

 もう、ラグビーをやるために生まれてきたのか、トンガ人の動きがラグビーと言うスポーツになったのか、分からないくらい!!
 そんなトンガ人のラグビー観戦は、もちろんグループ観戦です。スポーツバーはもちろんないので、テレビのある家にわらわらと集まり、20ー30人で真剣に観戦!お酒を飲むわけでもなく、何かを食べるわけでもなく。大人数で観戦する楽しさもさることながら、テレビもバヘバヘ(シェア)でeco friendly !! それが無意識に、当たり前に、習慣的にできるトンガ人、かっこいいでしょ!?


加藤美希(かとうみき)農的暮らしに落ち着きたいと思いつつ、ついつい旅人人生を送っている管理栄養士です。旅するうちに、「伝統料理と健康の秘 密」が人生の研究課題に。今回のミッションはトンガで蔓延する肥満や生活習慣病の改善。伝統料理の推進と学校菜園を通して、将来トンガの人々が世界に有す る健康大国になることを願って日々奮闘中。


vol.198 プレゼントコーナー

1- あなたが今年チャレンジしたことor来年チャレンジしたいことは?
2- 気になるにらめっこ紙面での広告
3- 気に入った記事、気に入らない記事の
 タイトル1つ・その理由もお書きください。
4- ご希望のプレゼント名
(第1希望・第2希望)
 ※A、Bは編集室まで受け取りに来られる方。
5- 本紙をどこで入手されましたか?
6- 氏名、年齢、住所、郵便番号、電話番号、  家族構成

プレゼントご希望の方は
ハガキまたはe-mailで、上記のアンケートを
1〜6までご記入の上、編集部・プレゼント係り
までお送りください。
〆切:11月25日 当日消印有効。

宛先
〒504-0855 各務原市蘇原新栄町3-15
e-mail: info@niramekko.com
※お寄せいただいた個人情報は、本紙プレゼントの発送に限り、 使用させていただきます。
※当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。


A.ゆりかごカレンダー2021
  ゆりかご助産院様より…3名様

毎年好評の月と暮らすカレンダー。月の満ち欠けと大潮の表記、月の出入り時間と潮の干満時間表示が便利。旧暦・六曜・二十四節気・十二支入り。月の情報満載です。にらめっこ編集室でお受け取りください。


B.写真集「奥飛騨に響く種蔵の里」
    加藤麻美様より…3名様

ゆったりとした時の流れを感じながら生活する、静かで穏やかな集落、種蔵に惹かれて通い撮り続けた加藤さんの温かい視線を感じる写真集です。にらめっこ編集室でお受け取りください。


C. CINEX 映画招待券
シネックス様より…ペア3組様

主人公と一緒に見たり考えたり笑ったり…。大きな画面に集中して観ていると、作品が伝えたいことをより感じやすい気がします。写真は「もったいないキッチン」より。招待券は柳ヶ瀬のシネックスでご利用いただけます。


D.アフタヌーンJazzライブご招待
  アートギャラリー是様より…1名様

久々のライブです。臨場感、音の響き、演奏者とのふれあい…。そんなライブの楽しみをたまにはいかが?今回は、ピアノとドラムのデュオです。大人な時間をゆったりとどうぞ。
12/19(sat)14:00〜16:00
アートギャラリー是(関市武芸川小知野489)