種蔵で魅了された出会い
写真教室に通い始める一年くらい前、新聞に種蔵の棚田が環境省の「かおり風景百選」というのに選ばれたと、大きく写真入りの記事が出たんですね。おばあさんが杖をつきながら坂を降りて来るという、すごく良い写真で、「ああ、いいところだなあ、行ってみたいなあ」と思ったんです。文章を読んだら、今から300年くらい前、飢饉のときに板倉(収穫した穀物や種、農機具などをしまっておく板で出来た蔵)の中にあった種で周りの人たちを救って、そこから種蔵という地名がついた、と書いてあって、そこがまた良いなぁ、いつか行ってみたいとその記事をとっておいたんですよ。
写真教室に入って、数人の仲間で種蔵に行ったんです。その時に、1人のおばあさんが雨の中をカッパを着て杖をつきながら田うえをしていたんです。私はもうその姿に釘付けになってしまい、他のみんなは景色などを撮る中、私は一生懸命おばあさんを撮っていたんです。あいさつをして、お話しをしてたら、稲刈りの時にもまた来たい!と思ったんです。
次に行った稲刈りの時は、笠松に住んでいる息子さんの家族がひ孫まで一緒に来ていました。いつも田うえや稲刈りは家族中で来てやるそうです。一家総出で本当に楽しんでらっしゃるというのが伝わってくるんです。で、「撮らせてください」ってお願いしたら「いいよ、いいよ」って。このご夫婦とその息子さん家族にも完全に魅せられちゃった。おじいさん、おばあさんは私が行く度に、歓待してくれるんですよ。お昼ご飯まで用意してくれて・・・そのお料理が全部この辺で採れた山菜とか、ご自分で作った漬け物とか、そういうものがいっぱい。ふるさとに帰るような気持ちで毎回訪ねて行くのが楽しくて楽しくて!。
種蔵の自然
一番最初に種蔵へ行ったのが梅雨の田うえの時。稲刈りの秋や雪の降る冬もきれいです。都会に住んでいると自分のペースである程度計画的に生活ができますよね。でも、種蔵でおじいさんおばあさんを見ていると、自然を中心に生きているんですよ。だから、何かやろうと思っていても、雨が降ったら、あぁ、今日はできなくなった、とかね。自然の中に自分たちが入って、生きている。それはやっぱりすごいなぁと思いましたね。ゆったり時間が流れているということもあるし。自分は自然の一員というか、そういうのを感じられますよね。
ここに住んでいる人たちは、そんなにここいいかねえ、って言われるんですけど、でもやっぱり空気が良い、水がいい。普通、限界集落って言うと山の下っていうイメージがあるけど、種蔵は上にあって、明るくて開放感があるんです。
種蔵にはちょうど丸5年通いました。私が最初に行った時は集落の家は14軒でしたけど、今は9軒。減る一方なんですよね。村の人たちは集落が残ってほしい、存続してほしいっていう思いはあるんです。
百選に入った棚田も、昔はみんな水田だったんですけど、今はもう米作りをやらない人が多いから、草が茂っていたり、蕎麦やミョウガの畑になっているんです。でも今年、若い娘さんが1人移住してきて、彼女はいずれは水田に戻したいんだって、そういう夢があるんですよ。そういう若い人があと一組、二組入ってくれたらまだ相当存続できると思うんです。
棚田は管理するのも大変だと思います。「種蔵を守り育む会」とか青年会とか、外から来ていろいろやってらっしゃいます。でもやっぱりここに住む人がいなくなったらどうしようもないのね。おばあさんが作ってくれたお弁当を電車の中で食べながら、何とかならんのかなあというのは、いつも思っていました。
瞬間を感じる
まさか私、こんなふうに写真を撮るなんて夢にも思わなかった。だってピアノをずっと教えていて、二、三年前までは喫茶店でも弾いていたんです。お店の方から、「もったいないやん、ピアノやっとった方がいいじゃない?」て言われるけど、でも、ピアノとカメラは通じるものがあるんですよ。瞬間を捉えるという意味では同じなんですよね。
シャッターを押すときって、瞬間でしょ。どこの瞬間で押すか、っていうね。その瞬間は戻らないじゃないですか。その戻らないというのも音楽と同じなんですよね。
でも、カメラは写真として残る、撮った瞬間が残るというのが私はすごく嬉しいんですよ。デジカメなので、その場で撮った画像が見られますけど、私はプリントして見て、納得するんです。撮ったな、っていう満足感がある。だからシャッターを押す時も嬉しいんですけども、プリントしてみるとき、そこも嬉しいんです。
一区切りとして、写真集を
私も写真を撮り続けてちょうど6年になり、先生からも「種蔵にも新しい人が入って光が出たんだから、 ここで一応エンドにしないと、このままダラダラ撮っていてもきりないよ」って言われていました。
今年の1月、仲間の方の出版記念の会があって、その時に編集をされる方がいらっしゃっていて、先生がその方を紹介してくださって。そうしたらあれよあれよと話しが進んでしまって。だから私も写真集を出すなんて夢にも思ってなかったんですよ。
技術的にみたらまだまだ未熟なんですけども、でも、私にしてみれば写真集は大満足で、編集の方もよく見てくださって、8000カットの中からこれだけを選んでくださったんです。
これから・・・
種蔵と同じ飛騨市にある、河合町(旧河合村)に山中和紙(さんちゅうわし)という和紙を漉いている78才のおばあさんがいらっしゃるんです。山中和紙は鎌倉時代からあるというんですからすごいですよね。その特徴は、楮を必ず雪の上に晒すんです。そうすると白くなるらしいです。その和紙漉きがすごく気になっていて、1年ほど前から撮りに通っています。山中和紙を漉いているそのおばあさんは、朝4時に起きて1時間ほど歩いて新聞配達をしてね。とっても働き者で、生き生きとされてるんです。おばあさんの中学一年生のお孫さんが跡を継ぎたいって言ってます。私はそのお孫さんにも惹かれて、去年初めて楮を収穫する所から蒸して皮剥いて、という一連の作業を撮らしてもらったんです。
今は記録しておいたほうがいいかな、っていう思いだけですね。記録というよりも、行って撮り続けたい、そういう気持ちで、この一年くらいは種蔵に行くと必ず寄って、撮らせてもらっています。
それと、沖縄。実は夫が仕事でいま沖縄県の浦添市にいます。前田高地があるその浦添市は沖縄戦で激戦地になったところです。今でも人骨が出てくるんですよ。まだまだ戦争は終わってない、つくづくそう感じます。そして、普天間基地は夫の家からは10分位の所にあって、家の上を毎日オスプレイが通ります。その音がすごくて、低周波なので、音が胸に突き刺さるというか。それが結構夜 遅くまで飛んでいるんです。近くには小学校もあるのに・・・少しでもそういう現実を知ってほしい、沖縄の人たちの生きている姿などを見て、やっぱり平和って大事だね、そう感じてもらえるような写真を撮りたいと思っています。なかなかまだ難しいですけどね。
今は記録として撮り続けようと思っています。
あんまり自分に課さないようにしてるんです。今回も写真集を出そう!っていうつもりで写真を撮っていたわけじゃないから。そういうふうに思っていると自分にもプレッシャーになってしまうからね。だから本当に無心で撮るしかないです。でも今回は「奥飛騨に響く 種蔵の里」という写真集を出版することが出来た。それで種蔵が存続できれば、ばんばんざいです、本当に。
加藤 麻美(かとう まみ)各務原市在住
(公益社団法人)日本写真協会会員
岐阜県写真作家協会会員・ギフフォトクラブ会員
桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒業
2013年まで「子どものための音楽教室東海教室」講師
2008年4月 NHK文化センター「坂井陽二デジタル写真教室」入講
2011年3月「土に生きる」初個展
2011年10月「岐阜県働くものの県展」岐阜県知事賞受賞
2011年10月 NHK文化センター「近藤誠宏写真教室」入講
2015年5月「奥飛騨に響く 種蔵に響く」原画展