205号(2022.1&2)」カテゴリーアーカイブ

vol.205 はじめよう!腸活

「腸」能力を鍛えて、免疫力を高める!
腸は脳に次ぐ多くの神経細胞が存在し、感情にも深くかかわっているため「第二の脳」と呼ばれています。さらに、体内の免疫細胞の60%以上が腸管(小腸と大腸を合わせた部分)に存在しているので、腸内環境の悪化は免疫力の低下につながり、風邪や病気にかかりやすくなります。
腸内環境を整えることが免疫力を高めることにつながります。大腸には小腸ほど免疫細胞はありませんが、たくさんの腸内細菌がすんでいます。腸内細菌は善玉菌、悪玉菌、日和見菌の3種に分けられ「2:1:7」の割合を維持できると腸の免疫細胞が活性化します。腸内細菌を増やす方法は、乳酸菌や納豆菌などをとり、そのエサとなる「食物繊維」をとることです。さらに、下記の「免疫力を高める効果のある栄養素」を意識しながら、バランスの取れた食事を心掛けましょう。

そこで、おいしく食べて腸活しましょっ!
元気な腸を作る活動=「腸活」は、日常の食生活に少し気を配ることから。何を、どのように食べれば良いのか。今すぐできて、簡単で、それでいて効果が期待できる「食べる腸活」。食べ物の栄養を吸収するのは、腸です。その腸を、栄養を吸収しやすい状態に整える活動を「腸活」と呼んでいます。

腸が元気になる5つのメリットとは?
1-巡る血がきれいになる
2-免疫力低下を防ぐ効果
3-幸福感に満たされて穏やかになる
4-美肌効果あり
5-スリムボディを手に入れられる
日常の食事にちょっと気をつけるだけで
「腸活」はすぐに始められますよ

ポイント-その1
発酵食品、オリゴ糖、食物繊維をたくさん摂ろう!
「腸活」に有益な食材は大きく分けて3つ。
1-発酵食品ならびに発酵調味料
発酵食品は、健康に有用な菌を腸に直接届け、さらに育てるというダブルの働きを持ち合わせています。このダブルの働きによって、腸の免疫細胞がさらに活性化されるため、発酵食品を積極的に摂れば、腸内環境が整うのはもちろん、免疫力もアップすると言われています。
2-オリゴ糖を含む食品。タマネギ、ごぼう、アスパラガス、ニンニク、大豆など。
オリゴ糖は、有用菌の栄養源となり、増やす助けになるとされています。ちなみに、オリゴ糖が豊富な「てんさい糖」は、甘味の中では珍しく身体を温める食材。ですから、普段使用する砂糖を、市販のてんさい糖に変えてみるのも一つの手段です。
3-食物繊維 これも腸内細菌のエサとなり、増やしてくれる食材 腸内細菌が増えると腸の動きが活発になり、肥満防止や便秘解消などの効果が期待できます。なお食物繊維には、水に溶ける「水溶性」と、水に溶けにくい「不溶性」の二種類がある。水溶性の代表格は、フルーツ。特に、柚子やキンカン、レモンなど柑橘類に多い。また、山芋、オクラ、モロヘイヤなどのネバネバ系、ひじき、こんぶ、わかめなどの海藻類、コンニャクにも豊富です。不溶性は、ジャガイモ、ニンジン、インゲンなどの野菜に多く含まれています。水に溶けないので、腸に入ると膨張して、腸の内容物をブルドーザーのように押し出してくれます。肉の塊を腸内で動かすには、不溶性の力が必要。ただし食の細い方は、不溶性のものをたくさん摂るとお腹が張ってしまいがちなので、水溶性を多めに摂取しましょう。今の時季なら、キンカンを生で丸かじりするのがオススメ。水溶性食物繊維が豊富なので、食べると腸内細菌が増え、排便がスムーズに。皮や種もそのまま食べられます。

外食でも「腸活」はできる
外食でも“ベジファースト”を実践しましょう。定食を頼んだら、サラダやおひたしを先に食べるイメージ。最初に野菜を食べて、腸内に食物繊維の布団を作ることにより、そのあとに入ってくる糖質や脂質の吸収を抑制し、過剰分の排出を促してくれる。つまり、肥満防止や便秘解消に役立つというわけです。

腸に良くない生活習慣
朝食は絶対に抜かないでください。「腸活」においては、朝食が肝要。なぜかというと、食べない時間が一番長い夜を越えた朝は、飢餓状態なんですよね。身体が栄養を一番欲しているときに何を摂るかが大事。そこで腸にスイッチが入ると、その日1日が元気になります。朝の一口目は、野菜や味噌汁からスタートすることをオススメします。
水分はとても大事なので意識して摂取します。水を飲むと腸の働きが活発になるし、不要な分は必然的に排出されます。摂取量の目安は男女とも、1日に1〜2リットル程度。コップ1杯200㏄として、朝起きたらまず1杯、毎食時と食間に1杯ずつ、そして寝る前に1杯飲むことを習慣づければ、その水準を満たせます。

簡単なのに効果は絶大!今すぐ試せる腸活メニュー
お手軽かつ効果抜群の腸活メニュー「味噌玉」。味噌と粉末カツオを混ぜて団子状に丸めたものに、お好みで、ごま、青海苔、乾燥野菜、お麩などをトッピングするだけの「味噌玉」。ここにお湯を注ぐだけで、「腸活」にいい発酵食品や食物繊維などを手軽に摂取できます。素材さえあれば、普段料理をしない人でも簡単に作れます。
味噌玉なら、一度にたくさん作り置きすることが可能ですし、冷凍保存しておけば2〜3ヶ月はもちます。『休日に7つ作っておき、毎日1つ使う』ことを目標にすれば、それだけで立派な日々の『腸活』になりますよ。食事のお供や、休憩時のお茶がわりに召し上がれ!

ほのかに甘い「デトックスウォーター」
果物・野菜・ハーブを漬けるだけ!
フルーツ、野菜、ハーブなどをミネラルウォーターに入れて、2時間から一晩ほど漬けたものが「デトックスウォーター」。誰でも簡単に作れる上、「腸活」に有益な食材をドリンクとして気軽に摂取できるのが魅力です。フルーツや野菜に多く含まれる食物繊維は、整腸や便秘解消の効果が期待でき、まさにデトックスを促してくれるもの。「パーティーの前などに、ウェルカムドリンクとして提供すると喜ばれるかも。見た目がオシャレで場が華やぐし“ベジファースト”も済ませられます。素材は「フルーツ1、野菜1、ハーブ1」の比率で、好きなものを。フルーツだけだと糖度が上がり、栄養素が不足しがちなので、野菜も一緒に摂ることをお勧めします。

「腸活」の効果って?
腸壁は数日で生まれ変わりますので、まずは1週間程度で体調が良くなり、朝の目覚めが良くなる方が多い
どれから実践しようか?
今すぐできることから。朝一番に味噌汁を飲むことでも、「腸に効くものってなんだっけ?」と考える癖を身につけるだけでもいい、そうやって意識を向けるだけでもいいですよ。     参:My Wellness<おいしく食べる>


vol.205 はじめよう!腸活 Part-2

体温と免疫の関係 
自分の平均体温を知っていますか?健康な人の平熱は36.5〜37.1度。実は今、36度以下という「低体温」の人が増えているとか。「低体温」は免疫細胞と大きな関わりがあり、放置するとさまざまな病気やがんまでも発生してしまうことがあるそうです。
では、なぜ低体温がよくないとされるのでしょうか?
体温が上がると血流が良くなり免疫力が高まります。血液は私たちの体を構成する約60兆個もの細胞に栄養を送り届け、代わりに老廃物を持ち帰る働きをしています。その血液の中に免疫機能を持った白血球が存在し、その白血球が体の中をめぐることで、体の中の遺物をパトロールしているのです。
つまり体温が下がると血流が悪くなり、免疫力も低下し、体内に遺物を発見しても、素早く駆除してくれる白血球を集めにくくなり、ウイルスや細菌に負けて発病しやすくなってしまいます。
健康を維持してくれる免疫力は体温が下がると低下することがわかっています。まずは、自分の平熱を知り、低体温を克服して、血流を良くしておくことが、免疫力向上につながるのです。 自分の平熱を知るには、3から4日間、朝・昼・夜の体温を測って平均を出します。50年前の日本人の平均は36.89度。現在の平均は36.02度。さて、あなたの平熱は?

現代人に多い「低体温」の原因は筋肉量の低下
50年前と今では日本人の体温の平均は0.7度近く下がっています。その理由の1つとして、現在のライフスタイルが、明らかな運動不足になっていることが挙げられます。家事1つとっても、50年前は全て手作業で掃除、洗濯、料理などを行いその上で畑仕事をするなど、日常的な運動量が大変多かったのです。それに比べ、現代の生活では、乗り物や家電の充実によって日常生活における運動量は低下しています。

運動量の低下に伴って、筋肉量が減少します。筋肉は人体最大の熱生産機関ですから、筋肉が少なくなると、体温が下がり、基礎代謝も下がります。基礎代謝とはじっとしている時でも体内でエネルギーを消費していること。基礎代謝が落ちれば、エネルギーが消費されにくくなって、内臓脂肪が増加してしまうのです。

この内臓脂肪組織から、20種類以上の悪玉ホルモン(アディポサイトカイン)が分泌されていることがわかっています。これらが血管に炎症をもたらすことにより血栓を作りやすくなったり、インスリンの働きを弱めてしまうことにより、がんや高血圧、糖尿病の元凶となることが解明されています。加齢とともに基礎代謝は落ちていきますから、筋肉量を増やす事はあらゆる病気対策に必要なのです。

筋肉量の減少以外では、運動不足に加えてエアコン生活によって汗をかきにくい環境であることも低体温の原因と考えられています。脳の視床下部にある体温中枢を刺激する機会が失われると、体温を調整するための発汗中枢が作動しなくなり、低体温になります。

また、人間関係や経済面の問題、家族問題など、生きていく上で生じるストレスは50年前より複雑化しています。ストレスによって分泌するホルモンは、筋肉を分解することによってストレスを緩和するために、ストレスが強いと筋肉をやせさせてしまい、その結果、低体温を招くということがあります。なんといっても筋肉量の低下が低体温の最大の原因ですから、今日からでも筋肉量を増やす生活を習慣にしてください。

体温アップ健康法1
1日30分必ず歩く
加齢による筋肉の減少率では諸説ありますが年間で約1%。しかし、一日中動かないでいると、一日で0.5%もの筋肉が失われます。という事はたった二日間で一年分の筋肉を失ってしまう計算になります。 筋肉を維持するためには、毎日の生活で適度な負荷をかけ続けることが必要です。人間の筋肉の7割は下半身にありますので、「歩く」という事は、効率よく筋肉を鍛えることになります。
毎日続けられることが大事ですから、無理なく続けられる方法を考えましょう。続けて30分歩くことができない場合には15分を2回に分けたり、10分を3回に分けたりしても良いでしょう。毎日続ければ、必ず3ヶ月後には成果が出ます。
「歩く」ことに慣れてきたら、ウォーキングを習慣に。雨の日も風の日も毎日30分。体温の1番低い朝に行うことで、0.7から1度体温が上昇します。毎朝、一気に体温を高めることで1日の体調が良くなり、30分の有酸素運動で毎日8グラムの内臓脂肪を減らすこともできます。

体温アップ健康法2
体を温める生活をすることで免疫力が活性化します。

入浴 1日1回、お風呂に入って体温を一度上げます。湯船に10分程度つかれば、大体体温が1度位上がります。大切なのは毎日続けることです。最近はシャワーで済ませる人も多いようですが、必ず湯船につかりましょう。

スクワット ふくらはぎや太もも、腰の筋肉をいちどに鍛えることができるスクワットもお勧めです。下半身の脂肪が落ちるとともに、必要な筋肉を作りながら血行を改善できます。入浴後に行えば、入浴と運動で体温を上げることにより、眠りやすくなるという効果もあります。

白湯を飲む 朝は1日の中で最も体温が低い状態なので、冷たい水を飲むと体温が下がりすぎてしまうので白湯を飲みましょう。夜寝る前にも白湯を飲むことで体が温まります。

GABA(ギャバ)を多く含む食品を食べる ストレスによる体温の低下を防ぐために、ストレスを緩和する成分「GABA」を多く含む食品を食べましょう。他にも成長ホルモンの分泌を促す効果もあるので、アンチエイジングの面からもオススメです。玄米、かぼちゃ、じゃがいも、トマトなどに多く含まれます。

腹巻き、カイロ、湯たんぽ 女性に限らず冷えは大敵です。これからの季節、特に体を冷やさない外側からの工夫もしましょう。女性がズボンの下にタイツを履くように、男性もズボン下用の下着を1枚増やすなどして冷えの対策を。      参:サワイ健康推進課


vol.205 続・ぎむきょーるーむ 

一歳八ヶ月の子でも話せばわかる
保育園の父母会で一年が終わって、忘年会をしようということになり、あるおうちにみんなで集まりました。その中の一人のお母さんが「これから仕事にいきます。この子をよろしくお願いします」と言って、子どもが遊んでいるすきに退出しました。しばらくするとママがいないことに気がついてその子は「ママがいない」と言って泣き始めました。メンバーの中には幼稚園の先生がいたり、共同保育をしている方がいて「ケンちゃん、男なのに泣くなんておかしいよ」「いつも泣かずにお留守番しているのに今日はどうしたの?」とみんなでその子を慰めました。ところが大人が声をかければかけるほど「わぁっ」と怒るというか、泣き声が高くなっていく。泣き止むどころか、手がつけられない状態になったのです。 その時私はふっと気がついて「ケンちゃんは、お母さんが黙ってお仕事に行ったから怒っているんだね」と大きな子どもに話すように話しました。すると「うん」と頷き、火のついていたように泣いていたのも、ちょっと和らぎました。
「ケンちゃんはお母さんが断って行ったら、今日はみんながいるから待てたのに、それがないから怒っているんだね」と続けると、再び「うん」と頷きます。さらに「ママが黙って出かけて行ったのは悪かった。ママが帰ってきたら、ケンちゃんが泣いて怒ったということをちゃんとお話ししておくからね。ただ、今日はお母さんが帰ってくるまでみんなで遊んで待っているから安心していいんだよ」と話したら泣き止みました。
一歳八ヶ月だけど、話せばわかるのです。だけど、彼はまだ一歳八ヶ月だから自分では話せず、主張が通じないために泣き、泣き方をエスカレートするしかなかった。だけどちゃんと筋道を立てて話したら、彼は納得した。一歳八ヶ月でも言い分はあ る、子どもの話をちゃんと聴き、子どものいいたいこと、いってみたら気持ちを翻訳する。そのことが子ども相談ではとても大事なことだと気がつきました。そのことを心がけるようになると、子どもが次々おもしい顔を見せてくれるようになりました。このケンちゃんは私にとってある意味で師匠です。何かの時に、ケンちゃんの泣き顔と情景が今でも思い出されます。

親子が対等な関係になるために
—こういう認識を持つようになったのは、いつ頃からなのでしょう?
内田:私は子どもが一歳半の時、1973年から保健所で心理相談員を始めましたが、その時代はもう核家族化している状況で、子どものことでなにかあると、やっぱり「母親の育て方が悪い」といわれていました。それで、「育て方が悪い」「未熟だ」などといわれ、「母原病」とされ母親に責任が来る。
そういう時代状況の中で子育てをしていたので、私のなかに「お母さん」と呼ばれたくないという思いがありました。それからもう一つ、「奥さん」と呼ばれたくない。やっぱり一人の人として名前で呼んでもらえるような、そういう人生を歩いていきたいと、思っていました。ですから、上の子が生まれて、私たちの生活に子供がやってきたのはすごくうれしかったのですが、お互いに「お父さん」「お母さん」と夫婦で呼び合うことはしませんでした。生活をともにして以来、私は「りょうさん」で、夫は「ゆうさん」と名前で呼びあっていたので、そのままにしていました。すると、子どもが口をきけるようになった時、当然のことながら私のことを「りょうちゃん」と呼んだのです。だから、「お母さん」と呼ばれる人は家の中にいなかった。
子どもは親の生活を見て学ぶので、私のことを「りょうさん」、夫のことを「ゆうさん」と名前で呼んでくれるようになりました。自然に子どもが名前で呼んでくれる関係になってみたら、それは心地がいい。いくら子どもが幼くても一人の人間として尊重し、お互いに名前で呼び合う関係だと親風は吹かせられないです。

子どもから問われるのは、親の生き方
—どうしても「お母さん」という役割から子どもを見てしまいがちです。
内田:親子関係において、「思うように子どもが動きません」というのは、そういうことです。
例えば、学校に行くことも、勉強をすることも、就職することもそうですが、本当に「子どもと親は別の人格」ということ。そのことを親御さんに伝えたあと、「『お母さんはこう思う』ではなく、一人称で『私はこう思う』というようになったら、子どもとの関係が五分五分で対等になってきました。子どもから物やお茶碗が飛んでくることが、本当に減りました」というお話を聞きます。
親子が「対等な関係」をどう作っていくかを考えるときに、私自身が子どもと一緒につくりあった家庭・家族の関係が参考になったと思います。
子どものことが過度に心配な時は、親はむしろ自分自身をまっ正面から見るのが不安な現実を、家庭的にもっている場合も、社会的にもっている場合も、個人的にもっている場合もあるのだと思います。自分の問題が正視できないほど深刻な時は、子どもの心配に意識をスライドさせることが現実からの逃げ道になります。
「モモの部屋」のつどいの最後は、いつも「自分の生き方に返ってくるよね」というところで終わります。私たち大人が不登校・ひきこもりの理解をもってわが子とどう生きるか。自己実現しながら自分の人生を生きているか、そういうことを子どもから絶えず問われているということが、多分あるのではないかと思います。

「命が大事」という原点
1章では、内田さんの生い立ちから、心理室での仕事を始めた1970年前半、心理室に訪れる子どもたちとの出会い、「モモの部屋」を開設するまで。それは「不登校」「ひきこもり」が大きな社会問題になっていく時間と重なっています。問題を親子関係や家庭環境に見出そうとする風潮は強く長くありました。学校からはできるだけ早く子どもを登校させることを、社会からは仕事に就かせることを、いかに上手く成し遂げるかを親は求められ、背中を押され続けてきました。追い詰められた親は、子どもを追い詰め、命がけの抵抗を受けることになります。家の中は戦場になります。まずは、親は子どもの命を守り、安心して過ごせる家と家族でなければならないのに。
2章では、「心に傷を負った人」の心の内や回復に必要な道筋について「モモの部屋」のグループ相談の実践を紹介。でもじつは、親が学校に行くべき、就労するべきという心の奥底に根付いた思いを問い直すことは、とても難しいことなのだということも、同時に気づかされるお話。
3章は、親子が悩み苦しんだ「不登校」「ひきこもり」の社会的事象。なぜ、子どもたちは「休む」ことを許されず、親は命をかけたわが子の抵抗を受け止めることができないのか、できなくさせられているのか。子どもたちの抵抗への本当の理解と共感、「学校や就労より子どもの命が大事」という、この視点が欠けては何事もなし得ないでしょう。


内田良子 うちだ・りょうこ
1942年生まれ。心理カウンセラー。1973年より27年間、佼成病院小児科の心理室に勤務。1988年より23年間、NHKラジオ「子どもの心相談」アドバイザー、1998年、子ども相談室「モモの部屋」を開室。登校拒否・不登校・ひきこもりなどの相談会を開く。著書に『カウンセラー良子さんの子育てなぞとき』『幼い子のくらしとこころQ&A』『登校しぶり 登園しぶり』(ジャパンマシニスト社刊)


vol.205 ぎふ平和のつどい2021

ぎふ平和のつどい 2021
11月3日 岐阜市民会館大ホール 主催:2021 ぎふ平和のつどい実行委員会

 

第一部  ピアノ&トーク
ピアニスト 崔 善愛さん
「平和と人権を求めて」
人間というのは、私たち自身というのは、いつも鏡を通してしか自分をみることが出来ません。自分自身を見ることさえ出来ないのです。その鏡とは私にとって音楽です。あるいは日本、韓国です。みなさんにとっての鏡とはどういうものでしょうか?私は日本の人が日本の姿を見るときに、韓国という鏡を通して、その歴史を見てほしいなというふうに思うことがあります。

私は憲法九条に出会った時に、喜びに包まれたというか、安堵感に包まれました。これで戦争は起きないだろうと。私は小さい時から日本と朝鮮半島の歴史を聞く度につらくてつらくて。あの植民地支配さえなければこんな気持ち、要するに朝鮮半島の人々が日本を見る厳しいまなざし、それを見て育ったので、そんなことは、「あれ」さえなければ、こんなことはなかったのにといつも思ってました。ですから、戦争もですけど、植民地支配というものを私は憎みながら大きくなりました。実は1950年から53年までご存知のように朝鮮戦争が起こりました。歴史の教科書を開けば何と書かれているでしょう。日本では、「朝鮮戦争による特需によって、戦争からこの国は復興した」と書かれています。
 自分の国の平和だけを考えていてはいけない。私たちは他の国も一緒に平和にならなければ、他の国の戦争によって自分の国の平和が成り立つ、そんなことはあってはいけない。そういうふうに強く思っています。

ある国がひとつの歌を禁止したり、あるいはひとつの歌を歌わなければ罰するというようなことが日本でも起っています。先ほど最初の挨拶で平方さんがおっしゃっていました。平和について、私たちは憲法九条というものを持っているんだ、しかし、持っているだけではダメなんです。それを使わなければいけないんです。それはまるで楽器のようなものだと私は思っています。楽器は使わなければ音が出ないんです。憲法を使うことができるのはみなさんなんです。そしてその時、日本だけではなく東アジアの人々とともに、憲法九条がどれほど素晴らしいものなのかということを拡げて、声をあげていけたらな、と私は願っています。

崔 善愛(チェ ソンエ)
ピアニスト。21歳で外国人登録証の指紋押捺拒否、それにより米国留学の際、再入国不可となり、特別永住資格を剥奪された。その後様々な裁判経過を経て、1999年原状回復の権利を勝ち取った。「ショパンの手紙」などのコンサート活動と共に、現在、週刊『金曜日』の編集委員として、人権問題を中心に健筆を振るっている。主な著書に『「自分の国」を問いつづけて』『父とショパン』など。CDに『ZAL』、『Piano,my Identity』などがある。

 

 

 


第二部 講演
「報道特集」キャスター 金平 茂紀さん
「利己の競争社会から、利他の共生社会へ  〜テレビ報道の現場から〜」
今年は憲法公布75周年
1947年に出た「新しい憲法の話」、これは当時の文部省が学校に配布しました。今の文科省だと絶対配らないですよね。こういうものに私は影響されながら育ちました。本当は「利己の競争社会から利他の共生社会へ」というコロナの時代に気づいた事をテーマにお話ししようと思ったんですけど、「おととい(10月31日)何が起きたんだ!」ということで、内容をちょっと変えました。

この総選挙は何だったんだろう
そう思った時に僕は、2年余り続いたコロナの災いで、有権者を含む国民がものすごく疲弊したんだと思います。この暮しはどうなるのか、毎日マスクをしなくちゃいけない、4人以上集まっちゃいけない、ステイホームとかいわれて、自宅でリモートワーク…。国民が疲弊しきった時は、残念ながら保守的になるんですね。大きな変化を望まないんです。「戦う」とか、「抗う」とか、そういうことがなかなかできないと僕は思います。それくらい安倍•菅政権がコロナ対策について無力だった。よく思い出してください。アベノマスク、あの使い物にならないだけじゃなくて、今も在庫を抱えてその維持費だけで一日7,500万円もかかってるんです。そういうメチャクチャな失政の中で国民が困り果て、おそらく大きな変化とか、チャレンジするというような方向に行かなかったんだと思うんですね。
もう一つあります。「前の2人がひどすぎた」。(笑)要するに岸田さんが新しい自民党の党首になり、ある意味イメチェンです。「まあいいか。新しく顔変わったんだから」という感じで信任の方に行っちゃった。岸田政権はまだ何もやってないんですよ。それで評価しろっていったって無理なんですよ。

選挙結果
しかし、自民が議席数261にし、絶対安定多数をとりました。この数字はどのメディアも想像しなかったことです。野党第一党の立憲民主党の議席が減り96、共産党が10でマイナス2、れいわ新撰組が0から3、社民党が沖縄の2区で1人。ビックリするのが維新で、4倍以上に増えた。私の認識では維新は野党ではないと思います。
新聞の見出しを読むととっても複雑。朝日新聞は「自民伸びず 過半数は維持」一面トップでこんな見出しというのは、自民党嫌いなんでしょう。読売新聞、見出しの大きさ見てください、「自民単独過半数」「立民惨敗」。喜びに溢れているような紙面です。毎日新聞も「自公堅調 絶対多数、立憲減」。あと東京新聞、中日新聞の系列も「自民単独過半数」という、見出しだった。
そして、4倍に躍進した維新の松井代表が早速こう言いました。「憲法改正の国民投票を来年夏の参議院選挙と同時に実施をしてほしい」と。今日は憲法公布75周年の日ですけども、今こういう勢力が力を持ったという嫌な話になってるんですよ。今起きている目先の事だけにメディアは集中して、これから何が起きようとしているかという中長期的なことについての報道がほとんどなされない。これはとっても危険な事だと僕は個人的に思っています。

投票率
若者達の投票率が今回もものすごく低かったですね。選挙を通じて自己表現とか自己実現しようなんて若者がどんどん減っている。全体でも55.93%で、戦後3番目の低さでした。投票日の10月31日はハロウィンという日。仮装をして渋谷に来てた人に「選挙行きましたか?」って聞いたら、7割が「行ってない」です。だけどハロウィンには来る。僕ね、こういう国に未来はあるんだろうかって思います。さらに、24才の男が上京して京王線の列車の中で横にいた72才の男性をいきなり刺し、車内に油をまいて火をつけ、「2人以上殺したら死刑になる、自分は死にたかった…」と供述するという事件が起きました。自暴自棄ですね。そういう犯罪を犯して自己実現をしたと思っている人と、この投票率の低さは僕はリンクしていると思います。これ、本当に深刻な問題で、今僕たちが置かれている日本という国の現実です。
4年ぶりの選挙の結果を見た時に何を考えるべきなのか、今日のテーマ「利己的な競争社会から利他との共生社会へ」移るべきなんじゃないかと思うんです。

政治ってなんですか?
政治っていうのは、チェさんのトークの中にありましたけど、例えば国籍の問題。二重国籍を認めないとか、チェさんのように納税をしている人に選挙権を与えないとか、実は国際的なルールからみてもとってもおかしなことが、日本の社会では当たり前のように未だに通ってます。暮しの中にあるそういう不公正とか、理不尽なことが、実は政治です。僕らの身近にある暮しの中にあることこそ本当は政治だと僕は思っています。そういうことがわからないと政治というものを人ごとみたいにしちゃうんですよ。

国民主権
「日本国民は日本国民の意志によって憲法を制定し憲法を改正し、三権分立を通じて国の政治を行わせる」。主役は国民だという意味で「行なわせる」という認識はすごく大きい。で、それがいつの間にか国民というのが観客になっている。見てるだけというか。主人公が永田町で役者みたいに振る舞っている人たちであって、自民党の総裁選はまるで芝居を観ているようでした。国政とはあまり関係ない。実質的にはボスが日本の首相になるという現実はありますが、あれは国民主権と直接的には関係のない話ですよね。それをマスメディアが微に入り細に入り報道した。それが今の日本の政治に関しての現実だと思うんですね。

コロナ禍で学んだことと主権者教育
コロナによって僕らは利他っていう考え方を自然に身につけたんだと思うんです。困ってる人がいたら助けるのが当たり前っていうね。それが今だんだんとなくなってきてる。選挙では表立った争点にはならなくて、給付金がいくらもらえるとか、そんな目先のことになってしまった。完全に忘れられてるのが震災復興です。福島第一原発の廃炉作業ってあと半世紀かかるんです。にも関わらず、原発再稼働はやむを得ないといっている与党が勝った。なぜか。メディアが争点化できなかったから、もっというと若い人たちの投票率が全然あがらなかったから。やっぱり、主権者教育がなされてない証拠だと思いますよ。

利己の競争社会から利他の共生社会へ
利他とは何かというと、そこにあるのは公です。昔から「世のため人のため」といったでしょ。そういう部分の考え方ってとても大事なんですよ。例えば福祉、教育、医療という分野は自分の事ばかり考えていてはだめなんです。そこは民間活力とかいって儲けの手段にしちゃいけない分野です。民営化してしまうと、とっても良くないことが起きる。ヨーロッパや他の先進国は、行き過ぎた民営化はみんなのためにならない、というんで元に戻したりしてます。

マスメディアの役割
それから、自戒を込めて言いますけど、マスメディアの役割が劣化したと思います。自民党総裁選のとき、NHKと民報は総選挙の報道量よりも多かった。よくよく考えてみると自民党という公党のボス選びのために、総選挙より長い時間を費やして放送するっていうのはおかしくないですか?これはすごく重要な問題です。もう一つ。実は、選挙が終わった瞬間に評論家とか、テレビに出ているコメンテーターが、「野党共闘は大失敗」「野党共闘なんて絵空事」と批判した。じゃあ野党共闘をやってなかったらどうなってたと思いますか?さっきの数字なんてもんじゃないと思いますよ。メディアの関係者は、自分のたちの耳に痛いこととか、損になる事はいわない。メディアが役割をキチンと果たさなかったことが、総選挙の結果に影響してると思いますね。そう思いませんか?(会場拍手)

人間は社会的生き物
人間というのはやっぱり一人では生きられないということですよね。僕の恩師の、筑紫哲也さんがよく好んで、引いてたセリフ「I am a part of all that I have met.」私はこれまであってきた人のすべての人の一部である。この考え方は、利己とか利他という言葉にすごく関係していて、自分のことばっかり考えていると自分が不幸になっていくと思うんですよ。利他という考え方はそこから出てきた考え方です。それと矛盾するようですが、「自分であることの自由」があります。心の中の自由は、不可侵であって誰かから強制されるものじゃないということです。社会的な生き物であるっていうのは、理解するのがなかなかむずかしい。例えば交響曲のように大勢で奏でる音楽、一人ひとりがその役割を果たした時に総和以上のものが出てくる。これってすごい大事なんです。NEWS23キャスター・筑紫さんの、最後の「多事争論」をご覧いただき僕の話を終わりたいと思います。

変わらぬもの とかく一つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいこと、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるたけ登場させること、この社会に自由の気風を保つこと、そういうことが含まれております。それを実際に全て全うできたとは言いません、しかしそういう意思を持つであろうと努めてまいりました。この18年間人は変わったんですが、そのことでは変わりはありません。同じようにこれからも松明は受け継がれていきます。

金平 茂紀(かねひら しげのり)
テレビ記者・キャスター・1977年TBS入社。以降、同局でモスクワ支局長、ワシントン支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長など歴任。2010年より「報道特集」キャスター。「ネコタチノトオボエ」などSNSでも積極的に情報発信。著書に『ロシアより愛を込めて』『二十三時的』『テレビニュースは終わらない』『沖縄ワジワジー通信』『抗うニュースキャスター』『漂流キャスター日誌』など多数。最新刊は『筑紫哲也NEWS23とその時代』『白金狼II』。


vol.205 しょうがいをみつめる vol.16

同じ世界に生きていて

『自閉症の僕が跳びはねる理由』という本をご存知でしょうか。東田直樹という自閉症の作家が13歳の頃に執筆し、現在では世界30カ国以上で翻訳、映画化もされています。
この本では、「なぜパニックを起こすのか」など、自閉症者に向けられるよくある疑問を作家自身が解説するという内容で、話すことが困難な故に誤解されがちな自閉症の世界を鮮やかに描きだしました。
私自身、障がいのある子どもたちとは長く関わっているし、自閉症のこともよく知っているつもりでしたが、この本を読んで、こんなにも若くして自分のことを分析し、言葉にできる自閉症者がいるということに驚いたとともに、こう感じていたのか、こういうことだったのかと気付かされることがたくさんありました。

そして、ある子のことを思い出しました。
学校では、朝登校するとカバンの中のものを取り出して指定の場所に置き、カバンをロッカーに片付けるのですが、自閉症の彼は登校後、朝の会が始まるまでかかってそれを行います。その間実に20分。普通なら1分もかからずに終わることです。何をしなきゃいけないかが分かってないわけではなく、単純に時間がかかるだけ。
その当時は、早く終われば残りの時間遊べるのにどうしてだろう、何とかして早く終わらせられるようにしてあげたいとあれこれ手を尽くしてもみましたが、急かすたびに彼は怒り、私は途方に暮れてしまいました。

 東田さんの本にこういった一節があります。
『みんなはすごいスピードで話します。頭で考えて、言葉が口から出るまでが、ほんの一瞬です。それが、僕たちにはとても不思議なのです。』
普段私たちが何気なくやっていることが、自閉症の人にとったらとてつもない時間と労力が要ることなのかもしれません。そうならば、私たちのペースに彼らを無理矢理合わさせようとするのは、果たして彼らのためなのか。時間があるのなら、それが許す限り、彼らのペースでやっていくのを見守ってもいいのではないか。今になってみると、このようにも思うのです。

私たちは今生きている世界が唯一のもので、かつ正しいと思っていて、自閉症の人たちのように、同じ世界に生きていても、物事の見方や感じ方が異なる人がいるということを忘れがちです。そういった時、この本のように当事者の言葉が多くのことに気付かせてくれます。
映画「自閉症の僕が飛びはねる理由」には、シオラレオネというアフリカの国に住む自閉症の家族が出てきます。この国ではいまだに、人前でパニックになる自閉症の人たちは、悪魔や魔女と呼ばれ、偏見の目に晒されています。

『この本を読んでくだされば、今よりきっと自閉症の人のことを、あなたの身近な友達のひとりだと思っていただけると思います。
人は見かけだけでは分かりません。中身を知れば、その人ともっと仲良くなれると思います。
自閉の世界は、みんなから見れば謎だらけです。少しだけ、僕の言葉に耳を傾けてくださいませんか。そして、僕たちの世界を旅してください。』
自分とは違う立場の人の声に多くの人が耳を傾けることができれば、差別偏見はもっと減っていくのかなと思いました。           S.I

引用:『自閉症の僕が跳びはねる理由』東田直樹


vol.205 人生これから シニアポートレート

シニアポートレート撮影会・第3弾
(もしもの時に使える写真)
11月2日(火) アートギャラリー是(関市武芸川)にて

参加者のみなさんはヘアメイクをしてもらい、室内で、庭で、デッキでと場所を変えてパチり!お天気にも恵まれ、和やかな雰囲気の中で撮影は行われました。数多く撮った中から3点にしぼり、お気に入りの一枚を伊勢和紙にプリントし額装しました。

● 楽しかった。こういう写真ってなかなか撮れないし、サックスとバイクを入れて撮ってもらえて満足です。自分の葬式に使えるかな。(Ha)
● 芸能人になったかのような感じでした。自然な笑顔が作れるように導いてもらって、さすがだな、と思いました。     (Hiro)
● いつも化粧もしないし、髪もかまわないのに、整えてもらってすごく変身しました。夫もいつもと違う髪型で見違えるようです。お天気もよく、いい感じに撮ってもらえました。     (Masa)
● 着物はちょくちょく着るのですが、なかなか写真は撮れずにいました。メイクもヘアもきれいにしてもらって、写真のでき上がりも、さすがプロは違うと思いました。           (Usu)
● 2回目の参加でしたが、場所も変わって、お天気もよくて、データを選ぶのが大変でした。友達と2人で撮れたのもとっても良かったです。良い記念になりました。            (Matu)
● メイクをしてもらったなんて自分の結婚式以来です。撮られてるときはなんか恥ずかしかったけれど、写真を見たらステキで良かったです。友達が一緒にいてくれて心強かったです。   (Iga)
● 嬉し恥ずかしのひとときでした。さすがプロ、メイクもこんな透明感ある肌には自分ではできないし、撮影のときには自然な表情を引き出してもらいました。              (Tada)
● ふだんこのように撮ってもらう機会がないし、他の人からのアプローチで新しい発見もあって、新鮮でした。ああ自分はこうなるんだと面白かったです。                (Syow)
● 写真を見てみて、なかなかおじいだなと思った。でも娘たちに一枚ずつ渡します。自分になにかあった時に使ってもらいます。(Hora)
● いい経験ができました。プリントしてもらった写真は仕事場の棚に置いて、みなさんに感謝の気持ちを伝えようと思います。 (Kuno)
● 普段写真を撮る事があまりないし、多く撮り過ぎても選ぶのが大変だと思って、少なく撮ってもらいました。      (Kato)

ヘアメイク:鈴木 美沙さん
今日は人生で好きな事をしていらっしゃる人が多くて、メイクしながらのお話しもためになりました。そんな方々のメイクをさせてもらって光栄です。
フォトグラファー:田中 千穂さん
この場所、このお天気あってこその会だったと思いました。個性が強い方が多く、その方にあった場所で撮影できてよかったです。


vol.205 熱中人Syowさん

その人の魅力を引き出す 本当にやりたいことを実現

ファッション ライフ スタイリスト
 Syowさん(岐阜市在住)

スタイリストといえば、テレビや舞台、雑誌など、華やかな業界で活躍しているかっこいいイメージや、センスが必要な仕事だという認識を持っている方は多いのではないでしょうか。今回は、ファッションコーディネートを一般の方を対象としたスタイリストの仕事をしているSyowさんをご紹介します。

東京でアパレル関係の仕事に就き、ファッションコーディネートの技術を身につけた。しかし、なぜか面白く感じられない。「どうせ人をコーディネートするなら、その人を真から輝くようにしたい」と思い、活動の拠点を岐阜に戻し独立した。「ファッション ライフ スタイリスト」という言葉をその時につくり、自分の肩書きにした。
「ファッションは、文字通り『服装とか服飾』を意味します。その中には髪型やメイクなども含まれます。ライフは人生そのものですが、ファッションを通してその人の人生に躍動感を感じられるような提案を仕事にしたいと思ったのです」。

雇われて働けば、収入は安定する。だけど、自分が本当にやりたいことをしたかった。だから、やりたいことを選んだ。そう語るSyowさんの眼が光る。
「岐阜って面白いところですね。僕はSNSもやらないし、テレビも見ない。でも、人とめぐり会うことが多く楽しく生活しています。お客さんは自然にめぐってくるというか、営業活動はしてないんですよ」
「実は、東京にいた時にネット発信はやめたんです。顔が見えない中ではいいなと思える繋がりや発展がなかったから。ネットをやめて直接会って仕事を始めたらいろんな繋がりができました。類は友をよぶ的なものかな、すごく楽。自然体でものごとが進んで行くんですね」
「その人の向上心・本気がなければ今以上にならないんです。やり方は千差万別で、特に決まっていません」。
見た目だけ変わろうとする人も多いが、本気で人生を変えたいと自分にゆだねてくれると提案もしやすい。
「自分が変わることに最初はみなさん抵抗感があるようです。まずは服を変えるだけで表情や雰囲気が変わっていくんです。できれば1年、2年、3年と長く関わることができたら、伝えたいこともしっかりとお伝えできると思っています」。
服を選ぶ基準を値段やブランドという人がいる。できれば素材、縫製などのクオリティと、それに見合う価格で選んでほしい。そこそこの価格でこれだったらいい、というもの、等身大でつきあっていけるものを基準にするといいと話す。そんな服の情報に興味のある人は向上心がある人だという。服を買う時は必ず試着するように伝えてもいる。手に取った感触と、実際にまとった時に違和感が生じることもあるからだ。

過去にモデルの仕事もこなしてきたSyowさん。
写真は、先日行われたポートレート撮影会にて。

「何を選ぶにしても物の本質を見て選んでほしい。ブランドだから、流行っているから、注目されたいから、というのはちょっと歪んでいると思います」と厳しい目つきになった。
どこにお金をかけるのか、まず見栄を取り外すこと。見栄にお金かけることをやめれば、人生が楽になる。
クライアントは、40〜60代の人生をある程度生きて来て、これからの人生を楽しみたいと思っている方々。関わる期間が長ければ長い程、みんな見違えるように変わっていくんだとか。その方々から「周りの人たちから褒められるんです」という声を聞く。こういう人たちから口コミで広がり、依頼されて自分の仕事が成り立つ。
「外から変えて行くのは簡単ですが、僕が関わったことがきっかけとなり、その人の人生が輝いていくのが実感として感じられた時、この仕事をしていてよかったなと思います」。

Syow○しょう プロフィール 岐阜出身。東京で大手アパレル企業に勤務。販売、商品管理を経てフリーへ転身。現在は国内から全世界を舞台にフリースタイリストとして活動中!


vol.205 夢か悪夢かリニアが通る!vol.34


初の犠牲者、そのとき

岐阜県中津川市のリニア中央新幹線「瀬戸トンネル」瀬戸非常口掘削現場で10月27日午後7時20分ごろ、2人が死傷する事故が起きました。リニア工事で死者が出たのは初めてのことです。JR東海は山岳トンネル掘削工事をすべて一時中断しましたが11月1日から順次再開。8日には、長野県豊丘村の伊那山地トンネル「坂島工区」で作業員が右足に軽傷を負う事故が起きてしまいました。相次ぐ事故の背景にJR東海の「焦り」を感じている住民もいます。                      井澤宏明・ジャーナリスト

2度の崩落が起き、2人が死傷した事故現場(JR東海の公表資料から)

繰り返す事故
JR東海によると、死傷事故の現場は本坑(リニアが走る本線トンネル)につながる全長約600メートルの斜坑(乗客が避難する非常口トンネル)。
掘削最先端の「切羽」でダイナマイトによる発破をかけた後、44歳の男性作業員が点検のため近づいた際、岩石などが崩落する「肌落ち」で足が埋まり、52歳の男性作業員が助けようとしましたが2度目の崩落が起き、44歳の男性は下敷になって死亡、もう1人は左足を骨折する重傷を負いました。
坂島工区事故では計10トンの土砂が崩れ、長野労働局長は「一歩間違えれば死者が多数出る可能性があった」と指摘しました。
2つの事故現場に共通するのは、工事が遅れていることと着工から時間がたっていないこと。瀬戸トンネルは昨年初めに着工する予定でしたが1年3か月強遅れの今年6月、坂島工区は3年半強遅れの7月に着工しました。
リニア工事の事故は2年に一度起きています。2019年4月、中津川市の中央アルプストンネル「山口非常口」で陥没事故が起きました。けが人は出なかったものの、住宅と隣り合う雑木林が直径約8メートル、深さ約5メートル陥没。17年12月には、長野県中川村で関連トンネルの発破により土砂が崩落、生活道路をふさぎ、住民は凍結した峠道の通行を強いられました。
山口非常口事故の際、岐阜県は環境影響評価審査会に地盤委員会を「新設」する異例の対応を取り、知事意見書を出しました。
この中で事故原因を、不安定な地質状況なのにも関わらず、ふさわしい工法を採らなかったためと指摘、より慎重な工法を採ることを求めました。JR東海は地質専門職員を常駐させたり、先進坑を掘ったりする対策を示し約7か月の中断後、工事を再開しました。ところが、犠牲者を出す最悪の形で事故は繰り返されてしまいました。

JR東海「大きな影響ない」
「(県内)3回目の事故はあってはならない」と岐阜県リニア推進室の担当者は言い切ります。各県で山岳トンネル掘削工事が再開される中、古田肇知事は11月29日、JR東海の金子慎社長と面会、原因究明と再発防止策が講じられるまでは県内4ヶ所のトンネル工事を再開しないよう求めました。
大井川の水問題などで着工できない静岡県の「外堀」を埋めようとするかのように、沿線各地で着工が相次いでいます。そこにJR東海の焦りを感じている人たちもいます。沿線住民などでつくる3団体は11月9日、すべてのリニア工事をいったん中止し、死傷事故の原因を徹底調査することをJR東海に申し入れました。「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」共同代表の天野捷一さん(76)は記者会見で「JR東海は非常に工事を焦っていて、無理やり進めようという傾向がだんだん顕著になっている」と不安を露わにしました。
一方、JR東海は死傷事故後の記者会見で、品川―名古屋間の開業までの全体の工期に「大きな影響はない」と断言。坂島工区事故では、長野県や豊丘村への連絡が約4時間後と遅れ、事故があったことをホームページで公表さえしませんでした。
リニア反対の姿勢をとるJR東海労働組合は10月28日、会社との協議の席で、事故の犠牲者への黙とうを提案しましたが、会社側は拒否したそうです。宇野護副社長は11月24日、事故を受け開催した施工会社との協議会初会合で「一連の『事象』に対する世の中からのご反応といいますか、厳しい、大変厳しい反応があったと思います」と発言、「事故」を「事象」と言い換えてしまいました。そこに事故に真摯に向き合う姿勢は見られません。


vol.205 ボーダーレス社会をめざして vol.64

「転ばぬ先の杖」はいらない
NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

書道教室でハガキ大の色画用紙に季節の言葉を書いて、家に飾ってもらおうという試みをしています。そこで皆さんに「どの色がいい?」とお聞きします。一番上に置いてある紙を選ぶ人、自ら好きな色を選ぶ人。そこで自分で選べる人は、今までにそのような選択の機会を多く与えられてきている人なのではないかと思います。
能力の差はもちろんありますが、選ぶという行為を与えられないで、すべて親がご本人のためと思い、好きだろうと思うものを決めてきた場合と、写真を見せたりしてご本人に選ぶことをあえてしてきた人とは、大きな差があると思います。
ある日、秋にちなんで「“芸術”という字を書こうね。どの色がいい?」即答で「赤!」と言われた20歳くらいの人がいらっしゃいました。お母さんに自分の意思がしっかりしていていいですね。」「伊藤さんのお蔭ですよ。」「はっ?私の?」何がなんだか分からなくて・・・。
「伊藤さんが、この子にはちゃんと意思がある。食事をしに行っても食べるものを親が勝手に決めてはいけないと以前言われました。その時のことは鮮明に覚えています。今では、自己主張をしっかりし過ぎになっちゃいました。」と笑っておられました。
障がいのある子どもを育てる事は、容易ではありません。しかし、本人の意思を大切にし、自分で決めていくことを教えていくことは大切な事です。簡単な事から自分で決めていく習慣をつけ、少しアドバイスしながらちょっと離れてわが子を見る。危ないなと思ったら手助けをすればいいのではないかなと思います。少し失敗しても自分の人生ですから。それは障がいのあるなしに関係ないことのように思います。
「伊藤さんの子は軽度だからそんな事が言える」という声がどこかから聞こえてきそうですが、決して軽度でなくても選択できる人はいらっしゃいます。「赤!」の人は、日々の積み重ねによって、自己主張が出来るようになったのです。親さん・ご本人の努力の結晶が、現在の姿です。ですから親が良かれと思って決めつけないこと、「転ばぬ先の杖はいらない」のです。また、先のお母様のように、子どもが小さい頃に選択肢を作ることが必要だとアドバイスを受けているのと受けていないのとでは大違いです。(それをしっかり受け止めて下さったからこその結果なのですが・・・。)
早い時期に知っていたほうが良い情報はたくさんあります。SNSではなく、人との出会いは実体験を聞かせてもらえる貴重な機会だと思います。このコロナ禍では、人と会うことが規制されてしまっていますが、上手に生の声を聞かれることをお勧めします。


vol.205 未来に続く暮らしの学び Part-46


Healing Art
Art Gallery of NSW シドニーの美術館で起きたヒーリング。人間関係で悩んで、しょんぼりしていた時に誘われ、とにかく絵を観に行った。展示室にはでかいキャンバスが何枚も展示されていた。自分の背丈より大きな作品はその世界に入っていける感覚を与えてくれた。アボリジニの人が描いた作品の展示室に入ったときに、一枚の絵の前に私は座り込んでしまった。とてもシンプルだけど複雑。土の色の背景に、単色の白のドットで描かれたその絵は、私を惹き込んだ。特に人間関係で悩んで、ちょっと傷ついていた私は何かしらのメッセージを潜在意識的に絵画から求めていたのだと思う。
その絵は、私の意識に働きかけ、ただその絵を見つめているだけで私の心はとても落ち着いていった。
こんな経験は初めてで驚いた。絵が人に癒しを与えてくれることは知っていたけど、実体験でこんなにも強く私の意識と心に働きかけてくれるとは。なんていうか、この体験を得るために、人との関係がごちゃごちゃして気を落としたことに逆に感謝できた。実体験として絵が人に癒しをもたらすことができると確信させてくれた。そこを信じ切って、描けばいいと。
絵画の秘めたるパワーを、改めて教えてもらえたとても個人的だけど、意味深い体験でした。 YAO


VOL.205 菌ちゃん野菜応援団vol.26


 いつまでも暑いと思っていたら、あっという間に冬がやってきましたね。木々も葉っぱを鮮やかに染めたあと、あっという間に落葉していきました。
今年は草を積み重ねたところからかぶと虫の幼虫がたくさんたくさん出ました。かぶと虫の幼虫掘りイベントには多くの親子連れのかたに来ていただき、わぁー、いたいたー!!なんて歓声がそこかしこから。1番興奮していたのはお父さん達だった、かも。
冬の間お世話をしてもらって。来年の夏にはたくさんのかぶと虫達が土から出てきてくれるかな??草を積み上げて1年半。雨風にさらされ、菌ちゃんのお陰でホロホロになった土に昆虫が卵を生んでそこでまた命が循環していく。感動的ですねぇ。

幼虫さんはまだいます。育ててみたいな、という方はご連絡下さいね。

今年は蘇原の畑を一旦トラクターをかけていただくことに。すこしすっきりするかな。時には文明の利器にも頼って。

即席べったら漬け
・甘酒200gに塩小さじ1から2
よく混ぜたら大根や蕪などを適当な大きさにきって漬け込みます。数日おくと、あまじょっぱいおいしい漬け物が出来上がり。簡単だよー。


vol.205 ここいく日記 婚活セミナー

☆ 婚活セミナー ☆
~素敵なパートナーとの出逢いのお手伝い~

 止まっていた『いのちの授業』が、10月11月に入り動き始めました。思わぬところからの依頼や、毎年当たり前のように呼んでくださる中学校…など、授業ができることが嬉しい忙しさでした。今回は、10月10日ご縁がありNPO法人ユメココサポートさんからの依頼で、関市婚活サポートセンター ハッピークローバー主催の、恋愛ステップセミナーの講師をさせていただいた授業の報告をします。
婚活、まだパートナーとなっていない方への授業は、私たちにとっても初の試みで、参加者同様とても緊張しました。
まずは緊張している心と体をほぐすために、劇団の方に教えていただいた遊びのワークショップからスタート!!間違っても大丈夫、失敗したら笑いに変えましょう!口角を上げていると、幸せがやってきますよ~と声をかけていたら、皆さんの表情も柔らかくなっていきました。
心と体をほぐしてからは、新たなプログラムに挑戦。お互いの体の仕組みを知るために、射精・月経・出産についてお話をして、自分のいのちの成り立ちでは、いのちの神秘の映像で、精子と卵子の出逢いを観てもらいました。
そして…心の話と人権ワーク。人それぞれ、いろんな人がいて、いろんな生き方があって、いろんな性がある。男らしく女らしくではなく、自分らしく。大切なのは、思いやり、対等であること、違いを認め合うこと…。その中で、安全・安心・信頼関係が生まれる。皆さんは幸せになるために生まれてきました。幸せは自分の気持ち次第…と伝え、素敵な絵本『グーチョキパーのうた』をみんなで歌いました。
 「グーよりつよいのは パー パーよりつよいのはチョキ チョキよりつよいのは グー みんなつよくてみんなよわい♬」「みんなちがってみんないい ひとりひとりみんなひと♬」
最後に恋愛のステップワーク。自分が思う恋愛の進み方を、それぞれ考えてもらい、順番をつけてもらいます。それからグループトークへ。
告白する前に家に行く?いきなり旅行行っちゃう?自分とは違う考えにびっくりするけど、理由を聞くと、そういう考え方もあるんだ~と納得。正解はない、みんな違う、相手のこと知るって大事。それを実感できるワークは、とても楽しくて盛り上がりました。
私たちの授業の後、参加者の方たちはマッチング交流会。めでたく6組のカップルが誕生したとの報告に嬉しくなりました。私たちも貴重な体験に感謝です。

参加者感想
◎性知識について保健の授業で習ってたつもりだったが、改めてセミナーを受けて、知らないこともいくつかあったので、学べてよかったです。(男性)
◎生命の誕生について、改めて知り感動しました。子どもたちに伝える活動をこれからも頑張ってください。(男性)
◎多様な意見があって興味深かった(ワークショップ)(男性)
◎いろんなことが分かって、とても楽しかった(少しはずかしかった)(女性)
◎私が小学生の時は今回のような具体的な話は聞かなかったので、とても新鮮でした。ありがとうございました。最初のゲームも楽しかったです。(女性)
◎今までぼんやりとしか知らなかったことを知れてよかったと思う。(女性)
◎勉強になってよかったです。いろんな考えがあるんだと思いました。(女性)

担当:ここいくメンバー・小田 佐知子でした。
ここいく☎090-3446-8061(中村)


vol.205 南の島からハイタイ(こんにちは)連載5


2020年4月に沖縄県の「県蝶」に制定されたオオゴマダラという蝶を皆さんはご存知でしょうか。今回このオオゴマダラについて。また、この蝶に魅せられた浦添市在住の素敵なお二人を紹介しましょう。、
浦添市美術館の隣に、国内最大級のオオゴマダラが飛び交う「てだこチョウハウス」があります。ハウスは、2000年頃「オオゴマダラを楽しむ会」が市の助成金により設置。当時は、県内各地の小学校などでチョウハウスがブームになっていましたが、管理が難しく放置状態になっており與儀ひとみさんが、何とかしたいと思っていました。その頃、息子さんが腸炎(チョウ園)にかかり入院。これはもう決定的、やるしかないと思い2021年春に「てだこチョウハウス」を復活させました。それから10年、ボランティアで、幼虫のエサやり、糞の掃除、植物の水やりなどの世話を続けていらっしゃいます。そしてその努力が実を結び、現在は子どもたちが蝶の一生を観察したり、老若男女の憩いの場にもなっています。
オオゴマダラは、羽を広げると15センチにもなります。白地に黒い斑模様で、羽ばたきはゆっくりで優雅です。幼虫は、エリック・カールの絵本に出てくるようなビビットな色をしていて、キョウチクトウ科のホウライカガミの葉を食べます。この葉には毒性があり幼虫の時にそれを体内にため込むことで他の動物から身を守ります。さなぎは宝石のように輝く黄金色で、なんとも美しいものです。
また、オオゴマダラが県蝶に制定された同じ年の12月にオオゴマダラの写真集も誕生しました。作者はカメラマンの安田淳夫さんです。主に自宅の庭にやってくるオオゴマダラを20年近く撮り続けていらっしゃいます。「オオゴマダラと私のコミュニケーションを通して蝶との共同作業で仕上がりました」といわれるとおり絵本を見ているような、心和む温かい作品です。
最近、沖縄各地で「オオゴマダラが育ちやすい環境を作ろう」とホウライカガミを植える施設や家庭が増えています。道を歩いていて、また車の中から、ふとオオゴマダラに出会うと何かいいことありそうなうれしい気分になるのは私だけでしょうか。琉球王国時代、蝶は神の化身とか魂を運ぶ役割があると信じられてきました。沖縄戦時、米兵に追い詰められ死を考えた家族が蝶を見て思いとどまったというエピソードもあるとか。
與儀ひとみさんの夢、モノレールの最寄り駅「浦添前田駅」に降りるとオオゴマダラが出迎えてくれる。そんな日が来ることを願って。


かとう まみ プロフィール
岐阜市生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒業 ・2015年5月:写真集「奥飛騨に響く種蔵の里」(岐阜新聞社)出版 ・2019年6月:写真集「ばあちゃんぼくが継ぐ」(岐阜新聞社)出版・個展3回・(一社)二科会写真部会友 ・岐阜市美術展委嘱作家岐阜市美術展部会推進委員・岐阜県写真作家協会会員・二科会写真部岐阜支部委員・ギフフォトクラブ会員