159号(2014.5&6)」カテゴリーアーカイブ

vol.159 エコビレッジfromオーストラリア

オーストラリアでエコビレッジの立ち上げに参加している
日本人女性YAOさんのレポート

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Eco Village “Paradice One Retreat”の目的

  • 持続可能な自給自足の生活をする事
  • 生活を共有するもの同士、お互い高め合って成長する事
  • 大規模なパーマカルチャーのプロジェクトの達成
  • 安全で健康的な食材を、お客様と一緒に共有する事
  • 可能な限り地球上に自然を残せるようにする事
  • ひらめき!を感じてもらえる「暮らしのモデル」を提供する事

満月に行った収穫祭

オーストラリアと日本は季節が逆になるので、ここは秋分を迎えたところです。秋分に一番近い満月の日に収穫祭を行うのが、古くからの習わしであるという事で、前回の満月が日曜日でもあったので、paradiseoneの初めての「小さな収穫祭」を行いました。

畑の経験の浅い私たちですが、知恵を寄せ合って試行錯誤をしながら、開墾から始めた畑。すこしずつ少しずつ、畑からの産物を、食卓に持って来れるようになってきました。まずは、この土地の恵みに感謝を伝え、収穫できるサイズに育った野菜たちをみんなでいただきました。

今の時期は、ラディッシュ、大根、カボチャ、ビートルート、スイカ、メロン、青菜、中華野菜もよく育っています。

驚いた事に、大根はとても甘く、見かけもとてもユニークで、みんなを笑わせてくれました。

根菜とカボチャは豊作で、味もよく、スープにしたり、ピクルスを作ったり、いろいろと調理法も思考しながらいただいています。

01メロンとスイカは、収穫のタイミングを見極めるのが難しく、あたりはずれがありましたが、それでもみずみずしい果物をいただける事にはとても感謝しています。

この日は、収穫した野菜の野菜スープと、ピザ釜をつかって、直火で焼いたベジタブルピザをみんなでいただきました。

節の切り替わりの時期に、祭りを行い、各自の生産物を持ち寄り、近所のひとたちともシェアしていけるようにしていく事が目標です。
まずは友達や、近所の人たちに、たくさん育った野菜を、ギフトして、ギフトし合うコミュニティーが広がっていけるようにしたいと思っています。

まだ自分たちの状況は、自給自足のほんの始めの段階ですが、少しずつでも確実に、現実的に、このプロジェクトを大切に進めていこうと、再覚悟をした日でもありました。仲間がいるから、このプロジェクトが進んでいる事、そして祭りを通してみんなに感謝しあえた日。

自分たちだけのためにやっているのではなく、他の誰かのためにもやっている。それを心がけ、輪が波紋のように広がりつづけますように…

(Paradice One Retreat staff・YAO)

vol.159 エコビレッジfromオーストラリア


vol.159 ぎむきょーるーむ「大人未満」な子とつきあう

長~い! 反抗期 思春期 自立期 「大人未満」な子とつきあう

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すれちがいはえんえんと ジャーナリスト 杉山由美子
子どもの思春期は、親の思秋期
長女も結婚、次女も就職。もう子育て終了。これからは、やりたい仕事をして少しは人様のお役に立って、人生のしめくくりに向かおう。
という矢先、長女が入院。じつは原因の痛みは、長女が10代からの持ち越しで、「たいしたことない」とみすごしてきたものだったから後悔も深い。

思えば娘には苦労をかけた。今も胸がうずくのは、長女の中学校時代。子どもが見えない、わからないときは親も混迷を深めていると、今だからいえる。

長女は荒れた。安いコスメを塗り、禁止されているルーズソックスをはき、制服の裾を上げ、眉を剃った。上級生の男の子たちをグループで追った。

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どれもたわいのないことだったのに、私はいきり立った。なんとか軌道修正させようとやっきになって叱ったり説得した。

女性の経済的自立を標榜してきた私は、女の子が社会でどのように差別されているか、そのために差別されない学力と学歴をもつ必要があるとデータをもって解説した。

長女はまったく聞いていない。耳が閉じていえるいることがびんびん伝わるからくどくなる。くどくなるとそっぽを向く。しつこい私は「昨日言ったことだけど」と翌日に持ち出した。エンドレステープ。

「あれはまいったな!終わったと思っていたのにまた一からはじまるんだからね」長女は笑う。

思考停止していたのは私だった。

「メシの食える大人になる」のはたやすくないけれど
子育ては長い。やっかいな10代を超えればすんなりいくかというと、そうはいかない。

子どもは親だけでは育てられない。親が孤立して経済的に苦しくなれば、すぐ子どもに八つ当たりしてしまう。親も子も逃げ場や居場所、子どもを認めてくれる他の大人が、家庭の外に必要だとつくづく思う。

私は娘たちに「ワーキングマザーになったらできるだけめんどうをみるね」と話している。社会が若い人や子どもに厳しいから、せめて親がへとへとでもめんどうをみるしかないと思ってしまうのである。

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いまの若者は自立してない、幼い、といわれるけれど……。
それでは「大人」って、どういう人?

石川憲彦(精神神経科医)

かつては「元服」など大人になる確かな節目がありました。
自然に学びながら生きていけば10代の初め頃には1人で世の中をわたっていける体力がつき、不器用ながらも「相場」とされる行動ができるようになり、また生殖能力がそなわってくる。

それがひととおりそろったところで元服となる。農業社会ではそれでよかった。しかし世の中が複雑化すればするほど生きぬくためのルールも複雑になり、大人の基準も複雑になっていきます。

工業社会では、知的合理性が体力にとってかわりましたが、知的合理性はテストの点だけでははかれるものでもない。ものさしがひとつではないから、大人の条件はさらに複雑になります。

とはいえそのころも、大人のイメージとは、自然界をみすえてどっしり構えている、しっかりしている、というものだったでしょう。

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ところがいまのような情報産業社会では、どっしり、しっかりしていても、あまり意味がありません。情報産業社会で価値を生み出すのは想像力、イマジネーションだということですから、時代への感度の高さなどが大きな意味をもつとされる。

ところが想像力をはかるものさしなんてないのですから、どういう人が大人なのかわかりません。成果をはかるものさしがないのです。

農業社会にせよ工業社会にせよ、大人は実態を生み出してきました。そこは智恵の蓄積があり、老賢者もいた。
ところが実体経済なき金融資本主義の社会にはそれがない。こういう世の中で旧来の「大人」という理想像を求めるから、混乱するんですね。

これからの大人の条件は、かっこよく貧しくなること!

大人の基準って?
本来、どんな時代であれ、行きぬくには、体力とも知力とも違うタフさが必要です。それは「こうなったらおしまい」などと条件をつけず、立ち止まってじっくり考えながらものごとをすすめて、生きていこうとするタフさです。

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それから、殺しあわずに生きていこうとする意志、共生していく意志をどれほどもっているか。このタフさと共生への意志以外に「大人の力」と呼べるものはないと私は思います。

そしてこういう力は、いま「幼い」といわれている人たちの代表、発達障がいとか知的障がいのある人たちのなかにもあるし、頭がいい、器用だといわれる人で、この力をもっていない人もたくさんいます。

その点では、10代も50代も同じ土俵だと思いますよ。いまの60代が大人か、といわれると、ねぇ。そして、「しっかりした大人」たちが原発を作ってきたことも忘れてはなりません。

これから先の大人イメージは、「かっこよく枯れて、貧しさも楽しめる才能」。商品化された欲望にふりまわされず、悠然と、人間同士たがいに見守りあいながら生きぬく才能なのです。

vol.159 ぎむきょーるーむ「大人未満」な子とつきあう


vol.159 ママたちの座談会 「布おむつについて」

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おむつ、私の場合

Aさん 私が長男を妊娠した時に、布おむつを手縫いしました。
母が妹のおむつを畳んでいた記憶もあったし、そういうものだと思ってました。4人とも基本は布おむつで、紙おむつもちょくちょく使うというスタイルです。夜間や外に出る時は紙おむつの方が楽ですね。

Iさん うちは1人目の時から布おむつなんだけど、それは単純にもったいないって思って。自分も布おむつで育ったし。でも、「やめなさいよ、紙にしときなさいよ、楽だから」って、先輩ママが言うんですよ。義母さんも安かったからって、たくさん買ってくれたり。私は布にしたいんだけどなぁ、って思いながらも併用していましたが、最終的には布にしました。

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Fさん 上の子は紙おむつだけで育てていたんですが、離乳食を始めるときに、食を見直して、それからどんどん生活のあらゆるものが変わっていきました。それで、2人目は布おむつにしようと思ってた時に、友人から布おむつと本をもらったんです。それまでは布おむつってどんなものかも知りませんでしたが、この子はほとんど布おむつです。

Sさん 次女三女の年子が布おむつをしてたときは、「2人が布おむつ、大変ねぇ!」ってよく言われたの。でも、紙おむつって、買う量も二倍だったら捨てる量も半端なくって、紙おむつだけでゴミ袋がパンパン!ゴミ出しが大変で。2人同時だったら断然布おむつの方が楽。だって洗う手間は一緒だし。

Aさん 私もゴミが増えるのが嫌だったのね。ゴミ出しがしんどくて。
使用済みの紙おむつを入れておくゴミ箱もどうしても臭くなるし。
それだったらまだ洗った方が…て。

Iさん 紙おむつだと無くなりかけたら「買いに行かなきゃ!」、また無くなってきたら買いに行って…。買いに行く事が面倒くさいじゃないですか(笑)。

Aさん 布だったら洗ってもすぐ乾くし、なくてもタオルで代用できるし。

Fさん 私は布おむつにしたのは4ヶ月からでした。最初はおむつ変えの回数も多いですし、それまでは紙おむつで。

Aさん 出産後1ヶ月か2ヶ月たつと身体がしっかりして来たのが自分でわかるし、そうすると布にしようかなって思えるね。

Iさん 気持ちもちょっと楽になってきてね。

布おむつにも種類が

01Fさん 布おむつも、成形型と輪おむつと二種類あるということを知らなくて、本を見て初めて知りました。

Aさん 成形は洗濯はラクチンだけど、結構中まで乾くのに時間がかからない?

Fさん 両方使ってみたけど、成形はメーカーによって乾きやすい、乾きにくいがあったり、厚さとかいろいろ違いますね。すぐ乾くし、畳み方でアレンジがきくから、私は結局、輪おむつの方が楽でした。

Iさん 成形はおむつカバーにおさまりがいいね。

Aさん ぺらぺらとしたところがないからね。うんちをとるときも成形の方が楽だったかな。

Sさん 布も使い分けだよね。

一同 うんうん。

Sさん 輪おむつは、干す時にぱんぱんってやるからあの快適さを保っていられるんだなって思う。それであのサイズがやっぱり使いやすいでしょう。あれより短かったり長かったりしても扱いにくいと思う。すごい!昔からの知恵だよね!

Fさん 輪おむつは日本独自のものだって本にありました。

Sさん うちにある布おむつで、六人兄弟のおうちからその親戚にもらわれて行って、そのあと我が家に来たのがあるの。大体6~8人くらいが使って、その後でうちが4人だから、もう10代目?
いい具合にくたびれていて、いつまでもつかなあって感じなんだけど、これを大事にとっておきたいの。いつか娘が受け継いで使ってくれたら嬉しいなあ。

おむつの中、見る?

Sさん 食にこだわるお母さんって結構いるけど、排泄に関しては、社会全体がすごくおろそかになっている気がする。面倒くさい、臭い、汚いみたいな。
でも、食べ物と同じくらい大事な事だから、紙でも布でもいいけど、気持ちを向けてみることは必要じゃないかな。親子一緒に「いいうんちが出たね」みたいなのでもいいし。

Aさん 私は「あ!シールが出て来た」ってこともあるから見るけど、最終的にはその人次第になるのかなあ。

Iさん 紙おむつだと便の状態を見ないで捨ててしまうわ。

Sさん 布だと洗う時にどうしても見るけどね。ああ、こんなに消化できてるんだぁとか、面白いよね。我が家は子どもと「今日は元気なうんち!」とか言うの。「今日はびちびち」「昨日あんなに冷たいもの食べたからよ」とか。

ニュートラルに行こう

01Fさん 紙おむつの高分子ポリマーとか、経皮毒のことを聞いたりして、布おむつの良さを再確認しました。
化学的なものはなるべく身体に入れたくないですから。

Sさん 高分子ポリマーって、熱冷ましによく使う冷却ジェルシートの主成分なんだよね。だから「おまたは大事よ、冷やしたらだめよ」って昔から言われているのに、そこに冷却ジェルシートを貼っているようなもんだよねえ。

Aさん 皮膚が1だとすると42倍の量を性器は経費毒を吸い込むから、石油製品は考えもの、という事を知って、自分が布ナプキンに変えたの。

そしたら仕事の時とか、やむなく紙ナプキンを使った日は気持ち悪くなるようになって。たった1ヶ月のうちの数日でも私は気持ち悪くなるのに、1年365日24時間、子どもにつけているのはなあ、できれば布でやってあげたいな、って思う。

Fさん 基本育児って楽しみたいから、布でなきゃって、あまりこだわりすぎるのも楽しめないような気がします。

Sさん こだわらずに紙おむつ派の人にも布おむつも試してみてほしいな。でも初期投資も必要だし、それこそお下がりとか、もらう機会でもあったら、いいチャンスと思う。

Fさん 私もきっかけは友達にいただいて、始めてみたら意外と洗濯の量が少なかったです。30枚あったけど、全部を1日で使う事はないですし。
軽くすすいで後は他のものと一緒に洗濯しているので、7、8枚のおむつってそんなに負担にならないです。

Aさん 先日、布おむつにしたら赤ちゃんのお尻が荒れちゃったっていう人がいて、おむつの洗濯に普通の合成洗剤使っていたから、赤ちゃん用洗剤にしてみたけど、それでもだめで。食べ物かなあとも思ったけど、巷によくある赤ちゃん洗剤だって結構きついのもあるんだよね。
そうすると、布おむつも石けんもオーガニックで、て考えると、どうしても布おむつの方が割高になるかな。でも、そこから自分の考え方が変わる。
じゃあ今私が使っている洗剤は何なんだろうとか、私が食べている物は何なんだろうとか考えると、自分の生活自体が自然な方にシフトしてくる。そういうきっかけになるんだったら素敵な事だよね。


vol.159 記者雑感 From気仙沼-(Vol.12)

159記者雑感

 わずか6区画ながら、防災集団移転用地の造成工事が気仙沼で初めて完成した。2100戸の災害公営住宅と、980区画の集団移転。公的な住宅再建の二本柱の一つが震災4年目に入って、ようやく形になった。早い世帯は、年内にも新居での生活を始める。

 山間部を切り開き、制度上限の1区画100坪(330平方メートル)の宅地を作った。1区画の費用は約2千万円。都会では100坪なんて考えられない。市職員に「広くて安い」と言うと、「あそこで2千万円なんかありえない」。各務原市では、蘇原沢上町や那加信長町とほぼ同じ値段だ(2014年国交省公示地価)。そうか。確かにありえない。 

集会所や周辺の道路を作ったら、単価は更に膨らむ。被災者はこれを、安い時価で買うことも借りることもできる。恵まれているのは間違いない。が、完成した宅地に立つと、「やっとここまで」という思いを抑えられなかった。

その2日後。別の山あいに、バッティングセンターが完成した。作ったのは、津波で妻と2人の娘を亡くした千葉清英さん(44)。野球少年の長男、瑛太さん(12)の気を紛らわそうと、岩手県のバッティングセンターに通ううち、「遠い。気仙沼に作って」と頼まれた。

 本業の乳製品販売の復活も見えないなか、「希望の飲むヨーグルト」を首都圏で売るなどして資金を稼いだ。プロ野球界が知るところとなり、著名選手やOBがPRに力を貸した。そうして完成したバッティングセンターには、投球ゲーム機や卓球台も備えた。野球少年だけでなく、ストレスを抱えたお年寄りや女性が発散できる場所にしたかったからだ。オープン初日、おじいさんと少年2人が連れだって来店するのを見て、つい、涙した。
 漁港周辺も少しずつ賑わいを取り戻しつつある。震災前は市内最多の年間100万人が訪れた「海の市」は、港町にありがちな観光案内所兼物販の施設。
4~6月に順次再開するが、あえて土産物屋を新規開店する守屋守昭さん(53)のような人もいる。
 経営していた水産加工場は全壊し、従業員53人は経理担当1人を除いて解雇。「また戻ってきて」と頼んだものの、小規模で再開した工場では全員を受け入れられない。がれき処理や建設業に転身した元従業員の話を聞いては、心が痛んだ。復興関連の仕事は、よくてあと数年。長く雇用できる場を作ろうと、小売りに乗り出した。印象に残った言葉は、「何十年もかけてできた街や会社が、すぐに戻る方がおかしい」。だから少しずつ、できれば独力で、歩む。

そんな芽が、少しずつ見えてきた震災4年目。ただ、まだ「芽」でしかない。


vol.159 新米Nurseものがたり-(Vol.21)

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がん治療に思うこと

うちの同級生は今、ちっちゃい子どもを育てながら、旦那さんのがんに毎日精一杯、真っ正面から向き合ってる。絶対に死なせない。
時々交換するメールにはいつもその言葉でしめくくられてる。
絶対に死なせない。

でも医者に、”もう治療のしようがない。ホスピスを紹介する。”っていわれた。放射線治療、抗がん剤治療、薬物、外科的な摘出手術だけが、がん治療なの?それができないとなれば、もう患者を見離すの?

 

正直、今の世の中のがん治療は数字や薬品に頼り過ぎやと思う。うちはがんのある患者さんとは、摘出手術をする外科と、ホスピスとでしか関わったことはない。がん治療の現場やオンコロジー病棟とかで働いた事もない、だから偉そうなこといえんけど、でもそれでもなんか違う。なんか絶対違う。根本が違うと思う。

本当は、すべての患者さんにがんがみつかった時点で、食べ物を見直すことをはじめてほしいと思う。食べるものは直接うちらの血となり体液となり細胞となる。

本当はがんがみつかったことをきっかけに、自分達のたべているもの、食べ方、生活の仕方、生き方についてじっくり考えて、原因を探していくことが、治療の第一歩であるべきやと思う。
その上で、どんな治療法があるかっていう選択肢、または治療をしない選択、どう生きていくかというプランなんかを、提示するべきやよね。

医者はあくまで患者が主導権をもって自分の病と向き合って、これからの生き方を決めていく上での専門家という立場であるべき。
患者自身にもそういう意識が必要。

それが、今の医療現場はそんなことには見向きもしない。
がんを発見した時点で、すぐにがん細胞を攻撃して排除することに集中する。それが患者の望むことで、患者のその後の人生に一番有効な治療だと患者自身が判断したらいいけどさ。
でもたいていの場合いろんな治療法、がんとの向き合い方があることすら知らせてくれない。

 

健康な細胞を一緒に殺してしまうような攻撃的な化学療法や放射線治療だけを続けて、一番肝心な、がん細胞をつくりだしてしまった原因を探る事をしなければ、治療しながらもがん細胞を体に生み出すような生活し続けるかもしれんやん。

がん細胞を生み出してしまった毒素や原因を体から排出する事や取り除くこと、新しい健康な細胞をうみだせるような食事や生活の仕方をとりいれることを同時にやっていかないと。

抗がん剤や放射線使えば使うほど、免疫システムの強化に直接つながる精神的やメンタルのケアもやっていかんと。そういうことを、がんや病気がみつかった時点でスタートさせんといかんと思う。

考えてみれば、抗がん剤も放射線も、人間の体にはただの劇薬で毒物でしかない。
病院でも、妊婦の看護師は抗がん剤扱えないし、そういう資格もってる看護師でもすっごい何重にも厚い手袋はめて、隔離された場所でしか扱えない、そんな薬品ってこと自体が、もうふつうの体には害にしかならないってことを物語ってる。
がん患者の体の中やって、がん細胞以外はふつうの健康な細胞が生きてるんやお。それを忘れちゃいかんと思う。

だいたい今の食品や水や環境には、人間や動物の体の中に、がん細胞をうみだしたり、細胞をがん細胞に変化しやすくなるいろんな物質がいっぱい含まれてる。

農薬、家畜に投与される自然界ではありえないような飼料/抗生物質/化学薬品/添加物、水にいれられる薬品、いろんなものが必然的にからだに異常を発生しやすくさせる。

 

今の世の中、ふつうにスーパーやコンビニで買ったものを生まれたときから食べてれば、みんなががんやほかの病気になってもおかしくない。そのくらいすさまじい化学薬品や化学調味料や保存料が世の中にはうじゃうじゃ出回ってる。

その上、日本人が何世代にもわたって続けてきた食生活とは全然違った食事をすれば、生活習慣病にもなるし、がんにでもなりえるし、いろんな病気になって当然。とくに乳製品や小麦製品をいっぱい使う西洋の食事は、みんな大好きやけど、みんなを病気にさせる。

ただでさえ今の日本はとてつもない種類の食べ物が出回ってる。そういうものを食べて育ったちびっ子たちが、中高生になったとき、和食中心の食事を好んでたべるわけがない。

知らず知らず日本人のDNAにはあわない偏った食習慣が、どんどん病気を生み出していくよね。何が自然で何が不自然か、何が体にとって大切なのか知らないまんま。

そういう自分も、日々のストレスや仕事の忙しさにやられてまう。
疲れとるし、楽したいし、甘いもの食べたいし、仕事のあとに一杯やりたいし、体に悪いと思ってはいても、ついついつい。。。
そんな毎日がやっぱり病やがんを生み出すんやな。時々ならいいんやて。でもいっつもはあかん。何かをかえないといけない時期やなと思う。

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vol.159 知的に楽しく学ぶ・遊ぶ・集う Activa

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人に寄り添う歌、それがシャンソンです。

シャンソンを楽しむジュジュの会 主宰

 

シャンソン歌手 小島美枝子さん

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シャンソンの教室をはじめて20年になるのですが、ちょっと誤解されてるなと思うことがあります。それはたぶん宝塚の影響だと思うのね。

宝塚は華やかな衣装を身につけ夢の世界を歌うけど、シャンソンは庶民の心の叫びを歌っています。

正直な思いをかくさずに歌う。
それがシャンソンの根底にあるんです。

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たとえば、戦場の兵士はふるさとを思い、母を想う。
子どもを慈しむ歌もあれば、男女間のジェラシーもあります。せつない娼婦を歌った内容もあります。
シャンソンは弱者に寄り添い、それを歌にしているんです。

弱い立場といえば、2011年3月11日の東日本大震災で被災された人たちもそうではないでしょうか。

私は当時の新聞記事、「桜が被災者をいやしている」を読んで『これだ!』と思いました。お金や物資を送るよりの苗木を贈りたい、そして植樹をしてもらおうと思いました。そのことを仲間に提案、募金やコンサートの収益金で苗木を購入する準備が整いました。

が、さて、どこに送ったらいいのか、ルートがない。苗木どころじゃないぞ、ボランティアサークルもとまどってしまった。

そんな中、ジュジュの会員の中に石巻市、北上川地区の議員と知り合いの人がいた。北上川河口付近の「北上桜公園」はかつて200本の桜の園であったが、津波で全部なぎ倒され跡形もなくなった。そこにぜひ植えたいと思ったの。

現地に立ったとき、声を失いました。大きな北上大橋も崩壊、北上桜公園には石碑が悲しげに残っているだけでした。今までの報道から得た情報とはまったく違う、なんかこう、川の怒濤、亡くなった方々の悲痛なうめき、そんな空気感が全身に伝わってきて茫然としました。

でも、人々は強かった、一生懸命立ち上がろうとされていた。私たちが行くととても喜んでくださったし、一生懸命話しをして接待してくださった。

植樹する桜公園の向かいには犠牲者を多く出した大川小学校がのぞめます。「大川小学校のみなさん!いつの日か桜の花になってここに帰ってきてください!」そう願って植樹式のときには、祈りの歌をうたいました。

泣きながら歌っておられたSさんは
「津波で主人を亡くし、息子も大川小学校の教師で犠牲となりました。歌など歌えなかったけど今日はじめて皆さんの輪に入って歌っている自分に気づきました。5年生の孫が岐阜県から派遣教師として石巻に来られたT先生にたいへんお世話になりました」

なんと、T先生は私の元同僚、よく知った仲でした。お孫さんは津波の当日、吉浜小学校の屋上で一晩あかし命拾いをしました。助かったことが恨みの対象となるなど…亡くなった人も気の毒、残された人の苦しさも伝わってきました。いつか「桜」がいやしてくれることを一緒に祈りました。

「桜通信」No.5より シャンソンを楽しむジュジュの会 発行

アクティバたんぼプロジェクト

 

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畦作り、周辺の草刈り たうえの準備

  • 015月18日(日)8:30~11:30

 

  • 場所01:アクティバ田んぼ(関市武芸川温泉を西へ1,200m)
  • 特典:アクティバ通貨一枚進呈(収穫祭でお米と
    引き換えよう!)

 

たんぼの周辺を気持ちいいエリアにしたいので、草刈りをします。刈った草は干して、たんぼに撒きます。電動草刈り機も用意しますが、草刈り鎌持参でお願いいたします。

たうえ

  • 5月25日(日)9:00~14:00

  • 場所:アクティバたんぼ(関市武芸川温泉を西へ1,200m)
  • 参加費:会員1,000円 非会員2,000円
    (アクティバ米のおにぎりと重ね煮の味噌汁つき)
  • 特典:アクティバ通貨一枚進呈(収穫祭でお米と引き換えよう!)

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たうえ体験!
子ども連れ参加大歓迎!

畦作り、たんぼ周辺の環境も整え、いよいよ「たうえ」。雨天決行
小さなお子さんも、お母さんも、じじもばばも、着替えを用意して豊穣の秋を想像して、せっせと苗を植えましょう!
たうえの後は、昨年収穫したアクティバのお米でおにぎり!いただきます。

草取り

  • 6月15日(日)9:30~15:00

  • 集合時間:9:30 道の駅ロック・ガーデンひちそう
  • 持ち物:お弁当、水、タオル、おやつ
  • 参加費:会員500円 非会員1,000円(保険・ガソリン代)

ガイド料が係る場合は参加者で均等割でご負担をお願いいたします。
参加人数(5人)に満たない場合は、中止する場合がございますのでご了承ください。

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たうえも終わり、草取りもやり終えたら、一息つきましょう、ということで、今回はちょっと遠出をします。飛騨小坂の滝めぐりにオトナの遠足です!
旧御嶽登山口の一の鳥居公園から歩きます。行程の大半が遊歩道林道です。途中の溶岩流の断面『巌立』〔天然記念物〕は圧巻です。歩きやすい服装で。

 

 

 

登録メンバー募集(無料)

ただ今アクティバでは登録メンバーを募集中!
応募はFax・Mail・Telなど、どんな方法でもOK。
イベントや、勉強会などに登録メンバーが活躍できる機会を実現したいと思います。相互に楽しめるようなスキルバンクです。
登録、お待ちしてます!

◆募集対象

  • 年齢、性別、職業、国籍、所属 団体など不問。
  • 活動への参加は自由を原則 とします。
  • 活動参加の際、実費負担を 原則とします。

◆申込方法

  • 登録用紙に記入し、FAX ,Mailでお寄せください。

◆アクティバの約束

  • 政治、宗教は持ち込まない。お互いの人格を尊重すること。
  • 積極的な活動をモットーとすること。

FAXでのお申込み

登録用紙(pdf)を印刷し、アクティバ事業部
058-383-8666(にらめっこ編集室内)まで
お送りください。

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メールでのお申し込み

  1. あなたがしたいことは?
  2. あなたができることは?
    (たとえば、得意とする技や趣味やボランティアなど。)
  3. あなたがしてほしいことは?
  • お名前(ふりがな)
  • ご職業
  • ご住所
  • お電話番号
  • 連絡先(FAX、e-mail)

を明記の上、
アクティバ事業部 info@niramekko.com (にらめっこ編集室内)
までお送りください。

アクティバの活動のメインは、「したいこと」と「できること」をつなぐこと。ネットワークが拡がれば、人生が豊かになる!そんな思いで活動を続けています。

2014年4月10日現在

1. わたしのしたいこと

  • 山県市を盛り上げたい(地元でイベントなど)
  • 自分の持つ資格を皆さまとシェアしたい
  • 生き方について情報交換
  • ハーブガーデンを作り、ハーブの効用を学びたい
  • facebookを使いこなしたい
  • ボランティア活動したい
  • 楽器をマスターしたい
  • 半農半X生活

2. わたしができること

  • お菓子作り
  • 色彩心理セラピー
  • シャンソンを共に楽しむ
  • アロマボディーケア
  • 健康体操
  • 川柳講座
  • タロット占い
  • 節約リメイク料理
  • 似顔絵を描く
  • 健康相談

3. わたしがしてほしいこと

  • ジャズライブを開いて欲しい
  • キャンドルナイトで一人づつエコな取り組みを話す会って面白そう!ぜひ実現してほしい
  • 自然農を広めたい、そのための勉強会や実践講座を開いて欲しい
  • フランクな英会話サロンを企画して欲しい
  • 生き方について情報交換会を!
  • 半農半Xという生き方の著者 塩見さんの講演会を開いて欲しい
  • 老いじたく講習会を!

vol.159 中高生・平和を語る

フクシマは終わっていない!

知らないことが多すぎて・・・

3月21日・22日の2日間、私は福島に行き、『東日本大震災・福島原発事故から3年:復興のいまと原発事故について学び交流する高校生のつどい』に参加してきました。

福島県高校生平和ゼミナールが企画してくれたこのつどいには、東京・埼玉・神奈川・千葉・長野・岩手・福島・岐阜などの都県から40人ほどの高校生の参加がありました。

初日は福島市内で集会があり、次の日には、放射能汚染の被害を受けた場所に見学に行き、何人かのお話も聞かせてもらいました。

見たこと、聞いたことがあまりにもたくさんで、しかも知らなかった事も多く驚きの連続でした。

時間も、21日の午後と22日の午前というほんの短い間のことで、頭の中に急に詰め込まれた感じで、記憶がごちゃごちゃになってしまってなかなかまとめきれません。

そこで、今回はひとまず、チェルノブイリ原発事故以来原発反対運動にたずさわり、福島原発の事故では福島原発告訴団団長として活動してみえる武藤類子さんのお話を紹介したいと思います。武藤さんは、福島の現状について、多くのことを話してくださいました。

最初は、たまり続け漏れ続ける汚染水の話でした。放射能に汚染された水は、原子力発電所のまわりの丸い大きなタンクに溜められます。しかし、ここに入りきらない汚染水が海にたくさん流れていきます。

また、原発では1日中高い放射線量の所で働いている人がたくさんいるそうです。とても悪条件の中で、そんなところで働いてくれる人は少なく、働き手が足りないからといって、色々な所から集められてきているのだそうです。

帰りたいのはヤマヤマだけど

避難させられている人たちの問題も深刻です。

汚染のひどいところは避難区域にされているのですが、それが3つに分けられていて、そのうち帰還困難区域は入ることも出来ず、未だに地震や津波の後片付けさえできていません。居住制限区域避難指示解除準備区域にしても、寝泊まりすることができず、住むどころではありません。

除染もそれほど進んでいませんが、それでも原発から20㌔~30㌔の村では、除染された土がたくさんあって、それがフレコンバックと呼ばれる、1.5㌧も入るゴミ袋に入っていて、そのゴミがたくさんあって、さらに増え続けています。

また、放射能に汚染された廃棄物を焼いて容積を減らす計画が福島県内で進んでいます。しかし、これらの汚染された土やゴミを最終的に処分する場所も決まっていません。これが現実です。

武藤さんは「こんな状態では福島で安心して暮らすことはできません。そこで私たちは福島原発告訴団をつくって福島原発を告訴・告発をしたのです」と最後に言われました。

私はたいへんショックを受けました。事故から3年たち、岐阜まで詳しい情報が流されてくることも少なくなりました。しかし、福島ではまだまだ汚染の問題は深刻なままのようでした。

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 この桜の下でお花見が出来るのはいつになる?帰還困難区域 飯舘村長泥に咲く桜
(12年のゴールデンウィーク)

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フレコンバック


vol.159 暮らし上手 -食「種を採る」

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トマトの種採り(水選)

  1. トマトは完熟のものを収穫し、さらに10日ほど置いて種までしっかり熟させる(追熟させる)。
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  2. まず半分に切り、スプーンの柄で種をかき出し、ボールにあける。
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  3. ピンに移して、直射日光が当たらないところに4日~1週間はど置き、発酵させる。目安としては、種のまわりのゼリー質がさらさらしてきたらOK。
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  4. 再びボールに移し、水洗いをする。
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  5. 新聞紙の上で乾燥させる。風で飛ばされないように注意。
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  6. お皿に移し、2週間ほど乾燥させて完了。

 

キュウリの種採り(水選)

  1. キュウリは黄色くなるまで畑で育てたものを収穫し、さらに10日ほど追熟させる。
  2. 中心に入った種を割らないよう、少しずらして縦に2つに切る。
  3. スプーンで種をかき出す。
  4. まわりのぬめりが取れるよう、よく水洗いをする。浮いてくる 種は実が詰まっていないので捨てる。
  5. 新聞紙に広げて乾燥させる。
  6. ある程度乾いたら、お皿に移してさらに2週間ほど乾燥させる。 大きな種は芯まで乾燥しにくいの で 特に注意が必要。水分を含んでいるとカビの原因に。

カボチャの種採り(水選)

  1. 収穫して追熱させたカボチャ。
  2. 半分に切り、スプーンで種をかき出す。
  3. タマネギやミカンが入っていた網の袋に入れてゴシゴシ 洗い、外側の綿をきれいに取りのぞく。
  4. キュウリとは逆で、カボチャは浮いたものが良い種。
  5. 浮いた種を、ザルですくい上げる。
  6. 新聞紙に広げ、さらにお皿に移して芯までよく乾燥させ る。カボチャはトマトやキュウリと違い、種が大きくなってからでも食べられる野菜なので、食べておいしかった カボチャの種を残すといい。

今回のまとめ 種の保存法

種は、温度の3つの条件が揃うと発芽する。だから、風通しの良い冷暗所に保存するのがベスト。

例えば紙の封筒に入れて冷蔵庫へ。種はいったん水を含んでしまうと、発芽しようとして体力を消耗するため、実際に蒔いたときに発芽率が下がってしまう。

種のまき方もいろいろ

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ニンジンは、高く伸びた茎の先に小さな花をたくさん咲かせ、ゴマのような種をたくさんつける。それが次第に倒れて、種が散らばる。だからニンジンはパラパラとたくさんの種を蒔く筋蒔き。

ダイコンは4粒ほどの小さな種が入った房を、そのまま落とす。だからダイコンは3~4粒の点蒔き。自然の姿を見続けると、育て方がよくわかる。

本当の野菜とは

01たしかに市場経済の観点で言えば、効率よく大量に作れるF1種の野菜は文句なしの優等生かもしれません。

しかし、野菜は生きものです。人間の都合に合わせて、種をつける力まで削がれた野菜に違和感を抱く人も少なくないでしょう。

F1種の便利さだけに流されていったら、本当の野菜が途絶えてしまうのではないか。そんな危機感を抱き、固定種の種を次世代へつないでいこうとしている人たちもいます。

「いまや世界中の人々が、子孫を残せなくなった野菜を食べています。それは自然界から見れば不自然なこと。F1の種しか残らなくなってしまってからでは、もう後戻りできない。だから自家採種できる固定種を売っているんです」と語るのは、野口勲さん。

埼玉県飯能市で、自家採種できる固定種を400~500種も扱う種屋さんです。

種は長期保存できません。誰かが毎年育てて採種し続けないと、この世から消えてしまいます。その意味で、野口さんが期待するのは、自分で育てて種を採ることのできる家庭菜園愛好家の存在。

みんなで育てて自分で種を採っていけば、それが最高のシードバンクになるだろうという発想です。

種と家庭菜園

「固定種は家庭菜園に向いている」と野口さんは言います。市場経済では欠点とされる生育のバラつきは、家庭菜園では逆に、少しずつ長い期間にわたって収穫できるというメリットに。

また、たとえ病虫害が発生したとしても、遺伝的な多様性を持つ固定種なら全滅はせずに、いずれかの株が免疫を獲得して生き残り子孫に受け継いでいく可能性が高いといいます。

なるべく農薬を使わずに育てたい家庭菜園にとって好都合です。そしてさらに、自分で種を採れること。

野菜を育てるということは、野菜という命の一生を見られることです。芽を出し、花を咲かせ、実を結び、種をつけ、その種から、また芽が出る…そんな自然の繰り返しの中で、命のバトンをつないでいく野菜の姿を見ることができたら、それは、家庭菜園ならではの贅沢と言えるかもしれません。

参考:「いのちの種を未来に」野口勲/創森社、
マクロビオティック健康相談室 シャロムヒュッテ、
モーションギャラリー<安曇野シードバンクプロジェクト>、
無印良品

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vol.159 暮らし上手 -食「種を考える」

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「種は買うものと思われがちだけど、自家採種した種の方が、その場所の環境に順応していて育てやすいんだよね」

昔の野菜はもっとおいしかった…
よく耳にする言葉です。たしかに昔の野菜は個性的で、大根にはもっと辛みがあり、人参には子どもが嫌うほどの強い香りがあったような気がします。

時代につれて、私たちの食べる野菜は変わってしまったのでしょうか? その裏には、「」の事情が大きく関わっているといいます。

二つの種

野菜の種は、「固定種(在来種)」と「F1種」に大別されます。

固定種の種

<伝統野菜・地方野菜・地場野菜と呼ばれるもので、その地域の気候風土のなかで何世代にもわたって選別・淘汰されて、その地域の風土に合った種として固定化したものを指す。丹波では、黒豆や小豆などがその代表的な例>

  • 何世代にもわたり、絶えず選抜
  • 淘汰され、遺伝的に安定した品種。
  • ある地域の気候、風土に適応した伝統野菜、地方野菜(在来種)
    を固定したもの。
  • 生育時期や形、大きさなどがそろわないこともある。
  • 地域の食材として根付き、個性的で豊かな風味を持つ。
  • 自家採取できる。

F1種の種

<人為的につくられた一代限りで、大量生産・大量消費にうってつけの種。一代限りのF1種は世代を超えて生命の受け渡しをすることができませんから、循環しない品種ともいえる>

  • 異なる性質の種を人工的に掛け合わせてつくった雑種の一代目
  • F2(F1の種から採取した種)になると、多くの株にF1と異なる性質が現れる。
  • 生育が旺盛で特定の病気に大病性をつけやすく、大きさも風味も
    均一。
  • 大量生産、大量輸送、周年供給などを可能にしている。
  • 自家採取では、同じ性質をもった種が採れない
    (種の生産や価格を種苗メーカーにゆだねることになる)

種子支配

F1種の普及は、思いがけない深刻な事態をもたらしています。種の多様性が、どんどん損なわれているのです。と同時に、種子支配も進行しています。

F1種が普及すると農家は毎年その種を種子会社から買うようになり、これまで自ら行っていた採種をしなくなります。その結果、その地域で固有に存在していた伝統的な品種が放棄され、次々と消滅しています。

種の多様性

多様性こそが自然の理であり、生命の理であると、フランス人植物学者ジャン=マリー・ペルトは述べています。現存する種の多様性を守ることは、調和のとれた都市の魅力や各々の民族の伝統を尊重することと同義であると、彼は熱く主張します。

種の多様性を取り戻すために、私たちはいったい何をすればいのでしょうか?

まず見直すべきは、農業のやり方です。現行農法においては、三点セットといわれる農薬、化学肥料、それらの使用に耐える品種が必須でした。しかしその過程で品種が画一化され、土壌を劣化させてきた事実があります。

農業の本文は、人々を食べさせることです。一時的な利益を追求するあまり、農地を傷めたり収穫を共倒れさせるようなことをすれば、飢えを招きかねません。

従って、私たちは永続的な農法を採用すべきです。その際求められるのは、農薬と化学肥料を使わないことを前提とした品種なのではないでしょうか?

循環する種子を復活させ、永続的な農法へ転換する、これができるかどうかは、私たちが自然に対して真摯な態度をとれるかどうかにかかっています。

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バングラディシュの新しい農業のムーブメント
ウピニック ノヤクリシー 10の原則

  1. 農薬は使わない
  2. 化学肥料は使わない
  3. 自家採取
  4. 混植でバランスをとる
  5. 自分達で作る野菜と野草をたいせつにする。
  6. 地下水は使わない
  7. 売れる物だけを作るのでなくトータルに考える。
    売れないものでバランスを取る物の有用性
  8. 家畜はハイブリッドでなくローカルなものを使う
  9. 魚などもすめる環境をまもる
  10. 自分たちの畑の周りに木を植えよう

ノヤクリシー有機農業に転換した農民に聞きました。

農薬と化学肥料によって土が疲弊し経費がかさみ実質的には生活は楽にならなかったこと、何か変だと思っている時にウピニックノヤクリシーの運動に出逢い実践を始めた。

最初は収量が減り皆からはチャコール(バカ)と言われた。
でも仲間も増えて今は変換して良かったと感じています。
家族の会話も増えてネパールにノヤクリシーを紹介に行ったり暮らしが充実しています。畑は混植がされて虫喰いも少ない畑と有機質堆肥のお陰で良く出来ると言っていました。

種も自分たちで採るために在来種を使うことになり発芽率も高まったそうです。感想として自信に満ちた生活をしている感じがしました。

種バンクは種を借りると来年2倍にして返すシステムです。
日本各地に種バンクができてノヤクリシー(新しい農業のムーブメント)有機農業が広がればいいな~と思っています。


vol.159 アウトドア特集「まぶしい季節。さぁ、どこ行こう?」

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観天望気(かんてんぼうき)

01観天望気とは、自然現象や生物の行動の様子などから天気を予想することで、天気のことわざのようなものです。
古くから天気を予想することは、漁師・農民・商人など多くの人々にとって重要なものであり、世界各地で人々は観天望気を用いて天気を予想してきました。

雲を使った予想は、気象学的に考えてもっとも信用性がある

  • 太陽や月に輪(暈)がかかると雨か曇り:
    温暖前線の接近に伴う巻層雲のため
  • うろこ雲(巻積雲)は雨の前ぶれ:
    温暖前線の接近によって高層雲が現れるため
  • 夏の朝曇りは晴れ
  • 山に笠雲がかかると雨や風:
    低気圧や前線に伴う風により、湿度の高い空気が山の斜面を上って水蒸気が凝縮するため
  • 上り雲(北に向かう雲)は雨、下り雲(南に向かう雲)は晴れ:
    低気圧の前面は南寄り、後面は北寄りの風となるため
  • 飛行機雲がすぐ消えると晴れ:上空の湿度が低いため
  • 飛行機雲が広がると悪天の前兆:上空の気流が安定していないため

鳥や虫などの状態から予想
日本では古来から予想してきた

  • ハチが低く飛ぶと雷雨:湿度が高いと、昆虫が低く飛ぶとされる
  • カエルが鳴くと雨:雨の前兆で空気が湿ると茂みから出て来て鳴く
  • ネコが顔を洗うと雨:
    湿度が高い時、顔や髭についた水滴をネコがぬぐうため
  • ミミズが地上に這い出したら大雨
  • ヤマバトが鳴くと雨になる・クモが糸を張ると翌日は雨は降らない

虹などの気象条件を利用したものや煙など人工的な現象を
対象とするもの

  • 夕焼けの次の日は晴れ:
    地球上の多くの場所では、天気が西から東へ移動するため
  • 朝虹は雨、夕虹は晴れ
  • 朝焼けは雨
  • 星が瞬くと風強し:強風下では、大気のゆらぎが強くなる。
  • 煙が立つか東にたなびけば晴れ、西にたなびくと雨:
    低気圧接近時は、東寄りの風が多いため
  • 鐘の音が遠くまで響けば雨・嵐:前線などで上空に暖かい空気が入ると、音波の伝播方向に影響を与えるため
  • リウマチが痛むと雨:気圧に結びつけた説明がされることもある
  • 茶碗のご飯粒がきれいに取れると雨:湿度が高いためとされる

ソーラークック

01ピーカンの日に
ぜひ試したい
「ソーラークック」
アウトドアだからこそできる!!

ソーラークッカー作りに準備するもの

  • レンジクリーンパネル2枚(ガスコンロの横に置くもの)
  • 空き缶(スチール)・網・割り箸4本・ふた(なくても大丈夫です)
  • アルミホイル
  1. 太陽の光を吸収しやすくするため、空き缶とふたはマジックやペンキなどで黒く塗りつぶします。
  2. 網の四隅に割り箸をたて、網が少し浮くようにします。
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  3. 1枚のレンジクリーンパネルを下に引き、そのうえに、網を置き、もう1枚のパネルを立てかけます。
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  4. 反射した太陽光が集まるように、立てかけたパネルを湾曲させ、アルミホイルをかぶせて、さらに表面を滑らかにします。
  5. その上から、アルミホイルをかけてこれで完成です
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ピーカンなら

  • 約20分ほどでお湯が沸きます(ただし沸騰はしない)
  • 鮭の香草焼き(黒アルミ箔に好みの香草を敷きその上に切り身をのせる。塩コショウ適宜、アルミ箔をとじソーラークッカーにセット。無風で外気20 度くらいなら2時間で熱が通り食べられる)
  • ホットケーキ(ミックス粉を溶き、生地が飯ごうにくっつかないようにアルミホイルを使用する。約2時間で焼きあがり!!

スローな時間を楽しもう!


I’m Challenger 山岳ガイド 赤木淳也さん

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山岳ガイド、アウトドアガイド、登山旅行家 赤木淳也さん

01自然の中に出かけて身体を動かして、なかまと過ごす、というのはすごく楽しいですし、気持ちいいですよね。

 

 

 

 

 

 

はじめての登山

父親が山とかアウトドアが好きだったので、子どもの頃からよく家族でキャンプ、サイクリングやスキーに行ったりしていました。

私が本格的に高い山に登ったのは中学1年生の時の穂高岳が初めてでした。その時はずっと雨で天気は良くなかったんですけど、宿泊した最初の山小屋・涸沢ヒュッテは、僻地にあるので衛星電話が引いてあったり、岩だらけの地下に小屋があるような形で、要塞みたいですごいなぁって思ったんですね。

翌日行った穂高山荘では、ガスで霧が濃くて見通しの悪い中、ヘリが入って荷揚げをしているところだったんです。すごいところですごいことをしているなあとその時は思いました。

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その後、高校3年の時、やってみたいことリストというのを作ってみたんです。その中の一つに「山小屋で働いてみたい」というのがありました。それで21歳のとき、燕岳にある燕山荘という山小屋の従業員になりました。

山小屋で勤務した5年間、なんでもしました。受付業務、調理、部屋の掃除、破れた布団の繕い、窓や階段の修理、登山道の整備や除雪も。冬には雪を溶かして水を作ったり、遭難者の救助もしました。

大きな小屋ですけど、生活の全てが凝縮されているというか。嫌なやつとも一緒にご飯食べなきゃいけないし(笑)。人間関係も含めいろんなことを学ばせてもらいました。でも、4年目くらいのときに、学んでいくことよりも失っていく時間の方が大きいと感じたときがあって、そろそろ辞め時かな、と。

とにかく上昇志向が強かったとき

当時の自分は妙に技術志向で、いろいろ技術を吸収したい時代でした。もっと山やクライミングの技術や経験を身につけたいという気持ちと、外国に住んでみたいという気持ちが重なり、30歳になって最後のチャンスと思いカナダにわたりました。

始めの一年半はカナダ。その後はカナダを拠点にアメリカ、ヨーロッパ、メキシコにクライミングに行きました。

日本のクライマーは一般的には、日本人同士で仲間を作って登ったりすることが多いんですけど、私の場合は、1人で行って、自分で生活基盤を作りながら、現地でパートナーを探して一緒に登る、という形をとっていたんです。

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地中海を見下ろしながら絶壁を登攀中。クライミングに飽きたらビーチに泳ぎに行くこともできる。
フランス南部マルセイユ近郊の岩場

当時はとにかく経験が欲しいばかりで妙に危険なことに首を突っ込んで、自分の限界までやっていました。

でも、だんだんと、山で気のあう奴らと一緒に楽しんでる方がいいな、というふうに変わって来て、難しいルートをやることよりも、仲間と一緒に楽しく過ごすというのが好きになりました。

日本との文化の違い

カナダではアウトドアが身近にあるんだなあと感じました。
気軽に山を始めています。日帰りだったらラフなスタイルで。気象条件が悪そうなときは行かないとか、無理もしないですし。普通に誰でも気軽にアウトドアを楽しんでる。

ガイドシステムというのも確立されているので、本格的な登山もさかんです。それが文化として認められている社会なので、クライミングしていても、あいつら気が狂ってる、なんてふうには思われないですし(笑)。

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カナディアンロッキーのレイクルイーズの岩場。観光地のすぐそばにもクライミングエリアがある。

ヨーロッパや北米の場合、登山とハイキングは全く別ものなんです。というのは、登山の領域に入った場合、氷河があったりしますので、アイゼン、ピッケル、ロープ、ヘルメットが絶対に必要なんです。で、ハイキングの領域には、岩場とか危険な箇所はほぼ出てこないんですよね。

日本の場合は、穂高岳や白山などのクラスの山では地形的に登山とハイキングの中間部分がいっぱい混じっているんですね。鎖場とか岩場とか出てきますからね。ですので、そういうところで線の引き方が難しいな、と思います。

ガイドの仕事とは

01ガイドというのは判断する仕事なんですよね。そのときどう判断するか、答えはない、もしくは答えはいくつかあって、その中からどれを判断するかっていうのが、そのガイドの力量というかセンスになってきます。

結局、何を優先するか。そのときの優先順位の問題になってくるので、それを言ったら間違っていた正しかったというのはわからないですけど、そこで山のピークを踏むことを優先するのか、安全を優先するのか、難しい。

ピークを踏む数を増やす事を楽しみにしている人もいれば、写真を撮りたい方もいらっしゃいますし。写真を撮りたい方はどんだけ吹雪こうが何があろうが写真摂りたいってなるんで、それをどう判断するか、ですね。

山を楽しむ

今、中高年だけでなく、山ガールとか言われるように若い子が山に登っていますよね。あの子たちはピークハントじゃないんですよね。

涸沢へ行って、そこでテントをはって山見て帰って来るとか。おしゃれな格好をしてキャンプするのが楽しいとか、そういう楽しみ方をしているんですよね。

雨が降ろうが何だろうがとにかくピークを踏むというのも一つかもしれないけれど、そういう別の楽しみもあるんじゃないのかな、というのは思いますけどね。

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氷河と岩と雪のアルパインクライミングのため、重い荷物を背負って山を目指す。
カナダ、バガブーにて。

登山は晴れていなければつまらないという方もいらっしゃいますけど、雨の日には雨の雰囲気がありますし、私は林の中で雨に打たれているとか、しっとりと静かに雨の中を歩くのもそれはそれで好きですけどね。

ずっと晴れていると逆にあまり面白くなくなっちゃうかもしれないですね。いろんなことがあるのがやっぱり自然で、いい日もあれば悪い日もあります。いい日ばっかりだったらあまり面白くないかなあ。

自然は一日として同じ日はないですし、その雨の日はその日しか楽しめない。
あと、そういった日の方が記憶に残ったりして、後から思い出すとみんなで笑い話になったりとか、そういうのはすごく多いですよね。

山の天気などは、ある程度は予測できても、やっぱり予想外のことはいっぱいあるので、その時に対処できるだけの能力をいっぱい持っておくことは必要ですね。

あらたな思い

日本に帰ってくる時に、今度は自分が発信していく方になりたいな、という思いを抱きました。それまでは自分が勉強する方、吸収する方だったんですよね。いろんな人に教えてもらい、いろんな経験もつんで、講習会も受けて。

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山小屋のわきで見かけたマーモット。油断するとすぐに食料を荒らされるが、元々ここは彼らのすみか。「自然保護」ではなく「野生は野生のままに」というスローガンをよく見かける。

それがカナダへ行って3年目くらいの頃から、いろんなことをやりながら発信していけたら、っていう思いが出て来たんです。今まで自分が経験したことなどを含めた情報発信。

今、雑誌に記事を書かせてもらっています。それプラス、講習会とか、山岳ガイドの養成とか、後輩の育成などをやっています。

独立しても、事務所をかまえるとか道具を揃えたりとかそういう形はとらずに、依頼されたガイドの仕事を本当にしっかりとガイドして行きながら、自分の時間を持ちながら、日本とカナダの二重生活を送りたいと思っています。

この11月に一つ検定があって、それを受ける予定です。ガイド協会の資格で山岳ガイドは1と2に別れて、山岳2の資格をとれば国内では全てのルートをガイドできるようになるので。

もっと気軽にアウトドアを楽しもう

私は山で過ごす時間が好きですね。準備段階でみんなでわーわー言って。山に行って楽しんで、帰ったら写真を見たり、みんなであのときはこうだったよねとか思い出を共有する。

これから自分が登山を楽しむなら、仲間と一緒にクライミングキャンプが混ざっているようなのがいいですね。沢登りしながら川原で火を焚いて、川で魚を釣って食べて。山菜とか採れたら最高ですね。そういう感じで一緒に輪を作っていきながら、みんなで活動をしていくというのは楽しいですね。

今はわりと誰でもアウトドアを楽しめるようなシステムというのができてきていると思うんですよね。

例えば会社の仲間や友達とか、今までは集まって旅行やボーリングに行ったりしていたのを、ちょっと志向を変えて一度山に行ってみるとか、キャンプをしてみるとか、川原でバーベキューするだけでも一応アウトドアですし、ラフティングの場合も簡単に申し込めますから、最初の一歩はそういうところから始めたらいいんじゃないかなと思います。