Vol.7 サイクロンから学ぶ!発展しない暮らし
2月、3月、モザンビークは何度も大雨やサイクロンが到来しました。自然災害大国日本人の私たちからすると、何でこの規模でこんなにも被害が出るんだろう…首都でも水が止まるんだ…また停電か。そんな日々。その暮らし方の中に、これからの暮らしのヒントを見つけました。
モザンビークにサイクロンがやってきたのは、ほんの10年くらい前のことのようです。2019年にモザンビークを直撃したサイクロン・イダイは、とても大きな被害を出したのですが、友人は、「ブンパ、ブブブダン、ブンブンバンって大きな音が家中に響いて、太鼓みたいでした。隣の人は自分の家の屋根が飛んでなくなったんだよ。」と教えてくれました。それが、最近まで天気予報を利用していなかったからなのか、サイクロンの基準に達するような大型の嵐ではなかったのかは謎です。
私の活動先でも、「この15年間に10回もサイクロンが到着していて、脆弱な国だから支援が必要だ。」と言った文言がお決まり。2月には、私の住むマプト近郊のボアネを中心にサイクロン前の大雨で浸水した地域がたくさんあり、寄付や復興イベントが沢山行われました。野菜もほとんど流れてしまったため、「レタスは宝石よりも貴重」と言われるほどです。日本と違って災害対策自体もないに等しいし、復興の意識やスピードも違うので、壊れた道路は直されず渋滞は日常茶飯事です。また、サイクロンの時に限らず家の作りが弱くて、マンションの窓ガラスがよく割れ落ちていますが、構造上の技術が上がったりする様子はありません。元々暑い夜は外で寝る習慣も手伝って、家や建物の概念が違うのは明らか。でも、なかなか理解し難いですね。
サイクロンの経験を沢山して多くの被害が出ても、モザンビークは日本のように災害に強い国にはなり難い気がしてなりません。そして、今回の断水は長引いたので、貯めておいた水をどれだけ節約しながら使えるかを考えるうち、田舎の井戸暮らしの人々の水の使い方も、少しだけ現実感を持って想像することができました。清潔を保つって、水無しでは結構むずかしい!きっと私の活動先の村の人々は、子どもが下痢になることがあっても、それなりに少しの水で暮らしているんだと思ったんです。
振り返ってみると、停電や断水も当たり前のように起こるけれど、それなりに暮らしています。日本のように、原発を使い続けてでも今の生活状態を維持するために、電力を確保する思考パターンとはだいぶ違います。
シャパという乗合バスは、日本の11人乗りのバンに通常16人~20人ぎゅうぎゅうに詰め込まれて乗っています。田舎でお肉を料理するとなると一匹の鶏をコミュニティ中の大人子どもで分けて食べるから1人1欠片もらえるかもらえないかくらい。「足るを知る」ともちょっと違う、「あるものをどう使うか」。この思考パターンこそ、人口100億人時代の処世術になるのかもしれませんね!?