vol.206 続・ぎむきょーるーむ 子どもの傷と周囲の気づき

基本になること—

なにか理由があるのではないか、と思いをめぐらせる

学校に行きしぶっている子どもが、朝起きてこない、なかなか学校に行く準備をしない。すると、「早く起きなさい」とか「なに、ぐずぐずしているの」などと叱責し、追い立てることはするけれど、なぜこういう状況になったのか、なにか理由があるのではないか、と思いをめぐらせるということは、たぶんあまりないのではないでしょうか。
子どもが家にひきこもる生活をするなかで、不安感や孤立感から自分の世界を守るためにゲームやネットなど意識が集中できるものにとりくんでいる場合、それを激しく叱責しとりあげることは、子どもの家での心の居場所をとりあげたり狭めていくことになります。親の立ち位置から子どもサイドに視点を移し、子どものおかれた現実を見直していくことが必要です。

話を聴くこと、話をすること—

親にほんとうの話をするとき

子どもは、最初に親が安心するような話をすることが往々にしてあります。けれど、最後に本音をいうことがあるから、話は 最後まで聞いてみないとわからない。グループ相談会(私が主  宰する「モモの部屋」では、こじれた親子関係を改善し解決するために話し合っています。)では、このことを他の人の話を聴くことで学ぶんですね。人の話を最初から最後まで聴くことができるようになる。あるいは最初から最後まで一部始終を自分で話すことをできるようになると、はじめて家に帰ってわが子の話を聴くことができるようになります。親が話を聞く耳をもつようになると、子どもも親に話をするようになるんですね。親が「無理して学校に行かなくていいよ」といいながら、学校に一日でも早く行ってもらいたい、休み休みでもいから行ってもらいたいと思っていたりしているときは、子どもはほんとうのことを話しません。そのような状況で子どもが話をすることがあっても、それは不安になっている親を安心させるための話です。
自分がどんなにつらい経験をして、どんなに深く傷ついたか、人が信じられなくなって人生に絶望し、「今日死のうか、明日死のうかと思っていた時期もあったんだよ」というほんとうの話は、親がほんとうの意味で聴く耳をもって聴いてくれないかぎり、できないんですね。

親が心すること—

必要なのは屋根と寝床と食事、そして時間

子どもに必要なのは、まず雨露しのげる屋根と、安心して眠れる寝床があることです。子どもは、学校に行かない、行けなくなったことの原因や理由をわかってもらえず、親が焦って学校に行かせようと追いつめるときには、親に反抗したり、乱暴してしまったり、物を壊したり、自己防衛のためにいろいろなことをしてしまいます。そのため、寝ているあいだに「殺されるかもしれない」という不安をもっている子どもがけっこういます。そういうとき、親は「殺そう」とまでは思わなくても、「この子が交通事故にでもあって、死んでくれたらいいのに」と思っていたりします。以心伝心ですね。子どもは赤ちゃんのときから親の顔を見て育っているから、親がおなかのなかでなにを思っているか、神様よりよくわかっています。
子どもは親に多くのものを求めていません。悩みや心配を抱えているときは、食べるものが偏ったり、過食、拒食になったりすることがあります。食べることは命をつなぐことですので、そこにいろいろな変化が現れます。食べものを用意するときも、その子の口にあったほんのわずかな食べものでいいんです。偏食と思わず、その人にあったちょうどいい量の食事ともいえるでしょう。
子どもに必要なのは、屋根と寝床と食事、この三つとそれから時間です。子どもが自分の心に負った傷の痛みや苦しみも含めて自分の失ったものを回復するには、十二分な時間が必要です。急がない、焦らないようにすれば、子どもは自分の問題を自分でしっかり解決して、やがて一歩を確実に踏み出します。親にできるのは、こういうことなんですね。

「助けて」をいわない子への注意

保育園や幼稚園で子どもが「行きたくない」と泣き叫んだとき、それをしっかり聴いてあげたでしょうか。親たちは「園に来たら遊んでいるので大丈夫です」といわれ、そのことを頼りに通わせつづけます。「いやだ」「助けて」と泣いて抵抗した幼い子どもたちは、自己主張したとき大人は誰も助けてくれないという思いを強くします。大人は「いい子」でいるときは受け入れてくれるけど、「いやだ」と自己主張したときには助けてくれない。そういう経験をした子どもは、「助けて」といわなくなり、相手が求める「いい子」を演じつづけ自己を抑圧します。その結果、子どもは「ほんとうの自分が望んでいることがわからなくなる」ということが起ります。心は登校拒否、身体は登校を続けた子どもが学校の先生などから「ほんとうにいい子ですね」といわれることがあります。しかし、それが限界にきて、矛盾した自己を統合することが耐えられなくなったとき、ほんらいのその子の存在の中核にあった「NO」が出てくるのです。

「NO」をしっかり受けとめる

その子の抑圧されていた「NO」は、自分自身を回復させるために必要な「NO」です。学校に行かない、職場に行かないという拒否の「NO」です。ですから、それは子どもにとって、存在にかかわる自己主張なのです。そこを親がしっかり受けとめられるかどうかで、その先の子どもの人生の道筋がちがってきます。「NO」といっている子どもを強制的に元のレールにもどそうとするのではなく、「NO」をしっかり受けとめることが必要です。
こうして親の姿勢が変わり、親が自分のことを理解しようとしていると思えたとき、子どもはつらかったことや、理解してもらえなかった苦しみや絶望など、さまざまなことを話してくれると思います。それを最後まで聴く親がいることで、子どもは過去の傷を洗い、親子関係を修復し、自己実現のために歩み出すところに、しっかり立てるようになります。
親に求められているのは、子どもの過去といまをしっかり受けとめ、子どもが時間をかけて回復するのを信頼して任せることなのではないでしょうか。


内田良子 うちだ・りょうこ
1942年生まれ。心理カウンセラー。1973年より27年間、佼成病院小児科の心理室に勤務。1988年より23年間、NHKラジオ「子どもの心相談」アドバイザー、1998年、子ども相談室「モモの部屋」を開室。登校拒否・不登校・ひきこもりなどの相談会を開く。著書に『カウンセラー良子さんの子育てなぞとき』『幼い子のくらしとこころQ&A』『登校しぶり 登園しぶり』(ジャパンマシニスト社刊)