vol.203 続・ぎむきょールーム「公教育を考える」Part-2

特別インタビュー「公教育を考える」-Part-2

みんなの森ぎふメディアコスモス
総合プロデューサー 吉成 信夫氏

イラスト「森と風のがっこう」より
ほぼこのイラストのような「がっこう」ができました。イメージすることは大事です。

森と風のがっこうは、岩手県葛巻町の標高700m、11世帯の集落にある廃校を再利用したエコスクール。「もったいない、ありがたい」を合言葉に、パーマカルチャーの手法を取り入れ、自然エネルギー教育、循環型の暮らしが実感できる施設づくりを進めてきた。コンポストトイレ、空缶風呂、バイオガス装置をはじめ、さまざまな人がおとづれる環境共生建築のcafe森風もオープンした。2018年に惜しまれながら閉館となったが、そこに私たちが思い描く「教育の理想」があった。その仕掛け人、「森と風のがっこう」のコーチョー、現在は、みんなの森ぎふメディアコスモス総合プロデューサーである吉成信夫さんに「公教育」について、話を聞いた。

子どもの育ちに何が必要か。

 僕は子どもと一緒に、子どもの地球環境そのものに関わることを自分のテーマとして生きていこうと決めて、家族とともに岩手に移住しました。昔から宮沢賢治が好きだったこともあり、賢治の故郷で小さな地域の中でエコビレッジのような学校をやりたい、それで「森と風のがっこう」を始めました。

多様性を学ぶために

 僕らは多様性を何から学んできたのか。いろんな人が混ざるということもありますが、人の多様性ばかりに目がいってないだろうか。私たちは本来、自然の多様性というものの中から気付くことが、実はとっても多いんです。
 自然から学ぶということは土から離れないということ。田んぼや畑もそうだし、命を育てるっていうこともそう。そういう中で気づくことがいっぱいある。何よりも、自然の中にいるだけで心や体が解き放てるんですね。
その一例にこんなことがありました。
 森と風のがっこうでは、夏休みや冬休みなどの長期の休みに、エコキャンププロジェクトとして合宿をおこなっていました。ある時、養護学校に通う男の子が、「森と風のがっこうの合宿に参加したい」っていうんですよ。気にいるかどうかわかんないけどやってみたらどうか、って参加してもらった。森と風の子ども達は15人くらいいたかな。合宿だから、一人になる時間がないんです。その子は疲れてくるとしんどくなって発作が起きたりします。で、きつくなってきたら、「コーチョー、ちょっと外出ていい?」って言ってくるわけ。で、僕は「いいよ〜」って答える。すると、彼は校庭で軽いジョギングをしながらずっと山手線の駅をつぶやいているんです。で、そこに風が吹いていろんなものを取り去ってくれるわけ。自然が近いとね、自分のしんどいことを「風が連れ去ってくれる」という感じです。風が全てを運んでいくんです…そういう感覚が必要だと思うんですよね。
 これは自然の多様性のおかげなんですよね。そこに自然があるっていうことだけで、息を抜ける場になるわけです。

森と風のがっこうはどんなとこにあるの?

 立地は自然のど真ん中。標高700メートル、小さな集落で、盛岡から70キロ、冬にはマイナス20度まで下がる、岩手県の中でも僻地と呼ばれたところです。この地を取り囲んでいるのは山であり、森。水があり、動物がいて、代々受け継がれてきた田畑や学校がある。でも、ここでは自然が厳しすぎて一人で生きられないんですよ。11世帯しかないから信頼をベースにして支え合うしかない。その信頼はどこから来るのか、それは一緒に畑を耕したり、とにかく何か一緒にすることだよね。このがっこう自体が新しい共同体として関係性を生み出していくんです。私がつくりたかったのは、自然学校ではなく、エネルギーと暮らしのがっこう。子どもに体験をさせるだけでなく、そこに「暮らし」をつくりたかった。それも循環型のね。

最初にどんなことに取り組んだか

 そこにあった教員住宅はリノベーションすればいいのですが、校庭は除草剤が撒かれいていたので、まずそこを緑化するところから始めました。緑の絨毯にするまで5年くらいかかりました。その後、果樹を植えて、ベジタブルガーデンに。創っていくプロセスをみんなと一緒に味わうことができました。
 「食べられる学校」って面白いじゃないですか!みんなが自由に収穫できて、ブルーベリーやブラックベリーなんかを近所のおばさんたちもつまんで食べるし、誰が先に食べるかって感じ。10年ぐらいしたらイチゴは在来種になり、そのほか10種類ぐらいのベリー系が育ち、夏になるとカフェが見えないくらい生い茂りました。実がなってつまんで食べる。そんな学校なら行くのが楽しみになるよね。

いのちの授業 いのちの循環

 僕は鶏を80羽飼っていたので、「命をくらう」っていうプログラムで合宿の最後の日に、みんなで鶏を絞めて食べました。
 子ども達は半強制的だけど最後には命と向き合わなきゃならなくなる。スタッフも同じ。スタッフが動揺してたら、子ども達はもっと動揺するからね。でもそれが子どもと大人の共通の体験になっていく。鶏の解体から気持ちが揺れますけど、それがだんだん落ち着いてきた時に、全部食べて骨が残る。すると「この骨をちゃんと山の中に埋めておこう」、と子ども達が言い出すわけです。実はそういうところが大事なんですね。次の日、山の中にその骨を埋めに行くわけです、みんなでね。で、お墓作って、鶏さんがここに眠ってますって。たまたまそこにやかんが落ちてて、誰ともなく拾って水で清める…。お墓まいりで、おじいちゃんおばあちゃんたちがやっていることをどっかで見ているんだよね。拝んでいる時のみんなの真剣な顔、今も忘れられないですね。2、3日後にスタッフがお墓を見に行ったら、獣に掘り返されて埋めた骨はきれいになくなっていた。命が循環したというか、全うしたんだね。その循環は山の中だからできたことです。

森と風のがっこうは、
いろ〜んなエピソードが生まれたところ

 1週間くらいのキャンプでのことです。障害のある人も参加しました。そこでは、演劇の上演がある。全部自分たちで用意し役割も立候補。「この役やりたい!」という人が優先で全員に役が行き渡るように用意しています。役が被った場合はオーディションを行います。子どもたちは緊張しながら、オーディションに臨みます。
 ある子が「自分はナレーターをやりたい」と立候補しました。その子のおじいちゃんは、岩手訛りのベテランというかバリバリの岩手弁の方。宮沢賢治のお話でしたが、彼のナレーションがそれはもう素晴らしくて!!!みんなが「いいね〜っ」て拍手喝采ですよ。それが彼の自信につながり、生き生きとし始めました。自分のやりたかった役がやれなくて泣く子もいたけど、半年後にトライできるしね。障がいがある、ないに関わらず人のやりきったという経験・体験は、何にも変えられない宝物になる。そんなエピソードならほんといっぱいありますよ。

「必要な自然がなければつくっちゃえば?」とおっしゃる吉成さん。「手間がかかるからやれません」って言いがちだけど、そういうことをやるのも教育の一つかな。そもそも「教育」って、上記のエピソードにもあるように、障がいがあってもなくても「自分のことがどんどん好きになる」ように、同時に「自分と自分以外の自由を承認できる」ように支援していくことだと思う。そして、教育は「ブレない理念」と柔軟に変化可能な「多様性」が必要だと思う。2号にわたり「公教育」について、吉成さんにお話を伺い多くの気づきを得ました。新たに建設される学校「各務原市特別支援学校」は2025年に開校予定。計画の中に「必要な自然を作っちゃおう!」という思いを受け入れてもらうよう柔軟に働きかけをしたいと思った。





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