vol.201 子育て・基本のき 乳幼児の人権を考える

性教育は何歳が適齢期?

 娘が保育園に通っていた時のこと。ある日、園で絵本の読み聞かせがありました。本のタイトルは『ぼくどこからきたの?』

あるがままの いのちのはなし。
ごまかしなし さしえつき。
かいたのは ピーター・メイル。
えは アーサー・ロビンス
デザインは ポール・ウォルター
やくしたのは たにかわ しゅんたろう

 娘は帰ってくるなり、「わたしはどこからきたの?」って質問するではありませんか!私は、「性」に関しては、子どもが興味を持ったら、何か尋ねてきたら、その時が適齢期だと思っていたので、うわぁ〜、キタぁ〜って感じでした。でも、あまりに突然だったので正直びっくりしました。ちょっとドギマギしながらも、あの本を読んでもらったのならありのままに伝えなければと、頭をフル回転させながら話した記憶がありましす。「性教育」という概念がまだ今ほど定着してない頃の話です。

 娘が小学3年生の頃、授業参観がありました。授業は「性教育」でした。先生がどんなふうに子ども達に伝えてくださるのかとても関心をもって参観しました。ところが、内容は誠に残念な結果。授業内容は、男らしさや女らしさから始まり、男女の体の違い、男性の役割、女性の役割、でおしまい。しかも男性は外で働き、女性は家庭を守る役割だと・・・。
あたりまえのことを、あたりまえに話すことができない風潮は、差別や偏見を生みます。LGBTQの問題しかり、人種問題しかり、障がい者問題しかり。これすべて「人権」問題です。差別や偏見は人権を傷つけます。分断を生みます。

 さて、ジェンダー平等がオリンピックの基本理念となっている現在と、性教育が教育の現場に取り入れられた当時と比べると、かなりのギャップがあります。しかし、いまだに「性教育」をタブーとしている教育現場はたくさんあると聞きます。私は「性」を遠くに置いて「人権」は語れない、と思っています。本紙に連載中の「ここいくレポート」(P-19)でも、性教育は人権教育とはっきり示しています。
 性教育団体の「ここいく」(代表・中村暁子さん)は、幼稚園児から高校生に至るまで幅広い年齢層に「いのちの授業」を届けています。代表の中村さんにお話をうかがいました。

「あなたはあなたのままでいい。丸ごと受け止めることで安心感がうまれる」

 「いのちの授業」では、自分が今生きていることは奇跡!というメッセージを届けることを大切にしています。なぜ奇跡なのか。いのちの成り立ちを話せばみんな納得です。見えないところですごいドラマがあるからです。
 「約2〜3億個の中からたった一つの精子が、一個の卵子に出会って一緒になるの。そして、一つの命が生まれるんだよ。すごい奇跡だよね。それがいのちの始まりです。」低学年の子たちはこの話をすると目がキラキラ耀きます。中高生には、生まれてくるときや生まれてからの環境は千差万別だが、元気に生まれてきたこと、大切に育ててくれた人がいたから、今を生きていることを伝えます。授業の後はみんな、「生まれてきたよかった」「お母さんありがとう」っていう言葉が自然に出てきます。でも、この「いのちの成り立ち」を知らない人が多いので、命の稀少性に気付かず、「自分なんか」、「どうせ無理···」と思ってしまう、自己肯定感が育ちにくい。でも、自分の命は、奇跡のような確率で生まれたことを知ると、自分の命も人の命も大切にできると思います。

 性教育は「セックス」「性交」を抜きには始まりません。だって、精子と卵子はどうやって出会うのですか?まだ男性社会の影響が影を落としています。ジェンダーギャップ指数、日本は世界で何番目かご存知ですか?(日本の順位は156カ国中120位(2019年121位)と主要7カ国(G7)で最下位だっただけでなく、世界でも最低レベルをさまよっている。)当たり前のことを当たり前に話すこと。それができないのは、難しく考えすぎだからと思います。

 実は妊娠中から<性教育=人権教育>は始まっています。胎児への言葉がけから大事です。乳幼児にも、当たり前ですが人権はあります。モノが言えない小さな子は、自分の思うようになると思っている大人が多数いることも事実です。言葉がわからないと思うのは間違いで、ちゃんと言葉を受け取っていることを知っていて欲しいです。そういう人たちにこんな質問をします。「モノが言えない猫や犬を飼っている人、自分の伝えたいこと、伝わっている?」と聞くと、「はい」という人が多い。では赤ちゃんは?「あーそうか?」って・・・。

 乳幼児検診のこんな事例があります。4ヶ月で8kgの子—とりあえずノーマークです。でも、もしミルクだったら「与えすぎ」と言われます。5ヶ月で6kgの子—授乳の回数を増やす、又はミルクを足してと指導されます。大人はモノを言えない赤ちゃんの指導権を握っています。しかし、乳幼児にもちゃんと人権があります。検診に限らず、もっとその子の育ち、その子の個性を尊重して欲しいと思いますね。

最後に差別・偏見について
 誰しも自分の胸のうちに無意識の意識と言うのでしょうか、差別や偏見は抱いていると思います。なんと言うか、もやっとする感覚、あなたはありませんか?私は、もやっとした差別や偏見があってもいいと思うんです。大事なのは、なぜ自分はそのことに偏見を持ったり、差別感を抱くのだろうと考えることだと思います。誰もあなたの人権を侵害はしないし、もやっと感を持っていても他の誰かの人権を傷つけることにはなりません。ただ、そのもやっと感の原因を追求してみることは大事だと思います。

●COLUMN●
1992年は「性教育元年」とも呼ばれ、学習指導要領が改訂・施行されて、小学校段階から「性」を本格的に教えるようになりました。 また、教育現場では性教育の研究授業が盛んにおこなわれました。 子どもや保護者の要請も受けて、現場でさまざまな工夫がなされ、発展し始めた日本の性教育ですが、2000年代初めに状況は一変します。
 日本の性教育の歴史を振り返ると、1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、若者に性の知識を教えなければならないという意見が強まり、1990年代になって「性教育ブーム」が起こりました。しかし、「性教育バッシング」が湧き起こり、日本の性教育の発展はストップし、萎縮してしまったのです。そのきっかけとなったのは2003年、都立七生養護学校(現・七生特別支援学校)で行われていた性教育を、一部保守系の都議が中心となって問題だと指弾し、メディアも「過激な性教育」とセンセーショナルに取り上げた結果、七生養護学校に関わる教育関係者が都の教育委員会によって処分され、その後も性教育バッシングが続く状況になってしまいました。
 翌2004年、都教育委員会は「性教育の手引き」を改訂し、小・中・高いずれの学習指導要領でも、そもそも「性交」は、子どもに理解させることは困難であるからとして、授業で示すことさえせず、中学校の保健体育でもコンドームの装着の方法を取り上げないなどと強調しました。さらに、このバッシングを受けた動きは国レベルにまで広がり、文科省の定める学習指導要領でも都教委の「手引き」同様、中学校で「性交」「セックス」は扱わないことになり、中学校保健体育の教科書では、「性交」ではなく「性的接触」という言葉を使うこととなったのです。COLUMN1992年は「性教育元年」とも呼ばれ、学習指導要領が改訂・施行されて、小学校段階から「性」を本格的に教えるようになりました。 また、教育現場では性教育の研究授業が盛んにおこなわれました。 子どもや保護者の要請も受けて、現場でさまざまな工夫がなされ、発展し始めた日本の性教育ですが、2000年代初めに状況は一変します。
 日本の性教育の歴史を振り返ると、1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、若者に性の知識を教えなければならないという意見が強まり、1990年代になって「性教育ブーム」が起こりました。しかし、「性教育バッシング」が湧き起こり、日本の性教育の発展はストップし、萎縮してしまったのです。そのきっかけとなったのは2003年、都立七生養護学校(現・七生特別支援学校)で行われていた性教育を、一部保守系の都議が中心となって問題だと指弾し、メディアも「過激な性教育」とセンセーショナルに取り上げた結果、七生養護学校に関わる教育関係者が都の教育委員会によって処分され、その後も性教育バッシングが続く状況になってしまいました。
 翌2004年、都教育委員会は「性教育の手引き」を改訂し、小・中・高いずれの学習指導要領でも、そもそも「性交」は、子どもに理解させることは困難であるからとして、授業で示すことさえせず、中学校の保健体育でもコンドームの装着の方法を取り上げないなどと強調しました。さらに、このバッシングを受けた動きは国レベルにまで広がり、文科省の定める学習指導要領でも都教委の「手引き」同様、中学校で「性交」「セックス」は扱わないことになり、中学校保健体育の教科書では、「性交」ではなく「性的接触」という言葉を使うこととなったのです。





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