人権を考える―― それは想像力を働かせて
自分とは異なる人 の立場になってみること
子どもの権利って言うけれど、それってなに?必要なの?
子育て中のわたしは、しつけと自認して叩いたことがあります。「体罰は是か非か」。子育て真っ最中の時にはそんなタイトルで特集しました。その時に取材をさせていただいた、長谷川博一さん(当時、東海女子大学人間関係学部心理学科教授)は、何があっても体罰は人権侵害にあたる、と断言されました。そうとわかっていても、言ってもわからない時期だからいいのではと勝手に正当化している自分がいました。それがしつけだと。その一方で、余裕のある時は子どものいたずらは大目に見ようと思ったり、翻ってちょっとイライラしているときは親の言うことには従がわせようとする。なんて一貫性のない…。今思えば、乳幼児期から人権を尊重する、ということが欠落していたのかな。子育ての一番奥深いところは、「子どもの人権」と言う人権感覚を持つかどうかです。それが子育てに大きく関わるんですね。
赤ちゃんが生まれた時に泣くのは、「子どもの権利」と言う考え方。権利は当たり前の主張であって、生まれながらにして一人の人間として生きる存在であるという考えです。
1062年、ルソーは『エミール』の中で、「人間を人間として考え、子どもを子どもとして考えなければならない」と言っています。「子ども」の発見です。また「子どもは大人と違う。だから子どもの大事な時代を豊かに過ごす。感覚機能が十分発達する時期だから、感覚を豊かに」と言っています。
おとなの子ども観が問われる
「子どもの人権を守る」ということは、「一個の人格を持った存在」として子どもを尊重し、差別・ 貧困・虐待・戦争な
どの子どもの人権を脅かす事態から子どもを守るためにどうすべきなのかを考えることを意味しています。
子どもは、社会の中で弱い立場にいます。そして、周囲の環境や社会の中にあるさまざまな矛盾の影響を直接的に受けやすい存在です。
戦争の犠牲になるのは一番弱い立場にいる子どもたちですし、差別や貧困の結果、さまざまなしんどさを抱えさせられている子どもたちや、豊かな育ちの機会を奪われている子どもたちもいます。虐待や体罰を受けることによって、身体的にも、精神的にも傷ついている子どもたちもいます。そして、子どもたちをこうした状況に追い込んでしまうのは、他ならぬ「おとな」や「おとながつくっている社会」なのです。
おとなが「子どもの人権を侵害する存在」ではなく、「子どもの人権を尊重し、守ることができる存在」となるためには、おとなの子どもに対する見方・とらえ方(子ども観)が問われます。「おとなが思いどおりにしてよい存在」「思いや主張など聞く必要はない存在」「言葉では分からないだろうからたたいて理解させないといけない存在」として子どもをとらえている中では、子どもの人権を尊重し、守ることはできません。
子どもは「小さくても、1人のヒトとして尊敬される存在」であり、「自分の思い・意志をもった存在」であるととらえ、「尊敬の対象」として子どもを見ることが、おとなが、子どもの人権を尊重し、守ることができる存在になるための第一歩です。
子どもは人権を守られる存在であると同時に、現在そして未来の「人権の担い手」、さまざまな人たちがともに暮らしていける「共生社会の担い手」でもあります。そうした力は乳幼児期から育まれていく必要があります。乳幼児は、社会的な偏見や差別とは無縁の存在ではありません。アメリカにおける研究では、「乳児は、早ければ6ヶ月頃から肌の色の違いに気づきはじめており、3歳頃までに肌の色への社会的偏見を吸収し、白い肌には肯定的に、黒い肌には否定的に反応するようになる(L.ダーマン・スパークス 1989 / 1994)」といった具体的な結果が示されているように、乳幼児は、社会的な偏見につながるような物事の見方、とらえ方を少しずつ吸収していきます。だからこそ、乳幼児期からの人権保育・教育が必要となるのです。
その子がいま感じている面白さが出発点
「豊かな人権力」を育てるためには、遊びのおもしろさを十分に深めることが基本になります。おとなは、遊びから抜けてしまう子や遊びの中で脱線しそうな行動を取りがちな子に対して、わがまま、協調性がないなどと感じてしまうことがありますが、実際には、取り組んでいる遊びが、その子の遊びのおもしろさの発達に合致していない、別のおもしろさを感じている、といった理由からそうした行動につながっている例も多いのです。「その子が今、感じているおもしろさをつかみ、そこを出発点にしながら遊びのおもしろさを深めていく」という姿勢をおとなが持っていることが大切になります。
おとな自身も生き生きすることが大切
もう1点、「子どもの人権を尊重し、守ることができる存在」になるためには、おとな自身が置かれた状況のありようも重要になります。子どもと共にいるおとな自身の人権が尊重されず、さまざまなしんどさを抱えさせられている中では、そのしんどさがより弱い存在である子どもに向いてしまうことも起こりえます。子どもとともにいるおとな自身が置かれた状況がより良いものとなり、人としての尊厳が守られ、生き生きとした状態にあることは、子どもの人権が守られるために必要な条件です。
子どもに育みたい「3つの人権力」
人間を尊敬する力(尊敬)
自分のことが好き」「仲間のことが好き」という気持ち。「自己への尊敬」「他者への尊敬」「生命への尊敬」 「言う力と聞く力を持つこと」の4点に整理されています。自分の命・他者の命・動植物の命を大切にできること、命を支えてくれる人の存在に気づいたり、命を大切にするために必要な行動ができることを意味しています。
公平性の獲得(公平)
「公平・不公平」の問題は、子どもたちの生活や遊びの中で、具体的な問題として存在しています。まず、遊びや生活の中で「自分はこうしたい」という自己主張をすること、そこでぶつかり合いが起こることが第一歩。自分たちなりの問題解決ができるようになることが大切です。
偏見をなくす力(反偏見)
さまざまな人たちと「出会い」、その「思いを知ること」、人々が持つさまざまな違いを「正確に知ること」、さまざまな文化の「良さに出会うこと」などが重要になります。こうした「出会い」や「正しい理解」が、偏見がかった見方に出会ったときに、おかしいと指摘し、偏見をなくすために行動できる力の土台を形成します。