vol.197 日常に潜む差別

日常に潜む差別

 障害について考えてみたいと思います。「にらめっこ」の活動の一つに「風の芸術村」という美術教室があります。ここに通う人たちは、みんな素敵な特性を持っています。
 私は、すべての人に凸凹があると思っています。得手不得手、と言い換えてもいいかもしれません。障害者という言葉は使いたくないな、そんなことを思っていたある日、「優生思想について」の記事を読みました。以下はNHKが行った世論調査の結果です。

 あなたは、今の日本の社会に障害のある人への差別や偏見があると思いますか?
▽「かなりある」-18%、▽「ある程度ある」-60%、▽「あまりない」-15%、▽「まったくない」-2%と、「ある」と答えた人が77%に上りました。
自分自身に障害のある人への差別や偏見があると思うか?
▽「かなりある」が3%、▽「ある程度ある」が22%、▽「あまりない」が46%、▽「まったくない」が22%で、「ある」と答えた人は25%でした。
障害者への差別や偏見について聞いたところ「社会にある」と答えた人が80%近くに上りました。しかし、自分自身に問われると25%まで低下しています。

 アンケート結果では「差別・偏見が社会にはあるが、自分にはない」と考えている人の方が多いと言えるように思います。しかし、私たちは本当に障害者に対する差別・偏見の意識を持っていないと言えるのでしょうか。例えば、出生前診断のとらえ方はどうでしょう。優生思想に関わりが深いとされている「出生前診断」における判断は、社会的な線引きは決まっておらずグレーゾーンではないかと思います。(下の表参考)ですが、優生思想が極端になっていくと、「差別」的な思想・行動につながりかねないことは事実です。

理解広げ、社会を変えていく必要がある

 障害者の施策に詳しい浦和大学の河東田博特任教授は、社会に差別があるという回答が8割近くに上ったことについて「障害のある人にとって生きづらく大変だと思う。障害や福祉の政策立案の過程に当事者の方、特に知的障害の方がほとんど参加できていない現状を考えると、私たちは本当の意味で障害のある人と向き合いながら物事を考え整理をしているのか疑わしくなる。共に生きることを浸透させ理解を広げていき、少しずつ社会を変えていく必要がある」と指摘しています。

一方、自分自身に「差別や偏見がある」と4人に1人が答えたことについて、地域で生きる重度の知的障害者の姿を追った映画を製作した宍戸大裕監督は「差別や偏見を持ってしまう自分というのを、まずは大事にしていいと思う。差別をしていたことに気付いていく過程があった先に、差別してしまうよね、でも、それはなぜだろうねと、繰り返し問い直していく。そして差別を解消していくため、障害のある人と日常的に出会っていくことが必要だ」と話しています。

私たちはどうあるべきか

 「内なる優生思想」という言葉。やまゆり園事件の後に多く語られた言葉の一つです。NHKの調査が明らかにしているのは、差別や偏見の問題を身近にある “自分たちの問題”としてとらえようとしない考え方ではないでしょうか。まだ、私たちの社会はやまゆり園事件から十分に学べていないのではないかと思います。差別をなくそう、偏見をなくそう、優生思想をなくそうではなく、私たちはどうやったらみんなで 同じ地域社会で生きていけるかという「共生」を考えないといけないと思います。
 先日、嘱託殺人というセンセーショナルなニュースが飛び込んできました。ALS患者がSNSを通じて知り合った医師に投薬を依頼し死亡したという事件です。
 自らもALSの日本ALS協会副会長のコメントには、「生きることが当たり前の社会で、私たちは常に生と死の間におかれています。誤解して欲しくないのは、彼女の意思表明は、生きたいと思ったからこそのものであること、そして事実生きていたということです。安楽死という希望は彼女が作り出したものではなく、社会が作り出した差別の中で生み出された彼女の叫びなのだとわたしは思います。私も彼女も同じです。
 ちゃんと私たちが直面している苦悩に、現実に目を向けてください。彼女を死に追いやった医者を私は許せません。私たちが生きることや私たちが直面している問題や苦悩は、尊厳死や安楽死という形では解決できません。そしてその医師を擁護する医師や医療者、社会があるとするなら、その社会自体が否定されるべきです」。

 患者本人や支援する人たちからは、事件を機に「死ぬ権利」に注目が集まり、「生きる権利」がないがしろにされるのではないかとの声が出ている。生命の尊厳を共有し、懸念を払拭することが、ALSに限らず、様々な障害のある人と共に生きる社会を築くことに通じる。(朝日新聞社説より抜粋)

そしてコロナ禍での差別

 「ウイルスそのものは差別をしません。私たちの過度に恐れ、遠ざけようとする心が、差別の根につながっていくこと。そして、その大人の姿をいま子どもたちも見ているんだということを一人ひとりが認識しておく必要があります」。臨床心理士の森光玲雄さんは大人の行動を見ている子どものためにも差別の根を摘もうと語っています。

最後に“病気を治そう”の藤原ひろのぶさんの言葉をご紹介します。

《ごめんなさいと言うな、言わせるな》

コロナに罹って謝る人がいる
コロナに罹って謝れと言う人がいる

残念ながら風邪に効く薬はない
自らの免疫力でウイルスに負けない身体づくりを作るしかないのに、救世主が現れるのを待望するような報道が毎日のようにされている

『本日の感染者は3万人で死者は50人です』

こんな報道がされれば多くの人はパニックを起こすだろうけど、
上の数字は毎年のインフルエンザの現実

誰かに謝っただろうか?謝れと誰かを責めただろうか?

簡単に頭を下げている人は考えた方がいい
頭を下げれば下げるほど、感染者=悪の図式ができ上がる

コロナに罹った人を責めている人は考えた方がいい
責めているその相手は、明日はあなたやあなたの大切な人かもしれない

未開の地で静かに暮らしていたウイルスを目覚めさせたのは僕たちだ

意識を向ける先を変えれば、見える景色も大きく変わる

 差別や偏見の問題は「私たち」の問題であり、私たちの日常にあるとても身近な問題です。差別は私たちの当たり前の考え方の延長にあるのではないでしょうか。