vol.197 あなたは差別したこと、ある?ない? 

差別とは何でしょう

 差別とは何でしょうか。ある人は「これは、差別だ」といいますが、別の人は「差別で はなくて、区別だ」といって、 意見が分かれることがあります。 この差別と区別の 違いの背景には、 区別は「しても許されるもの」、差別は「してはいけないもの」というとらえ方があります。 では、1つの行為が、社会的にみて許されるのか、許されないのか。これらは、文化・宗教、価値観などによって大きく違います。また、時代によっても大きく変化しています。 長いスパンで見れば、今の時代に生きる人が差別ではない、ととらえていることも20年、30年後には、差別だととらえられることが起こるかもしれません。

 考え方は、社会情勢によっても揺れています。今は、「ブラック ライブズ マター」で世界中でデモ行進が繰り広げられています。しかし、差別のとらえ方に意見の一致がみられないからといって、議論することを放り出してしまっては、せっかくのチャンスを逃してしまいます。意見の食い違いの中に、「見えてくるもの」「気づくこと」がたくさんあると思うから。
 異なっ意見に対しても合理的だと考えて「納得がいく」とみるのか、「納得がいかない」となのか、さまざまな意見の食い違いの中に、自分が気づいていない差別感情が現れてくるかもしれません 。 意見の違いの背景には、それぞれどんな見方をしているのかが浮かび上がってきま す。自分がどのような価値観を大事にしているのか、気づくようにもなります。

差別する側・差別される側

 私の友人にアフリカ系アメリカ人の女性がいました。初来日で、小牧空港に降り立った時に彼女は「日本は第二の故郷」とインスピレーションを得て、その後なんども来日しては我が家にホームステイしていました。家族が寝静まった後、お茶を飲みながらいろいろなことを話しました。
 自分が黒人であることで、教育の差別を受けたことが悔しかったこと。自分の肌を消しゴムで何度もこすり白い肌になろうとしたこと。平和行進でアメリカ南部に入る時ドキドキしたこと、そして石を投げられたこと、などなど。そんな話に耳を傾けながら、人種差別について当事者から聞く言葉は私の胸に深く入り込みました。日本や自身のルーツである西アフリカ・ナイジェリアの文化の話になった時、「なんで日本に藍染があるのか」と聞かれました。藍染はナイジェリア独自のものだと思っていたそう。逆に私は日本独自の文化だと思っていた。それを皮切りに、国境を越えた子育ての話、親の気持ち、なども交えて話しました。話せば話すほど知らないことに気づき、そして知ることに新鮮さを感じ、夜がふけることも度々ありました。

 「肌の色、文化、言語が違ってもみんなの想いはきっと同じよね。」彼女が帰国した後、そんな思いを手紙に書いてエアメールで送りました。しばらくすると、全く同じ内容の手紙が彼女からも届いたのです。ほぼ同時に手紙が空を交差してお互いの手元に届いた!シンクロした感じです。

 それを記念して、彼女の友人がデザインしてできたのが、このTシャツです。にらめっこの7周年記念に出会ったアリーン・ロビンソン。記憶にある方もいらっしゃると思います。
 彼女は49歳の時、腎臓がんで亡くなりました。お見舞いに渡米した時、街を歩いていたらすれ違いざまに白人ふたりに「イエロー」と蔑むように吐き捨てるように言われたことはいまだに忘れることができません。「人種」による差別感を強く感じた一瞬でした。この時から、私は「人種差別」について心のどこかでいつも意識するようになりました。

差別・偏見
日常に潜んでいるかも・・・

 単一民族で島国だからと勝手な理由で自分には関係ないように思っていた人種差別。・・・でも今はグローバル化が進み、日本でも様々な国の人たちが入り混ざって暮らしています。
 「差別」という言葉を調べてみると、こんなにもたくさんの種類がありました。
・ おたく差別・学歴差別・間接差別(一見性別が関係ないように見えるルールや取り扱いでも、運用した結果どちらかの性別が不利益になってしまう扱いのこと)・逆差別・言語差別・種差別・宗教差別・障害者差別・職業差別・人種差別・身長差別・性差別・性風俗産業に対する差別・年齢差別・部落差別・ルッキズム(Lookism容姿による差別)・エイジズム(年齢による差別)・セクシズム(性別による差別)・・・

そして新たに、コロナウイルスとともに広がる差別、偏見。

さて、果たして私(あなた)の中に差別感情があるかないか。
 そもそも差別感情とは、他者に対する否定的感情(不快・嫌悪・軽蔑・恐怖)と、その裏返しとしての自己に対する肯定的感情(誇り・自尊心・帰属意識・向上心)、そして「誠実性」の危うさの中で揺れ動く感情…そのあたりを、じっくりと考えてみたいと思います。