ネパールの支援活動、というキーワードで池田さんを紹介されてお会いすると、「思い立ったら吉日」という言葉がぴたりと当てはまる人だった。
十数年前、ポスターで見た古都が忘れられなくて、いつかきっと訪れようという思いを子育てを終えた頃に実現。それがネパールだった。
出かける前にネットで現地の情報をいろいろ調べていると、気になるフレーズが目に飛び込んできた。それは、「ボランティアができるペンション」。さっそく問い合わせた。
そのボランティアは身体障害者の施設だった。元々、水泳で障がいのある人のクラスを受け持っていた池田さんは、まるで引き寄せられたのかと思うくらい自然の成り行きだったと振り返る。そうとわかると、荷物に事前情報で得た施設の方たちへのプレゼント「トランポリンとおもちゃのピアノ」を用意した。約1週間滞在して、「また来るからね」と約束してネパールを後にした。
二度目の訪問は、車いすを3台持っていった。そんなふうにネパールを往復しているうちに、日本人が旅館をやっているとの情報を得た。池田さんの実行あるのみ!というパワーがここでも炸裂!さっそくコンタクトをとった。そうして出会ったのが、筋田氏だった(にらめっこ155号 掲載)。
それはネパール震災の直後だった。筋田氏の活動に感銘を受け、以来、彼の活動に必要な物資を運ぶことになる。一人の手荷物の制限は30キロ。それでは運びきれないと思い、試しに自身の母親に声をかけてみたら「行きたい!」と快い返事。これで60キロの荷物が運べると、あくまでも、使命感を優先する。それでも、母親はニコニコして同行してくれた。この現状を一人でも多くの人に伝えたいし、もっと多くの荷物を運びたいとスイミングの会員さんに声をかけた。するとポツポツと賛同者が現れ、ネパール行きは3人に。これで90キロの荷物が運べる!荷作りも手慣れてきた。震災で筋田さんが経営する「銀杏旅館」はかなりな被害を受けていた。岐阜ネパール会と一緒に募金活動も積極的に参加した。
2011年の東日本大震災。その時もいてもたってもいられなかった。何か自分にできることはないかと情報を探した。被災地から少し離れたところ、あまり注目されていない地域が気になった。そこはマスコミにもあまり報道されておらずとにかく人手がいちばん必要だと感じ、持ち前の行動力で即現地へ飛んだ。テントが必要とあればテントを用意し、事前調べで必要なものはすべて手配した。毎日毎日泥かきの日々。ボランティアの人たちも体力勝負だった。
支援にはさまざまな形や方法がある。ネパールだけをとっても、女性の自立支援のため手編みのセーターを日本で販路を広げた方や、現地に学校を建設される方、井戸を掘って水を供給できるようにされた方などなど。
「支援なんておこがましいです。だってあっちこち駆け巡ってるばかりで、いったい自分は何をしたくて何をやってるんだろうって、最近思うんですよ」とめくるめく日々を振り返る池田さん。
取材の内容は本当に多岐にわたった。健康や食べ物、農薬や添加物の話から、環境、世の中の仕組み、政治への関心などなど。ひとつ気になると、次から次へとつながっていく自分の関心ごと。どれも大切な事柄ばかり。関心を持つ、それをどう解釈して、行動するか。今後の課題のようだ。
現地で被災地の対応に追われる日々を過ごしていた筋田さんの養女•ミナさんたちが作るフエルトの小物たち。日本で取り扱ってもらえるカフェなどを探している。(価格は100円から500円ほど)
問い合わせはk.y.i.4800@gmail.com池田さんへ