成虫で冬越しするチョウ…ムラサキシジミ
ムラサキシジミ属はおよそ200種類からなる、蝶としては大きなグループです。その分類は未だに定まっておらず、Arhopala属を更にいくつかの属に分けることがあります。日本のムラサキシジミ、ムラサキツバメなどもNarathuraという別の属に扱われることが多いのですが、Arhopalaとのはっきりした区別方法がない。
ムラサキシジミの仲間はスリランカから日本、そしてソロモン諸島までに分布しており、主に低地の森林で見られます。多くの種類は日中ほとんど飛ぶことがなく、森林の低い場所で止まっています。また、多くは成虫になってから餌を食べているところが観察されておらず、口吻はありますが、何も食べないのではないかと考えられています。止まっている場所に日がさすと木の高いところまでに移動し、種によっては夕方から活発に活動を始めます。
開張約30-40mm。翅の表が青紫色で、周囲を黒褐色で縁取られている。
成虫で越冬し、年3-4回、6月から翌年3月にかけて現れる。平地の林やその周辺で見られる。花を訪れる事は少なく、成虫が主に何を摂取しているのか不明。 昆虫図鑑より
撮影:mikami miki
児童文学雑誌「コボたち」での作品発表に始まり、教員のかたわら児童文学を書き続けてきた堀野さん。絵本の発行はこの『いのちいただきます』で八冊目となる。
「僕が教員として何か自分の核になるもの、何が出来るのかを考えた時、ひとつは日記や作文、詩などの作文教育でした。もうひとつが情操教育でしたから、読み物を通して子どもたちの心に響くものをと心がけてきました。そして子ども向けの作品であろうと、その作品を通して自分の感動をきちんと伝えていかなきゃいけないと思うんですね」
「子どもが成長していくときの通過点、やれなかったことが、ある時ふっとできるようになるという、成長の節目みたいなものがあるような気がするんです。『いのちいただきます』ではそれに至るプロセス、苦しみとか悲しみ、そういうものも含めて、人間が成長していくということを題材にして書きたかったんです」。
いわゆる団塊の世代の堀野さん。少年時代を過ごしたのは片田舎で、どこの家も貧しかった。ニワトリ、ウシ、ブタなどの家畜を飼う家は田舎だっただけに多かった。この絵本の主人公、真二も自分の少年時代がモデルだ。
「僕の家でも、祭りや祝いの時には、じいちゃんが飼ってるニワトリを、柿の木に逆さ吊りにぶら下げて、首をバシッとやって血抜きをして、ぐらぐら煮えている湯の中に入れて毛をむしって・・・そうやって庭で解体していました。自分で育てていたニワトリだけど、結局最後はさばいて食べる。僕はそういう行程を見て育ちました。だから、同じ鶏肉でも店で売っているものとは、愛着度が全然違うんやね。食卓にあがるまでの過程は全く違うから。いのちをダイレクトに感じるというんかね」。
「食べるという事は、人間の生命維持に必要なんだけど、食べられる側にも思いを馳せるというか、「動物の命」を感じながらいただく。そういう視点は大事なんじゃないかな。絵本の中で真二が、『じいちゃんはなんで平気でそんなことをするっ』て、すごく嘆く場面があるんですけど、その辺は真二の葛藤やね」と、自分の少年の時の思いがそこにあるようだ。
児童文学に取り組む一方で、堀野さんは地域の民話や伝説の発掘、監修、発表などにも関わり続けて来た。円空を題材にした絵本がきっかけになり、カルチャー教室で仲間と共に円空彫りを教えたりもする。彫った円空仏はこれまでに三百体を数える。
「教員仲間だった人の多くは定年を迎えても再雇用で学校現場で奮闘しているけど、僕は自分の好きな事だけやってる」と明るく笑うが、教員の現状に話しが及ぶとちょっと表情にかげりが見えた。
「今の教員は本当に大変。コンピューターのプログラミングや英語などいろいろ教えることが増えたし、子どもの不登校や家庭環境の変化による問題が山積していて、みんな疲れています」と仲間を気づかう。
伝記、戦争と平和、少年記・・・。堀野さんが出す絵本はどれも可愛らしさや楽しさとは離れたもの。しかし、実話が元であるからこそ、「心に伝わる何か」があるのだろう。人と人が関わって、気持ちをわかちあうことで人は成長する。堀野さんの絵本はそう語っているようだ。
ほりのしんきち○プロフィール
1949年岐阜県の長良川上流域に生まれ育つ。
日本児童文学者協会・日本リアリズム写真集団・岐阜県芸術文化会議・岐阜県歌人クラブ・岐阜創作集団コボたち・コボたち綴り方教室・草笛短歌会・岐阜円空仏を彫る会 等に所属し、創作活動に励む。
主な著書に「しろい鳥の八月」(あかり書房)・「広太はじめてのなつやすみ」(岩崎書店)・「恋坂」(文溪堂)・「少年期 青いアケビ」「お浪草」(洛西書院)・「円空〜その長い旅のはてに」「かっぱ淵の夏」「史郎ニイの戦争」「野球選手は南の海に散った〜近藤清の青春」(あとべの書房)など。岐阜県関市在住。