vol.187 ぎむきょーるーむ フクシマを見つめ続けた医師のお話

 

 

フクシマを見つめ続け た医師のお話
〜健やかなる 明日のために〜

小児科医師 山田 真氏

やまだまこと プロフィール
1941年6月22日岐阜県美濃市生まれ 小児科医。「父親は軍医。父親の転勤で福岡に移ったが、父はさらに満州に転属となり、母と子は美濃に戻り、以後そこで育った。岐阜県立岐阜高等学校卒、1967年東京大学医学部を卒業後、東京都八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所理事長。障害児の子ども(梅村涼)があり、この子の父親であり、小児科医でもある1人の人間として、世間の能力主義や優生思想に対して積極的に反対の意見表明を続けている。雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編集者の1人を勤めている。

11月25日(日)各務原中央ライフデザインセンターで
行われた、山田真さんの講演会。質疑応答では若い人の
切実な問題が浮き彫りにされました。以下要約です。

社会運動のきっかけとなった事件

私は小児科医ですが、フクシマの事故が起って何かしなきゃいけないだろうと思っていました。
1955年に起った森永ヒ素ミルク中毒事件。生まれて一歳にもならない赤ちゃんが、推定で2万人くらいがそのヒ素ミルクを飲んで、百数十人が亡くなくなりました。その被害者の人たちが一時はもう全員治ってなかったことにされそうだったのですが、14年目に大阪で一人の学校の先生が、後遺症で苦しんでいる人が今もたくさんいるということを報告されて、それ以降、森永への運動が始まりました。それが私の最初の公害や反対運動などに関わるきっかけでした。
フクシマには2011年6月に行ったのが最初でした。東京からフクシマにボランティアで行っていた女性から「フクシマの子どもたちの様子を診に来てほしい」と声かけがあって。各地に避難している人たち、特に自主避難をした人たちはほとんど情報が断たれ、フクシマがどうなっているかということが全くわからないという状態でした。私はフクシマに行く時には線量計を持って行きます。避難している人たちは、本当にどれくらいの線量があるのか知りたいけれど一般的に流されている情報はもう信じられないと。
子どもたちの健康状態を不安に思っている親さんは沢山います。福島市内のかかりつけの医者へ行っても「心配のしすぎ、何ともないよ」と言われ相手にしてもらえない。だけどそれで安心できる状態ではないので、「もう少し丁寧に診てもらいたい」というのが親さんたちの希望でした。最初は400人以上の人が相談に来ましたが、2回目の8月には激減して、30~40人くらいしか来ない。しかもなんかコソコソ来るという感じで、報道関係の人に来られたら困るとも言うんです。ものすごく強力な戒厳令状態というか、ものが言えない地域になっている事がわかり、これはここに来ないといけないと思ったんです。
当時フクシマの渡利地区の人たちが、「すごく線量が高いので強制避難地域に指定してほしい」と運動していました。渡利は、阿武隈川の対岸に福島市役所がある福島市の中心的なところ。そこが線量が高いという事になれば福島市全体が線量が高いという事で、20万人規模の人たちを避難させなければならない。同時に強制避難地域だと莫大な賠償金を払わなければいけないだろう、ということもありフクシマは完全に押さえられた状態だったと思います。土壌を調べても表面は減ってはいても染み込んだ深いところで測ればかなりの線量になると言われています。セシウムの半減期は30年くらい。そうするとチェルノブイリの時に飛んで来たセシウムでさえまだ日本に残っていることになります。学校も、グランドの真ん中の方はもう除染されてきれいになっていますが、そこでかき出した土は袋に詰めて校庭の周りに並べてある。プールも問題になりました。プールは水が大丈夫だからって解禁されましたが、実際はプールサイドのコンクリートの部分があぶない。お母さんたちが「せめてプールサイドを歩く時にはサンダルを履いて歩くようにしてほしい」と言っても、安全なんだからそういう余計なことは考えるなって話しです。今、特に福島市は復興に向けてのフェスティバルばかり。本当にものが言えない状態になっています。

これまで何が出来なかったのか、本当は何を知らなければいけないのか。

フクシマで甲状腺がんが増えているかどうかというには比較をしないといけない。これは時系列での比較と地域別の比較とがあります。例えば2005年の地域での甲状腺がんの発生率の資料があって、2011年以降の甲状腺がんの発生率と比較することで、どのくらい増えたかと言える。ところが甲状腺がんについては、今みたいな形で超音波、エコーを使っての調査はほとんどされてない。
私は東京で、フクシマから避難して来ている人たちの健康相談をしています。自主避難の人たちは特別辛い思いをしています。原発事故によって地域的な分断とか、家族間の分断とかいろんなことが起りました。特に自主避難の人たちについては、実際に非常に線量の高いところから逃げているにもかかわらず、一般的には本当は大したことないところから逃げたんだと思われて。フクシマに残ってる人たちも決して安心しているわけではないけど、「もうここに住むしかない」ということだったらいい情報の方を信じよう、悪い情報は考えないようにしよう、そうするしかもう生きていけない。だからもうお互い言わない事にしようっていう、そういう自主規制が働いている中で、逃げる人たちは困るわけですよね。お母さんは、子どもたちが住める状態じゃないと思って逃げようと思うが、じいちゃんばあちゃんは大した事ないんだから逃げる事ないんじゃないかって言う。その間に挟まったお父さんは何も言えない。嫁さんと子どもで避難をして、そうするとお父さんが甲斐性なしってことになるし、近所からもお前の力がないから逃げられたんじゃないか、と言われるわけで、非常に辛い思いをしています。
学校では、子どもたちがいじめられると言う例もたくさんありました。学校でもキチンとした放射能教育がされない。文科省が「放射能は怖くない」という副読本を作って学校に配ったこともありました。それに対して福島県の教職員組合がちゃんとした副読本を作ったんですが、ほとんど使われる事はありませんでした。実際に学校の先生たちに聞いてみても、文科省から配られたのを使わないことで抵抗をしているという事で、放射能については触れないというような形で終わってしまったようです。
で、これで終わりになってしまうとすると、私たちは一体何を学んで来たのかと思います。どうも私たちは原爆を受けた時から、一年に一度追悼式典みたいなものをやる、ということで忘れないと言うけれど、日常的に、あの被害を二度と起こさないという形では憶えて来なかったと思います。今回の事故についても二度と起こさないという話しにはなかなかなってこないというのが残念な事だと思いますね。

ちょっとヨウ素についてお話しします。

今日「安定ヨウ素剤」を持ってきましたのでお土産に差し上げたいと思います。これは甲状腺を守るためのものです。
ヨーロッパでは、みんなが買って家に備えておけるものですが、日本ではそうなっていません。
原発が壊れると100種類くらいの放射性物質が飛び出すといわれます。中でも一番多いのが放射性のセシウムと放射性のヨウ素。自然界にあるのは安定ヨウ素で毒性がなく、昆布などに含まれていて、私たちの体に入るとほとんどが甲状腺に吸収されます。ここでヨウ素を材料にして甲状腺ホルモンが作られます。だからヨウ素を取り入れる事は大事なんですね。ですが、原発が壊れると放射性のヨウ素がそこから飛び出してきます。これが空中や汚染された食べ物や飲み物から体に入ってきます。甲状腺が自然のヨウ素でいっぱいになっていると隙間がありませんから、放射性ヨウ素は甲状腺に入り込めません。ですが隙間があるとそこに放射性のヨウ素が入り込み、これがのちのち甲状腺がんや何かになることがありますから、とりあえずここを一杯にしておくということが大事です。
私はこの安定ヨウ素剤を財布に入れて持ち歩いています。今回の大震災の時、私も家に帰れなくて診療所に泊まりました。家に置いておくと肝心なときに役に立ちませんので持ち歩くしかありません。とにかく事故が起ったら指示を待ってないで、勝手に飲んじゃっていいです。副作用はゼロと言っていいです。
これは1回に大人が2錠、13歳以下は1錠飲みます。以前にレントゲンを撮るときにヨウ素剤を使って何か大きな副作用が起ったという人やめる。また、妊娠している人は気をつけてほしいですが、それ以外の人は飲んでも大丈夫です。本来はこんなものは使わなくてもいいように、原発がなくなるのが第一ですが、現実に稼働しているし福島第一原発は壊れた後も放射能は漏れ続けているのです。
自分たちを守る事と、行政に「風化させない事」を求める気持ちを含めてこれを持ち歩いてほしいし、いろんな地域で自主配布会ができるといいと思います。薬を配るのは医療行為だとかクレームがつくといけないので、私たち医者も何人かが立ち会って配布をしています。
小さい子どもが一番被害を受ける訳ですから、こういう話しの集まりには、子どもを持ったお父さんお母さんが来てくださるといいんですけどね。ただ、こういうお話会をやれば少し若い方にもわかってもらえるだろうし、私たちがいろいろやってきたことを引き継いでもらえることにもなると思うので、そんな事を考えていただければと思います。

質疑応答
Q:全国各地に保養プログラムと呼ばれる活動があります。先生はその保養というこについてどう思ってらっしゃいますか?
A:精神的なプラスみたいなものが非常に大きいと思います。放射能で被害を受けてということとは別に心が慰められる場所として保養を使ってらっしゃるということはあると思います。本当は国や東電がやるべきことを代わりにやってきたという感じがして、それはかえって国だとか東電を楽にさせたんじゃないか、本来やることをこっちが代わってやったわけですから、というすごく残念な思いありますが。
Q:今日はヨウ素剤をぜひ手にいれたくて来ました。この国は子どもは国の宝というものの大事な宝物の命を粗末にして、お金の方が大事な国なんだなってすごく思います。子どもの心のケアとか親ごさんたちの心の手当なんかはどんな情報があるのかなって先生にお聞きしたいです。
A:フクシマの事故だけではなくて、例えば学校で子どもが殺されたとか、いじめがあって自殺したとか、いろんなことがあるとわりとすぐ心のケアと言って心理の専門家なんかが行くんですが、あれはあんまりいいことかどうかわかりません。結局余計な事を考えない方がいいよ、という不安にならないようにするのがケアだと・・・。でも不安になるはしょうがないことです。心のケアはとても難しいです。東京都がメンタルをサポートしようと精神科医をフクシマに派遣しています。私の友人がそのリーダーになるからフクシマの話しを聞きたいというので私は話しをしました。そうして彼はフクシマに行ったんですが彼に相談した人に聞くと、彼はずっと泣いていたそうです。行って何も言えないでフクシマの人たちの話しを聞いて泣いていた。泣くしかないんだな、と思いました。彼には「われわれが出来る事はできれば彼らがそこに住まなくてもいい状態になれるように頑張る事で、なんか医療の領域ではないんじゃないか」言ったんですけど。私たちができることは一緒に泣く事しかないのかなって思ってます。





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