vol.187 ホスピスナース奮戦記 vol.12

人生の終焉をどうしたいか・・・

とても寒い秋の日。この日一件目の訪問はステージ4がんの60代後半の患者さんだった。彼女は韓国人で英語はほぼしゃべれずアパートに一人で住んでいる。この時は違う州に住む娘さんが泊まり込みでサポートにきていた。電話通訳と娘さんにも手伝ってもらい患者さんと会話をする。 患者さんの右側の額はパンパンに膨れ上がって紫色になっていた。話をきくと、今朝一人で外を散歩していて転んでしまったらしい。他にも体中にあざがいくつかあり、手のひらにも擦り傷があった。見るからに痛々しかったが、本人は処方されている痛み止めで十分と言い張った。体中に浮腫みも出ていて、よく歩行器も杖も無しで一人で散歩に行けたなぁと思うほどだった。話を聞くと、これ以上一人での生活はできないこととホスピスケアを受けていることもあり、娘さん家族と一緒にすむために引っ越しを考えていたそう。引っ越しをするには、長時間の車での移動か飛行機に乗らねばならず、それに耐えられるくらいの状態にはしておきたいとの思いで、リハビリをかね散歩にでかけたと話してくれた。最近病状も安定していていよいよ引っ越しが実現させられそうだったから、余計に張り切って体力をつけようと思ったそう。その矢先の転倒。「大丈夫」「痛みもない、どこも痛くない」「今また入院するわけにはいかない」「病院にもクリニックにも行きたくない」と繰り返し、どうしても引っ越しをして娘家族と一緒に住みたいという思いがひしひしと伝わってきた。
患者さんの飲んでいる薬の中に一つ血液を固まりにくくするものがあり、どう対応するかで困った。実はすでに左足に血栓があり、そのために飲んでいたものだが転んでしまった今、万が一脳内や他の臓器で出血があった場合とてもよくない。意識もはっきりしているし、頭痛や吐き気などもなくバイタルサインも患者さんの平均値だったので、現時点では大丈夫だろう。しかし「病院にも医者にも行きたくない」と言い張るのでどうしようもない。主治医に電話すると、「今すぐ病院に連れてこい」とすごい剣幕で怒られてしまった。でも患者さんが拒否している以上それもできない。その旨を伝え、薬をどうするか聞くと「検査しなきゃ判断できるわけがないでしょう!私の指示に従えないならホスピスケアの医者に任せる!」と言って電話を切られてしまった。患者さんは、長年みてもらってきたこの韓国人の主治医にNYにいる間は最後までケアを任せたいと切望した。主治医をホスピス専属のアメリカ人医師に変えるのも嫌だと。そりゃあ言葉も文化もまったく違う医師よりは、言葉も通じる同じ国出身の医師に最後まで診てもらいたいと思うのは当然だと思った。今まで築いてきた信頼関係や安心感に雲泥の差があるのは言うまでもない。問題なのは、患者さんの主治医は在宅ホスピスケアの概念というか知識、理解がなさそうなことだった。自分の主治医が「ホスピスケアならもう自分のところでは診られない」と言い出すものだから、患者さんは見放されたような気持ちになってしまう。安心感がものすごく重要な医療の現場で、この対応には正直私自身も動揺した。安心感も患者さんの尊厳もあったもんじゃない。
在宅でのホスピスケアはそこが難しい。この後、ホスピス専属の医師に電話で指示を仰ぐと、今日明日は薬を止めて在宅での血液検査をして、それから決めようということになった。もちろん、薬を一旦止めることで血栓が原因で死にいたるリスクもあり、万が一目に見えない臓器で出血している場合には薬をとり続けることで死にいたるリスクもあり、難しい判断ではある。それを患者さんにも説明したが、患者さんは依然として在宅を望んだ。そしてできるだけ早いうちに家族と一緒に住みたいと繰り返した。
そうだよね、家族と一緒にいたいよね、一人じゃ寂しいよね、一人で死にたくないよね。この患者さんは、毎日一人でご飯をたべて、時間を過ごし、自分の身体の痛みや変わりゆく状態、死という未体験に向き合っている。それはとても辛いことなのだ。娘や孫がいる中で暮らせたら、気持ち的にもどんなに楽だろう。患者さんにとってどんなに有意義な時間になるだろう。たとえ長年住み慣れた街や友達から離れる事になっても、今患者さんが一番望むのは家族の存在。私はぜひこの引っ越しを実現させたいと強く思った。そんな一心で担当チームへのレポートを書く。
わがままとは違う、その人が望む安心やささやかな幸せはその人が決めていい。そしてそれは人と違っていいし、違って当たり前なんだ。社会や医療や文化やいろいろなものが、「こうでなければならない」となりがちだけど、結果がどうなっても本人が自ら望んで納得して決めたことであればどんな選択をしてもきっと後悔はないのでは。その選択が現実的に可能かどうかはまた別問題ではあるけれど。周りがどこまでサポートできるか、それがこっちの仕事だ。そんなことを考えながら患者さんのアパートを後にした。

 

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。





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