人の終末期に思うこと
病棟勤務のとき、受け持ちの患者さんをみていて、「あぁ、ホスピスケアか緩和ケアに切り替えて自宅に帰れたらいいのに」と思うことがよくあった。穏やかでより自然な最期を迎えられるだろうなと思ってしまうから。でも、いろんな事情で在宅のホスピスケアが受けられない人もたくさんいる。ホスピスケアや在宅での緩和ケアのことをよく知らない人、在宅でのサポートをしてくれる家族がいない人、家族がいてもサポートができない場合、病院や施設の方が安心する人、家族に迷惑かけたくないという人、家族との意見が合わない人など実に様々。自己決定能力のない人、アメリカでは保険の有無でホスピスが受けられない場合もある。
これは仲間の看護師が勤務する病棟での出来事。その日彼女は94歳のアルツハイマーの患者さんを受け持っていた。感染症で入院して危うく敗血症で命を失いかけたものの一命は取り止めたが、いくつかの臓器の機能低下が著しくて、予後もあまり良さそうではなかった。食事はほとんど自力では取れないし、口元に運んでもほとんど口を開けようとしなかった。それでも、その患者さんがまとう雰囲気というか、なんとなく発している空気感が、とても穏やかだったそう。
このまま一般の病棟にいる以上、毎日の採血でいろんな数値に対応するだけになって治療というよりは、毎日上下する数値を許容範囲に戻すためだけの薬や点滴を続けるだけ。食事もとれていないから、家族が一般的な治療を望めば、鼻からチューブを胃に入れる経管栄養とか、心臓に直接つながる大きな静脈にカテーテルを入れて栄養を点滴でいれるとか、胃瘻とか・・・になる。もし意識低下や心肺停止が起こったときには、気管挿管して人工呼吸器につないだり、心臓マッサージをして心臓をふたたび動かすための薬を大量に投与したり・・・になる。一般的な治療を続けた場合、いろんなものが数値化されて可視化される。異常が数字や映像で認められた以上、それに対応することになる。たとえそれが患者さんに苦痛を与えることになってもだ。患者さんが穏やかに過ごせる状態につながらないとわかっていてもだ。そのため、主治医は早い時点で、緩和ケアへの切り替えを提案した。このままゆっくりと衰弱していくのは予想できたし、安定している間に家族のいる自宅に帰り、できるだけ穏やかに毎日を過ごせたほうが患者さんにはベストだろうということだった。どう死を迎えるかは、その瞬間までをどう過ごすか、どう生きるか、本当にそれに尽きる。
患者さんはアルツハイマーの症状に加え、現時点では意思疎通も難しいため自己決定能力がないと判断され、主治医は家族にDNR(do not resuscitate: 蘇生措置拒否)の話し合いを持ちかけた。それと同時に在宅でのホスピスケアへの切り替えも提案した。でも、家族は渋った。理由は宗教上の理由だった。どんな状態であろうと今できる医療行為は全部すると言った。もちろんDNRのサインも拒否した。ホスピスではく病院内の緩和ケア病棟への移行も拒否したため、日をあらためもう一度話し合いをすることになった。まさにその夕方。患者さんの容態が急変して、なんと心肺停止状態になったのだ。その日は私の仲間が担当看護師だった。彼女は、脈が無い事と呼吸をしていない事を確認して心肺蘇生を始めた。やせ細った胸を何度も押す、何度か骨の折れる感覚がしたそう。チームが駆けつけて心臓マッサージを交代し、あらためて目の前の患者さんをみつめた時、正直、「お願い、もう一度こっちに帰ってきて!」ではなく、「こんなに痛い思いをさせてごめんなさい」と思ったそうだ。これで再び心臓が動いても、この94歳のかわいいおばあちゃんは、しばらく胸骨か肋骨かが折れたままいろんな管につながれて人工呼吸器で息をすることになる。患者さんはどんな風に感じていたのだろう。家族はそんな姿のおばあちゃんをみて、どんなふうに思ったのだろう。この患者さん、なんとこのあと一命をとりとめて、ICUで治療が続けられた。数日後、残念ながら人工呼吸器につながれたまま意識のない状態となってしまい、それから数日後に、ICUで亡くなった。
前にどこかで、「肉体の死を迎え魂が体を離れる瞬間を現代の医療が邪魔することがある」と聞いたことがある。もしかしたら、この患者さんは死を迎えるタイミングに、うまく魂と体が離れられなかったのでは・・・と思ってしまった。それとも、心臓が再び動いてICUにいた数日間に、家族に伝えたいことを身をもって伝えたのだろうか。もちろんこの患者さんにとっては、これが最良だったのかもしれないし計画通りだったのかもしれない。それぞれのストーリー、それぞれの死。自分にとって何が自然かは、人それぞれ。結局は、自分の心と体と魂の全部が納得する生き方が、不必要な苦しみや矛盾のないその人らしい死に方につながるのかなぁと考えている。
わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。