vol.184 ぎむきょーるーむ 発達障がい大人が変われば「薬」はいらない!?

大人にとって「便利なもの」だから・・・・・・・・・・ 嶋田 和子
学校と医療がつながる理由

教師が手に負えない子は精神科医に

学校・医療者・薬がつながるのはなぜなのか?この疑問に答えるのは案外、カンタンかもしれません。
発達障がい、ときにADHD(注意欠陥・多動性障害)に使われる薬が、学校の先生や医療者、保護者、本人、そのほか本人をとりまく周囲の人たちにとって、たいへん「便利なもの」だからです。
飲めばある程度の、目に見える効果が得られると感じている人が多いわけです。多動が治まったり(治まったように見えたり)、勉強に集中できたり(できたように見えたり)、要するに子どもの言動に変化を及ぼすことができる(と思われる)薬なのです。
私はフリーのライターとして精神医療問題をテーマに、この7年いろいろ取材を重ねてきましたが、発達障がい、ときにADHDの対する投薬は、これまでの精神医療分野で問題になってきた多剤大量処方の問題とはまた別の側面があると感じています。
それは、集団にうまくなじめない子どもを、病気、障がいという概念を飛び越えて、その便利な薬によってなんとかしようとする大人の側の論理の存在です。
最近、「連携」ということが盛んにいわれるようになりました。学校と精神医療の連携です。一昨年の日本精神神経医学会において、そのシンポジウムに招かれた現役の中学校教師二人が、「学校現場は精神科医の助けをもとめている」とラブコールを送ったことは、私にはたいへんな驚きでした。教師では手に負えない子どもたちを精神科医にゆだねたいという、なんとも露骨な主張に、「教育の放棄である」として出席した先生たちに抗議文を送りましたが、いまなお、なしのつぶてです。

窮屈な教育現場の中で

しかし、私には驚きでしたが、現実の学校現場ではすでにそういうところにまで行ってしまっているのかもしれません。
スクールカウンセラーやソーシャルワーカーは、学校と精神医療をつなぐパイプ役になっているという話も聞きます。
それはある意味で、手のかかる子どもを教室から「排除」する役割も担っています。「排除」のために、発達障がい概念は大変便利であり、薬は手っ取り早い
手段なのです。
薬を飲めばなんとかなる。薬が解決してくれる。病気、障がいには薬は必要である・・・・・・。
発達障がいは服薬することで本人も楽になると言う考え方も広まっています。
「薬を出すこと以外できることはない」といった児童精神科医もいます。先日話を聞いた小学校の先生は「薬に疑問を抱いている教師は、ほとんどいません」といっていました。
社会全体がこの薬の「依存」に陥っているのです。
もちろん、こうした背景には、現代の教育現場の窮屈さもあるでしょう。クラスで起こったことはすべて担任の責任となれば、薬を飲んでもらって未然に「事件」を防ぎたいと考える先生がいたとしても不思議ではありません。校長の評価が気になったり、保護者の意見が気になったり・・・・・・その板挟みで学校の先生は「薬依存」に陥っていくのでしょう。
一クラスの人数が多すぎて、一人ひとりにかかわる余裕がないという事情もあるようです。書類仕事が多すぎるという意見も聞きます。そういう現実的な大人の側の問題の陰で、子どもが薬を飲むことになるとしたら、やはりその服薬はけっしてその子のためではない。
私はこの7月、『発達障害の薬物療法を考える』(彩流社)という本を出版しました。本を書くにあたってあるスクールソーシャルワーカーを取材し、本書の中で「闘うスクールソーシャルワーカー」として紹介しています。彼女はみずから子どもを医療につなげたことは一度もないといいます。
「発達障がいに精神科医はいらないです」といいきった彼女の言葉が印象的でした。「発達障がいは精神の問題じゃない。”発達“なのだから、かかわり方でよくなっていきます」。

子どもたちを医療に手渡す前に
前出、小学校の先生から聞いた話です。いつも人のものを取っては走って逃げる男の子がいました。先生も同級生も彼を追いかけ、取り返そうと躍起になりましたが、彼とずっとクラスがいっしょだった女の子がポツリといったそうです。「あーあ、ほっとけば、すぐに返してくれるのに」。
子どもたちは多様性の中で成長します。一方、障害児と健常児がいっしょに学ぶインクルージョンではない特別支援教育は「排除」の教育です。
多動ということで薬を飲ませて、その子がじっと椅子に座っていられることがそれほど重要なことでしょうか。薬を飲んでおちついたから、それで問題解決とばかりに、先生や周囲の大人がその子に対して丁寧にかかわることをやめてしまったら、その子にそのあと、どんな心の成長があるのでしょうか。あるいは、だからこそ、薬をやめることができないまま、延々と飲みつづけることになるのかもしれません。
連携という名のもとに教育現場が「医療化」することの“おかしさ”を、いま一度考え直してみる必要があります。子どもたちを医療に手渡す前に、学校の先生だけでなく、私たち大人の側も、できることはまだまだたくさんあるはずです。

しまだ・かずこ
フリーライター 2010年にブログ「精神医療の真実」を立ち上げ、精神医療の被害を中心に取材・執筆を続ける。著書に『ルポ 精神医療につながれる子どもたち』『発達障がいの薬物療法を考える』(彩流社)、『精神医療の現実・・・・・・処方薬依存からの再生の物語』(萬書房)

ジャパンマシニスト社 おそい・はやい・ひくい・たかいNo.99より





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