vol.184 ホスピスナース奮戦記 vol.9

緩和ケアのむずかしさ
今日の一件目の訪問は、40代後半の女性だった。膵臓がんの末期。ベッドに横たわるその患者さんは、体中の脂肪も筋肉もすべて失ってしまったように痩せていた。肌の色は、黄疸もあって灰色がかった黄色をしていた。意識はもうろうとしていて、時折、おおきなうなり声をあげている。時々かろうじてうなずくだけの反応が確認できたが、もう意志疎通は難しかった。顔は苦しそうな表情をしていて、頻繁に寝返りを打っている。とても安らかな様子ではない。ベッドの脇には中学生くらいの息子さんと夫がいた。夫は、「妻は、朝からずっと痛み止めが効かなくてうなっている。痛みで落ち着かない。どうか痛み止めの量をあげて、楽にさせてあげてくれ」と言った。もう昨日から尿もでていないし、何も口にしない。家族の覚悟はできているという。
痛みや不安感の緩和は、ホスピスケアの中でも最優先事項。ただ私は訪問前に読んだ、前日に担当看護師の書いた記録がすごく気にかかっていた。そこには、患者さん本人から担当看護師に、「多少痛みがあってもかまわないから、痛み止めを減らしてほしい。痛み止めで意識が朦朧としたり、眠くなったりするのを極力抑えたい。痛みがあってもいいから、自分の息子としっかりした意識で会話できるように痛み止めを減らしてほしい。」と頼んだ様子が記録されていたのだ。
私は、ここでとても迷ってしまった。この状態で痛み止めの量を増やせば、たぶんきっとこの患者さんはこのまま意識がはっきりと戻らずに死を迎えるだろうと予測された。今ならかろうじてうなずいたりできる。
 私は、この家族を知らない、私はこの患者を知らない、彼女はどれだけ息子さんと会話できたのだろうか。昨日の夜からどれだけの痛みを抱えているのだろうか、またどれだけのことを伝えたのだろうか。家族に患者さん本人の希望で前日から痛み止めの量を減らしたことを伝えても、もうそれどころではなかった。患者さんの苦しそうな姿をみていると家族はいてもたってもいられない。そばにいる息子さんは、現実をみないようにしているのか、訪問中はずっとうつむいてゲームをしていた。今にも死にそうな変わり果てたお母さんの姿を前に、彼なりに踏ん張っているんだろう。本当は、ものすごく患者さんに聞きたかった。ちゃんと息子さんに伝えたいことを伝えられましたか?
今となっては本人にしかわからない。それができずに痛みだけに耐えていたら、と思うと心が痛んだ。また、そんなお母さんの姿をみているこの12歳の息子さんのことを思うとさらに心が痛んだ。この患者さんは現時点ですでにバイタルサインだけみても死が近いことが予測できたし、すでに相当量の痛み止めを必要としていたから、現時点で痛みのコントロールをしてなおかつ会話のできるような状態まで意識を戻せることはないだとうと思った。夫も他の親族もいよいよ最後だと言った。
私は、言葉だけがコミュニケーションではない、きっとこの患者さんは最期まで息子さんへ愛をこめていろんなメッセージをおくっているはずだ、と自分に言い聞かせて、痛み止めの量をあげる指示をもらった。パッチの痛み止めも張り替えて、必要な時に痛みや苦しそうなレベルに合わせてあげられる経口の痛み止めもあげて、新しい分量を家族にも説明した。帰る前に息子さんにもお別れをいったら、やっぱり黙ってじっとゲームの画面を見つめていた。
母親であり、妻であり、姉である患者さん、でもやっぱり自分の子供のことを一番考えていたのだろうと思う。この患者さんは、次の日に亡くなった。どうか、患者さんのメッセージが息子さんへ伝わっていますように。

 

わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。