一人で死と向き合う
まだまだ寒い日の夕方。この日の最初の訪問は70代後半のうっ血性心不全を患っている男性。家族や親族がおらず大きな家に一人暮らしだった。一人暮らしでホスピスのサービスを受けるのは正直とても大変だ。肉体の死が近づく過程の在宅ケアというのは、身近に介護やケアできる人の存在なしでは難しい時がたくさんある。一人暮らしでも最期まで家にいたいという人はたくさんみえる。
到着する前の電話では息があがっているもののはっきりした声だった。ドアを開け患者さんに挨拶すると、かっぷくのいい「陽気なおじさん」というような雰囲気で家に迎えてくれた。かなり体重がありそうで、酸素用のチューブがほほにくいこんでいる。長くしゃべったり少しの動作で息切れしてしまうため、ほぼ24時間酸素が必要な状態だった。歩行車を使って屋内を移動するが、酸素の機械は大きいため部屋の片隅においてある。ベッドからキッチンまですべての行動範囲で酸素が届くように、延長用のチューブを長くつなげていた。このチューブが歩行車や足に何度もからまりそうになってその度にひやひやした。患者さんが一人の時に転んでしまったら、危険だなぁと思っていたら、昨日転んだばかりだという!幸いご近所さんが気づいて救急車を呼び、救急隊員に体を床からベッドまで持ち上げてもらってなんとかなったらしい。
ご近所に住む仲のいい知人男性が、一応のケアを受け持っているようだったが、限界があるように感じた。今回は、足のむくみが急に悪化したことに関しての訪問だった。たしかに両足が象の足のようにむくんでいた。尿はでているようだったので、医師の指示で、利尿薬の量を増やして様子をみることにしたが薬の管理も週一回の訪問看護師に任せているため、自分ではできない。増やした量の薬を一週間分に分けて薬の容器にいれた。それから、寝る時もテレビを見る時も足を高くしてみるように提案。ベッドを確認すると、ベッドの頭には5,6個の枕が置いてあった。背中に枕を積んでほぼ座っているような状態にしないと、息苦しくて眠れないのだそう。うっ血性心不全にはとても多い症状だけど、そういった枕を背中に入れるということさえ一人では相当難しい。息苦しさが増せば、緩和のために舌下投与のモルヒネを口からとることもできるが、一人きりで、窒息しそうな苦しさの時、ちゃんと緩和ができるんだろうか。この患者さんの一日一日を考えればかんがえるほど、サポートが足りてない・・・。
そうこうしているうちに、患者さんが一枚の写真をみせてくれた。かわいい目をしたグレーの大型犬とこの患者さんが一緒に写っていた。でも、この日の朝にこの愛犬とお別れしたことを教えてくれた。ラブラドールとピットブルのミックスの成犬。7年寄り添った家族のような存在だったけど、もう世話もしてあげられないし、自分ももうすぐ死ぬかもしれないからね、と寂しそうにいった。でももらってくれた人はとてもいい人達で、きっと幸せにしてくれると思うといって涙目で笑った。私ももらい泣き。本当は愛犬と最後まで一緒に居たかっただろうなぁ、こんな時だからこそたった一匹でも家族としてそばに居てほしかっただろうなぁって思った。今、この人は本当にひとりぼっちなんだなぁ。もちろん目には見えない次元ではたくさんのサポートがあるかもしれないけど、手に触れられる、肉体としてお互いの存在が感じあえるものが、いなくなちゃった。今はかろうじて身の回りのことができているから、陽気にふるまっているけれど、ふとした瞬間にどんなに寂しい思いをしていることだろう。息苦しい瞬間にどんなに怖い思いをしていることだろう。
帰り道、運転手さんとは一言もしゃべらず必死でパソコンをたたいた。ソーシャルワーカーにも担当看護師にも、安全面で日中のサポートを増やすことをお願いした。また、本人さえ了承すれば、病棟でのホスピスケアのほうが症状の緩和も安全面や衛生面でも良いのではないかとメールした。ご近所さんにもできることの限界がある。午前中4時間だけ週3でヘルパーさんが来てくれても、やっぱりできることの限界がある。
2週間もたたないうちに、この患者さんはまた転んでしまい容態は悪化、この時点ではほぼ意識もなくホスピス病棟に移ったが数日後には死んでしまった。あの時、もっと何かできていたのではないか。もっと安らかな状態で最期を迎えることはできなかっただろうか。自責の念と共に、またしても一人暮らしのホスピスケアの難しさを痛感した。
わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。