最終回 ホリスティック医療を求めて・・・
6月末、3年と9か月お世話になったこの病院を辞めることにした。振り返れば、看護師として本当に濃くて厚みのある時間を過ごせたと思う。私生活は仕事での疲れが濃く出てしまう、ちょっとしんどい4年間にはなってしまったけど。
うちはこの病院で働けて本当に良かったと思う。
公立病院だけあって、私立と比べると全然お給料も違うし、設備や薬まで限られたものしか使えなかった。それでも、この病院に集まる100を超える多民族多国籍の人々のおかげで、今日までやってこれた。
ずっと国際協力の分野での仕事を夢みた自分にとっては、世界で一番多くの民族が集まるこの地域で、病院という場ではあるけれど、いろいろな境遇の人々の人生の一コマになれたことは、一つ自分の夢をかなえられたのかなと思う。
貧困や暴力が理由で祖国を逃げるように国境を越えてきた人たち、違法でも毎日朝から晩まで休みなく働いて働いて家族にお金を仕送りするために国境を越えてきた人たち、政治難民として渡ってきた人たち、より自由な暮らしをもとめて移住してきた人たち、多くの人が祖国に自由に帰れないという現実とともに毎日を懸命に生きている。多くの人は英語がしゃべれなかったりするのだけど、それもまたここで働く一つの醍醐味でもあった。
看護する側は、意志疎通ができないとほんとに大変!痛いのか、どうしてほしいのか、通訳電話を使って説明しなきゃいけないのに、忙しいとどうしても無理やりにでも身振り手振りで会話を突き通してしまうことも。
でも不思議と伝わっちゃう。顔の表情はどこの国の人も一緒だしね。英語のわかる家族がいるとそれはそれは助かる。そんな中でもスペイン語圏の患者さんはものすごく多くて、うちもスペイン語がけっこうわかるようになってきた。
勤めていた病棟のへんちくりんな構成のおかげで、いろいろな患者さんや家族に出会うことができた。
一般の外科の患者さんから、集中治療室からでたばかりの不安定な患者さんから、ホスピスの患者さんまで、本当にいろいろ。その中でもホスピスは、自分にとっては特別な場所だった。死が悲しいばかりではないということを学んだのもここ。人の死が自然なことなんだと思えるようになったのもここ。死にゆくものの意志や、家族の思いの強さが、最期のときにこんなにも影響するものなんだと知ったのもここ。この先もホスピスや緩和ケアを中心に在宅・地域医療で看護に関われたらと思う。それから、西洋医学と並行してホリスティックな見方のできる医療も勉強したいと思う。
何のために医療があるかというと、みんな一人ひとりが生き生きと毎日過ごせるようになるため。一人ひとりが人間らしく最期を迎えるため。病気を予防して、健康を維持するため・・・。
人が元気になれるためならいろいろな手法を取り入れるべきだと思う。そういう意味で、心・体・精神全部をひっくるめて人をみるホリスティックメディシンというのはとても魅力的。そもそも日本人はこういうことを昔からやってきたはず。神仏があり、祭があり、お盆があり、魂やご先祖様や精霊とつながってきた。針・灸・あんま などなどうまく総合的に組み合わせて使えれば、世界でもすごいいい医療が確立できるんやないかと思う。また食事をみても今の時代が学ぶべきことはやまほどある。
あと医療従事者と患者の関係も変わるといいなと思う。本来は医療を受ける側が主導権を握るべきで、医者や病院が儲けるための医療であってはならない。研究や論文のための医療であってはならない。患者さんには、知る権利、考える権利、拒否する権利がある。その人の体はたぶんきっとその人が一番よく知っている。どうしたいかも本人が決められるなら、決めた方がいい。家族に相談したいならすればいいし、家族にゆだねたいならそうしてもいい。知りたくないと思うなら知らないままでもいい。もちろん、この医者にすべてまかせたいと思えるならそれでいい。ただ、どんな状況であっても本人が決めたことであるのが、一番大事。西洋医学が必要な場面もいっぱいあるし、それだけでは説明のできないこともいっぱいある。
「命」はまだまだ未知でいっぱい。だからこそ、奇跡も起こるべきして起こるし、生命の神秘に心揺さぶられることもある。
この先、うちの人生どうなっていくかまだはっきり見えない状態やけど、これからは自分のケアもちゃんとできるようなって、信念ある、ぶれない自分をつくっていきたいと思う。そのうえでまた、看護師として毎日の一期一会に笑ったり泣いたりしながら、丁寧に出会いや時間を重ねていきたいと思う。
まいまいの看護師どたばた奮戦記 番外編
その人は40代だったけど、重度の発達障がいで体もちっちゃくて手足もかなり不自由だった。知能もたぶん小学低学年くらいやと思う。しゃべるのもちょっと聞き取りずらくて、でもちゃんと目をみて話ができて、そのうえかなりイエスノーがはっきりしてて意志疎通がしやすく助かった。
その人は絶対に人の助けがないと生きていけない体。
きっと多くの人が体験するような人生は送ってこれなかったろうし、この先も発達障がいからくる体調の変化や、障がいによって引き起こされてしまう病気で苦しむと思う。
でも、彼はほぼ天使だった。
彼の笑顔はこっちまで元気にしてくれるような・・・
話しかけるたびに、「痛みある?」ってきくたびに、顔いっぱいの表情で答えてくれた。忙しくて顔がひきつってるときに、彼の笑顔に何度救われたことか。
退院のとき、車いすに押されて出ていきながら、おなかのなかから体いっぱいの声を出して、
バァーイ!バァーイ!バァ~~~イ!って
何度も何度も手をふりながら、病棟のみんなに笑顔でさよならして出ていった。
これには不愛想な医療トランスポーターのごっついおにいちゃんもおもわずほほえましい顔になってた。
ほんと、天使だって思った、
天使ってホントに地上にもおるんやなって。
忘れっぽい天使 パウル・クレー