いちばん賢い臓器は、脳ではなく腸
人間の脳細胞の数は数千億個のスケールで、日々、私たちが使っている細胞はわずか10%といいます。脳が秘めた潜在能力はまさに無尽蔵であり、脳の中に張り巡らされた神経系は高レベルで進化し、多様性にあふれているといえます。しかし、生物の進化をみると、最初に神経系が誕生したのは脳ではなく【腸である】という意外な事実が明らかになっています。
生命や細胞の長い歴史の中で、最初に特殊化した細胞がニューロンです。ニューロンは神経系を構成する細胞で、情報の処理や伝達に関わる重要な役割を担っています。いわば「知」に特化した特徴を有し、人間の場合には、円滑なコミュニケーションをやりとりする上で欠かせない、最も重要な神経系の細胞といえます。そのニューロンが生物史上で最初に出現したのはヒドラ、イソギンチャク、クラゲ、サンゴなどの腔腸動物の腸の中でした。腔腸動物は腸が脳の役割を果たしているのですが、それは腸が脳の「原型」であることを物語っています。
脳は腸から進化してできた
ここで「最初に腸ありき」を理解してもらうためにも、ごく簡単に進化の話しをします。動物は腔腸動物を基にして、2種類の系統に分かれて進化しました。一つは昆虫を頂点とした「腹側神経系動物」で、もう一つは脳を有するほ乳類を頂点とした「背側神経系動物」です。一方、腔腸動物から背側神経系動物の進化した動物は「後口動物」。最初のステップとしてウニ、ナマコ、ヒトデといった無脊椎動物の棘皮動物から始まります。そして、背側神経系動物の頂点に立つほ乳類、さらにそのトップの座に君臨する私たちヒトの大脳皮質の発達した脳にたどり着くのです。
動物の脳の進化をふりかえってみると、間違いなくいえることは【最初に腸ありき】ということです。脳は腸から進化してできたものであり、私たちヒトの脳もそのルーツは腸にあったのです。
腸は有害物質を下痢で体外に排出する
人命を奪ってしまうような細菌やウイルスが含まれた食品を口にするとき、脳はそれが安全かの判断がまったくできません。食中毒を起こす菌が含まれていても「食べていい」というシグナルを出してしまいます。有害な食物などが腸に入ってくると、腸は大量の液体を分泌して下痢を起こさせます。その有害度が高ければ、下痢にとどまらず嘔吐の指令も出します。下痢や嘔吐は生態としての優れた防御反応であり、腸がこの指令を出さなければ人間は生命を維持できないと言っても過言ではないのです。
腸が嫌うことは、脳も嫌う
ここ数年、臓器移植の話題が多いのですが、たとえ脳死状態になっても腸はその後も機能し続けることができます。反対に、腸の機能が停止してしまったら人間は自力で生きていくことは不可能であり、当然脳も停止してしまいます。
これに加えて、知能の面でも「腸脳」に軍配が上がります。いまだに腸は消化・吸収を目的としているととらえがちですが、人間の感情や気持ちを決定する、神経伝達物質の多くは腸で作られているのです。「腹が煮えくりかえる」「断腸の思い」「腹をくくる」「腹を探る」など、人の気持ちやこころと腸や腹を関係づけた表現が多いのは脳と腸の関係が影響していると考えられます。
こうしてみると、「第二の脳」である「腸脳」からドーパミンやセロトニンといった「幸せ物質」がつくられていることがあたりまえのように思えてきます。
「腸は第二の脳である」。したがって、脳がたのしくなることなら腸内細菌は活発になり、「幸せ物質」もどんどん脳に送られていくのです。腸はそれくらい、優秀で頼もしい器官なのです。
腸の動きが停滞すると、脳は老化してしまう
ストレスという言葉には「ストレス解消」という言葉もついてきます。単に脳を休め、リフレッシュさせるだけの「ストレス解消法」では十分ではありません。むしろ、脳に「幸せ物質」をはじめとする重要な神経伝達物質を送っている腸にこそ、適切かつ迅速な「ストレス解消法」を実行していただきたい。そうすれば脳に「幸せ物資」が満ち足りて、ハッピーな気分になれることは間違いないですから。
セロトニンが増えれば、たちまち脳はスッキリ
腸内にはセロトニン、ドーパミンという「幸せ物質」が存在しています。それが脳に伝わることで、私たちは前向きでハッピーな気分になれるのですが、ストレスにより、「幸せ物質」の流れが阻害されるのですから、ストレス恐るべし、です。
さまざまな研究などによって、いまの日本人にとって“現代病”といってもいいくらい増えているうつ病も、脳内にセロトニンの量が少なくなってくると発症することがわかっています。その反対に「幸せ物質」であるセロトニンが増えてくると、脳はすっきりし、幸せな気持ちで満たされてくるのです。
進化の過程の中で、セロトニンは腔腸動物の腸の中で神経伝達物質の中心的な役割を果たしてきましたが、人間の体の中では大半が腸で合成されています。セロトニンも、もともとは腸内細菌間の伝達物質の一つで、人間の精神活動に深く関与し、ドーパミンとともに私たちの「幸せ度」「健康度」を大きく左右している重要物質なのです。そして、それらの「幸せ物質」に大きく関わっていたのが、まさに腸内細菌の働きだったのです。
Column
腸内細菌はフェイクニュースを嫌がっている?
虚偽の情報を伝えるためにインターネット上で発信されたフェイクニュース。この「デマ情報」に関する医学的な調査が発表され話題となっている。腸内細菌研究の第一人者・スタマック教授に聞いた、人間の身体が発するもうひとつの声とは・・・
「この研究は、人間が備えている直感を証明することになりました。直感を英語で“gut feeling”(腹の感情)と表現しますが、まさにその通りだった」腸内細菌に関する研究の実績で知られるオランダのヒーダ大学医学部教授のジョン・スタマック氏。
人間の腸内で活動している細菌は、外部の情報をインプットされると敏感に反応することで知られているが、フェイクニュースに対しては特徴的な反応を示した。これまでのいかなる情報よりも、腸内細菌はそれを「嫌悪」しているというのです。
「瞑想やクラシック音楽が、腸内細菌に対して良好な影響を与えることは、これまでも知られていました。彼らは、明らかに外部の情報に対する好みがあり、『好き』な情報を宿主が得ると活動が活発化し、フェイクニュースに対しては、人間でいえば自殺に近い動きを取りはじめる個体も存在していたくらいだ。」
2017年の1月に183人を対象に行われた実験で、被験者は大手メディアの「信頼すべきニュース」といわゆる「フェイクニュース」をランダムに与えられ、それぞれに対して真偽を判定したのち、腸内細菌の状態を計測するという作業を繰り返した。すると、ニュースの真偽を被験者がどう判断したかとは相関なく、フェイクニュースを与えられた人の腸内細菌は、例外なく活動が大きく弱まった。
人間はいかなる情報も自分の文脈でしか捉えることはできないが、われわれの『腹』はおどろくほど客観的かつ冷静に、目の前の情報に対して反応していたのです。
ただ、実際の社会について何も知らないだろう腸内細菌が真偽を判断するという事実に、正直腹落ちしないという人も少なくはないだろう。「腸内細菌には個性があり、宿主により大きく異なります。それでも、フェイクニュースについては明確な『嫌悪』がみられたというのが、今回の研究からわかったこと。それ以上のメカニズムについては、まだ謎と言わざるを得ません。もしかしたら、フェイクニュースの文体に反応しているだけなのかもしれない。今後は言語学的な観点からの分析も必要となってくるでしょう」
世界を変え、「新たな未来」をもたらす30の革新 より