雪のふる寒い日
クリスマス前に訪問したことのある患者さんの死亡確認の訪問。90歳近いウルグアイ人のおばあちゃん。とても安らかな死に顔だった。娘さんはまだまだ感情があがったりさがったり大変そうだったけど、自分は家で看取るためにすべてをやり遂げたと言った。そして泣きながら、「とてもいいお母さんだったの。。。本当にいいお母さんだったの」と繰り返した。遺灰は生まれ故郷のウルグアイまで持っていくわと言っていた。ついつられて涙目になっていたのに、連絡を入れた葬儀屋さんに、「あんたんとこ死亡診断書(オンラインで出される)出んのすんごい遅くて嫌なんだよね~」と文句を言われ、ムッとする。そのくせ「今日は雪だからご遺体のピックアップは遅くなるから」と言ってくる。やれやれと思っていると、娘さんが亡くなったお母さんの口を閉じようと四苦八苦していた。「お母さんはほんとうにきっちりしてた人だから、最期まできれいな顔でいたいはず。」娘さんはあごをスカーフでしばりたかったのにちょうどいいスカーフがなくて、なぜかタンスから出したのがドクロがいっぱいついたやつで。。。 娘さんは気づいていないのか、スカーフの柄は気にしていないようで、これでいいと患者さんのあごをきれいにしばって口を閉じてあげた。
それをみていた娘ムコが「お義母さん。。。。やっぱりこれはチョットぉぉ。。。。」と、とても気まずそうに言い出し、お義母さんと険悪なムードに。2人ともひかないので、私はあわてて車においてきたカバンの中の包帯を取りに走った。
そんなやりとりも患者さんは天井からクスクス笑って見てるのかもしれないと思ったら、なんだかすべてが愛おしく思えたのでした。
意思表示
40代の女性の家族が訪問をリクエスト。10代の子供と旦那さん。到着したころにはもう午前12時をまわっていた。15-16歳にみえる娘さんが、おとうさんと2人で、お母さんの容態が安定しないために不安そうに、必死に看病していた。それでも私への受け答えには笑顔を絶やさず、お父さんにもいろいろと手厳しく指示をとばし気丈な娘さんだった。患者さんには高熱がでていた。意識はしっかりしていて、意志疎通もでき、そんなにひどい痛みや苦しみはないようだったが、とにかくどんどん弱っていくようだった。がんの進行で口から顎にかけて大きく穴が開き、口の中には膿のようなものも見え、感染症を繰り返した末の在宅ホスピスだった。流動食や水分はストローを使って飲み込めるようだったが、本人にとっても家族にとっても、とても辛い容態だった。今日の高熱が、ターミナルフィーバーなのか、がんからなのか、または感染症による発熱なのか判断できない。家族は、容態の安定に望みをかけ抗生物質の投与を希望する。ご主人は、まだあきらめたくない、まだ早すぎると、救急車を呼ぼうとする。抗生物質の投与で一旦は症状が収まるかもしれないけど、また同じ状態を繰り返すのは目に見えていて、がんセンターの医師もその上でホスピスを提案したに違いなかった。がんの種類や場所、それによるダメージがあまりにも大きすぎた。ご本人からは、とりあえず朝まで待ちたいという意思表示があった。その夜は解熱剤の座薬投与と、お体をきれいにふいて家を後にした。
翌日、気になってレポートを読んだ。次の日の午後5時ごろ、熱は下がったものの、家族からの点滴による抗生物質投与の希望と、子供さんに気遣ってか、家で死んでほしくないというご主人の希望により、結局長く入院していたがん専門の病棟に戻ることになった。この時点で患者さんの意識があったのか、意志疎通ができていたのかわからない。でも、この患者さん、病院にもどるため医療用の搬送サービスが来て、お家でストレッシャーに移った瞬間に息を引き取ったそう。患者さんは、きっとお家で最期を迎えたかったのでしょう。。。死もまた意思表示なのだと思った瞬間でした。
わかばま〜く:プロフィール 1982年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。