ホスピスというと、施設や病院を想像する方が多いと思います。でも(こちらでは)ホスピスケアは在宅が基本です。ご家族が患者さんのケアを担い、看取るのもご家族です。一人きりの患者さんや、ご家族が患者さんと一緒に住んでいない場合は、ヘルパーさんや住み込みの介護者を雇って、看取りまで任せている場合も多いです。ホスピスの医師、看護師、ソーシャルワーカー、スピリチュアルケアカウンセラーをはじめ様々な専門職がチームをつくり、在宅ケアのサポートをします。お家では症状の緩和が難しいときや、ご家族が患者さんのケアを担うことができなくなった時などは、ホスピス病棟のある病院か提携先の病院へ一時的に入院することはあります。薬の調節や外科的・内科的な施術で症状が安定すると、また在宅へと戻ります。
患者さんとってもご家族にとってもホスピスケアという選択は、目的がはっきりしていますが、期間のきまっていない旅のようなものです。ホスピスケアを受ける・切り替えるには、2名以上の医師から「現時点の状態で、このままこの病状や体の状態が続けば余命6か月未満でしょう」という診断が必要になります。ただ、この判断も数字や数値をもとにされることが多く、実際の死期は本当に様々です。本当にあっというまに亡くなる方もいらっしゃいますし、ホスピスに切り替えて在宅で症状緩和に集中したら逆に容態が安定してホスピス自体を卒業される方もいらっしゃいます。
どんな命も生まれたら死にます。それは自然の摂理です。とてもふつうのことです。人が生まれた時には24時間体制で赤ちゃんの世話をするように、人が死ぬときにもその人を24時間体制で世話をするのは、自然なことなのかもしれません。今は、死という体験が家を離れ、避けるべきもののように扱われる傾向が強いと感じます。病院でもそう感じます。社会全体の意識がすこしずつ変わっていく必要があるように思います。たとえば産休・育休があるように、看取り休暇が半年から1年ほど保障されていてもいいのになぁと思います。本当に簡単なことではないですから。
ホスピスケアで一番大切なのは、ご本人とご家族の意見が一致していることと、どのようなケア・看取りを実現させたいかということ。そこがぶれるととても辛い道のりになります。そして、訪れる変化を受け入れることができるかどうかです。昨日できていたことが、今日できなくなる・・・その喪失感や悲しみ、フラストレーションはご本人やご家族をとても苦しめます。あきらめではなく、受容というとても大切で難しいステップです。あきらめや、なげやりになると精神的にもとても辛いですし、受け入れられないと今度はケアの方向性やホスピスケア自体続けるのが難しくなります。
これから、現場での体験や感じたことをレポートします。
2016/12/16
午前12時過ぎに患者さんの自宅に着いた。とても大きなアパートだった。寝室までの廊下には、いろんなものが飾ってあった。
あの夜が最後だったんだ。
ほんとうは、心の中で思ってた。「奥さん、もうそっとしてあげましょう。旦那さん頑張って頑張って頑張って辛そうだよ。」
旦那さんは、心の底から奥さんを愛してたんだ。
奥さんが必死だから、旦那さんは最後の最後まで、「苦しくないよ、息苦しくないよ、大丈夫だよ」って繰り返した。あんなに痩せ細った身体で弱々しいのに、息をするのも辛そうなのに、頭はずっとはっきりしてた。目を閉じても眠りに落ちることなく・・・。本当は自分の体のこと一番わかってたの患者さんご本人だったのに。
奥さんはいてもたってもいられなくて、旦那さんの痰をどうにか咳をさせて吐き出させようと必死だった。旦那さんはそれに応えるように力をふりしぼって何度も咳をして、痰を出そうとした。力の限り・・・
とても辛そうだった。
看護師として、患者さんの容態をうっすらとわかりながらも二人の姿に押されて。。。
何もできずにオロオロしてた。情けない自分。
あの時、「これ以上は辛いだけです。最期の時はとても近いです。」最後まで言えなかった。奥さんに・・・
言えなかった。愛する力の果てを見た気がした。
次の日にレポートを読んだ。
I lost the fight
旦那さんは奥さんにこう言ったそう。そしてその何時間か後に死んだ。この言葉を読んだ時、ほんとうに自分の不甲斐なさを痛感した。ホスピスケアに切り替えた後もずっと、最後の最後まで闘っていたんだ。闘うのをやめていいはずの時に。痩せ細った誇り高き優しき戦士・・・そんなイメージが浮かんだ。
あるがままを受け入れるとは、辛く難しいこと。
起こっていることを受け入れ身をまかせられると、
なんと楽なことか。
わかばま〜く:プロフィール 1987年生まれ。ニューヨーク州立大学卒業後、 ニューヨーク市立病院に看護師として4年勤務。現在は訪問看護師としてホスピスケアに携わっている。岐阜県各務原市出身。