Q1:行きしぶり・不登校をしたきっかけ、理由は?
子どもたちの声から( )内は、行きしぶり・不登校をした当時の学年。時間を経て、ふり返り、語ってくれました。
◆ 最初は「闇のかたまり」だった。 (小2ほか)
◆ いっぱいある。しんどくなったときに教室では「なかよし(支援クラス)に行ってきて」といわれ、なかよしに行ったら「来ちゃダメ」といわれて、また教室に行ったら「なかよしに行ってきて」といわれた。いやなことばっかりやから、頭悪いほうがまだマシやと思ったから。(小2・女子)
◆ 授業中、頭がぼーっとして、つまらなくて行きたくなかったから。そのあと、朝起きられなくなって、行こうとするとおなかが痛くなった。(小4・女子)
◆ 担任とあわなかった。支援学級の担任が変わった。できないことをわかってもらえなかった。(小5・男子)
◆ いまとなっては、はっきりこれだというのはわかりません。行けなくなりはじめた当初は、ものすごく軽微なものですが、いじめだけが理由だと思っていました。年齢を経てふり返るなかで、家族との関係、自分自身の性格など瀧にわたっていて決められないと思うようになりました。(中1・女子)
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人が「しぶる」ということ
浜田寿美男(発達心理学・法心理学者)
たいていは「なんとなく行きたくない」
「不登校」というのは「学校に行っていない」状態を、第三者的に見た用語で、当事者である子ども自身の気持ちからいえば、「登校しぶり」というほうが正解かもしれません。実際、「学校なんか絶対に行かない」と文字どおり拒否している子はむしろまれで、たいていは「なんとなく行きたくない」「気が重い」といって、行くことをしぶっているのです。
「行く」ことが前提、「でも行けない」
この「しぶる」という言葉はなかなかビミョウです。そこにはなにか望ましいとされる状態が前提としてあって、それがうまくいかないのです。
「登校しぶり」も、ただただ「行きたくないから行かない」というのなら楽なのですが、「行く」ことが前提としてあって「でも行けない」、その二重性が悩ましいところです。幼い子どもの「登園しぶり」などもそうです。
二重性を引き受ける
「〜しなくてはいけない」ということになっているけれども、「〜したくない」。人間というのは、こういう二重性を生きるややこしい生き物です。
思いめぐらせてみれば、そうした場面が登校や登園だけでなく、いろんな場面にあります。これをどう考え、どのように日常のなかでこなしていくのかは、子どもだけの問題ではありません。この二重性そのものは避けようがありません。
そこでできることは、この二重性を二項対立にしてしまわずに、「〜しなくてはいけない」と脅迫的に思いこまされているところを、「まあまあ」といいながら窮屈に考えず、自分は「〜したくない」と決めつけているところを、「でも〜してみたい」気持ちもあるよなと思い直して、機を待つこと。二重性をなくしてしまうことはできませんが、せめて緩めることはできるものです。
「不登校」の子どもがなにかのきっかけで学校に行けるようになって、でも、かならずしも喜んで行っているわけではない。そんな様子が見えても、ふっと「なかなかしぶいじゃない」と思ったりすることがあります。もちろん、登校しさえすればいいというようなことではありません。でも、この人間の二重性を引き受けている姿を見ると、なにか「しぶい」と思えてしまうんですね。
無理して登校しているところから、いいんだ休んだって、と開き直って、ふっと楽になる。そういう引き受け方もまたしぶい。人生は複雑なものです。
はまだすみお 発達心理学・法心理学者として子どもの発達や供述の心理を研究。奈良女子大学名誉教授。川西市子どもの人権オンブズパーソン。『子どもが巣立つということ・・・・・・この時代の難しさのなかで』(小社刊)など著書多数。
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園児・小学低学年の場合
ストレスの源泉から離れれば症状は消えます。
心理カウンセラー 内田良子
園児の「いやだ」に向き合う
保育園・幼稚園の子どもの登園しぶりについて、最近は相談の切り口が変化してきているように感じます。
「こだわりが強い」「反抗期のいやいやが手に負えない」「育てにくい子」などという訴えになっています。発達障がいではないかと心配する親御さんが増えました。
イヤイヤ期の手に負えない反抗の内容を聞くと、登園前に集中しています。
反抗して手に負えないとき、「子どもはなにかいってませんか?」と聞けば、「保育園に行きたくない」「ママとおうちにいたい」と泣いたり叫んだりしているというのです。
これほどわかりやすい子どもの訴えを親が受けとめられないのは、なぜでしょう。保育園に行っている場合は、親が仕事を休めないのひとことにつきます。子どもの「いやだ」につきあっていたら、「仕事が続けられない」と心を鬼にして、力ずくで動かそうとして泥沼化しています。怒りといら立ちからも手も出ています。
「いやだ」とことばで訴えても通じない状況が続くと、子どもは発熱や頻尿、腹痛や持病の悪化、夜泣きやチックなどが出ます。かぜをひくと治りが悪く、医者がよいがくり返され、専門医を受診すると「発達障がいのグレーゾーン」といわれるケースがよくあります。
具合の悪いときは休んで治す
小学校に入学すると、学校は休まず通うのがあたりまえの社会になります。担任とクラスメイトに恵まれると、学校は楽しい場所になります。
最近の小学校は、団塊の世代が去ったあと、若い先生が多くなりました。学校づくりが未熟で授業も若葉マークの先生に、いうことを聞かないおませな生徒がそろうと、怒ったり罰をあたえる教室が増えていきます。子どもたちは緊張し、精神的に疲れ、いら立ちます。こうした教室環境が続くと心身ともに疲れた子がストレスから体調を崩しはじめます。
親ができることは、「具合の悪いときは休んで治す」という基本の基に立つことです。休めば元気になり、食欲も笑いももどり、ストレスの原因である学校から離れると、ストレス性の症状は消えます。子どもの心の健康に必要なのは「身体の声を聞いて、早めに休む」こと、子どもの訴えや言い分をしっかり聞くことです。
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小学校高学年の場合
しばらくは、本人に下駄を預けて様子を見守る
児童精神科医 山登敬之
親子の間にちょっと距離が
小学校高学年と言えば、年齢的には思春期の入り口、難しい年頃です。どこがどう難しいのか。まずなにを考えているのかわからない。親のいうことを聞かない。何をいっても生返事。そこでもっと強くいうと、反抗するか部屋にひきこもるか。そんな姿が想像できます。それまでの子供っぽさは薄れてきて、親子の間にもちょっと距離ができてきます。それが思春期の始まり。
初期に身体症状が現れる理由
この種の問題が難しいのは、備えあれば憂いなしという心がまえができないこと。ではどうするか?具体的には、まず、不登校が一般的にどういうものか知っておくといいでしょう。もちろん学校に行けない子どもは一人ひとり異なる事情を抱えていますから、番人に通用する理屈や対処の仕方があるわけではありません。しかし、ある程度は似通った経過をたどるものです。先のことがなんとなくでもわかれば、多少はおちついて事にあたれます。
大切なのは家族のコミュニケーション
高学年以上の不登校には、本人にも理由がわからないことが多いものです。思春期には自意識がボン!と膨らむので、友人たちとそりがあわなくなったり周囲の目が気になったりして、集団のなかにいるのがつらくてたまらない子もいます。こういうケースでは不登校の理由をうまく表現できません。
しばらくは、学校に行く行かないは本人に下駄を預けて様子を見守ること。そして、直接的であれ間接的であれ『キミのことはちゃんと見ているし、いつでも力になる準備がある』というメッセージを伝えていきましょう。プレッシャーをかけるのは禁物です。