vol.171 記者雑感from気仙沼 最終回

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気仙沼からの報告は最後になりました。地元の人々の言葉から。(年齢は当時)
「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく」【2011年3月22日】。同級生57人のうち3人が亡くなったなか、階上中学校の卒業式で答辞を読んだのは梶原裕太さん(15)。この春、一関高専を卒業し、地盤改良の工事会社で働く。「復興にも、これから対策がいる地域にも貢献できるから」。
【2012年12月7日】には、震災直後の余震群とは違う、初めての津波警報が発令された。気仙沼漁港近くで働いていた白幡みゆきさん(19)は、高台にある市民会館まで歩いて逃げた。「途中、信号を無視して走り去る車が怖かった」。渋滞中に津波に巻き込まれた人も多い、あの震災。だから必死で逃げるのだが、歩行者を無視してまで、でいいのだろうか。
「めげた。くじけた。それでも、立ち上がりましょう。我々が震災を風化させてはいけない」【2013年3月10日の法要】。檀家約150人が死亡・不明になった、地福寺の住職、片山秀光さん(73)が語った。市の指定避難場所の高台に逃げた93人が死亡した杉ノ下地区も近い。全員の氏名と「あなたを忘れない」と刻んだ石碑が建っている。
球団創設9年目にして、2013年に初の日本一になったプロ野球楽天。しかし翌年は最下位となり、星野仙一監督が辞任した。退任を表明した【2014年9月18日】、フカヒレ加工会社員の久保和枝さん(48)は「私も星野さんもゼロからのスタートだった」。久保さんは自宅も勤務先も流され、星野監督は震災の年に就任したからだ。「いい夢を見させてもらった。ゆっくり休んで欲しい」。
2015年1月には、気仙沼市内で初めての災害公営住宅の入居が始まった。初代の自治会長になったのは、藤原武寛さん(48)。ネット通販で暮らしていたが、震災後はたくさん免許をとって慣れない土木工事で稼いでいる。「会長を引き受けたのは、避難所で助け合いの生活を送ったから。それまで、他人のために、なんて考えたことなかったんですけどね」【2015年9月の取材】
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気仙沼市は【2016年3月11日】、追悼式での遺族代表の言葉を震災5年の節目にあたるとして復活させた。義母を亡くし、自宅兼水産加工場を流された斉藤良子さん(62)は、次のように読み上げた。「津波で形あるものはすべて失われました。けれどもその後に、暖かい人々の心の波が大きく押し寄せてきました」。

住まいや産業の再生はかなり進みました。とはいえ、今後の5年間も国が復興・創生期間と位置づけるように、復興は道半ばです。そんな中、5月に茨城県土浦市に転勤いたします。いったんお別れとなります。
4年間ご愛読ありがとうございました。
現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)





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