VOL.150 記者雑感 気仙沼 現役新聞記者がお届けしています。

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From 気仙沼

 

「自力再生の邪魔をするな 行政の対応制度に疑問」

気仙沼市職員の幾人かは昼休みに机に突っ伏して寝ている。それほど懸命に働いている気仙沼市は9月になってようやく、住宅再建について独自のお金を出すことにした。
災害危険区域という決めごとがある。地盤沈下した土地をかさ上げし、海岸や川沿いに防潮堤を建てる。そのうえで、今回と同じ津波が来たら、水に漬かるか否かで地域を区切る。コンピューターの計算上でだが。
次も「ダメ」なら危険区域。原則として新たに家を建てられない。住んでいた人が集団移転する場合、費用は国が面倒を見る。土地を市町村が買い取る場合もある。逆に「大丈夫」なら、今回家が流されていても、自前で建て直すなりしないといけない。
それは不公平だと、市は危険区域から外れた世帯に対し、住宅再建のために借りた金の利子を肩代わりすることにした。悪くないが、遅い。そもそも危険区域の指定が震災1年4カ月後になったため、「危険区域になれば市が買ってくれる」と考えて土地を売ろうにも売れず、いらぬ借金をして市外に中古住宅を買った人も少なくない。
震災後のべ1万人のボランティアが入った離島・大島への船着き場の近くに、復興屋台村という仮設商店街がある。どの店も同じ面積で、飲食店は10席ほどしか取れない。
「エースポート」という船着き場と同じ名前のイタリア料理屋があった。いつ見ても満席。一度だけ飛び込みで座れ、よく名前の分からない料理を食ったら、たいそう旨かった。この夏出て行ったので、「もうそんなに儲けたか」と勝手に喜んでいた。あくまで仮設店舗で、たしか3年以内に閉鎖されるからだ。
ところが、人づてに聞くと事情は違うらしい。別の場所で本格的に再開したいので、宮城県から300万円を借りようとしたところ、「これから営業する企業が対象。あなたはもう店をやっているからダメです」と断られたとのこと。それでも、利子などの条件が金融機関よりいいので経営者は借り入れを決め、そのためにいったん店を閉めたというのだ。
どうして、自分の手で立ち上がろうとする人たちの邪魔をする、あるいは遅すぎる制度が横行するのか。悲しくなる。
それはそうとして、8、9月の気仙沼は、震災と関係のない仕事が多かった。ロンドン五輪のフェンシングは時差の関係で深夜の仕事が続き、カツオ漁船の衝突事故では違反切符を切られながら、乗組員の家族が乗るバスを仙台まで追いかけ、ちょっと疲れた。
乗組員の家族が気仙沼市や隣の南三陸町に滞在するため、応援記者が来た。1人は今年4月に入った1年生。夕飯を食いに仮設飲食店街「復幸小町」に行くと、「ふくさちこまち、って読むんですか?」。
また、悲しくなった。

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写真右側の大川から津波が押し寄せ、廃校になった市立南気仙沼小学校。ここに5?10階建ての災害公営住宅ができる。8月3日

 

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ロンドン五輪・フェンシング団体で銀メダルを取った千田健太選手の自宅で応援する関係者。8月5日

 

 

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津波で不通になったJR気仙沼線。専用レーンを作ってバスを走らせるBRTの運行が始まった。写真は試運転の様子。8月13日

 

 

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岩手県の漁師から気仙沼市の漁師がもらったホタテ貝養殖用の網を手入れする九州大の学生ボランティアたち。9月18日

 

 

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津波で被害にあった神社での復興祈願碑除幕式。標高12メートルの境内に石碑を建て、水が来た2.2メートルの所に目印の線を彫った。9月19日。

 

 

現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)

私のいる事務所兼住居は、1階の浸水のみですみましたが、3軒隣の警察署も、少し離れた小学校も解体です。節電といわずとも、家の周辺は真っ暗。人がいないから…街灯もいらないわけで……これから、気仙沼で自分の見たまま感じたままをお届けします。