VOL.151 記者雑感 From気仙沼-(Vol.4)  「復興 市内でも格差」

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From 気仙沼 連載-[4]

 

「復興 市内でも格差」

このページの一番下に、撮影写真集を掲載しています。

震災から20カ月以上たった。「2年ぶり」に開かれる行事が多い。11月の唐桑半島のかき祭りもそう。似たような催しは昨年もやったが、主役の牡蠣がないので「復興感謝祭」。今年は小ぶりながら、地場のむき身を400グラム 千円で発売。千人近くが並んだのを、嬉しく見ていた。
同じ日の午後、半島の大沢地区で住民らによる街づくりの会合があった。180世帯のうち140世帯が津波で流された。多くが地区内の2カ所に集団移転する。移転については昨年秋から十数回会合を重ねた。集会場や道路、防潮堤など町全体のあり方を話し合う会議を今年9月に始め、この日は3回目だった。
前回までに出た意見を反映した地図や資料が示される。改良のためにまた話し合う。10人前後のグループが8つ。遠方から来た学者・学生がとりまとめる。「うちの井戸さ残してけれ」と、おばあさん。今の計画だと何かの事業で埋められてしまうが、防火用に必要らしいのだ。
各グループで出た要望を最後に学生らが発表。宮城県や市の職員がメモを取りながら熱心に聞く。無論、すべてを聞き入れることはできない。が、「井戸については初めて知りました。場所を教えてください。検討します」と担当者。地元の思いを汲み取ろうとする姿勢は見えた。小さい集落だし、大半が集団移転だからできる取り組み。それでも、「自分が住む街のことを、こういう風に決められたらいいな」と思った。
対照的に、誰の意思を尊重すればいいのか難しいのが、津波で陸に打ち上げられた漁船「共徳丸」の今後だ。菅原茂市長は「震災遺構」として残したい。商工会議所のトップも同じ。確かに、原爆ドームがなかったら、核兵器の猛烈さをなかなか想像できないだろう。よそ者としては、今のままにして欲しい。一方、船があるのは、地震、津波に加えて火災が襲った鹿折地区。共徳丸が自宅を押し流していく光景を目にした地域住民にすれば、二度と見たくない存在だ。
福島県いわき市の船主に聞くと、「老朽化して危ないし、住民の多くが残すことに反対と感じているので」撤去したいとのこと。ただ、保存賛成の住民が多数派なら、協力はやぶさかではないとも言った。それは「住民投票でもしないと分からないでしょう」。
投票と言えば、総選挙。この号が出る頃には結果が出ているが、「この国はいったいどこへ行くのか」と年賀状に書いた十数年前を思い出す。国旗国歌法が成立した時だった。安倍晋三とその支持者たちよ、戦争したければ、自分がまず現地へ行け。それが「美しい国」だ。

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