フクシマは終わっていない!
知らないことが多すぎて・・・
3月21日・22日の2日間、私は福島に行き、『東日本大震災・福島原発事故から3年:復興のいまと原発事故について学び交流する高校生のつどい』に参加してきました。
福島県高校生平和ゼミナールが企画してくれたこのつどいには、東京・埼玉・神奈川・千葉・長野・岩手・福島・岐阜などの都県から40人ほどの高校生の参加がありました。
初日は福島市内で集会があり、次の日には、放射能汚染の被害を受けた場所に見学に行き、何人かのお話も聞かせてもらいました。
見たこと、聞いたことがあまりにもたくさんで、しかも知らなかった事も多く驚きの連続でした。
時間も、21日の午後と22日の午前というほんの短い間のことで、頭の中に急に詰め込まれた感じで、記憶がごちゃごちゃになってしまってなかなかまとめきれません。
そこで、今回はひとまず、チェルノブイリ原発事故以来原発反対運動にたずさわり、福島原発の事故では福島原発告訴団団長として活動してみえる武藤類子さんのお話を紹介したいと思います。武藤さんは、福島の現状について、多くのことを話してくださいました。
最初は、たまり続け漏れ続ける汚染水の話でした。放射能に汚染された水は、原子力発電所のまわりの丸い大きなタンクに溜められます。しかし、ここに入りきらない汚染水が海にたくさん流れていきます。
また、原発では1日中高い放射線量の所で働いている人がたくさんいるそうです。とても悪条件の中で、そんなところで働いてくれる人は少なく、働き手が足りないからといって、色々な所から集められてきているのだそうです。
帰りたいのはヤマヤマだけど
避難させられている人たちの問題も深刻です。
汚染のひどいところは避難区域にされているのですが、それが3つに分けられていて、そのうち帰還困難区域は入ることも出来ず、未だに地震や津波の後片付けさえできていません。居住制限区域や避難指示解除準備区域にしても、寝泊まりすることができず、住むどころではありません。
除染もそれほど進んでいませんが、それでも原発から20㌔~30㌔の村では、除染された土がたくさんあって、それがフレコンバックと呼ばれる、1.5㌧も入るゴミ袋に入っていて、そのゴミがたくさんあって、さらに増え続けています。
また、放射能に汚染された廃棄物を焼いて容積を減らす計画が福島県内で進んでいます。しかし、これらの汚染された土やゴミを最終的に処分する場所も決まっていません。これが現実です。
武藤さんは「こんな状態では福島で安心して暮らすことはできません。そこで私たちは福島原発告訴団をつくって福島原発を告訴・告発をしたのです」と最後に言われました。
私はたいへんショックを受けました。事故から3年たち、岐阜まで詳しい情報が流されてくることも少なくなりました。しかし、福島ではまだまだ汚染の問題は深刻なままのようでした。
この桜の下でお花見が出来るのはいつになる?帰還困難区域 飯舘村長泥に咲く桜
(12年のゴールデンウィーク)
フレコンバック