ホスピスの患者さんを受け持つことが増えた
こないだ受け持った患者さんは40歳のチベット人だった。
部屋にはダライラマの写真やら赤や黄色の布がいっぱい。
肝臓のがんと肺への転移もあって、自宅では吐き気と嘔吐がひどく、どうにも収まらないからやってきた。
腹水もたまって苦しそうで、痛みも強いみたいだった。
家族も本人も薬を投与することに異常なほど執着しているような気がした。とにもかくにも痛み止めを、吐き気止めを、点滴をもっともっとって言ってきた。
最初は家族の強い要望で、少しの点滴を続けてた。
でも2日も経つと、やっぱり体が点滴を通して人工的に入ってくる水分を処理しきれなくって、どんどん腹水となっておなかがまたパンパンになって痛みが増してきた。 すると家族はおなかに針をいれて腹水を取り除くParacentesisをしてくださいって頼んできた。
血圧は来たときからずっと70/50と低いまんま…
そんな状態でParacentesisをしたら、そのまま血圧がぐっと下がって死ぬかもしれない。
「今現在ではその選択肢はできないので、まずはこの点滴をとめましょう」と提案したら、家族は、一様に〝何にも飲めないのに!何にも食べれないのに!じゃあどうするのか!” と怒ったように言ってくる。
”なんで針をさして腹水をとりのぞけないのか!” と。
この患者が死にゆくということを、まだまだ受け入れられないのか、完全にホスピスの方向性とは真逆だった。
おもわず、「それが死ぬ過程なんです、最後は体がだんだん飲んだり食べたりできなくなっていくんです」って何度も言いそうになったけど、言わなかった。なんとなく言えなかった。 チベット仏教のことはよく知らないのだけど、なんとなくすごい違う宗教のように思えた。
死ぬ前の夜、奥さんがすごい血相で、
”とにかく本人も痛みを取り除いてほしいって強く願ってるから、痛み止めをもっと増やして、もっと頻繁に投与して、とにかく死ぬ瞬間も完全に痛みがない状態で死なせてほしい。だから痛み止めがいつでも投与できるように、今からドクターに電話して準備しといて!必要なときに、いまからドクターに連絡しますなんて言わせないわよ!”ってめっちゃ何回も何回も言われた。
そもそも完全に痛みがない状態で死なせるのは、安楽死に近いんではないかと、そのとき思った。 人が死にゆくとき、薬の力で完全に痛みがない状態って不可能だと思う。ってゆうか死にゆく本人しかわかんないよね。 意識がなくなっても、もしかしたら痛みは続いてるかもしれない。身体的な痛みが抑えられたとしても、精神的な苦痛は残るときもあると思う。
痛みを抑えられるだけの薬は、そうとうな量が要るぶん、それだけ意識をもうろうとさせる。意識をもうろうとさせて、意識が無い状態になると、むしろ意識がないから何も感じてないのかな。見ている方はそのほうが楽だ。 痛みは精神を破壊させることもあるし、痛み苦しみながら死を待つのはやっぱり辛い。
死にゆく体や心や魂は、どんなふうにつながっているんやろう。全てが一致して、魂が静かに天に昇っていくという最期を迎えられるんやろうか。
与えられた命を全うする…
やっぱりこの言葉に尽きる。
ポーランド人のおばあちゃん
最初に、あなたチャイニーズ?コリアン?ってきかれて、ジャパニーズって答えると、[ジャパニーズ!?あぁ、とても美しい国ジャパン!ジャパニーズピープルは本当に優しくてナイスな人が多い]って、日本のことべた褒めだった。
よく聞くと、お孫さんが日本に住んでいるらしい。日本人の友達を何回もアメリカに招いたこともあるそうで、なんだか日本に対するイメージが良すぎる(笑)
お寿司が大好きだそうで、寿司は毎日食べるのか?作れるのか?って質問攻め。こんなにもべた褒めされると、うれしい反面恥ずかくなってくる。そんなイメージの日本であってほしいと強く思う。
今の安倍政権下の日本、震災後の日本、進むべき方向を見直し、遠く離れた外国の人から、美しい国、美しい人々といわれるような地域と国であってほしいと、べた褒めされればされるほど強く感じる。
vol.161 新米Nurseものがたり-(Vol.23)