マハトマ・ガンジーは、非暴力・不服従という平和的なやり方でイギリスからの独立を達成しました。そして、チャップリンやキング牧師に影響を与えた人です。
当時のインドでは、大型機械によって大量生産されたイギリス製の綿布などが入ってきていたため、手工業がすたれ、多くの人々が失業し貧困に陥っていました。そのため、自分たちで棉を育て、糸に紡ぎ、機(はた)織りをして衣類を賄っていく事は重要な意味を持つ事でした。すべての人が食べるものや着るものに不自由しない生活が送れるようになることが、本当の独立であるとガンジーは説きます。
近代化や工業化こそすべての悪の根源であると見抜いていたガンジーは、昔ながらの自給自足的農村社会を再建する事を目指したのです。ガンジーの思想には真実があると私は思うようになりました。
手作業は遅れたことと思えるかもしれませんが、機械化による大量生産に成功したと言われる私たちは本当に幸せでしょうか。今の日本では物があふれるほどあり、食べるものや着るものに不自由している人はほとんどいません。このように豊かな生活ができるのは、工業化に成功したおかげであり、ガンジーの考えた事はあの当時のインドでは正しかったかもしれないが、今の日本にはガンジー思想も糸を紡ぐ道具の手紡ぎ車も必要ではない、とする意見が出てきてもおかしくありません。しかし、本当にそうでしょうか。
◎途上国に暮らして考えたこと
大量生産は天然資源を大量に消費し汚染物質を撒き散らします。さらに、大量廃棄を伴います。それによって地球温暖化、酸性雨、ダイオキシンなどの問題が生じており、地球環境は危機的状況にあると言われています。このような大量生産を続けていく事は不可能です。人々がそのような事に目覚めたからか、大量生産も行きつく所まで行ってしまったからか、物を作っても売れない消費不況と言われる時代になりました。この不況下、大競争時代だと叫ばれ、リストラの嵐が吹き荒れています。このような競争社会は、教育をもゆがめ、多くの人々の心を蝕んでいます。物が大量にあるにもかかわらず、人々は幸せではありません。しかも、私たちの物質的豊かさは途上国の人々の犠牲の上に成り立っています。機械のおかげで、労働から解放されるのはすばらしいことだという幻想がありますが、人手が省かれる分だけ失業者が生じ、失業しないための競争も益々過酷なものとなっていくだけです。糸紡ぎという安定した、立派な仕事を女性たちに提供しようとしたガンジーの取り組みに本当の解決法があるように思えました。
◎生活の原点を大切にする意味
生活に必要なものを、自分たちの手足を使って生み出していくというのは、決して、庶民が貧しかった江戸時代に戻ることではありません。私が特にガンジーの思想にひかれるのは、食べて着るという生活の原点を大切にしているからです。平和を脅かすのは、軍隊や武器だけではありません。自分たちが何を食べ、何を着るかが世界の人々が平和に暮らしていけるかどうかに密接に関わっているのです。この大切なことを私はガンジーに教えられました。私たちは、日々の生活をおくる上で多くのことを選択しています。朝食にご飯を食べるかパンを食べるかは、本当に些細なことのように思えますが、それによって日本の自給率が大きく変わってくることもまた事実です。些細な日常生活の中に、実は平和で豊かな生活がおくれるかどうかの鍵があるとガンジーは訴えたのでした。そして、スワデシ(国産品愛用)はすべての人の義務であるとガンジーは説きます。お金さえ払えば何を買っても許されるわけではないことに、気付かされました。
ガンジーはただ単にイギリスからの独立を求めていたのではありませんでした。イギリス人を追い払っても、その座をインド人のエリートが占めたのでは何の意味もないからです。イギリス人がいなくなった暁には、近代的工業を取り入れて、都市化したインドを築こうと主張する人々に対して、ガンジーは農村にこそ価値があると訴えます。
豊かな自然そのものが富です。自分たちの畑で作物と棉を育て、衣と食の必需品を自らの労働によって得て行く生き方の中にこそ、本当の自立、本当の豊かさがあるのだと、この事こそガンジーが本当に言いたかったことです。
さらに、多数が利益を得るために少数が犠牲になるのも仕方がないという考えをガンジーは非常に憎んでいました。「競争ではなく、協力こそ人間本来の生き方である」というガンジーの言葉に今こそ耳を傾ける時ではないでしょうか。競争社会を前提に、どうすれば競争に勝ち残れるかを考える前に、どうすれば、競争社会から、人々が協力し合える社会に脱皮できるかを考えるべきではないでしょうか。まじめに働く人なら誰でも生活が保証される社会こそ平和な社会です。ガンジーは50年以上も前にチャルカ(手紡ぎ車)を掲げて私たちの行くべき道を示してくれています。
(片山加世子)