転職、岐阜へ
2004年に三重県で和菓子工房まっちんを開き、製造、販売、接客など全て一人でこなしていました。
僕の作るお菓子は、無農薬の素材、粉は全粒粉、砂糖は化学精製されていない洗双糖と粗糖を使用、厳選した材料で作っています。自分にしか作れないお菓子を誰もが安心して、美味しく食べてもらう、という気持ちで作っています。それが珍しいということで、イラストレーターの大橋歩さんが雑誌に取り上げてくださってから、ガラッと状況が変わりました。はじめは地元でひっそりしていたんですけど、 大橋さんとの出会いで、全国から注文が入り、多い時は3ヶ月待ちとなる程。しかし、体調を悪くしたり、だんだん一人での限界を感じるようになりました。辞めないと新しい事は入ってこない、そう思ったので一旦辞めて次に向かおうと約5年半営業していた店を閉めることにしました。ただ、閉店後も、自分にできることはお菓子作りなので、催事とか、ギャラリーやカフェのイベントなどに行って、お菓子を販売しながら、次の展開を模索していました。
そんな時に三重県でのオーガニックマーケットという催事に参加したことから、岐阜市でmbカフェ(当時)と和菓子屋ツバメヤを経営している岡田さんとの出会いがあって、岐阜市に来る事になりました。
和菓子作りスタート
24か25才のとき、マクロビのお店で食事をして、「あ、ご飯ってこんなに美味しいんだ!」と思ったんです。そこのお店のスタッフには、アレルギーのひどい方もいらっしゃったのですが、どの人も「私は食で治すんだ」って。そんな辛い状況でもとても明るく「食」で治していこうという前向きな姿にすごく感銘を受けました。
その時に「食」の大切さを感じて、自分も「食」に関わる事で何かできたらいいな、自分でお米を作って、それでお菓子を作れたらいいな、という思いで、地元で無農薬で作られている農家さんにお願いをして米作りの修行をさせていただいたきました。ワンシーズンでしたが、その時に、たまたま地元の温泉組合の方から、「催事にお菓子を出してみないか」という話しをいただいたんです。じゃあ出してみますっ!て返事はしたものの、和菓子作りは未経験。でも、地元のもち米や小豆などがちょうど収穫時期だったので、それらを使って和菓子を作ろう、というのが僕の和菓子作りのスタートでした。その時は本当に知識も技術もない、何もない、よく出したなって思うくらい。(笑)
後から思えば、この時声をかけてもらったことは、もう運命やなと。それがあるから今の自分がある。それがなかったら今の自分はない。多分岐阜にもいない。いろんなことが巡り巡って来てる、なんかいろいろ感じますね。
店を持ちたい!
温泉組合の催事では、はじめて作った和菓子に「美味しくない」とか手厳しい意見をもらいました。でも、そう言いながらも期間中に何度も来てくれて、最後の日には「美味しくなった」とか「これからも出してくれ」という言葉もいただきました。人とのやり取りの中で、ありがたい厳しさ、優しさ、というのをたくさん味わってしまった。それが「お菓子を作りたい!」という気持ちになっていったんです。作っている時はとても大変で、これ以上もうできないと思っていたんですけど、その催事が終わった頃、50年くらい職人として働いた後、一人で和菓子工房を構えた和菓子職人の方に出会いました。その方の姿に惹かれたこともあって、どんどんどんどん、「自分でお菓子を作りたい」「お店を持ちたい」という強い気持ちになっていったんです。それでお米作りが終わってからはお菓子の勉強に専念しよう、それも修業に行くのではなく、独学にしようと決めていました。安心できる素材で自分にしか作れない身近なお菓子を作りたい。よし!全部自分で学んでいこう、と。右も左も何も分からないので、ひたすらあちこち食べ歩きながら、お菓子作りの構想を立てていったんです。
三重県の温泉の催事の方は毎期間、呼んでいただいて、出すたびにどんどん好評になって、一番の売り上げを出すようになりました。そうやって学びながら、頭の中はお菓子の事でいっぱいで、いつかは自分の店を持ちたい、という気持ちがどんどん強くなっていったんです。
そんな頃、ある大工さんがやってきて、「お前そこまでやって、お客さんもいるんだったら、お店をやれ。実家の一角に空きスペースがあるやろ、そこでやるべきや、おれが安く直してやる!」と。それでその大工さんに建物を造っていただいたのが、「和菓子工房まっちん」です。
独学の苦労と特権
和菓子工房では本当にいろんなお菓子を作りました。赤飯まんじゅうのアレンジで「雑穀おこわまんじゅう」「玄米おはぎ」、きび100%の「きびもち」、「よもぎ黒豆大福」だとか。田舎っぽい、大きいのが好きなんですよ。手が大きいというのもあるんですけど、細かいのを作るより、バーンとしたのを作りたいんです。その中でヒットしたお菓子は、「わらび餅」と「わらびまんじゅう」です。本当に試行錯誤の連続で、全国のわらび餅を食べ歩きして、自分が作りたい物にたどり着くまで3年かかりました。
多分、自分は人の何倍も勉強していると思います。それは自分には基礎がないから。今でもそうですけど、スランプになったらなかなか抜け出せなかったり、本を見てもわからないし。
これは僕が仕事としてやって行く事だから、ちゃんと学ばなあかんな、ちゃんと材料のことを知って、使って、作り上げる事はすごく大切だなと思いました。自分で考える。それは特定の店で修行していない特権だと思ってるんです。枠に縛られない、だからいろんなものを作れるんです。
実は、僕の家系はお菓子家系なんです。祖父は有名な職人で、全国の菓子組合の会長もやっていたし、父は酒まんじゅう屋、親戚には和菓子屋、ホットケーキ屋、甘味どころなど。でも、自分は和菓子は好きではなかった。甘い物があまり好きでなかったし。なんで今自分がお菓子を作っているんだろうって、たまに思います。完全にこれは運命、DNAやなと思っています。
やっぱり自分にできることは安心安全、誰もが美味しく食べてもらえるお菓子作り。 山本佐太郎商店の社長ともよく話し合うのは、“三十年後のおやつ作り”。震災以降食に対する不安だとか、さまざまな問題が起こって来ています。特に子どもはこれからの未来を背負っていく存在、不安なモノが蓄積されていくのは怖いです。おやつというのは暮らしには欠かせないものだし、安心な物を食べて、美味しいというのを記憶にもってもらえたら嬉しいですね。それが当たり前の日常になればいいなぁ、と思うんです。
ただ、全部本の通りの素材を使うんじゃなくて、身近でお気に入りの素材で作ってもらえたらいい。その家庭、家族、仲間で作るていうか、そういうのも一緒に作る絆みたいなものを大事にしてほしいですね。
素材にこだわる過ぎると、自分も経験があるんですけど、楽しくないし、逆に体を悪くするなぁと思いました。完全にいいものばかり摂らなきゃというその余裕のなさは、メンタル面に良くないと思うんです。やっぱり食事をするというのは、楽しくって、温かさもあって、いろんな意味を含めての食事だと思うんです。
今後
「山本佐太郎商店&まっちん」っていうお菓子が全国に広がって、いろんな方に食べてもらえたら嬉しい。自分の関わったお菓子はいろんな人に伝えていきたい。自分が作って来たおやつというのも、家庭でつくってもらえるような気楽なお菓子としてみんなに知ってもらいたいです。お菓子作りをはじめて、本当にいろんな人との出会いがありました。出会った人の数だけ、自分の人生が広がったと感じます。お菓子でみんなと繋がっていく、というのも自分のテーマでもあるし、それが楽しいです。「お菓子で繋がる人生」そういうのもいいなぁ~。
おやつのレシピ本『まっちんのおやつ』
『まっちんのおやつ』和菓子というよりもおやつ。おやつといったら気楽に、子どももおじいちゃんおばあちゃんもみんなに食べてもらえるかな、と。日本のおやつ作り、そんなイメージでみんなが簡単に作れて、楽しく美味しく広まってくれるとうれしいですね。
家庭で作るんだから、お金をかけずに、身近にある素材と道具で、簡単にいかにおいしく作れるか、そこにこだわりました。「ちんすこう」は子どもさんと一緒に形もぎゅっぎゅって握ったり、好きに作ってもらったら楽しいと思います。
この本、応用が無限大なんです。この半月餅というのによもぎを入れるとよもぎ半月餅。中にくるみ粒あんやフルーツを入れてもいい。砂糖を入れずに、余ったキンピラを入れたら、もちもちのおやきみたい。練乳も葛と砂糖と低温殺菌牛乳でビックリするくらい簡単にできます。添加物の心配もいらないし。本がクタクタになるくらいまで使ってもらえたら嬉しいです。
初めての出版という事で、右も左もわからず、とにかく夢中、全力でやりきったというか、もう正月もなくずっとお菓子作ってたなぁと。自分たちの思いを形にするっていうのは、こんなに難しい事なんだなぁとつくづく思いました。忘れられない一冊となりました。出版社: WAVE出版 1,470円