今回は、今年1月大垣のようこそ先輩グループ主催で行われたワールドカフェ「どうしてカンボジアの子どもたちは目が輝いているの?」に参加して学んだこと、考えたことを紹介しようと思います。
この企画は、大垣のメンバーでわたしの友だちでもあるうきちゃんが、高校でカンボジアについて学んでいく中で、子どもたちが生き生きと目を輝かせて勉強しているのを見て驚き、「みんなと、カンボジアと日本の子どもや学校について考えてみたい」と提案したことからはじまっています。
世界のほとんどの国には義務教育制度があります。ただし、その考え方には特定の年齢の間を義務教育の対象にする年齢主義と、特定の課程を終了するまでを義務教育の対象にする課程主義の2つがあり、私たちの国の義務教育は年齢主義を、カンボジアは課程主義を取っています。
どちらの国も義務教育の間は義務なので、親は子どもを学校に通わせなければなりません。でもカンボジアの場合、ポル・ポト政権時代※に学校教育が廃止され、学校は軍の基地や刑務所として使用されるなどして破壊されてしまいました。教員は知識人と見なされ、小学校教員の8割は殺されました。また焚書政策によってカンボジアの大半の書物は失われました。その傷跡は深く、今もなお教育の立て直しが行われています。そのため、カンボジアの子ども達は整っているとは言い難いような環境下で勉強しています。それでも、将来に夢や希望を抱いで毎日勉学に励んでいます。
就学率は小学校では90%を超えますが、卒業できるのはそのうちの半分です。カンボジアでは退学率、留年率が非常に高くなっています。家庭が貧しいため家の手伝いをしなくてはならず、学校へ続けて通うことができません。地方は、都市部と比べ学校数も教員数も極端に足りていません。そのため、地方に住んでいる子どもは都市の学校まで通わなければならないのですが、それができないといった事が起こります。そのような理由で、退学率・留年率は上がってしまいます。
カンボジアには、本当は勉強したいのにできない子ども達が沢山いるという現状があります。ワールドカフェでは、「カンボジアの子どもの目はどうして輝いているのか?」「理想の教育とは?」「どんな学校に通いたいか?」という3つのテーマでメンバーを替えながら話し合ったのですが、その中で出てきた「知らなかったことを自分で見つけた時に目が輝く」という意見が印象に残りました。私たちは、整った環境で義務教育を受け、卒業できるのが当たり前で、本当に目を輝かせて授業を受けてきたかと言えば疑問です。それが、カンボジアの子ども達には保障されていません。カンボジアでも、たくさんの人が学校に行けるようになればいいのになぁ…と考えました。学校に行くことによって世界への視野も広がり、たくさんの夢に出会うことができるようになるのではないかと考えました。
私たちの国は戦後70年、一度も戦争で人を殺さず、そして殺されずにやってきました。その間にたくさんの難題があったと思うのですが、しっかりとした教育を受けて、それを乗り越えたからこそ今の平和な日本があると私は思います。
この平和な日本が続くよう、私は願います。