I’m Challenger 「落語家・正光寺しなのさん」

01

 言葉が持つ力

颯一郎は小さい頃から絵本がすごく好きな子でした。私が保育士をしていた関係で、家に絵本がたくさんあったという事もあるかもしれません。自閉症という障がいがあることで、大変なこと、辛いことも多かったんですけど、絵本が好きで助かったこともありました。例えば散歩に出かけて、泣いてそこから離れないとき、やりとりがオウム返しの絵本『わにさんどきっはいしゃさんどきっ』の台詞の「怒っていてもはじまらない」と、私が言うとぶすっとしながらも、「怒っていてもはじまらない」と言い、「もう少しがんばれ」と言うと「もう少しがんばれ」と言って起き上がって、散歩を続けたということがありました。
小学生の頃、日本語で遊ぼうというのがブームになった時に、彼はやっぱりとても言葉が好きなんですね。一番最後に名言集というのがあって、今日の名文というのがあるんです。そこがすごく好きで、それを本に作ったらそれをずっと諳んじるくらいになって。外を歩いているときによく独り言を言うので、菜の花が咲いていたら「菜の花や」と私が言うと「月は東に日は西に」って言ってくれる。で、雲を見て「おーい雲よ」と言うと「どこまで行くんだ」って詩の続きを言ってくれたり。それで本当に穏やかな気持ちになれました。また、親子読書といって親が本を読んで子どもがそこに感想を書く、というのもやりました。続けるうちに颯一郎が読んで、私が書く事になったんです。だんだんと出来事が書かれるようになってきました。最近は彼が日記代わりに書いている、という感じですね。まだ続いているんです。
他にも、バラエティ番組の、いろんな物の単位を言うゲームを、学校からの帰り道に二人でやっていると、そこに下校途中の同級生が混ざってきたりしたこともありました。そんなふうに、言葉で遊ぶという下地はその頃からあったんですね。
颯一郎がゆっくりとした発達だったからこそ、私は毎日のやり取りの中で、絵本の素晴らしさ、言葉の素晴らしさとか、そういうことがはっきりと目に見えて、幸せに感じていたんだと思います。

落語との出会い

中学2年の春でした。お世話になっている方が、颯一郎の独り言を聞いていて、「颯ちゃん、桂枝雀の落語を聞かせてみたらどうかなぁ」って言ってくださいました。それですぐ聞かせてみたんだけど、その時はちっとも好きじゃな
かった。でもその後、テレビの「えほん寄席」という子ども向けの落語を紹介する番組で「んまわし」※という落語にすっごいはまったんです。それでその頃はまだ落語の絵本が出てませんでしたので、番組を録画したものを颯一朗が再生して、私がそのせりふを全部紙に書いて、それを憶えて話し始めたのが落語の始まりです。それから3年間で18席の落語を覚えました。今ではいろんな方の落語のDVDを一緒に見て、颯一郎が特に笑った言葉や仕草を私がメモしておくんです。それを見せながら「どれ入れる?」と聞いて、颯一郎が決めて、落語に盛り込みます。どれも入れられない時もあります。でも、押しつけはしないです。というか、やりたくなければ、絶対やらないですけどね。
その後、小学校の特別支援学級で1、2年を担任してくださった先生に、「うちの子最近落語にハマりだしてね」と話したら、「じゃあ今度うちのお寺でするお盆会でやってみる?」と言ってくださって、初めて落語のお披露目をさせてもらいました。中学2年の夏の事です。
その時の姿は半パン、Tシャツ。手には100円ショップで買った扇子と手ぬぐい。四席させてもらったのですが、コピー落語で、見たまま聞いたままやるので、話す言葉はもう弾丸のようでした。でも、初めて人前で落語をする颯一朗の姿を私は泣きながらビデオに撮っていました。「すごーい!」って。終わった後にその先生と抱き合った事を覚えています。
2回目は、その年の暮れ、同じお寺の除夜会での年越し落語でした。その時、私の父が昔着ていた着物を着て落語をしたんです。そしたらもう全然違う。着物を着せたらこんなに変わるんやって思って。その時から岐阜のリサイクル着物ショップに通って、今では何着もあるんですよ。颯一郎も2年前から働いていますから、今では自分で買うようになりました。嬉しいですね。

颯一郎の落語

中学3年のときの合唱祭でゲスト出演された方が「もう一度あの歌声が聞きたい」っと目に留めてくださったんです。もともと声楽を学びたいという思いはあったんだけど、なかなか障がいのある子どもを教えるという先生がおられなかったので、困っているんですと話したら、ではご紹介しましょうかって言ってくださったんです。そのご縁で篠田弘美先生と出会え、そこから歌のレッスンがはじまり、落語で呼ばれた時にお歌も一緒に歌わせてもらってもいいですか?と、3年程前からは落語とお歌とセットでさせてもらうようになりました。そのときは必ず声楽で教えていただいて、合格が出てから歌わせてもらっています。
そうやって、落語じゃないものがくっついてきたので、もっと颯一郎の面白い所を出してもいいかも、と、電車のアナウンスの真似が上手なので演目に入れてみました。そうしたらお客さんにすごく喜んでもらえたんです。う?ん、面白くなってきたなぁって思いましたね。颯一郎も自分がやる会の名前を「おもしろ会」と名付けました。
最近では、落語の中にそこの会場名を入れるとか、お客さんが笑うのを聞いてから話すということもできるようになりました。前はおかまいなしだったけど、今はお客さんが笑ったら自分も一緒に笑って、それから話し始めるんです。周りの反応を見てするというのは自閉症の人にとっては難しい事なんです。だけど、それができてる、すごいですよね。
最初はね、お客さんも厳しかったですよ。「早口で何言ってるのかわからん」って言われたりもしました。でも、「この前よりおもしろかったよ」「歌がよくなったよ」と言われるようになりました。颯一郎が一生懸命落語をしているので、応援してくださっているのかもしれません。ありがたいことに、3年くらい前にやったところから、まだやってみえますか?と声をかけてもらったりもします。毎年定期的に呼んでくださる所や単発での依頼、併せて年間20回ほどさせていただいています。おかげさまで年々回数が増えてきています。私はよく一番前に座って、誰よりも笑ってるんです。
颯一郎も親の関わりだけではこうはならなかったです。いろんな人が関わってくださって、颯一郎の人生がひろがっていったんですね。多くの人のエッセンスが入って、それで今があるんですね。本当にありがたいと思います。あらためて人の力の素晴らしさを実感しています。                                    (母 直子さん・談)

編集部 颯一郎さん、初めて正光寺で落語をしたときはどんな感じでした?
颯一郎 笑いがとまらなくなるとか。
編集部 颯一郎さん自身も面白かった?
颯一郎 はい。
編集部 どんどんやりたいですか?
颯一郎 はい。

※「んまわし」。「ん」のつくコトバを言って、その中の「ん」の数を競う「んまわし」というコトバあそびの落語。

02