vol.168 ぎむきょーるーむ「段取りママ」は子育て上手!?

ぎむきょーるーむ168

段取り不足なの!?

宿題
習慣がつかない、やる気がない、見ていないとできない、暴れる。リビングのテーブルで勉強?そんなスペースもない!
帰宅後の段取りが甘いのか、疲れた体にムチ打って見てあげても「教え方が悪い」といわれ、私のせい?」と涙が出てきます・・・

「できない」ときは担任に伝える
基本的に、親が子どもに勉強を教えることは難しい。子どもは親に甘えて、「教え方が悪い」「お母さん怒ってばっかりで、なにをいってるかわからない」「昔習ったやり方なんか、いま通用しない」なんていろいろ文句もいうから、親はかっとなってしまう。
宿題はすぐにできちゃう子もいれば、時間がかかる子もいる。でも、子どもといっしょに宿題が終わるまで親もがんばるのは、最終的には恨みしか残らなくなるからおすすめできない。だから1時間なら1時間と決め、それ以上はやらない。子どもが「やらなきゃ先生に怒られる(泣)」っていっても怒られればいいんだし。
宿題
「できない」ときは、わからなくてできないのか、やればできるけどやらないのかを、わけて考える必要がある。できなかったぶんについては、「ちょっと難しくて、ここまでしかできませんでした」と、親がひとこと書いてあげる。それは担任も知りたいことだし、親が宿題の段取りをするなら、きちんとやるべきはここだと思う。
そもそも宿題は学校の都合で出すもの。それを頭に入れずに、「全部できないから、うちの子はダメだ」と発想するのはあやういのではないか。家庭や子どもの状況によって、宿題のやり方も対応のしかたもいろいろでいいのだから。

友人関係
友だちに影響され、行動範囲が急に広がり、いつも不機嫌、やや暴力的な面も。反抗期?家族関係がグラついてきた。
ママ友は「反抗期?うちは低学年のうちから家族でスカッシュを始めていたから、難しい年頃までに家族の時間をかためる。早めの対策!」ときっぱり。ああ、 どうして先を見通せなかったんだろうと思いおちこみます。

どれだけ見て見ぬふりできるか
私が子どものころのこと。ひな祭りの日、「ふうちゃん」という仲よしの子の家に遊びに行ったら、すごく豪華な、十五段ぐらいのひな飾りがあった。それを見たとき、幼い私は「あ、ふうちゃんちにはお金があって、うちにはお金がないんだな。私とふうちゃんは大親友って思ってたけど、お金にはすごく開きがあるんだな」と、はじめて気がついた。
そういう経験は避けられないし、絶対に必要だ。友だちに比べて私の家にはなにかが足りないとか、遅れてる、不自由だっていう、“負”に近い感情。それもやはり、生身の人間関係のなかで経験し、学んでいくしかない。そうでないと、その後の人生で立ちまわれなくなる。あとでもっと手痛い目にあうかもしれない。なのに、それすらとりあげてしまったら、子どもはどこでなにを学んだらいいのだろう?負の感情や失敗や、だまされたり嘘をつかれたり…という経験までも、親の心配と「段取り」で奪ってしまうのはいかがなものか。
子ども同士のトラブルは、問題にはなる。とくに学校は常に建前上「公平に」という方針なので、いじめだなんだって大騒ぎになってしまうのだけれど、そこをどこまで見て見ぬふりをするか。それも親の試練だ。自分のことのように、下手したら自分のこと以上に苦しいけど、黙って見ている。
子どもは親の知らないところで、親の知らないことをして、親の知らない育ちをする。そういうものだと思う。

子どもの自覚を鈍らせないように

なぜ、鬼の形相?
011
次の日の準備、宿題、かたづけなどなど…段取り(やらなきゃいけないこと)は、子どももわかっているはず…だけど体は動かない。自分で気づいてほしいけど…きっと、いわなきゃ動かない。2回、3回やさしくいってみたけど…「はいはい、あとで」の生返事。朝に確認してみたら…「やべえ。忘れてた!」で、爆発!鬼の形相(笑)。がお〜!
どうでしょう?似たような経験をした親御さんはいませんか?
多くの親は「トンビがタカを生む」ことに期待しつつも、それでも「蛙の子は蛙」だから、いつまでもオタマジャクシではないだろう。そのうち手も足も生えてくるはず!と思って子育てをしているのでしょう。ですから、なかなか手足が生えてこなければ、心がざわつくのもうなずけます。
子育ては巣立ちのためにすることが生物の原則だとすると、人も子どもを自律させるために子育てをしているはずです。やはり最後は自分で段取りを決め、主体的に動けるようになってもらわなければなりません。そのざわつきの中身を見つめたとき、「子どもの成長への焦り」より、「子どもの失敗=母親の段取り不足」「子どもの評価=親の評価」という意識がはたらいているのではないでしょうか?

なぜ、行動がともなわないのか
子どもが「自分はできていない」と感じているかと問われれば、冒頭にあげたような子どもたちのほとんどは、そう感じていると思います。学校でも家庭でも、失敗、段取り不足をしかられるわけですし、それによって、恥ずかしい、もしくはつらい思いをするのですから。
では、なぜ行動がともなわないのでしょう。それは、家庭が子どもにとって「オフ」の空間であり、つまり学校とはちがって自分のやりたいことを優先できる場所だからでしょう。家庭のあり方としてはよいと思います。だから、子どもがなかなか段取りよくできないいまの自分はダメだと思えていれば、とりあえず意識としてはまちがっていないのだと思います。
学校と家庭では、「向きあっている集団」も「環境」もちがいますが、それらは連続性のなかにあり、ある程度の段取りが自分の生活上で有意義であることが実感できるようになれば、それなりに自分で行動できるようになるのではないでしょうか?でも常に未来を意識して生きることは、いまをおろそかにしているような気もしますし、段取りよりそのときのこまかな状況にあわせた判断とか、臨機応変に行動できることのほうが重要な気もします。
「親は子を育ててきたというけれど、勝手に赤い畑のトマト」という俵万智さんの歌がありますが、ほんとうにそういうところはあると思います。段取り下手でも大丈夫!             (大和俊広・小学校教員)





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