あまりに多くの人が違憲だと指摘し、怒ってるいけれども、改めて私も安保関連法は大間違い、歴史の汚点だと考えていることを表明します。匿名で逃げているのではなく、編集者との最初の決めごとですのでご容赦ください。
気仙沼のような田舎では、実名で紙面に登場してくれる人は少ない。法可決の2日前、市立本吉病院の斉藤稔哲院長が顔写真つきでの掲載を快諾してくれた。いわく「法案を争点にしていない選挙で議席を取り、いきなりとりかかるのは。多くの人が憲法に合致するか危ぶんでいるなか、性急に進める必要がありますか。本当に大切なことなら、憲法を変える議論からしないといけないはずです」
「市立」だから公務員です。まして、菅原茂市長は小野寺五典・前防衛大臣の公設秘書もやっていた。そういう立場であることを重々わかっていての、この発言。表現や内容は穏やかだけど、よく思い切ったと感心した。
地震と少子化で、震災後は毎年のように小学校が閉校していく。その一つ、浦島小から1936(昭和11)年~38年にかけての「学校便り」が見つかった。最初のうちは、遠足を楽しみにする気持ちや身近な自然をうたった児童の俳句や歌がつづられる。それが37年9月に、がらりと変わる。「しなの兵たいを一人ものこらずころして下さい」と2年生。盧溝橋事件の後だ。12月には「支那兵は都をすてゝにげるかな」「南京かんらくうれしいな」
見ていて、恐ろしくなった。資料を研究した宮城学院女子大の大平聡教授は「子供たちがどう変わっていったのかがよく分かる。特に先生に見て欲しい」と話していた。大人は子供に何を伝えていたのだろう。繰り返してはいけない。
法成立の2日後、ラグビーW杯で日本が南アフリカを破った。大学でプレーしていたから分かるが、大変なことだ。サッカーでブラジルに勝つよりすごい。素直に喜んでいたかったが、9月22日付の新聞で「東京の専門店で日本代表ジャージーが売り切れた。買うのは初めてという人もいた」を読んでがっかり。またか。
テニスの錦織圭選手が勝てば、スポンサーであるユニクロの製品が売れる。古くは、になってしまった感のあるゴルフの石川遼選手の時は、国内ツアーを中高年の女性が追っかける姿を追っかけた。その後も応援しているとか、テニスやゴルフが好きになった、というなら分かる。そういう人もいるだろう。でも、何となく「ワーっ」と騒いで終わりという印象が拭えない。
今回の法律だけは、そうしてはならない。声を上げ続け、来年の参院選後に廃止にしましょう。
2012年に岐阜から赴任しました。がれきの片付けは震災後3年で終わり、高台移転先の造成や水産加工会社の再建なども少しずつ進んでいます。それでも「元の生活」に戻ることは決してありません。現地で見聞きし、思ったことをご報告いたします。
現役新聞記者(宮城県・気仙沼在住)