多様性を認める社会って?
私たちは、性教育の授業を通して人はみな違うこと、ありのままの自分でよいことを伝えたいと思っています。性の多様性を伝える時は男らしい女らしいって何だろう?普通って何だろう?と問いかけます。そもそも人はみな多様で唯一無二の存在だということが伝わればいいなと願っています。
先日、各務原市主催で、中京大学教養教育研究院の風間孝教授の講演会 「性の多様性と性的少数者(LGBT+Q)の人権」がありここいくメンバーと参加しました。
講義の中で風間先生から参加者にいくつかの問いかけがあり、そのたびに性的少数派の人の日々の傷つきや、多数派の当たり前だと思っている感覚が少数派の人の心を傷つけていることに気付かされました。 「世の中には男と女しかいない」 「好きになる相手は異性」 「自分の思う性別と体の性別は一致している」など、多くの人が「当たり前だ」と思っている考え方。例えば友人に「彼氏いる?」「彼女いる?」という日常の何気ない言葉に同性愛者の方は答えられない。「好きな人いる?」「付き合ってる人いる?」と聞かれたら答えることができるかもしれないのに。日常の中で多数派の「当たり前」を「当たり前じゃない」と感じる少数派の人たちは、私は「当たり前じゃないんだ」と、日々の中で感じさせられていることにさえ気付いていない現状。
そして、多数派には当たり前に保証されている「特権」について。異性愛者のカップルの婚姻届けは当たり前に受理されるが、同性愛者の場合は受理されず夫婦として認められない。夫婦ではないので、パートナーが病気やケガの時にも病状説明も受けられず、パートナーが死亡したときには二人で住んでいた持ち家は婚姻関係がなければただの同居人で譲渡もできない現状。
性教育を学んできた私も気付いてなかった性的多数派の「当たり前」にある特権がないことで、性的少数派の人たちの人権が守られていない社会。 多数派が普通で少数派は普通じゃないから認められないのか?人は誰もが多様性にあふれていて性の多様性に限らず、誰一人同じ人はいないのにその理解が進んでいないことが問題だと思います。
最近成立したLGBT理解増進法をめぐり「女子トイレや女子風呂に、男性が私は女性ですと入ってくるかもしれない」、と 幼い子どものトイレでの性被害の事例をあげて女性や子どもの権利を脅かす法案と反対の声があがった。私たちは、この機運に違和感があり、6月3日名古屋レインボープライドのパレードに参加をし、当事者の方からこの件に対して意見を聞きました。
トランスジェンダー当事者の方の意見としては、そもそも日本はジェンダー指数は先進国最下位の国。雇用を含めあらゆる場面で女性の権利は守られていない。子どもの自殺も不登校も増え続け、子どもの権利も守られているとは言えない。そんな状況に対して運動すべきであり、なぜここで女性や子どもの権利を訴えるのか、女性や子どもの権利については分けて考えるべきである。性犯罪は自認する属性の問題ではなく、性犯罪を犯す個人の問題である。性自認の問題と性犯罪の問題は分けて考えるべき。全てにおいて非常に雑な議論のまま「女性や子どもの権利」を保護する観点が優先され、結果「この法律に定める措置の実施等に当たっては、性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする」という文言が条文に加えられた。これは「マイノリティの人権や尊厳は、どこまでいっても多数派が認める範囲でしか守られない」という発信であり、性的少数者が抑圧されている社会の不均衡や不平等を考える問題、という大前提は置き去りになっていて、非情に悲しい。との意見を聞きました。
この法案自体が、LGBTの人の理解を深め、その人たちを守るための法案であったはずなのに、LGBTの人たちみんなが悪い人ではないけれど、そういう人もいるかもしれないからこの法案に反対、という思考はLGBTの人(少数派)を守るためのものではなく、多数派を守る視点の法案になってしまったことに社会の無理解を感じずにはいられない。
担当:ここいくメンバー 中村 暁子でした。
ここいく☎090-3446-8061(中村)