vol.211 映画「杜人」を観て

「大地の再生」に挑む

 かつて人は自然の循環を損なうことなく暮らしてきた。「鎮守の杜」の「杜」という字は「この場所を 傷めず 穢さず(けがさず)、大事に使わせてください」と紐を張った場のことだった。
映画「杜人」を観た。私たちの体も、この大地も、この地球も、息を止められたら生きられない。造園家であり、環境再生医でもある矢野さんの一言ひとことが心に響く。映画の中で、記憶に残る言葉を記し一つひとつ説明しようと思う。

「息をしている限り、まだ間に合う」。

映画の中に、巨木を移植するシーンの一言。私も事務所を移る時に柑橘類の木を2本移植したことがある。その作業は大変だった。まず深く根付いている根の周りを掘り起こすことから始める。運搬を考え根を随分切ってしまい痛めつけた。それでもこの事務所に根付き、花をたくさんつけ、今年は実もたくさんつけた。植物の生命力に感嘆している。

矢野さんはこともなげに巨木を移植すると決めた。費用も作業も大変であるが、「息をしている限り、まだ間に合う」と。 この映画は「環境問題の根幹に風穴をあける奇跡のドキュメンタリー」として各地で上映会とワークショップを展開している。


穴掘りの先生はイノシシ

イノシシは鼻先をうまく使い、凸凹に穴を掘っていく。木の根元、岩だらけの土を道具も使わずに見事に掘る。私がよく登る早朝の鵜沼の森で掘られたばかりの登山道に出くわす。鍬で耕した?と思うくらい…。

「イノシシはただ食べものが欲しくて土を掘っているわけじゃない。循環が悪い大地を掘って、空気の通りをよくしてくれているんです」「虫たちは風通しの悪いところにつく。葉っぱを食べて空気の通りをよくしてくれているんですよ」

『コラム 森・生物・ヒト』によると、「イノシシが掘り起こした穴は、漬物石よりも大きな石がいくつも掘り起こされて周囲に弾き飛ばされていたりする。大変なパワーだ。しばらくすると、穴には落ち葉がたまる。天然の堆肥場である。ミミズやムカデ、菌類などいろいろな土壌生物が集まってきて、せっせとこれらの遺骸を分解し、栄養分に富んだ腐葉土を製造する。そのうち、草木の種子が飛来したり、転がり落ちたりして、芽を出し、伸び始める」とある。さらに「イノシシが頑張るほど、土壌の通気性がよくなり、微生物をはじめとした土壌生物の活性が高くなり、有機物の分解が進み、土壌の肥沃度があがることが期待できそうである。イノシシは通常、農作物の害獣としか考えられてこなかったようだが、このように見てくると、普段はさっぱりわからなかった、森林生態系の中でのイノシシの役割が見えてこようというものである」。

人間以外の生き物は・・・

「植物はともにこの地球を生きる仲間。セミも、カニも、イノシシも、人間以外の生きものはみんな空気と水が循環するように日々環境改善している。その循環の輪から人間だけがはみ出してしまっていることが、いま、災害という形で人間社会に還ってきている

この言葉に私はうるうるしてしまう。紙面で何度も書いてきた開発という名の自然破壊に矢野さんがはっきり表現してくれたようで。しかも温かい眼差しで語る矢野さんに。
土石流や河川の氾濫が証明するように、護岸も山肌もコンクリートで被われて、いかにも息苦しそうだ。コンクリートジャングルという言葉も生まれた背景には高度成長期がある。果たして暮らしは豊かになったのだろうか。

風の通り道

「草は根こそぎ刈ると反発していっそう暴れる。風に倣って刈るとおとなしくなるんです」

今まで私は草の根元を握って、地表から5cmくらいを鎌で刈っていた。草刈りはそういうものだと思っていた。しかしそうすることで、その草の根は太くなり、土が固くなるという。
矢野さん曰く「風の通り道を作るように揺れる部分を刈るだけでいい。そうすることで主根に細いひげ根が張り巡らされ、さらに毛細根が現れる。その力で土が軟らかくなる」のだそうだ。確かにひげ根がガッチリと土をつかみ、酸素を土に入れて、ひげ根の先から出ている毛細根(もうさいこん)が団粒構造(だんりゅうこうぞう)を作っているのだから納得した。が、それは私にとってはカルチャーショックだった。

 

大地の呼吸
高度成長期からの国土開発という名の下で行われる土地の利用は、大地を窒息させる方向へ進んできた。せき止められた循環が長い時間をかけて問題を起こしていることに、矢野さんは強い危機感を抱いていた。そこで「大地の再生」に取り組むことになる。

「大地も人間と同じように呼吸し、地下を血液のような脈が流れています。それを人間が塞ぐから呼吸不全や動脈硬化が起こる。土砂崩れは大地の深呼吸なんです」

小さな移植ゴテで運動場の土をカリカリと掘り、水の流れを作る。溜まった水が、行き場を求めるかのように、または「水路を見つけた!」とばかりに流れ始める。気持ちは「詰まりを取り、流す」である。ん?なんか身体のリンパを流す時の気持ちになっている。要は同じなんだよね。身体の中で起きること、大地(土の中)、森、川、で起きることって。詰まらせたら確実に問題が起きるから。

「人間のからだでいうと呼吸と血管、空気と血液がからだの中をめぐっているのと同じように、地球全体で大気と水がからだのように循環しているんです」

そこで矢野さんはスコップ一本と観察力で問題に対峙する。一人ひとりの力を集めることで、かつての集落では当たり前だった「結(ゆい)」が今こそ必要なんだと説く。こういった一連の作業で、雨や風、動物たちがすることにならった環境改善のやり方を彼は実践し、伝えていた。       (三)