vol.209 ボーダーレス社会をめざしてvol.67

NPO法人オープンハウスCAN 理事長 伊藤佐代子

 

声をあげる

支援先に向かうため、岐阜駅で電車を待っていると「おまえ、そこで何をしてるんだ」「タバコ吸うのをやめろ」「どこだと思ってる」と青年が大きな声を出していました。相手は中年の男性。その青年はニット帽をかぶり、リュックを背負っていて、私はちょっと苦手なタイプでした。当たり前の事なのですが、人は見た目で決めてはいけないですね。
多くの人は、巻き込まれないように見て見ぬふりをしてしまいそうなのに、その青年はすごいです!この青年のように明らかに間違ったことに大きな声をあげられるでしょうか?今の私はできません。仕返しをされるのが怖くてできません。
長い人生の中で、大きな声をあげて、どれだけ嫌な目に合ってきたことでしょうか。「正義は勝たない」とまで脳の髄まで染み込まされています。大きな組織の前では、一人の意見なんてちっぽけなものです。声をあげるという事は、覚悟がいります。自衛しようとすれば、声なんてあげられない世の中になってしまいました。
若い頃は、正義は勝つと信じていました。いやいやそんな甘くはありませんでした。しかし、息子のような知的障がいのある人たちのために、私にできる限りの声はあげてきたつもりです。ある会議でいかに教育現場で専門性に富んだ人材が必要か訴えたことがあります。今はそんなことはないと思うのですが、昔は特別支援学級の先生が障がいを全く知らないで担任されるということがありました。「私たちの子どもは、1分1分が大切です。先生が何もご存知ないと1年が台無しになってしまいます。是非、専門の教育を受けた人を担任にしてほしい。」とお願いしたことがあります。
私の子どもはもう成人していたのですが、これからの人のために訴えました。その時に議長が言われたことが今でも鮮明に残っています。「親がそんなことを言える時代になったのですね。」と。その人はどこかの大学の教授でした。こんな人が障がいの専門知識を教えているのだと思ったら情けなくなりました。 しかし、その時に関係者の中の一人が、私に近寄ってきて「伊藤さんよく言ってくれた。」と小さな声で言われました。なんでこんな大切な事が、くだらないセリフで終わりになってしまうのでしょう。今はこんな事はないと信じていますが、声をあげない限り伝わらないことがあります。
どんなことでも理不尽と思ったことは、一人ではなく、思いを同じくする人と一緒になって、声をあげ続けなくてはいけないのだと思います。