vol.204 しょうがいをみつめるvol.15

それぞれに工夫するオンリーワンな生き方

 東京オリンピック、パラリンピックが閉幕しました。コロナ下での開催にはさまざまな意見があったものの、私にとってはスポーツの面白さ、スポーツが与えてくれる感動を再確認する機会になりました。
 なかでもパラリンピックは、特別支援教育に長年携わっているにも関わらず、初めての観戦でした。テレビを通して見るパラアスリートの活躍に、毎日胸が熱くなっていました
皆さんの中にもパラリンピックを初めて見たという方もいると思うのですが、これだけ多くの国民がパラリンピック、パラスポーツというものを知ったということだけでも、東京でオリンピック、パラリンピックを開催した成果と言えるのではないでしょうか。
 今回は、私が東京パラリンピックを見て考えたこと、感じたことについて書いてみたいと思います。

 競技を見ていてまず驚いたのは、アスリートの高い身体能力です。パラ競泳の鈴木選手には、先天性の四肢欠損があり、右と左の腕の長さが違うのですが、体をうねるようにしてバランスをとる独自の泳法により、エントリーした全ての種目で見事5つのメダルを獲得しました。6歳で水泳を始めたとのことですが、誰の手本もない中でその泳ぎを身につけるまでにどれだけ工夫と努力をされてきたことでしょう。
 障がいのある方の多くは身体や感覚などさまざまな機能が制限されており、それをさまざまな方法で補いながら生活をしています。以前担当していた生徒には視覚障がいがあり、片目がわずかに見える程度の視力しかありませんでしたが、まるで見えているかのように日常生活を送り、足場が不安定な山登りにも挑戦していました。これまでの経験や残存視力、聴覚といった他の感覚などを駆使し、自分なりの世界の見方を会得していたのだと思います。
 また、先日フライングディスクの記録会を参観していた時のことです。生徒(全員が知的障がい)が投げる様子を正面から見ていたのですが、それぞれの生徒が個性的な投げ方をしていました。ある生徒は、体を正面に向け、胸の前から突き出すようにスロー。またある生徒は、真横に向いて手首のスナップを効かせてスイング。これまたある生徒は、投げる前にディスクを大きく振りかぶってポーズ。どれも日々の練習の中で誰に教えられるでもなく、自分自身で見出してきた工夫の成果だということがはっきり見てとれました。

 パラリンピック閉会式で、国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が日本の伝統技法の「金継ぎ」について触れ、「誰もがもつ不完全さを受け入れ、隠すのではなく大事にしようという考え方です」と紹介しました。
 パラアスリートと私の生徒、全然違う世界の人間のように感じられますが、ともに障がいがありながらもさまざまなことにチャレンジし、それぞれの困難を抱えながらも工夫して、オンリーワンな生き方をしているという共通点がありました。

  パーソンズ会長はさらに、「スポーツの祭典の間、私たちは違いを認め、多様性の調和を見せました。私たちの旅をここで終わらせてはいけません。今日は閉会式というよりも、明るくすべての人が共生できる未来への始まりと捉えてください」と述べました。
 私は私の立場で、共生社会を目指してオンリーワンな生き方をしていきたい、パラリンピックを見ていて、このような思いを抱きました。
 皆さんは、パラリンピックにどのような感想を抱きましたか?    S.I