vol.198 しょうがいをみつめる vol.9

スリランカで 出会った子どもたち

 スリランカ という国に住んでいたことがあります。紅茶とカレーと「スリジャヤワルダナプラコッテ 」という長い首都名で有名な、インドの東に位置する島国です。
 今回はそんなスリランカ の特別支援教育についてお話したいと思います。

スリランカ の特別支援教室の風景

 スリランカ は1983年から2009年まで26年間にわたって内戦状態にありました。戦争が終結してようやく10年が経ったばかりの発展途上国です。そのため、学校設備などのハード面に関しては課題だらけです。私がスリランカ にいたのは何年も前ですが、その頃は、電気やシーリングファン(熱帯の国なので空調のためには必須)といった基本的な設備がない教室があったり、壊れたままの机や椅子がいつまでも直されずに放置してあったりということが普通にありました。
 一方で、教育には厚い国とも言われています 。公立学校であれば小学校から大学まで学費は無料で、初等教育の就学率は97%、識字率は91%にのぼり、アジア全体で見ても極めて高い水準となっています。

 そんなスリランカ にも障がいをもつ子ども達はおり、特別支援教育も存在しています。ただ、その数は圧倒的に少なく、専門の教員も足りません。地方ではこの傾向がさらに顕著で、支援が必要な子ども達全てに教育が行き届いている訳ではありません。NPOなどが私立の特別支援学校の運営や教員養成を行っているケースもあります。
 また、衛生的でない水道設備や貧しい教育インフラのために通学、在学が困難な状況に置かれている子ども達(特に身体に障がいのある子)や、家庭的な事情(距離が遠すぎることや親の特別支援教育への関心の低さ)から学校に通えていない子ども達も多くいると想定されています。
 このような厳しい環境の中ですが、私がスリランカ で出会った子ども達は皆一様に明るく、元気な子ばかりでした。教室に行けば、「一緒に遊ぼうよ」「名前書いたんだよ」などと声をかけてくれる子がいたり、話しかけるとはにかんでしまう子がいたりと、賑やかな毎日。珍しい外国人という目で街の人達から見られることの多かった私にとっては、日本での教員生活を思い出してほっとできる場所でした。

文中にも出てくるDくんとその学級

 ある学校で出会った一人の男の子(Dくん)がいます。Dくんは障がいが重く、言葉を話したり、文字を書いたりすることができませんでした。身体の動きもゆっくりでぎこちありません。机に向かって読み書き、計算の学習が中心の学校では、先生達もどう教えていいか分からず、ただでさえ教員不足の中、Dくんは教室の隅でただ座っていることが多くありました。現地の言葉であるタミル語が不自由だった私は読み書きを教えられる訳でもなく、自然とDくんと関わることが多くなりました。片言で話しかけ、一緒に色塗りをし、ハイタッチであいさつをし…。そんなことを繰り返していると、それまで下を向いていることの多かったDくんとも目が合うようになり、彼からハイタッチを求めてくるようになり、笑顔を見せることも増えてきました。そんなDくんの変化とともに、現地の先生達の様子にも変化が見られ、一緒にダンスを踊ったり、キャッチボールをしたりと、Dくんと関わりが豊かになりました。

 日本とは全く異なる環境のスリランカでも、子ども達の笑顔とひたむきな先生達の姿は変わらずにありました。1日でも早く支援を必要とする子ども達がふさわしい教育に出会えることを、今も日本から願っています。   S.I






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