vol.189 ぎむきょーるーむ   子どもの権利条約って?

 「子どもの権利条約」を批准した国は、定期的に報告書を提出しなければなりません。国連はそれを審査し、各国に対して勧告をします。国連は、政府の報告だけでは都合の悪い数字は出さない可能性もあるから一般市民やNGOによる報告もください、と言っています。第一回の政府報告から、日本全国の子どもに関わる人、教育、福祉、文化、司法、各分野の専門家が集まって、「市民NGO報告書をつくる会」を結成し、第一回の時には、子ども劇場も加わり報告書を提出しました。
 今年1月ジュネーブで行なわれた「国連子どもの権利委員会 日本政府第4・5回統合報告審査」の傍聴に行ってきました。

権利条約の成り立ち

 国連の公用語には日本語はないです。第二次世界大戦の戦犯国、敗戦国を除いたところから国連は出発していますから。第一次世界大戦では、飛行機や爆弾が発明され、市民や子どもがたくさん犠牲になった。その反省にたって国際連盟ができ、「子どものいない地球に未来はない」という言葉で表現された子どもの権利に関するジュネーブ宣言が出された。1959年、第二次世界大戦後に、ジュネーブ宣言を引き継ぎ「子どもを守る事が平和を守ること」を明確にした国連の「児童の権利宣言」が出された。もう第三次世界大戦は起こさないと。
 1979年がその宣言20周年の国際児童年。でも、状況は変わってない。子どもの権利を明確に示す条約が必要だと、1989年に「子どもの権利条約」が国連全会一致で採択された。
 権利条約はなんのためにあるのか。「子どもたちを守るため」「子どもたちが育っていくため」ですが最終的には、地球温暖化、原発、核兵器の問題…、今起きている事をみんなで解決していくためには、子どもたちも一緒に考えることが必要じゃないかということです。

権利は人権

 「子ども」とは、条文でいうと産まれた時から18歳未満。大事なのは0歳からということ。人種、男女関わらず全ての子どもたちが、産まれた瞬間からこの権利があるということを国際的にみんなが認めたということです。「権利は義務を果たしたら与えられるもの」と言われますが、産まれた時からあるということは、持って産まれてくるということ。英語で権利はRight。だから権利は人権(human rights)。子どもに権利なんてって言う人もいるけど、子どもに人権はないと言う人はいないような気がします。

日本政府の姿勢は

 子どもの権利条約が国連で採択された後、日本は条約が発効された20日後、109カ国目に署名しています。でも批准までは5年もかかった。その時の解釈が、この条約は開発途上国や紛争国、戦争や飢餓で苦しんでいる子どもたちを救うための条約、だから全面的に賛成してもいいと署名した。だけど、よくよく見たら懲戒権の問題や嫡出子の問題、男女の結婚年齢が違うとかいう国内法と矛盾があるということに気付いたんですね。それと大きいのは、子どもに権利なんか渡したら大変なことになる、その頃は学校が荒れたりとかしていた時期ですから。それで外務省が批准したのは197カ国中158番目。このままいくと取り残されてしまうと国会ではほとんどまともに議論もされずに批准されました。そのことが、この国の子どもに対する見方、権利というものに対する見方が明治から変わらず、今に続いているんじゃないかって僕は思っています。

国連子どもの権利条約の中の基本原則
差別の禁止(2条) 、子どもの最善の利益(3条)、生命および生存・発達の権利(6条)、意見を聞かれる権利(意見表明権)(12条)

 3条:大人が、「あなたのために良かれと思ってやっているのよ」というのは通用しません。それは大人の都合ではなく、この子にとって最善の利益とは何なのか、考えなきゃいけないという事。子どもの利益というのは未来に及ぶ利益ですから人類の利益なんです。
 6条:生命は生きると言うこと。生存とは豊かに暮らすということ。日本国憲法25条の「文化的な生活」とクロスしますよね。
 国連のいろんな文書を翻訳した時に思ったんだけど、幸せって言う言葉をHAPPY とかLUCKY じゃなくて、Well Beingと使うんですね。“良いありよう”なんですよ。わざわざ生命と生存をわけている意味はそこにあると思います。幸せに、文化的にということも含めて「生きる」ということが権利、そして保障されている。そして、子どもの最善の利益を保証するためには「子どもの意見を聞かなければならない」(12条)。これが基本原則の4つです。更に言うと4つの柱があります。
①生きる権利 ②守られる権利 ③育つ権利 ④参加する権利
 1989年にこの権利条約が締結した時に加えられたのが④の「参加する権利」。その頃は世界的にいろんなことがおきています。その前年にソ連崩壊、ベルリンの壁がなくなり、東西冷戦が終わる。地球温暖化などの問題もクローズアップされてくる。で、権利を当たり前と読むならば、参加するのが当たり前。だから全ての項目に、「子どもたちは参加していますか?」って国連は聞きます。いじめ防止条例とかいろいろありますけど、子どもたちの意見はどこに反映されていますか?って。日本政府は全く答えられません。なんでそんなこと聞かれるの?って顔をしているんですね。
 本当に人類はどこに向かっていくんだろう。この国をどうしていくのか、僕らはどう生きて行くのかっていうのは全部政治のでもあります。子どものときからそこを共有しながら、訓練しながら、模索しながらやっていこう。この「参加する権利」は、“大人と子どものパートナーシップ”とも言われました。

31条について

31条:(休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加) 
条文1. 締約国は、休息及び余暇についての子どもの権利並びに子どもがその年齢に適した遊び及びレクリエーション活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加できる権利を認める。

 日本の子どもたちの苦しさをどう捉えるか。これがなかなか政府と国連とで一致しない。第一回の国連審査の時、「高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて、31条に照らし懸念する」と勧告が出ています。
 国連発行の解説書では、子どもが思うように使用できる、自由に使うことが許される時間であるということ。そういう時間から初めて主体性というのは生まれてくる。
 子どもたちは周の親や先生から、あれしなさい、これしなさいと言われ、友だちから嫌われないかと気にし…という中では自分が何をしたいのか、自分はどうありたいかという一番大事な部分が生まれて来ない。持っていても表に出て来ない。本当に興味関心や生きる力としての想像力や好奇心というものは、何も束縛される事のない時間の中でしか生まれてこないんだと言われています。僕も全くその通りだと思います。子どもたちの今一番苦しいとこはそこなんじゃないかな、と思います。
 日本では余暇というのは余った暇ですから、放っておくと良くないと思われているんですよね。僕も子どものころ親から言われたのが「小人閑居して不善をなす」。小さい人間が暇に過ぎると悪い事をする、と。だから、ぼーっとしてるんじゃないぞって。それが日本の中の子ども観だったんじゃないでしょうか。
 余暇は子どもの主体性を生み出す時間、自由裁量の時間なんですね。国連の解説を読んで、僕も目からウロコでした。
 
 第4回・5回の勧告ではかなり細かいことまで懸念と勧告が出されました。国連はここまで日本のこどもたちのことを考えてくれたんだ、それまでの勧告とは全然違う重みを持っていました。特徴的な部分だけ紹介します。
 「生命、生存および発達に関する権利においての勧告。本委員会は、前回勧告を締約国に想起させ、以下のことを要請する。(a)社会の競争的な性格により子ども時代を発達が害されることなく、子どもがその子ども時代を享受することを確保するための措置を取ること。」
 “子ども時代を享受する”というこの言葉が入った事はとても大きな事だと思います。そして、“社会の競争的な性格”というのが、今回の一番のポイントだった。それは、「経済的な価値が全ての価値を上回っている」ということ。経済至上主義って言い方をしますが、お金があればいいこと、豊かだと思っていませんか。そのお金を得るためには競争をしなければいけない。仕事を得るためにいい学校に行き、いい点数とらなきゃいけないし、商売だったら人を蹴落としてでも自分が儲けなきゃいけない。それが生きる力っていうふうに言われている。勝ち組負け組がはっきりして、格差が出て、貧困も自分の責任でしょうがないと、自己責任論になっていく。この社会の価値の捉え方が子どもたちを苦しくしているんじゃないか、ということがここに表現されたんです。
 受験制度を変えれば日本の子どもたちの状況が良くなる、と思える程簡単な話しではないんです。国や社会の価値観の問題として余暇・休息は大事なんだ、もっと一人ひとりが自分の人生を自分のものにしていくという、まさに人権の出発点を考えていかないといけないんだと思います。

最後に

友人たちと作った「ワニブタカレンダー」を手に語る大屋さん

 僕は子どものころ、とにかく大人の言う事を聞くとってもいい子で、大人の気持ちが忖度できる子だった。そのいい子をやり続けると破綻するんですね。一番大きな破綻は僕が30半ばの時。「おれはこれがしたい、これのために生きる、という生きる価値について考えてきたかなあ」って。これから自分はどう生きていったらいいのだろう、どこまで行ったら自分は自由になるんだろう、と挫折したんです。外にある価値を一生懸命取り込もうとしたり、外にある価値に近づこうとしてた。それに気付いたのはこの「子どもの権利条約」に出会ったからでした。
 人権とは子どもたちと哲学しようっていうことでもあると思います。子どもたちと一緒に、なぜ僕らは生まれて来たんだろうね、なぜ生きているんだろうね、と語り合う事、考えあう事が今とても大切なんじゃないかと思うんですね。社会の発展のために“子どもは国の未来です”とか、“子どもは人類の宝です”とか・・・間違ってはいないけど、そこが強調され過ぎて、子どもたち自身が幸せになるために生まれて来たってこと、「今を生きている」ってことを忘れてませんかね?子どもの人生は誰のものなんだろうねって、つくづく思います。

大屋 寿朗 おおやとしろう NPO法人子どもと文化のNPO Art31代表・プロデューサー、子どもの権利条約市民・NGOの会起草委員、長野の子ども白書編集委員、NPO法人子どもと文化全国フォーラム権利条約31条委員会委員






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