vol.187 「食べること」の特集


いただきます!という祈り

その真意は、【自分以外の生命エネルギーをいただく】ということです。食材になる前は、全て生命がありました。そしてそれらの生命も私達は栄養にしています。生命エネルギーがないものばかり食していると免疫力は必ずと言っていいほど低下します。実は、その食材がどんな環境で育ったか?ということが、生命エネルギーに大いに関係しています。
たとえば鶏肉。ブロイラーのように動き回ることが出来ないケージに入れられ、クビだけ動かし餌を食べる状態ではストレスが溜まるばかり。常にストレスを感じながら食材になった鶏肉には負のエネルギーがいっぱい含まれることになります。牛や豚も同じことが言えますね。

そして「いただきます」という言葉は、食事を食べられるまでに関わってくれた人々に向けるだけではなく、生命エネルギーをくれた食物にも向けられる言葉です。

各種の食べ物の命をいただくことで私たちは命を繋いでいますから、いただく命そのものがストレスフリーであったり、パワー全開になった状態でいただきたいものです。
食べ物の命のパワーを上げる方法はいろいろあります。
たとえば、おにぎり。おにぎりは日本の心を反映している食べ物でもあり、コミュニケーションを伝え合う食べ物といわれています。おにぎりを作るときは基本は手で握ります。
おにぎりで忘れてはならないのが、佐藤初女さん。2016年2月1日、享年94歳で天に召されましたが、著書をはじめとして、各種メディアや映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番」(1995年公開、龍村仁監督)など、すでに多くのところで紹介され、ご存じの方も多いと思います。初女さんは青森県の弘前にて「森のイスキア」を主宰されていました。

 


森のイスキア

そこでは・・・
人生に行き詰まった人を自宅に受け入れ、元気づけて社会に返す。そんな奉仕活動を続けていた。なぜ、おむすびなのか。「素朴な食べ物だからこそ、作る人の気持ちが伝わって結びつきが感じられる。心のふるさとでないかと思うんです」。手作りの梅干しを入れ、焼きのりで包んだ丸いおむすびが冷えた体と心をあたためる。自殺まで考えていた青年がお土産に持たされたおむすびは、タオルにくるまれていた。「ラップやアルミホイルだとふやけて味が変わるからなんだけど、(青年は)それに感じたって。こんなに心配してくれる人がいるのに、なんてばかなことを考えたんだと思ったって」

ひとつまみの塩を手のひらにすり込み、ふっくら炊きあがったご飯の粒がつぶれないように、やさしく両手で包み込む。雪をかぶった霊峰・岩木山を望む青森県弘前市の一軒家で、エプロン姿の佐藤初女(はつめ)さん(91)が小さな背中を丸め、おむすびを握っていた。「『あ、おいしい』と思って心が満たされてくると心の扉が開いてくるの。自分の考えなど入れないで、よく話を聞いていると、どなたにしても自分の考えを持ってい

るんですよ。でもなかなかそれが出せない。自信がないんですね。自分の話したいことを話しているうちに受け止めてもらったと安心して(悩みが)解消されていくのよ」家族との死別やいさかい、リストラ、病気…。心に迷いや悩みを抱えた人たちに、地元でとれた旬の野菜や魚の手料理を振る舞い、そばで3時間でも4時間でも耳を傾ける。


忘れられない料理がある。

肺の病気で喀血を繰り返し、電信柱につかまりながら青森市のカトリック系女学校に通っていた17歳の春、母のトキさんがつくってくれた桜鯛の潮汁とあら煮だ。旧士族の実家が運送業の失敗で破産し、心労で体が弱っていた頃だった。母の料理に、「細胞が躍動してエネルギーが隅々まで巡り、体に力強さがみなぎったの」。注射や薬に頼らず、食べることで元気になろうと決心し、それから17年かけて病気を克服した。食は、初女さんの生きる姿そのものになった。「痛くないように」と野菜にも慈愛のまなざしを向け、丁寧に薄く皮をむく。ゆがく時は、透き通るような色に変わる「命の移し替え」と呼ぶ瞬間を見逃さずにすくい上げる。煮る時は八分通り火が通ったら止め、味をじっくり染み込ませる。 「『食は命』ということを非常に感じるんです。食材の命をいただいて、私たちは生涯一緒に生きていく。だから、ゆがく、切る、味付け、そのどれひとつ、おろそかにできない。一番嫌いなのは『面倒くさい』っていう言葉。ある線までは誰にでもできる。そこを一歩越えて、手をかけ、時間をかけることで人の心に響くものになるんです」

2013年1月5日の読売新聞「生きる 語る」シリーズ<3>の「おむすび 希望ともす」より


『いのちをむすぶ』おむすびをつくってみました。
今年の秋に収穫した新米で、初女さんのおにぎりを作ってみました。まずはじめに、お米を炊くことからスタート。3分搗きのお米を土鍋で炊く。ご飯は粒を潰さないように混ぜ小さな木椀にふんわりと入れる。お椀を木のまな板の上にひっくり返し真ん中に梅干しを乗せお塩を馴染ませた両手でふんわりと包んでむすんでいく。正方形に手でちぎった海苔2枚で上下にはさむように巻いて、はみ出しそうな所は余った海苔を貼り付ける。
美味しいお米(無農薬・すべて手作業)と美味しいお塩(天日塩)と美味しい海苔(知多鬼崎産)と、梅干し(自家製)が一体となるようにゆっくりとむすぶ。ていねいに作ったおむすびは食べる時もゆっくりになる。いろいろな人がかかわってできた手の中のおむすび。人々のかかわりを想像すると自然に「いただきます」と「感謝」の気持ちがわいてきます。
初女さんは「『面倒くさい』と言うことが嫌い」と強い信念のように言っていました。一方で、一本筋が通った緊張感も。初女さんは教員でもあり、また信仰していたキリスト教もあり、揺るぎない道徳心をお持ちでした。「正しいことをする」ということを何よりも大切にされていました。」とは、初女さんに会った方の感想です。

「心は揺れていいんです。揺れるのは成長に必要な過程です。大揺れに揺れても芯が一本通っていれば折れることはありません」。私は初女さんの本にあるこの言葉が大すきです。毎日ごはんを食べられる事に感謝して大切にいのちを頂こうと思います。(三上)

佐藤 初女(さとう・はつめ)著/ 集英社 ¥1,728

「いただきます」「ごちそうさま」
「いただきます」の意味の一つは、「作ってくれた人の命をいただく」ということですって。それはどういう意味でしょう。命とは時間と考えてみる。たとえば、私の母は82歳で亡くなりました。ということは、82年間という時間が、母の命だということだということですね。
今朝、みなさんのお母さんは、30分かけて朝ご飯を作りました。今日の夕食、お母さんは、1時間かけて夕ご飯を作ります。その朝ご飯にはお母さんの30分ぶんの命、夕ご飯には1時間分の命が込められているのです。そう考えられませんか?食べ物を粗末にすることは、作ってくれた人の命を粗末にすることにつながります。食べ物を作ってくれた人に感謝の気持ちを込めて、「いただきます」「ごちそうさま」を言いたいですね。

「自炊男子~『人生で大切なこと』が見つかる物語」
佐藤剛史 著 / 現代書林 ¥1,512



肉を食べるとき、その命に感謝してますか?
魚を食べるとき、その命に感謝してますか?
野菜を食べるとき、その命に感謝してますか?

 

動物と植物の一番の違いは何だろうか?

それは「動物は、食べるために動かなければならない。植物は、食べる必要がないので動かなくていい」です。植物は動けないではなく、動かなくていいんです。生きていくための栄養を、自分の力で作り出すことができるからです。私たち動物にはそれができません。だから、どうしても他の生き物を「食べる」必要がある。動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生きているんだと思います。私たちは、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、生きていくことができないんですね。

食を考えることは、命について考えること。
動物も植物も、害虫と呼ぶ虫たちも、私たちの周りは尊い命に囲まれています。特に食糧とされる動植物、皆さんはどのようにしてこれらの[いのち]と向き合いますか?

いろいろな意見があります・・・

◎ 豚、牛、鶏肉・・・処分されるまで大事に育てられていたもの。
野菜・・・有機や減農薬で育てられたもの。卵・・・自然の風が入る鶏舎か平飼い鶏の卵。家畜は人間に食べられるために飼われている。せめて牛や豚が生きているときは、気持ちよくストレスなく生きていてほしい。そういうことを大事にしている生産者に飼われていてほしい。値段が高くなっても気持ちは落ち着く。

◎ 「○○の解体ショー」とか「◇◇の残酷焼き」とか、「大食い競争」とか、いったい何がたのしいの?命あるものを頂くという気持ちが薄れてきているようでちょっと悲しいです。

◎ 私たちは食材だけでなく皮製品や化粧品(馬油等)色々な物も生き物から貰っている事を忘れないように。あと、化粧品や医薬品などでどれだけの小動物が犠牲になっているかも、忘れてはいけない。

◎ どうしても納得できない食材・フォアグラ。ガチョウが完全に身動き出来ない状態にされ、口から餌をどんどん詰め込まれているのを見たとき泣きそうになりました。人間の欲望には限界がないんだなぁと切なくなります。

◎ 命を奪わない食べ物には何があるのだろう?ふと考えてみた。植物も、植物の実や種や根も生きてる命です。海藻も同じ。果たして何があるだろう?三つだけ思い浮かびました。一つ目は母乳です。二つ目は塩。三つ目は水。食べるってなんだろうと根本から考えてみようと思いました。

◎ 食べることは文化的な営み。肉にしても魚にしても野菜にしても第一に、「美味しい」ことを伝えたい。

◎ 狩猟とか釣りをする人は別ですが、私たちはなかなか自分で「殺す」ってことをしません。でも生きるとか食べるってそういうことなんだよね。なので、食べ物は無駄にせず、残さずいただくということで折り合いをつけています。

◎ 食べ物を粗末にする人間は大げさかもしれないけど私はすべてにおいて信用できません。日本は本当に飽食です。ありがたみを忘れてはいけません

◎ 私の勤める幼稚園(仏教系)では給食の前に「多くの命と皆様のお陰によりこのご馳走を恵まれました。深くご恩を喜び有り難く頂きます」給食後に「尊いお恵みを有り難く頂きました。お陰でご馳走様でした」の言葉を言いますが、その通りだなぁって思うのです。多くの命を頂いて成り立っている私達の身体は、私達だけの物ではない。だから大切にしなくてはいけない。これは命の大切さを伝える事にも繋がると思うのです。
番外編
◎ ある夏の日の夜、台所にゴキブリが・・・迷わず新聞紙を丸めてバシッとたたきつぶしてゴミ箱へ。その一部始終を見ていた娘が目をまんまるにして、やがて目を潤ませたんです。「へっ?どーした?あかんかった?」と私の方もビックリして・・・。同じ命かぁ、そやなぁ、これからは外に追い出すわ。


命を「解く」ということばを、ご存知ですか。
食肉解体業に携わる人々が、牛や豚を殺す、という意味で実際に使っている言葉です。これは、食肉センターに勤めて実際に命を解くことを仕事にされている、坂本義喜さんのおはなしです。牛の命を解いて、お肉にする。坂本さんはこの仕事がずっといやでした。世の中の人々にとって大切な仕事だということはわかっていても、牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。心のどこかに、いつか辞めたい、という思いを抱えていました。あるとき、こんな坂本さんの気持ちを変える出来事があったのです。小学校3年生の息子のしのぶくんの参観日。食肉解体の仕事をかっこ悪いと思っていたしのぶくんですが、仕事の大切さについて教えてくれた先生の言葉を受け、お父さんの仕事の偉大さを理解していきます。息子の理解に励まされ、仕事を続けようと決意したある日、目の前に現れたのは一匹の牛と女の子でした。「みいちゃん、ごめんねぇ。」謝り続けながら牛のお腹をさする女の子。生まれた時から一緒に育ってきた牛のみいちゃんとの別れを悲しむその姿に、気持ちが揺らぐ坂本さんは、解体の仕事を休むとしのぶくんに打ち明けます。「この仕事はやめよう。もうできん」そんな坂本さんに、しのぶくんがかけたことばは・・・。
講演で坂本さんが語るエピソードに感銘を受けた助産師・内田美智子さんが、本として綴った「いのちをいただく」。10万部を超えるヒット作となった単行本は、その後漫画家の魚戸おさむさんがイラストを担当されて紙芝居に、そして今回絵本となって私たちのもとに届きました。生きるために食べること、食べるために働くこと、そして命を解くこと。全てはこのサイクルの上に成り立っている。多くの生き物たちの命と人々の葛藤に支えられながら、私たちは今日も「いただく」ことができるのですね。読んだ後は、感謝して食事に向かい合えるはず。
「いただきます」。

『いのちをいただく』坂本 義喜 (企画・原案), 内田 美智子 (著), 魚戸おさむとゆかいななかまたち (著)/講談社¥1,512

 

『教誨師』という映画を観ました。密室劇で6人の死刑囚と対話する教誨師の男・佐伯(大杉漣)を描いた人間ドラマ。受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く教誨師。その中の一人、大量殺人者の若者、高宮(玉置玲央)との会話に、命に向き合う矛盾が浮き彫りにされていました。

高宮:オレがなんで17人も殺したのか、分かるか!
佐伯:分かりません。
高宮:生きててもしょーがねー奴らを殺したんだ。世のためにね。    少しでも世の中が良くなるためにさ。
佐伯:どんな命も大切です。
高宮:じゃぁ聞くけど、いるかを殺し食べるのがなんでいけない?
佐伯:それは、その・・・知能が高いからです・・・
高宮:それって差別じゃねぇか。じゃぁ牛や豚、鶏はいいのかよ。

この会話をきっかけに、高宮は世の中の矛盾をずんずんと突く。佐伯は言葉に詰まりながらも、誠意を持って接する。6人のそれぞれの人生に寄り添い言葉を選びつつ会話を続ける佐伯。そんな中、ついにある受刑者に死刑執行の命が下される……。

生きていてこそ「いのち」を語れる。死刑はその「いのち」を奪う・・・。どんな命にも価値があります。