vol.181 ホスピスナース奮戦記 vol.6


あるフォトグラファー

玄関を入ったとたん、その娘さんはずっとしゃべり続けた。患者さんは心臓の疾患が悪化し、ホスピスサービスを受け始めた70代の女性だった。強い不安感と不眠を訴えていた。来月には個展も控えてアーティストとしてとても精力的に活動されている人のようだった。ベッドの上の彼女は目を閉じ、まるで何も見たくないと言っているようだった。バイタルは安定していたが、顔も手足も蒼白で、不安と恐怖で夜も眠れないと話した。両足のむくみは心臓疾患ではよく見る症状だが、ご本人は急な変化にとまどっていた。少し動くとしんどいようで、ベッドからトイレまで杖に頼って歩行するのがやっと。強い不安感が続き、落ち着くことができない。心の平安が欲しい。いくら落ち着こうとしても、心臓というのはやっぱり心の臓器、心と直結している。心臓の機能が普段通りに働いていない時というのは、とてつもない不安感に襲われるものなのだ。つい先週まで大丈夫だったのに、なぜ。なぜ。と繰り返す患者さん。眠りたいのに眠れない、落ち着きたいのに落ち着けない。私はこのまま死ぬの?もうすぐ死ぬの?
患者さんがホスピスサービスを受け始めたのは2週間ほど前。病状が悪化して初めて自分の死をはっきりと意識した今、否定から怒り、そして恐怖といった感情が渦巻いているようだった。アーティストとしての自分、ずっと一人で強く生きてきた自分を失いたくないという思いがひしひしと伝わってきた。なかば投げやりな態度もヒリヒリと痛いほど感じた。それでもアグレッシブな治療はしないという本人の意志ははっきりしているようだった。
一方娘さんは、自分の母親の死が近いことを現実として受け入れているようだった。もちろん食欲が落ちた母親を心配しあれこれ食べさせようと必死だった。なんとか落ち着けるように試行錯誤していた。それは患者さんにも伝わっていたと思う。しかし母親の穏やかでない態度や口調にどうしたらいいのかわからないようで、娘さん自身もとてもイライラしていた。時々喧嘩口調にもなる。娘さんの話をきくと、昨年パートナーを突然亡くしたばかりで、死を迎える準備の大切さを痛感しているのだと話した。そして、死別の悲しさも、人は生きて人は死ぬということも、わかっているつもりだと。母親が在宅でホスピスサービスを始めた時点で、死が近いことを覚悟しているようだった。だからこそ、お母さんの納得のいく形で少しずつ生前準備やいろいろな希望を聞いておきたい、アパートや光熱費などの生活の細かなことも教えておいてほしい。大人になってからは、お互いに忙しくゆっくりと母と子に戻る時間もなかったから、母として子としていろんな話をしたい。そう言った。離れているからこそ、会える時に・・・焦る気持ちも垣間見えた。しかし患者さんは、そういう娘さんに対して、なんで私が死ぬことを前提に話すの!早く死んでほしいっていうの!と怒りをぶつけるという。自分の母親に向かって死を迎える準備をしようなんて・・・と繰り返すのだそう。患者さんご本人にとっては、自分の体の変化やその先にある死を、現実としてまだ受け入れられていないのだ。このままでは娘さんと患者さんは、有意義な時間を過ごせそうにない。
ここは、ソーシャルワーカーやスピリチュアルケアワーカーにも訪問の頻度をあげる要請をしようと思った。ただ、今夜、症状を緩和するために何ができるかといえば、話を聞くことと一緒にいてあげること、薬を試してみることしかできない。主治医に連絡して、不安を和らげるのと眠れない症状に対して、一時的ではあるが、新しく薬を始めることにした。同時に、利尿剤の量も調整することにした。それで少しでも状態の緩和ができればと願う。あとは、精神的なサポート。しかし、日中にヘルパーさんが何時間か来るとはいえ、患者さんは一人で住んでいる。娘さんは車で3時間ほど離れたところに住んでいる。母親を一人きりにしていいのかと思い悩む娘さんは、その夜、結局もう一泊することにした。ただそこに居る、というのは何にもしてないようで実はとてもとても大切なこと。一人で過ごす夜を思えば、家族が一緒にいてくれることの安心感ははかりしれない。
この患者さん、写真はとれなくとも、今一度アーティストとして、窓から見える太陽の光に美しさを見出すことができるだろうか。
この訪問の後、ひどく考え込んでしまった。どう死んでいくかではない、死がおとずれるまでどう生きるか。できないことや無いものでなく、できることやあるものに焦点をあてる。。。それに尽きる。それは病気があってもなくても、すべての人に当てはまること。そう自分自身にもあらためて言い聞かせた。





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